いつだってあなたが世界を変える 5
「騎士団は地下倉庫に突入。手配中だったジオルド・ペンスの一味を確保。行方不明届けが出ていた女性2人、男性1人、子供3人を含む12人を保護。お手柄だよ」
「……たまたま、あそこに落ちただけです。出入口が開いてたのだって、ただの偶然で……」
「運も実力のうち。それに、あの場を守ったのは、君たちだ」
そう教官に言われ、ニーナは弱々しい笑みを浮かべた。頬の筋肉が動くたび、右頬の殴られた痕がじくじく痛い。
医務室のベッドの上で目が覚めた時には、すべてが終わった後だった。
目が覚めて最初に頭に浮かんだのは「生きてるのか」という驚きだった。
痛くない場所がないほど全身が痛み、体中包帯まみれで、声もろくに出ない。それでも生きているのだから、人間というのは存外頑丈にできている。
その後、医務室の女医に「呆れた生命力」と言わしめるほどの回復力で、ニーナはぐんぐん回復し、なんとか体を起こして話せるまでになった。
真っ先にやって来たのは教官と、ルイドと名乗る騎士団第2隊の副隊長だった。ルイドはあの現場で指揮を執った人物らしい。役職を持っているとは思えないほど、穏やかな雰囲気の人物だ。
ベッド周りのカーテンを閉めた個室の中、いくつかの質問を受け、当日の出来事をなぞる。「おおよそのことは、すでにトナー・ローレンから聞いている」と前置きがあった通り、興奮で記憶が曖昧な自分よりも、彼らの方がずっとあの夜のことについては詳しかった。ニーナが見た限り、ルイドがメモを取った回数はそれほど多くない。
「ところで」
一通りの話が終わったところで、教官は少しだけ声のトーンを落とした。
「トナー・ローレンのことだが」
「はい」
「君は、彼が“特別枠”での入隊だと知っているかな?」
「……詳しい事は知りませんが」
「そうか」
教官とルイドは顔を見合わせ、それから再びニーナに向き直った。口を開いたのは、ルイドの方だった。
「トナー・ローレンはドリステという街の出身でね、あのあたりの騎士団の隊員達の中ではちょっとした有名人だった。雇われ用心棒のような仕事をしていて、とにかく強かったんだ。僕もつい最近までドリステのあたりに長期任務で出ていたんだが……まあ、彼には随分と苦労させられたよ」
ルイドは当時を思い出し、苦い笑みを浮かべた。
「彼を雇っていたのは悪名高い所ばかりだったが、彼の罪自体は比較的軽いものばかりだったから、騎士団の見習いに入れてみるのも手だと思ったんだ。裏側にも精通しているし、更生してくれれば、頼りになる」
ルイドは目を細め、ニーナを見た。
「きみはトナー・ローレンと仲がいいと聞いた。今回の現場でも、トナー・ローレンと君は2人きりだった」
「……はい」
「どうだい? 君から見て、トナー・ローレンは更生したと思うかい?」
そうでないのなら。と言外に滲んでいた。
ルイドの雰囲気は穏やかだが、流石の2番隊副隊長。笑みを浮かべているように見えるが、その瞳は鋭い。答えに迷いが一片でもあれば、見透かされてしまうだろう。ニーナは真っ直ぐに、ルイドの目を見た。
「私は、トナーの過去を知りませんし、知りたいとも思いません。ですからトナーが何をしたのかも、どんな人間だったのかも、分かりません」
「なるほど」
「でも今、誓って、彼は王立騎士団見習いのトナー・ローレン以外の何者でもありません。彼のことは、信頼しています」
「そうか」
ルイドはかすかに頬をゆるませ、「ありがとう」と席を立った。教官もまた、どこかほっとしたような表情を浮かべている。
「長々と悪かったね。具合は悪くなっていないかい?」
「問題ありません」
「頼もしいね。ああ、それから、今回の件については、隠すつもりもないが、積極的に周知はしていない。特に、見習いたちには。それでいろいろと不便をかけることもありかもしれないが、」
「いえ、むしろ助かります」
「そうか。では、私たちはこれで」
振り返った二人の背中を見て、ニーナは咄嗟に声を上げた。
「あの、最後に…」
「なんだい?」
教官もルイドも不思議そうな顔でこちらを見ていた。ニーナは口を開いたが、どうしでも最初の一言が出てこない。しばらく悩んだ後吐き出した声は、ひどく不安げなものだった。
「……ジオルド・ペンスは、無事ですか」
途端に、教官の表情が渋くなった。
「いいや」
首を振ったのは、ルイドだった。
ニーナは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。けれどいつまでも放心してはいられない。やっとのことで、絞り出すように礼を言う。
「……そう……ですか。どうも……」
「では、失礼するよ」
心臓が嫌な音を立てる。嫌な汗が背中を伝う。シャツの胸元を強く握りしめた。
あの時、結局自分は、あの男を……
ドアが閉まり、2つの足音が遠くに消えても、ニーナはシャツを握りしめる手を緩めることができなかった。
カーテンの向こう側で、紙が擦れ合う音がする。
あの時の記憶が鮮明に甦っていく。他人に剣を突き立て、真っ赤なものが溢れる、命を奪っていくあの感覚がーー
「騎士団に入隊するなら、遅かれ早かれ通る道よ」
記憶の渦に飲み込まれかけた刹那、カーテンの向こう側から、女医の凛とした声が聞こえた。
「あなたがそうしなかったら、代わりにトナー・ローレンが死んでいた。そして多分、あなたも、捕まっていた人たちも助からなかかった。おめでとう、あなたはみんなを救ったのよ」
「でも……」
でも、それでも。
ニーナは下唇を嚙んだ。そう理解していても、心が追い付かない。“人を傷つけてはだめ”と言われ育ってきた。“人を守るため”に訓練をしている。けれど、自分がした行為はそのどちらにも反する。
カーテンが開き、女医がひょこりと顔を出した。彼女は血の気の引いたニーナの顔を見ても、淡々と続ける。
「そうやって、今あなたが感じている苦痛を、これから先、ずっと忘れちゃだめよ。あなたはもう、他人を傷つけ、その命を奪うだけの力があるの。怒りや憎しみに、飲み込まれてはだめ」
ニーナは俯いた。
剣を突き立てた瞬間のことを思い出す。あの時の自分には、理性なんてかけらもなかった。恐怖と怒り、憎しみに飲まれた、獣だった。
「これから先きっと、何度もこういう場面に遭遇する。その度、選択しなくちゃいけない。だれかを守りたい時、同時に誰かを傷つけることがある。それでも、あなたは選ぶのよ。この経験を背負って、強くなりなさい」
「……背負える、でしょうか。私に」
「背負えるわよ」
女医は口の端を吊り上げ、カーテンを開けた。午後の柔らかな日差しがニーナを照らし、目を細める。
「あなたがここに来てからずっと、ドアの前でしょぼくれた男がいて、鬱陶しいったらありゃしない」
「……しょぼくれた男?」
「そう。もう入っていいわよ」
そう言うや否や、医務室のドアが勢いよく開かれ、何かが猛スピードで飛び込んできた。
「ニッ、ニーナァ!」
「ぐふっ」
ディオだった。
しょぼくれた、なんて言われていたが、ディオは勢いよくニーナの両肩を持つと、わんわん泣きながら「よかった」「生きてる」「よかった」と何度も体を揺さぶった。
ニーナの視界はぐわぐわ揺れる。次第に上下の感覚がなくなり、すっぱいものがせり上がってきた。まずい。そろそろ我慢の限界だ。
「よくないっ!」
鉄拳が、ディオの脳天に落ちた。
「病み上がりの人間をそんなに揺する馬鹿がどこにいるのさ!」
「ニ、ニーナのパンチだ……よかった……ほんとに無事だったんだな……」
「訳の分からない感動の仕方やめて」
ディオはベッド横に置かれた椅子に改めて腰を下ろし、もう一度「……よかった」と噛み締めるようにつぶやいた。
「……あの時、遅くなって悪かった」
「ディオが謝ることじゃないじゃん」
「生きててくれて、ありがとう」
ニーナは困ったような笑みを作り、ディオの胸元を軽く押した。
ディオは軽く体を揺らし、目に浮かんでいた涙を乱暴にぬぐう。
見たところ、ディオに目立った怪我はない。頬に小さな切り傷の跡があるが、もうほとんど塞がっている。ほっとしたと同時に、ニーナは思い出したように言った。
「そういえば、トナーは?」
「トナー?」
「無事だっていうのは聞いたんだけど、まだ会ってなくて」
「いや、トナーなら一緒に来たけど……」
振り返ったディオの視線を辿った先、開けっ放しのドアの向こうに、一人の男がぽつんと立っていた。
長い髪は解かれ、頭には包帯が巻かれている。ゆとりある衣服の隙間からは包帯が覗き、彼もまた、満身創痍といった様子だ。
「トナー」
ニーナは名前を呼んだ。ずいぶん久しぶりにその言葉を口にしたような気分だった。なつかしさと安堵が押し寄せて、視界が滲む。
もう少しで溢れそうになった次の瞬間、トナーの顔がぐしゃりと歪んだ。その目からは大粒の涙がぼたぼたと落ち、食いしばった歯の隙間から嗚咽が漏れる。
……泣いてる!?
驚きのあまり、ニーナの涙は引っ込んだ。思わずディオと顔を見合わせる。ディオも目をまん丸にしていた。
「え、ト、トナー、だいじょ」
「ごめん」
吐き出すように、トナーが言った。
「ごめん、おれ、ごめん、ほんとうに、ごめん」
よろよろと医務室に入ってきたトナーは、壊れた機械のように謝罪を繰り返し、ニーナのベッドの前に蹲った。
「お、おい。急にどうしたトナー」
「ごめん、ほんとうに、ごめん」
「な、なにを急に謝ってるの?」
「あの時、迷って、ごめん」
“あの時”。
地下倉庫の中、薄明かりに照らされた、トナーの迷いを帯びた瞳を思い出す。
「ごめん……」
トナーは絞り出すように言って、また体を震わせながら泣いた。
ディオに「なんのこと?」と尋ねられたが、どう答えたらいいものか。思案しながら、ニーナは蹲って小さくなったトナーを見下ろした。
ひとりぼっちの迷子の子供が、泣いているみたいだった。
ニーナはベッドから落ちるように降り、トナーの前へとしゃがみ込んだ。
「トナー……」
目が合う。涙の膜に覆われた瞳が、こちらを見る。
突然、腹の底からありとあらゆる感情が噴き出し、溢れた。ニーナは飛びつくようにトナーの首に腕を回し、体を抱きしめた。
「ごめん……私も、ごめん、弱くて、ごめん」
もっと強くて、もっと戦えていたら。あんな簡単に斬られていなければ。後悔や悔しさは数えきれない。
「あの時、足手まといになって、ごめん」
ここに運ばれてから、一度も泣かなかったのに、ニーナは涙が止まらなかった。トナーの背中のシャツを強く握り、肩に顔をうずめる。
「っ、や、やめろよ!」
突然、ディオが叫んだ。
「そんな風に言ったら、謝らなきゃいけないのは、俺の方だよ! 俺は結局、すぐにおまえらのところに戻れなかったし! 戻ったら……戻ったらお前らは、しっ、死にかけてて……こわくて……情けなくて……ごめん……ごめんな……」
言いながら、涙が落ちる。嗚咽交じりの謝罪が終わると、ディオは二人を抱え込むように抱きついた。
「……生きてて、よかった。本当に、よかった」
涙が、また溢れた。
あの時の恐怖。人を傷つける生々しさ。向けられる怒りや悪意。そして、生きててよかったという安堵と幸福。
次々生まれる言葉にできない感情で体が震えた。その震えに負けないよう、互いの体を抱き寄せ合って大声で泣いた。
言葉にならなかった。けれど3人とも、同じことを思っていた。
2人がいてくれて、よかった。
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