嘘つきは恋人の始まり 3
自分の愚かさを、再び見せつけられたような気持ちだった。
自分の頭の中をぐるぐる回っていたのは、“嘘をつくのがいやだ”とか“ばれたらどうしよう”とか、自分のことばかりだ。隊長は、自分のことをちゃんと考えていてくれたというのに。
隊舎の廊下を歩いていたニーナは、深いため息をついて、足を止めた。よろよろと力なく廊下の壁に肩を預け、窓の外に視線を向ける。王都の美しい街並みが見える。空は絵具で塗ったように、美しい青だ。
“女のくせに”は、この仕事を初めてから、耳にタコができるくらい聞いたセリフだった。そう言われるのが嫌で、ただただ剣の道に打ち込んだ。そうしていくうち信頼できる仲間も増えて、騎士団に入隊した。
すると今度は“女だから”と言われることが増えた。“女だから、簡単な仕事ばかりして、成果を上げたんだ”、“女だから、隊長に目をかけてもらえているんだろう”、思い出すのも憚られるような下品な陰口だって何度も聞いた。
それでも、仕事を続けた。ただ誠実に、ただがむしゃらにやるしか、道はなかった。そしてようやく最近、足元が固まりつつあったのだ。
そこで「カイト隊長と恋人だと嘘をついた」なんて噂が回れば、どうなるかは明白だ。信頼は積み上げるのに時間がかかるのに、崩れるときは一瞬なのだから。
とにかく今は、嘘をつき通しておかなければいけない。大丈夫、たった2か月だけだ。
「ニーナ!」
「わっ!?」
後ろから背中を勢いよく叩かれて、ニーナは振り返った。ディオが「びっくりしたか?」と歯を見せて笑っている。その後ろには相変わらずの無表情のトナーも立っていた。
ニーナが文句を言う前に、ディオが口を開く。
「センチメンタルなのか、ニーナ」
「はぁ?」
「分かるぞ~。恋人との別れは寂しいよな。俺も、リーゼと別れるときは胸がキューっとなる」
故郷の婚約者の名前まで出されたが、意味が分からなかった。ニーナは首を傾げ、もう一度「はぁ?」とディオを見た。ディオはにやりと目を細めると、慰めるように肩を叩く。
「なんなの?」
「隊長が3日間いないから、そんな風に落ち込んでたんだろ」
「え?」
「明日からティオーネに視察だもんな」
一拍おいて「そうなんだ」と答えると、ディオは眉間に皺を寄せた。
「え? 違うの? じゃあなんでそんなに落ち込んでるわけ?」
疑うような視線に、ニーナはハッとした。
よく分からないがこういう時、普通の女性ならば寂しがるのかもしれない。ディオも故郷から戻ってくるとしばらくは「リーゼに“寂しいの”って泣かれちゃったよ」とまんざらでもない顔をしている。
なるほど、寂しがったほうが恋人らしいのか。
「そ、そう! 寂しい! すごく寂しい!」
「そんな力んで言わなくても……」
変に力が入って、こぶしを握りながら告げた「寂しい」はちっとも寂しそうではなかった。失敗した。寂しがるときはもっと、小動物のような可愛らしい雰囲気を出すべきなのかもしれない。
ニーナは慌てて「ところで何の用?」と話を変えた。
「見回りの時間だろ~。呼びに来たんだよ」
「ああ……ごめん、もうそんな時間か。気づかなかった。すぐ行く」
「おう」
「……ていうか、ニーナ、隊長から聞いてないの。ティオーネに視察に出るって話」
うまく話を変えたと思ったのに、再び話を戻された。トナーだ。相変わらずの無表情で、こちらを見下ろしている。普段はなんとも思わないが、今はトナーのガラスのような目になにもかも見透かされているようで恐ろしい。
ニーナは誤魔化すように視線を逸らした。
「し、知らない。まだ聞いてない」
「ふーん」
「別に、おかしなことじゃないでしょ。たまたま、二人が先に会っただけだよ」
「そう?」
「うん。そう、多分。で、ほら、見回りの時間だったんだよね。行かないと。呼びに来てくれてありがとう。行こ」
ディオの背中を押して、外へと向かう。背中に突き刺さるようなトナーの視線には気付かないふりをした。
ディオはごまかせるだろう、とニーナは思う。問題はトナーだ。彼は元々疑り深い性格だった。実際、あの目はまだ関係を疑っている。二人の言う通り、隊長が3日間出かけるのなら、その間に自分がボロを出さない自信がなかった。自分と隊長の話に齟齬があるのも困る。
ニーナは市街の見回りを終えると、廊下を歩いていたカイトを訓練場へと連れ出した。
隊舎の裏手にある第3訓練場は、いつも人気がない。3つある訓練場の中で一番古く、備え付けの水場が壊れていて使えないからだ。倉庫の影になる場所に立ち、周囲に誰もいないことを確認して、ニーナはカイトに向き直った。彼はこれからどんな話をされるのか、ある程度予想がついていたようで、話の間、特に表情を変えることなかった。
「と、いうわけです、隊長」
話しただけで、なんだか頭が痛くなってしまった。ニーナは眉間を軽く揉んだ。
「なるほどな、確かに、俺がいない間になにか聞かれて、適当に答えるわけにはいかないが……」
カイトはニーナに視線を落としたまま、淡々と続けた。
「が、その前にだ……気付いているな、ニーナ」
ひそめられた声に、ニーナはきょとんと目を丸くした。
「……おい。本当に気づいてないなら、隊員失格だぞ」
地獄の底から湧き出たような声に、慌てて意識を自分のまわりに集中させた。かすかに感じた違和感に、表情を変えないように続ける。
「……つけられてますね」
「ディオとトナーだな」
少し離れた場所にある茂みから、気配がする。カイトに並べられた名前が、見事に自分の予想と合致して、ニーナは小さくため息をついた。
あの二人はどれだけ言っても、自分の言葉を疑っているようだ。つい、「すみません」と謝ると、間髪入れずに「お前の同期は手のかかる人間ばかりだな」と呆れた声が続く。返す言葉もない。
「……話の内容を聞かれたでしょうか」
「いや、さすがにこの距離だ。大丈夫だろう」
「……呼び出しておいて申し訳ありませんが、ここは一旦別れましょう。どうしてもすり合わせが必要な部分については、手間をかけて申し訳ありませんが、書面に残しておいていただければ自分が後で確認しておくようにします。恥ずかしながら、男性との交際経験はないので、そのあたりは隊長に考えていただけると助かります」
隊長がいないことをいいことに、あの二人、さらには周囲の人間から根ほり葉ほり探られる未来は簡単に想像がつく。なれそめやらどこまでいっただのの質問は全て「言いたくない」で突っぱねるつもりだったが、万が一口を滑らせない可能性もなくはない。
書面での確認が、この場合一番いいだろう。そうニーナは思ったが、なぜかカイトは口元に手を当てたまま、何かを考えこんでいる。
「どうされました?」
「……いや」
カイトは一度周囲を伺って、ゆっくりと振り返った。
ゆるやかに、唇が美しい弧を描く。
あ、ヤバい。思ったのと、ほとんど同時に腕が伸びてきた。ニーナは声を出す間もなく、壁に押し付けられた。
「ちょうどいい」
左手で肩を押し付けられ、右手が頬に添えられた。
「見せつけとくか」
「ひ、ひぇ……」
「間抜けな声出すな」
「いや、だってたたたた隊長、この姿勢はヤバいです」
必死にこの状況から抜け出そうとするが、左手の力がすさまじく、壁から背中を離すことすらままならない。優雅そうな見た目とは真逆の強い力に、ニーナはひくりと口の端を引きつらせた。
「え、じょ、冗談ですよね、隊長」
「そう見えるか?」
「……そ、そうであってほしいです」
「そうか、それは残念だったな。大人しく、恋人らしくしろ」
脅迫!
ニーナはぐっと唾を飲み込んだ。
はたから見れば別れを惜しむ恋人たの逢瀬でも見えるのだろうか。少なくとも自分には、今にも獲物を食い殺しそうな獰猛な獣と、そのエサの小動物くらいにしか感じない。
恋人らしく、恋人らしく。頭の中で、もう一人の自分がありとあらゆる引き出しを開けて“恋人らしさ”を探しているが、そんなものどこにも仕舞われていない。当たり前だ。だって恋人がいた経験なんてないのだから。
ニーナの頬に冷や汗が流れる。
そしてついに、頭の中のもう一人の自分が白旗をあげた。
「カ、カイト、隊長」
「ん?」
一瞬でカラカラに乾いた喉から、掠れた声が出た。
「お、お体に、気を付けて、無事で返ってきてくださいね」
なんの変哲もない、ありきたりなセリフだった。けれど無難で、かつそれなりに愛しい人を心配する恋人らしい、いい選択だろうニーナは思った。だが、どうやら不正解らしい。この言葉が“恋人らしい”ものではないと、カイトの呆れた表情が物語っている。
「……それだけ?」
「えっ!?」
「それだけか?」
続きをねだるような甘い響きの言葉が、ニーナの鼻先を撫でる。
ど、同時に、肩に置かれた手にギリギリと力が込められる。
「そ、それだけ、です……」
「なるほど」
「は、はい……」
ため息を一つ。カイトはにっこりと、凶悪な笑みを浮かべた。
「不合格」
一瞬、視界がぼやけた。続いて唇に柔らかな圧。かわいらしいリップ音。
「浮気は許さないからな、ニーナ」
いたずらに成功した子供のように、べ、と赤い舌を出したカイトは、くるりと踵を返した。
ひらひらと手を振る背中を見送って、ニーナはその場に崩れ落ちるように座り込む。見事に腰が抜けた。
――いま、なにを……
ずいぶん遅れて追いついた羞恥心が、顔を一瞬で真っ赤に染め上げた。わけもわからないまま口元を抑えると、陰から「ニーナ!」とディオが飛び出してくる。ディオは興奮した犬のようにニーナに飛びつくと、「ありがとう! 掛け金が倍になって返ってくる!」と叫んだ。
「ぜったいに嘘だと思ってたのに」
遅れて出てきたトナーは珍しく感情をあらわにし、悔しそうに吐き捨てた。
「趣味が悪すぎる」
「俺は分かってたよ。ああいう、モテてモテて仕方がなかった人はさ、最終的にニーナみたいな、珍味に落ち着くんだ」
「……まあ、旨いものばっかり食べてると飽きるけど」
「そういうことさ」
ディオが鼻高々に言った。普段ならパンチの一つや二つお見舞いしているような失礼極まりない言葉だが、いかんせん、今のニーナにそんな余裕はない。体の中央で暴れている心臓が、今にも口から飛び出してきそうだ。
「いやあ、にしてもお前、ずいぶん純情だな。キス一つで腰抜かすなんて」
軽口を叩くディオを弱々しく睨み付けてから、ニーナは自分の唇に触れた。
正しくは、あれはキスではなかった。
カイトは自らの唇を寄せるよりも早く、頬に沿わせていた親指をニーナの唇の中央に置き、その上でリップ音を立てたのだから。
そう、断じてキスなどではない。キスなどではないのだ。
頭の中で何度も呪文のように繰り返すのに、ニーナの心臓は止まらない。意外とまつ毛が長いとか、ちょっといい匂いがしたな、なんて思い出したくないのに、焼き付いて離れない。
「……はぁ」
体の中にくすぶる熱と一緒にため息をついて、差し伸べられたトナーの手に捕まり立ち上がる。
「どうした?」
「……とんでもないことになっちゃったな、と思って……」
「それはこっちのセリフだ。俺は月末までどうやって生き延びればいい」
「トナーの賭けは私に関係ないでしょ。っていうか、人でそういう悪趣味な賭けするのやめてくれない?」
「まーまー。ニーナ、お祝いも兼ねて今度おごってやるよ」
「いや……それはいい……もう放っておいて……頼むから……」
気心の知れた仲間と話していると、気持ちがだいぶ落ち着いた。
そして、自分のついた浅はかな嘘の重さを思い知る。こんな調子の生活があと2か月も続くなんて、恋愛ド素人の自分には、とてもじゃないけど耐えられる気がしない。もしも過去に戻れるなら、両親の前でくだらない嘘をつく前からやり直したい。が、過去に戻れる方法は、残念ながらまだ発見されてはいない。全員の記憶がなくなればいいとも思うが、そんな方法もまだない。
何度腰を抜かそうとも、口から心臓が飛び出そうとも、この嘘をつき通すしかないのだ。
ニーナはカイトにそうされたように、自分の親指で唇に触れ、そこを強く擦った。それでもまだ、彼の親指が触れた感触は消えなかった。
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