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嘘つきは恋人の始まり 2


「いやあ、言ってくれればよかったのにな!」


 がはは、と豪快に笑う熊のような男――、騎士団総隊長であるギルガ・ドミニートを、ニーナはどんな顔で見たらいいのか分からなかった。

 普段はほとんど話などできない立場の人間である。最後に彼に会ったのは、確か去年。彼の客人である女性の警護を任され、その報告を総隊長執務室へしに行ったとき以来だ。その前は見習いから正隊員になった時の任命式。もうずいぶん前だ。

 そんな相手との久しぶりの会話が、まさかの恋バナである。しかも相手はノリノリで、先ほどから笑顔が弾けて止まらない。普段は鋭い目つきで、その視線だけで人を殺せそうな彼が、だ。


「おまえと、ニーナが恋人だったなんて知らなかったよ!」

「ええ……立場上、表に出さない方がいいかと」


 困ったような、でもどこか気恥ずかしそうな笑みを浮かべたカイトは、それが嘘だということを毛ほども表には出さず、いけしゃあしゃあと言い切った。斜め後ろからその姿を見ていたニーナは、その名優ばりの演技に感服するしかない。


「ですが今回、我々の不手際で噂が広まってしまったようでしたので、総隊長にはひとまず報告を」

「そうか。言ってくれてありがとう」

「本来ならば、表に出すべきではなかったと思います。申し訳ありません」

「まあ……いろいろ言うやつもいるだろうな」


 ずっとカイトに向けられていた視線が、一瞬だけ自分をかすめ、ニーナは背筋を伸ばし直した。


「同部隊の上司と部下の関係は、よくないでしょう」

「だが……お前とニーナならば、よっぽど問題ないだろう。元々、恋愛を禁止するような規則もないしな」

「そうですか」

「ああ。これからも変わらず、公私混同せずに、仕事に邁進してくれればそれでいい」

「ええ、もちろん。なぁ、ニーナ」


 見守るだけだった話の中に突如引きこまれて、ニーナは「はひ!?」と素っ頓狂な声をあげた。振り返ったカイトの表情が一瞬で歪む。「てめぇ、ちゃんと聞いてろよ」と分かりやすく顔に書いてあった。


「あ、はい! も、もちろんです!」


 飼い主に睨まれた犬のごとく慌てて姿勢を正し、ギルガを見る。

 ギルガはニーナを見ると、満足げにうんうんと頷いた。


「若者たちの恋は甘酸っぱいねぇ~」

「はは……」


 乾いた笑いしか出ない。


 その後は「まあ、茶でも飲んでけ」というギルガのなすがままだ。ニーナはわざわざ来客用のソファ席に連れて行かれ、茶菓子とおいしそうな紅茶の乗ったテーブルを挟んで、ギルガの突っ込んだ質問に愛想笑いを返すだけの機械になった。カイトがいなければまともに会話は成り立たなかっただろう。彼のスマートな切り返しによってすっかり気持ちよくなったギルガは、最終的に自分と妻のなれそめを2時間ほど熱っぽく語った。


「まあ、これからも仲良くな」


 そう強く背中を叩かれ、ようやく解放されたときには、もうお腹いっぱいだった。

 パタン、と後ろでドアが閉まったのと同時に、ニーナはその場にへたり込んだ。


「おい、なに座り込んでる。行くぞ」

「いや……なにから言っていいのか……」


 カイトはけろりとしている。なぜ。どんな心臓をしているんだ。

 ぞんざいに差し出された手を握って、ニーナはよろよろと立ち上がった。


「とにかく……緊張しました」

「だろうな」

「総隊長にお会いする機会なんてほとんどありませんし、交際の報告なんて、罪悪感もありますし……」

「お前、存外ああいう場面での話が下手だな。そっち系の仕事はもう振らない」

「仕事ならいいんですが、自分のこととなるとどうしても……」


 だめだ。仕事だと割り切ってしまえば、嘘も仕方がないと思えるが、今回はそうではない。ギルガ隊長が「おめでとう」という度に、胸の辺りを罪悪感がぐさぐさと刺した。胃も痛い。


「情けない顔すんな」

「…うう……はい。すみません、隊長」

「謝るな」

「はひ」


 背中を押され歩き始める。

 今日は比較的時間に余裕がある予定なので、午後の見回りを終えたら早めに帰ろうと、ニーナは固く決意した。おいしいものを食べて、早く寝る。そうしないと明日の業務に支障が出そうだ。





 そんな二人の背中を、息をひそめ、物陰から見る男たちがいた。

 一人は赤茶のくせ毛を持ったそばかすの目立つ男。名前はディオ・グランツ。そしてもう一人は、紺色の長い髪を一つにまとめた中性的な顔立ちの男、トナー・ローレン。二人共、漆黒の隊服に身を包んだ、騎士団の隊員である。所属は第3。カイトの部下である。

 そして、ニーナの同期でもあった。


 二人はニーナとカイトが廊下の先を曲がり切ったところで、物陰から姿を現した。


「今、総隊長の執務室から出て来たな」

「ああ」

「“交際の報告”って言ってたな」

「ああ」

「カイト隊長、ニーナの手持ってたな」

「……それは、立たせただけに見えたけど」


 二人は顔を見合わせる。


「……マジだったんだ……」


 ディオは口元を抑え、目を輝かせながら、興奮を隠し切れずにその場で小さく跳ねた。


「マジで、ニーナとカイト隊長、付き合ってたんだ~!」

「うるさい」

「いや、だって! あのニーナが! 子猿みたいだったニーナが!」


 3人の付き合いは長い。

 騎士団の見習いになった時からなので、出会ってもう10年だ。当時のニーナは子猿だった。背が低くて髪は少年のように短い。体中怪我だらけで、いつもどこかかしらに大きなガーゼが張ってあった。身なりに気を使う暇もなかったので、いつも使い古した黒いパンツと訓練着を羽織っていた、あのニーナが!

 ディオは鼻息荒く、トナーの肩を持って揺さぶった。


「興奮せざるを得ないだろ!」

「やめろ」

「俺は時々、お前がいつもそんなふうに冷静なのが怖くなる。もっと熱くな~れ~よ~!」

「お前はもうちょっと冷静になれ」


 トナーはディオを引っぺがし、乱れた襟元を直しながら言った。


「……怪しすぎるだろ」


 トナーがため息と一緒に吐き出した言葉に、ディオは目をまん丸にして瞬きをした。


「なにが?」

「馬鹿。普通に考えて急すぎるだろ」

「は?」

「“は?”じゃない。おい、冷静になって考えろ。ニーナは俺達の知ってる範囲じゃここ10年、恋愛のれの字もない。そんなニーナが、あの隊長との恋人関係を隠せると思うのか」

「……そう言われると……まあ」


 ディオは小さく頷いた。冷静さを取り戻した瞳が、二人が消えた廊下の先を追うように動いて、再び正面のトナーへと戻る。

 ニーナのことを仕事仲間として信頼している。女の彼女がここまで来るのは並大抵の道ではなかった。すべてを投げうって、彼女は剣の道を進んだのだ。だから、おおよその女の子が経験することを、彼女は経験していない。恋愛なんてもってのほかだ。

 ディオが口元を抑え考えこむと、トナーが追い打ちをかけるように言った。


「嘘くさい」


 ディオはその言葉に目を丸くし、慌てて首を横に振った。


「いや、でも、さすがにそんな嘘つかないだろ。そんな嘘ついてなんのメリットが」

「それはそうだけど」

「な?」

「でも、俺はどうにも納得できない」


 トナーの言葉は、どこか確信めいたものだった。

 ディオには、どうしてトナーがそこまで二人の関係を疑うのか、理解できなかった。が、彼はもともとそういう性格だと言えば、そういう性格だ。疑り深い。自分の目で確認するまでは信じない。


「……じゃあ、そこまで言うなら賭けるか?」

「賭け?」

「俺はもちろん、“二人が本当の恋人”に、今月の給金の残り全部賭ける」


 トナーはしばらく考えた後、「乗った」と口の端を僅かに吊り上げた。


「俺は、二人が本当の恋人じゃない、に」





***


「カイト隊長のどこが好き?」


 明後日の方向から後頭部にぶつけられた言葉に、ニーナは飲んでいた水を盛大に吐き出した。口元の水を袖口で拭いながら「はぁ?」と振り返ると、ディオとトナーがこちらを見ている。トナーは相変わらずの無表情だが、ディオの口元にはニタニタとした笑みが浮かんでいる。


「……訓練中だけど」


 ニーナは不機嫌に返した。


「もう俺達の分は終わっただろ~」


 ディオがスキップでもするかのような軽やかな足取りで近づき、ニーナの肩にするりと手を回した。ほとんど変わらない高さにある顔を「汗臭い」睨みつけるが、そんなものを意にも介さず「なあ、教えてよ」と続ける。


「どうしてそんなこと、ディオに教えなきゃいけないの」

「おいおい、親友だろ~」

「腐れ縁の間違いでしょ!」


 ディオの腕を振り払うと、今度は反対側から「俺も興味がある」と無感情な声が降ってくる。ニーナは自分を見下ろすトナーを、愕然とした表情で見上げた。


「トナーまで? 嘘でしょ」

「嘘じゃない。親友かどうかはともかく、10年間男っ気のなかった奴に恋人ができたら、多少は気になる」


 ニーナは言い返そうと口を開き、結局言いかけた言葉を飲み込んだ。呆れにも諦めにも似た感情が、ため息交じりの「めんどくさ」に乗る。頬を伝った汗を袖口で拭い、腐れ縁の同期を交互に見遣った。

 トナーはともかく、ディオはエサを待つ犬のように目を輝かせ、ニーナの言葉を待っている。

 そんな顔をされると――


「……言いたくない」


 ニーナはぴしゃりと言い切って、他の隊員と同じように水場の前に立つと、足元のバケツを持ち上げて頭から水をかぶった。「なんでだよ!」と、隣でキャンキャン吠えるディオを無視して、腰に引っ掛けておいたタオルで髪を乱暴に拭く。今日はもう仕事はない。このまま家に戻るだけなので、多少髪が濡れていようが髪型が乱れていようが構わない。手櫛で髪を適当にまとめる。

 ディオはいまだに「なー教えてくれよ」と不満げに頬を膨らませているが、ニーナはそれを完全に無視した。どうせ彼のことだ。そんなことを言えば、一生からかわれるだろうし、次の日には隊中に広まるだろう。


「ディオは本当うるさい……」

「それには同意するけど」


 同じように頭から水をかぶったトナーは、タオルをかぶったまま、視線だけをこちらに向けた。


「……言えないんじゃないの」

「……なにが」

「隊長の好きなところ。言いたくないんじゃなくて、言えないんだろ」


 トナーの口の端が自信ありげに吊り上がった。


「……別に。からかわれたくないから、言いたくないだけ」

「……そ?」

「そう」

「ふーん」


 それ以上、トナーは何も言わなかった。ディオは変わらず一人で何かを話していたが、ほとんど聞こえなかった。心臓が、大きな音を立てていたからだ。

 今汗を流したばかりだというのに、また額に汗がにじむ。

 

 ――トナーは自分とカイト隊長の関係を疑っている。


 嘘の通りに行動しろ、と言われた後は混乱してそこまで頭が回らなかったが、よくよく考えれば不自然だ。カイト隊長とは、悪い関係ではなかったが、私生活でも交流が頻繁にあるような深い仲でもなかった。周囲に「カイト隊長本当に怖い、悪魔」と漏らしたことはあったけれど、「カイト隊長かっこいい。恋人になりたい」なんて言ったことは、一度たりともないのだ。

 そんな二人がある日突然、「実は恋人でした!」と言ったって、そりゃあ怪しい。怪しすぎる。ましてや平々凡々の極みの一隊員と、超優良物件の隊長。つり合いも取れていない。


「と、とにかく、そういうことは、聞かないで」


 できるだけ平静を装って、ニーナは言った。つもりだったが、第一声が裏返った。トナーの笑みが何かを確信したように深くなる。これはまずい。とにかく墓穴を掘る前に、ここを立ち去らなければ。


「じゃあ、また」

「え。ニーナ、話聞かせろよ~。飲みに行こうぜ」

「行かない、用があるから」


 ニーナは踵を返し、足早にその場を去ろうとした。が、


「ニーナ」


 トナーの声に引き留められる。ニーナは振り返れなかった。


「また明日。隊長に、よろしく」

「……別に、隊長に会いに行くわけじゃないから」

「そ?」

「そう、もう帰るの。じゃあ、また明日」


 ニーナは不自然にならない程度の早歩きでその場から去り、更衣室で訓練着から私服ではなく隊服に着替えた。乱暴にまとめた髪を一度解いて、もう一度拭き直し、丁寧にまとめる。そのあたりにあった適当な書類を抱え、もう一度隊舎内に戻った。

 すれ違った仲間の「あれ、帰ったんじゃないのか?」との声には、「うん、書類渡すの忘れてて」と返す。そう言えば、それ以上の追及はない。

 目的の場所の扉をノックし、返事が返ってくるのを待って扉を開けた。

 執務机の人物は、ニーナを怪訝そうに見た。


「どうした、帰ったんじゃ」

「隊長」


 ニーナはカイトの言葉を最後まで待たず、口を開いた。


「だめです」

「なにがだ」

「無理です」

「は?」


 書類が手から滑り落ち、ニーナはその場に蹲った。


「も、もう無理だと思います」

「は?」

「ほ、本当にすみません。でも、無理です。嘘をつきとおせる気がしません~」


 ニーナはべそをかきながら、自分がいかに愚かな決断をしてしまったかを並べた。

 よくよく考えなくたって、この嘘は無謀すぎる。自分をよく知らない人間にならともかく、ディオとトナーには嘘をつきとおせる気がしない。あの二人は間違いなく自分たちの関係を疑っている。特にトナーは、やばい。なにも知らないはずなのに、全部知ってるみたいな目で私を見るんです。それに、もう、良心が痛いんです。あの二人は、ムカつくことも多いけれど、腐っても親友なんです。

 最後の方は支離滅裂だった。自分でも何を言っているのか、半分くらい分からなかった。ただ、頭に浮かんだことをそのまま口から吐き出しただけだ。

 カイトはニーナの話を聞く間、なにも言わなかった。

 聞いていなかっただけかもしれないが、とにかく、ニーナは自分の頭の中の感情を吐き出すように話し、空っぽになったところで息を吐いて黙り込んだ。


「……つまり?」

「つまり……」


 その先の言葉を探す間に、カイトが続けた。


「俺と恋人だというのは自分のついた嘘だったと、言いまわりたくなったということか」


 とげのある言葉に、ニーナは続けようと思っていた言葉を飲み込んだ。

 顔を上げると、カイトはいかにも退屈そうな表情でこちらを一瞥すると、再び手元の書類に視線を落とした。ニーナは慌てて立ち上がり、カイトの机に手を置いた。


「そ、そんな言い方しなくたって」

「だが、お前が言ってることは、そういうことだ」

「ご、誤解だったって言えば」

「総隊長に報告までしてるのにか」

「それは……」


 再び言葉をなくしたニーナを見て、カイトはあざ笑うように言った。


「もう遅い」


 ニーナの手が、悔しさを押し込むように握られた。


「浅はかな嘘をついたあの時の自分を恨むんだな」

「でも……」

「じゃあなんだ、やっぱり恋人ではなかったと言いまわるか? 自分のついた嘘のせいでそうなったと? そうなれば、お前の信頼は地に落ちるだろうな。今まで必死になって仕事をしてきたことも、“結局あいつも女だ。色恋の嘘までついて”と否定される。隊での居心地は、さぞ悪くなるだろうな」


 一言だって言い返せない。ニーナは唇を噛み、俯く。


「……言っただろう。あの手の噂が広まったら、もう遅いんだ」


 カイトは書類を置き、ニーナの硬く握られた拳の上に、自分の手を乗せた。


「お前は、俺の部下だ。お前のことは買ってる。お前の嘘に悪気がなかっただろうということも分かってる。お前が嘘をつくのがうまいタイプじゃないことも、よく知ってる」

「……すみません、隊長」

「2か月だ。とりあえず2か月、お前の父親のパーティーに参加して、その後はお前の考えた計画通り、折を見て別れたと言えばいい。そうするのが一番、波風立てずにこの状況を乗り切るのにいい」


 ニーナは前髪の隙間から、カイトを見た。

 ひとかけらの迷いも見せず、まっすぐにこちらを射抜く黄金に、情けない自分が映っている。


「それまでは、お前は俺の“恋人”だ。手放すつもりはない」



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