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知らなければ 1



「ニーナ・フィント?」


 カイトは手元の書類に記載された名前を見て、眉間に皺を寄せた。

 つい先ほど届けられた数枚の書類には、来月頭、見習いから第3隊に配属される予定の3人の情報が書かれている。その内1人がニーナ・フィント。珍しい。女性の名だ。

 近にいた部下が「ああ」と声を上げる。


「彼女、うちの隊に来るんですか」

「知り合いか?」

「知り合いじゃないですけど、隊長覚えてませんか? ほら、1年くらい前に地下倉庫で人攫いのグループが捕まった件」


 数秒の沈黙の後に、カイトは答えを引っ張りだした。


「見習いが落ちて偶然発見したとかいう……」

「そうそう。それです。猫探しの途中、やつらが作った地下倉庫の出入り口の穴に落ちて、そこで見つけたってやつ」


 当時なかなか尻尾を掴めなかった人攫いグループが秘密裏に作った地下倉庫。見つけたのは猫探しをしていた見習いたちだというから、当時はなかなか話題になった。

 人攫いたちが偶然閉め忘れた出入り口の穴に落ち、そこで大立ち回りをして、主犯格のジオルド・ペンスにトドメを刺した。ともなれば、さすがにカイトの耳にも入ってくる。

 渡された残りにも目を通すと、書かれている名前はディオ・グランツとトナー・ローレン。共にその事件に巻き込まれた人物だ。


「運がいいのか悪いのか……」

「いいでしょう。たくさんの人を救ったんですから」

「どうだか」


 カイトはうっすらと笑みを浮かべた。

 人を救った英雄だと言われれば聞こえはいいが、実際に突入した第2隊の副隊長に軽く話を聞いた分に、中は想像を絶する状況だったという。中に残ったニーナ・フィントとトナー・ローレンは共に重症。多くが正式に隊員になってから経験する“人を殺める”ことをしたせいで、精神的にも大きな傷を負っただろう。それを“運がいい”なんて、舌ざわりのよい言葉で語ることはできない気がした。

 もしも自分だったら、と想像する。

 そんな苦い経験を抱えきれるのだろうか。次に誰かを斬らなければいけなくなった時、迷いはないのだろうか。精神的にもろい部分ができてしまったのではないのだろうか。


「おれ、女性の後輩を持つのは初めてなんで、嬉しいです」


 カイトの懸念をよそに、部下は気の抜けた表情でそう言った。


「ふにゃふにゃするなよ。新入隊員達の前でそんな顔してたら舐められるぞ」

「隊長は嬉しくないんですか」

「別に嬉しいことでもない。ただの人事の一環だ」

「ええー。冷たい反応ですね」

「冷たくしておくくらいでいいだろう。この女性隊員に惚れられたら面倒だ」

「うっわ」


 途端に、部下は渋い顔をした。


「隊長、さすがにそれはドン引きですけど」

「冗談だ」

「冗談に聞こえませんよ」


 冗談とは言え、2割くらいは本気だった。自分の容姿や立場が、多くの女性たちにとって、魅力的なのだということは理解している。騎士団に正式入隊するような人物が惚れた腫れたで右往左往するような人物だとは思わないが、可能性がないとは言えない。

 カイトは小さくため息をついて、書類を執務机の引き出しに乱暴に押し込んだ。

 どんな人間が来たって、自分の部下になる隊員達のことには責任を持つことに変わりはない。それよりも今片付けなければならない案件は、山ほどある。

 カイトは再び、仕事に取り掛かった。



***


「――ちょう、隊長……カイト隊長!」


  夜の足音が遠くに聞こえ始めた執務室の中、カイトはふっと顔を上げた。少しぼーっとしていたらしい。見上げると、書類を抱えた部下の男が、困ったようにこちらを見下ろしている。


「お疲れのところ申し訳ないですが、」

「……そう思うならやめてくれ」

「そういうわけにもいきません。可愛い部下が困ってますよ」

「どこに可愛い部下がいる」

「目の前にいますよ、っと」


 どすん。とても紙類が立てるものとは思えない、重みのある音を立てて、執務机の上に白い塔が築かれた。カイトは背もたれに体を預け、額を抑えた。ついつい、疲労を含んだ長い息が出る。

 ついさっき、似たような塔を片付けたばかりだというのに、もう次か。指の隙間から一番上の書類を覗き見る。細かい文字がびっしり書かれ、最下部に申し訳程度の署名欄がある。もう、見るのをやめて名前だけ書こうか、なんて邪な考えが浮かんだ。


「ちゃんと確認してくださいね」


 見透かしたように部下に釘を刺され、カイトはわざとらしくため息をついた。


「優秀な部下で結構だ。俺を過労死させたいらしい。隊長の座が望みか」

「冗談やめてくださいよ。だいたい、忙しいのは仕方ないでしょう。ニーナのオヤジさんのパーティーに参加するんですから」


 その言葉に、カイトは喉元まで出かかっていた次の言葉を飲み込んだ。

 言葉の通り、ここ数日の書類地獄は駆け込みでやってきた仕事と、ニーナの両親のパーティーに参加するためにとった休みのために発生したもの。本来ならば、ニーナに嫌味の一つや二つ言いたくなるような状況だ。

 けれどカイトにはそうできない、少し引っ掛かることがあった。


「……なあお前、最近のニーナこと、どう思う?」


 カイトは積み上げられた書類の山から数枚を手に取り、目を通しながら執務室を出ようとしていた部下に尋ねた。


「え? ニーナですか?」


 突然呼び止められ、部下は驚いたように振り返った。


「ああ、どう思う?」

「どう思うって……うーん、そうですね……」


 部下の男は顎に手を添えながら、うんうんと唸りながらこちらに戻ってくる。何をそんなに悩むことがあるんだと不思議に思いながら、カイトは答えを待った。

 数秒の後、唸り声が止んだ。部下がちらりと探るようにこちらを見る。


「なんだ」

「いやー……あの……」

「歯切れが悪いな。思ったことをそのまま言えばいい」

「そのぉ」


 もごもごとはっきりしない音を出し続ける部下に、いい加減イライラし始めたところで、彼が意を決したように言った。


「最近、かわいくなりましたよね、ニーナ」

「…………はァ?」


 かわいく、なりました、よね、ニーナ。

 カイトは人生で初めて聞く言語を耳にしたかのように固まった。

 それを見て何を勘違いしたのか、「あ、いや、決して、隊長から取ろうとか、そんな滅相もないことは、考えていませんよ!」とかなんとか、大慌てで部下が付け足すが、右から左へと流れていってしまう。


「お前……」

「ひぃ! す、すみません! でも、思ったことそのまま言えって言ったの、隊長じゃないですか!」

「だから、そう言うことじゃなくてだな」


 ――最近のニーナは少しおかしい。

 カイトが聞きたかったのは、そんな自分の考えを肯定してくれるようなものだった。

 アリシアが帰ったあたりからニーナの様子が少し変なのには気付いていた。けれど仕事に支障はなかったし、彼女も何も言いたがらなかったので、また食事にでも行ったときにでも聞けばいいと思っていた。けれどバタバタと入った仕事のせいでそれも聞けず、ニーナはルミナスへ。

 ルミナスから戻ると、ニーナの様子は殊更おかしくなっているように見えた。一見いつも通りに見えても、ふとした瞬間に影が落ちる。笑った時の目に、少し寂し気なものがちらつく。一人でいる時、どこか遠くを見ている時がある。ルミナスで何かあったのではないかとも思ったが、報告書には別段なにも書かれていない。

 だから何か知らないかと思って聞いたのに、まさかこんな素っ頓狂な答えが返ってくるとは思わなかった。カイトは呆れ交じりに言った。


「最近、ニーナは元気がないだろう」

「え? そ、そうですか? 俺にはいつもと変わらないように見えますが……」


 困惑しきった表情の部下に、カイトは疑いの視線を投げた。


「そんなわけないだろう」

「いや、本当にいつも通りに見えますけど……隊長、やっぱりニーナのことよく見てるんですね」

「はァ!?」


 部下はまた「ひぃ!」と情けない声を上げ、半歩後退った。


「い、いや、当然のことなんだから、いいじゃないですか。恋人なんだし……そりゃあ、隊長が一番ニーナのこと、よく気付くの当たり前って言うか……」


 カイトはぐっと言葉を詰まらせた。


「ニーナがかわいくなったのだって本当ですよ。みんなそう言ってますし。やっぱり恋は人を変えるっていうか……」


 まさか。

 “信じてください。私、隊長に恋慕の気持ちなんて、本当に小指の爪の間の垢ほどもありません!”

 カイトの脳裏に、埃っぽい資料室の中、必死の形相で許しを請うニーナの言葉が浮かんだ。あの時のニーナに一切の嘘偽りはなかった。大体、父親からの結婚攻撃を受け流すために、本当に恋している人物の名前を使おうとも思わないだろう。

 はた、とカイトは気が付いた。

 だとしたら、ニーナは――


「失礼します」


 控えめなノックと共に、詰所から続きになっているドアが開いた。

 書類片手に執務室に入ってきたニーナは、こちらを見るとさっと視線を逸らし、来た道をそのまま戻り始めた。


「お取込み中、失礼しまし、」

「わー! 失礼じゃない! 失礼じゃないから入ってこい、ニーナァ!」


 部下は脱兎のごとくニーナの元へ走った。「やめてくださいよ。説教に巻き込まないでください」と言ってニーナが部屋から出ていこうとするのを、必死に引き留める。「説教とかじゃないから、安心しろ!」「そんな必死な顔で言われても、説得力ないですよ」「とにかく、まじで、本当に、説教とかじゃないから!」

 二人の問答はしばらくの後にニーナが折れる形で決着がついた。出て行く部下と入れ違いになる形で、ニーナが渋い表情のまま執務机の前までやって来る。


「あ」


 一度締まったドアが開き、そこから部下が顔だけを出した。


「安心してください、隊長。俺はニーナのことタイプじゃないっす」

「え。なんで私、唐突に貶されてるんですか」

「けどお前のことは好きだぜ、ニーナ」

「はあ。先輩、ちょっと情緒不安定すぎますね。仕事終わったらとっとと帰って寝てください」

「もちろんだぜ」


 再び締まったドアを怪訝に見送り、ニーナは小さなため息をついた。

 じっとりとした視線がカイトを捉える。


「二人で私の悪口でも言ってたんでしょう」

「そんな陰湿なことするか」

「どうだか」


 ニーナは口元をかすかに緩め、息を零すように笑った。ほんの少しだけ、影のある笑み。

 あの部下はどうかしている。カイトは思った。ニーナはこんなにも、いつもと違うのに。


「これ、報告書です。それからこっちは第2隊のヤシンさんから、」


 カイトは数枚の報告書を受け取りながら、ニーナを見上げた。

 なんだか疲れてないか。少し痩せたんじゃないか。お前はそんなに寂しそうに笑うやつだったか。

 次から次へと疑問が浮かび、その合間に先ほどの部下の声が重なる。

 最近、かわいくなりましたよね、ニーナ。やっぱり、恋は人を変えますね。

気が付いたら、カイトはニーナの手首を掴んでいた。


「な……なんですか、急に」


 困惑と驚き交じりの視線が、握った手元に向けられる。


「な、なんか怒ってます? 報告書に不備でもありましたか」


 説教でもされるのかと怯えるニーナを見ていると、心に薄雲がかかっていくような感じがした。カイトはほとんど無意識のうちに口を開いていた。


「好きなやつがいるのか」

「えっ……」


 ニーナが目を剥いたのを見て、カイトは我に返った。

 余計なことを聞いたと、すぐに後悔する。けれどこんなのは、今まで何度も重ねた戯れの一つに過ぎないはずだ。

 嘘の恋人になろうと決めてすぐに、ディオをトナーからの疑いを晴らすためにキスの真似事をしてみせた。その時だって「浮気は許さないからな」と、冗談交じりに言った。あの時のニーナの顔はまあまあ傑作だった。

 だからきっとまたニーナは、顔を真っ赤にして、恥ずかしさと呆れの混じった顔で「そんなわけないじゃないですか」とか「隊長、なに言ってるんですか」と言うのだろう。

 一瞬の沈黙は、それより遥かに長い時間に感じられた。


「……好きな人、なんか……」


 ようやくニーナから漏れ出た声は、予想に反し、今にも消えてしまいそうなくらい弱々しいものだった。その顔は何かに耐えるよう、苦し気に歪んでいる。

 カイトはニーナの手首を掴んでいた手を、力なく離した。


「すみません、隊長。見習いに稽古をつけて欲しいって頼まれてるので……今日はこれで失礼します」

「あ……ああ……悪い……」


 小走りに執務室を出て行ったニーナを見送って、カイトはぽすりと背もたれに体を預けた。


 ニーナは、嘘が上手くない。

 あんな顔をされたら、嫌でも分かってしまう。

 彼女は、誰かに恋をしているのだ。



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