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いつだってあなたが世界を変える 4


 いつからか、音が聞こえない。目の前にいる男の口は開いているので、何かを言うなり叫ぶなりしているのだろう。それなのに、なぜ。

 ニーナは剣を振り払いながら自問した。

 剣がぶつかる音も聞こえない。それなのに、自分の心臓の音だけは、やけに大きく聞こえる。

 トナーが一人の男を斬り倒したのを目の端で見ながら、目の前に振り下ろされた剣先を寸前のところで避ける。髪が一房切れて宙を舞った。姿勢を崩したままのところに、今度は容赦のない蹴りが飛んでくる。今度は避けられない。そう思った瞬間と、腹部への衝撃はほとんど同時だ。気が付いたら吹き飛んでいて、近くの荷物の中に倒れこむ。

 不思議と痛みはない。次の剣が、こちらに向かってくる。ニーナは歯を食いしばって、それを自分の剣で受け止めた。がちがちと金属同士がぶつかり合う。


「っ、どけぇ!」


 渾身の力で剣を振り払い、姿勢を戻す。塊のような息を吐いて、汗でぬるぬると滑る剣を握り直した。

 心臓の音だけが聞こえる。全身、隅々まで、煮えるように熱い血液が送られている。不思議だ。さっきまであった、頭が働かない感覚はもうない。疲労感もない。

 剣を握る腕には、数えきれないほどの赤い筋が浮かんでいる。痛そうだ。自分のことなのに、どこか他人事のように見ている。

 今までに感じたことのない不思議な感覚――いや、違う。あった。

 模擬戦闘の最中、何度か感じた。誰かを痛めつけることを、剣を振るうことを喜ぶような。

 だめだ。この感覚は、


「おい、ニーナ!」


 一瞬のことだった。

 ニーナの剣に迷いが出た隙を、相手は見逃さなかった。

 気が付いた時には、腹部に鈍い衝撃。一拍遅れて、今まで感じたことのない熱のような痛みが広がった。


「っぐぁ」


 膝をつき、背中を丸める。反射的に腹部を抑えた手がみるみる赤く染まっていく。

 ――刺された。

 頭で理解すると、一気に全身の血が失われたように、体が冷えていく。


「ニーナ!」


 悲痛な叫び声で、ニーナは顔を上げた。いつの間にか、すぐそばで、先ほどまでニーナが対峙していた男とトナーがやり合っている。

 助けに入らなければ。剣を支えに立ち上がろうとして、失敗する。ニーナはその場に倒れ、動けなくなった。


「っおい! ニーナ、生きてるだろうな!」

「っ、な、なん……とか……」


 トナーは剣を受けながら、ちらりとニーナを見遣った。

 言葉の通り“なんとか”という状態だ。苦し気に抑えられた脇腹あたりは真っ赤に染まり、地面を赤黒く染めている。浅い呼吸を繰り返す背中が大きく上下する。

 ――最悪だ。

 トナーは男を斬り払い、正面を見た。だいぶ片付けたと思っていたが、まだ一人で相手をするには多すぎる人数が残っている。時間が経てば、まだ人は増えるだろう。ニーナのことも庇いきれない。奥では荷物の運び出しが始まっている。ディオの助けが来るまでにはもう少し時間がかかる。

 自然と表情が渋くなる。

 どうする。どうすれば、この状況を、切り抜けられる。


「トナー?」


 煮え切りそうな思考に、ふっと、聞き覚えのある声が投げ込まれた。

 人をかき分け、一人の男が前に出て来る。

 背の高い、がっしりした体格の男だった。この場にそぐわない上等そうなジャケットを着込み、つやつやとした黒髪は上品に分けられている。ぱっと見は品のいい商人だ。


「やっぱり! トナーじゃないか!」

「……ジオルド・ぺンス……」


 名前を呼ばれると、男はニッと笑みを浮かべた。血だまりの中を上等そうな革靴で迷うことなく進み、懐かしい友人に偶然出会ったように、トナーの肩を抱く。


「おいおい、ずいぶん久しぶりだな!」

「……ジオルド……どうして……」

「あ? なんだその呆けた顔は。あれか、俺も捕まったとでも思ってたのかよ。馬っ鹿、そんなことあるわけないだろうが。だが、あそこで商売するのはきつくなってな、王都に逃げてきたってわけだ。灯台下暗しってやつ」


 ジオルドはうんうんと頷くと、突然、はっとしたようにトナーの顔を見た。


「そういや、お前なんでここに……つーか、なんだその服……」


 ジオルドはトナーの姿を頭のてっぺんからつま先まで、まじまじと見た。ちらり、倒れこむニーナにも視線を向ける。

 しばらくして、ジオルドは大げさなくらい体をのけぞらせた


「まさか、お前、騎士団の見習いになったって噂、本当だったのかよ!」

「……ああ」

「まじか!」


 ジオルドは笑い声を上げた。腹を抱え、トナーの背をバシバシと叩く。時間が止まったような空間に、笑い声だけが大きく響く。


「やめろよ、柄でもない! だけど、まあ」


 笑い声が、ぴたりと止まった。


「ネズミが入り込んだって聞いたが、見習いが2人か。騎士団に嗅ぎつけられたのかとも思ったけど、そうじゃなさそうだ。安心した」


 ニーナはのろのろと顔を上げ、ジオルドを見てぞっとした。先ほどまで機嫌よく笑っていたとは思えないほど、その男の目は鋭く、殺気を帯びていたからだ。

 そしてその目は、初めて会った時のトナーに、よく似ていた。


「運がいいのか、悪いのか。相変わらずだな、トナー」

「……人攫いなんて、おまえにしては随分リスクのあることをしてるんだな」

「薬は最近、締め付けが強い。それに、俺は人攫いなんてしてないさ。俺はただの商人。品物を仕入れて、欲しい奴に売るだけさ」


 歌うような台詞。

 ぶつり。ニーナは自分の中で何かが切れる音を聞いた。


「……こんの……ク、ソ野郎、が……」


 もがくように体を起こし、ジオルドを睨んだ。


「あ?」

「許さない」

「ふはっ!」


 視線がぶつかると、ジオルドは吹き出した。


「許さない? ボロ雑巾みたいな女が、ずいぶん吠えるな。どう許さないのか教えてくれよ」

「すぐに……騎士団が、ここに来る。あんた達は、捕まる」

「忠告感謝する。代わりに、いいことを教えてやる。お前みたいなのを欲しがる、趣味が悪いのもこの世にはごまんといる。大した実力もなく地面に這いつくばってるくせに、きゃんきゃん吠えるだけの女をいたぶりたがる、悪趣味なのがな!」

「ジオルド」


 ニーナへ向かおうとしたジオルドの腕を、トナーが掴んだ。

 ジオルドは釈然としない表情を浮かべたが、すぐにトナーに向き直った。


「トナー、俺の下へ付けよ」

「……何?」

「その趣味のわりぃ上着を脱いで、また俺の下で、用心棒として働けってことだ。随分買ってたんだぜ、お前のこと」


 ――知ってるんだからな! お前がろくでもない奴だって! 騎士団に入れなかったら牢屋行きだって!

 マリドが叫んだ姿が甦った。今までずっと、あの台詞には現実感がなかった。けれど今、ようやくニーナもその言葉を理解する。トナーは本当に、罪を犯した人間なのだ。


「まさか嫌とは言わないよな。お前は優秀な用心棒だった。今、必死にこの状況を切り抜ける方法を考えてるはずだ。どうするのが一番いいか、分かるだろ?」


 トナーは唇を固く結んだ。

 沈黙が落ちる。遠くでは荷物の運び出しが進む。

 ジオルドの笑みは、何かを確信したように深くなる。


「お前は負ける勝負はしない。答えは一つしかない。“俺の元でもう一回働く”、だ」


 トナーがちらりと振り返った。視線が交わる。ニーナは息を飲んだ。怯えるような、焦ったような目。トナーは迷っている。

 ニーナはゆるゆると首を振った。


「……だ、め」


 振り絞った言葉は、一緒に出た血で上手く音にならなかった。トナーに届いたのかも分からない。それでも、ニーナは続けた。


「もう、そっち、に、行っちゃ……」


 来るしげな呼吸と共に、言葉が落ちる。


「もう、わたしは、どうなった……って、いいけど、でも、トナーは……トナーは、もう、明るいところに、いるんだから……みんな、待って……」


 そこまで言うのが精一杯だった。大きく咳込むと、真っ赤な血が出た。口の中が鉄の味で気持ち悪い。瞼を開けているのさえ、億劫だ。

 悔しかった。もっともっと、言いたいことはあったのに。悔しくて、悔しくて、涙が出た。覚悟を決めたなんて言って、ちっとも役に立たなかった自分も、トナーの足手まといになる自分も、なにもかもが悔しい。言葉は出ないのに、涙は出るのが、悔しさに拍車をかける。「トナー」ニーナは最後にもう一度だけ、祈るような気持ちで、名前を呼んだ。


「五月蠅い女だな、まったく……」


 呆れ交じりのため息を、ジオルドがつく。太い腕が、トナーの肩に回った。


「時間がない。早く答えろよ。何を迷う必要があるんだ、トナー」

「……俺は」

「来いよ、また一緒に仕事しよう」

「……」

「さあ、行こうぜ、相棒」


 トナーの指先が、ピクリと反応した。


「……相棒」


 トナーはのろのろと顔を上げた。闇に溶けるような虚ろな瞳に、一筋の光が映る。

 振り返ったトナーはニーナをもう一度視界に捉えると、気が付いたかのように顔を青くし、ジオルドの腕を振り払った。


「……違う」

「あ?」


 トナーは再び剣を構え、ゆるゆると首を振った。


「お前は、相棒なんかじゃない」


 はっきりとした否定に、ジオルドは薄笑いを浮かべた。


「なに言って」

「俺は!」


 遮るように、トナーが叫んだ。


「俺は、誇り高き王立騎士団見習いの、トナー・ローレンだ! もう、お前とつるんでた時の俺じゃない!」


 ニーナの頭の中に、今までの日々がよぎった。幽霊のようだった彼はもういない。ここにいるのは、彼が宣言した通り、誇り高き王立騎士団見習いのトナー・ローレンだ。


「……がっかりだ、トナー」


 喜びを一瞬で消すような、底冷えしたジオルドの言葉にニーナは、体を固くした。トナーの背中越しに見えるジオルドの目は、まともではない。ほの暗く、それでいて、歓喜がちらついているのだ。これから“弱者”をいたぶるのが、待ちきれないとでも言うように。

 ニーナは震える手で剣を持ち直した。とてもじゃないが、トナー1人でどうこうなるような相手ではない。さらに、ジオルドの後ろには、ジオルドの仲間たちもいるのだ。


「お前は、もう少し利口な男だったのに。答えを変えるなら今だぜ」

「……裏切りたくないやつらができた。俺は、もう、お前らとは行かない」

「……死んでもか」

「最後まであがくさ」

「……残念だ」


 トナーとジオルドの剣が交わったのを皮切りに、再び地下倉庫内に怒声が響いた。ニーナもなんとか立ち上がったが、立ち上がっただけだ。まともな戦力にはならない。

 代わりに剣を振るったトナーだったが、数の差はそのまま力の差になった。なんとかかわし、受けてていた刃が、次第に皮膚を裂く。最後は蹴り飛ばされ、盛大な音を立てて積まれた木箱の中に突っ込んだ。


「トナー!」


 悲鳴にも似た声が出た。けれど、なにもできない。

 結局、ニーナも隙をつかれ、そのまま地面に倒れた。脇腹の傷口を踏みつけられ、脂汗が浮く。「仲間の最後だ。ちゃんと見てな」頭上から降ってきた声で、心臓が嫌な音を立てる。

 木箱の間に沈んでいたトナーの体を、ジオルドが引き上げた。

 トナーの顔半分が赤く染まっている。


 ――やばい。


 ニーナはじたばたと体を動かした。

 視界が霞んでいる。

 腹部は焼けるように痛い。

 体から、どんどん熱が出て行く。


「残念だなぁ、トナー。お前は、利用価値のある男だったのに」


 そう言ったジオルドは、ちっとも残念そうではなかった。むしろ喜びが、言葉の端に滲んでいる。

 霞んだ視界の中、それでもジオルドが振り上げたのが剣だと、ニーナには、はっきりと分かった。たぶん、あと数秒もしないうちに、トナーの命が終わる。そう理解した瞬間、胸の一番深い場所で何かが弾けた。

 苛烈な炎に、全身を焼かれているような感覚。

 ニーナは剣を握った。今までびくともしなかった男の足を押しのけ、立ち上がる。ぼたぼたと垂れた血で、足が滑った。けれどもう何も関係ない。獣のような雄叫びを上げ、ジオルドに向かった。

 迷いはない。

 ニーナはジオルドに剣を突き立て、そのまま押し倒した。


「死なせない……!」


 ジオルドが叫ぶように何かを言っている。けれど音は、もう聞こえない。

 腹に突き立てられた剣から逃れようともがき苦しみ暴れるジオルドの腕が何度も顔を叩き、傷口をえぐった。けれど、もう痛みはない。

 ニーナは全体重をかけ剣をより深く押し込んだ。


「死なせてたまるか!」






 その後のことを、ニーナはあまり覚えていない。


 自分の名前を呼ぶ声がして顔を上げると、顔を真っ青にしたディオが視界に飛び込んできたところだった。ディオは必死に何かを叫んでいるが、もうなにも、本当にもうなにも聞こえなかった。

 死ぬかもしれない。

 初めて、そう思った。

 ぼんやりと周囲を見渡すと、いつの間にか騎士団の隊員達がなだれ込んできている。

 終わったんだ。と、少しだけほっとした。と、途端に瞼が重くなる。

 視界が真っ暗になる直前、トナーの顔を見たような気がした。



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