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あらし 3



 アリシアは、ニーナが想像するよりもずっと執念深い少女であった。


 通行証でも通れない場所での作業中は部屋の外、それもドアのすぐ横に立ち、待つ。通行証で許可されている場所には当然付いてくる。それが倉庫だろうが、食堂だろうが、お手洗いだろうがお構いなしだ。

 ついてくるだけならまだいい。

 アリシアは気に入らない嫁をいびる小姑のように、ニーナの一挙手一投足に小言を投げるのだ。一日目はまだ笑っていられた。けれど2日目はもう笑えない。3日目になると「泥棒猫!」という彼女の声がどこから聞こえてくるのか、一日中びくびくてしまうようになった。


 極めつけは、先ほどの見回りだった。

 いつも通り、担当エリアの見回りを行っていたニーナの後ろを、アリシアはストーカーのごとくついて歩いていた。「危ないですし、迷惑になるので……」というトトの至極まっとうな言葉にも、「なぜ? 騎士団の隊員の側を市民がただ歩くことに、なにか問題でも?」とつんけんした答えが返るだけ。

 そろそろトトは心労で倒れるだろうというのが、第3の隊員達の予想だ。

 アリシアの刺々しい視線を背中に受けながら、ニーナはなんとか頭の中を仕事のことに切り替えた。例の海賊の残党の件もある。王都の治安はいいが、それでも場所によってはきな臭い所だってある。集中して、見落としのないようにしなければ。


「ニィーナァー!」


 叫び声と一緒に小さな足音が近づいて来て、そのままニーナの腰に抱きついた。振り返ると、すぐそこの肉屋の息子が、「よう!」と笑った。前歯が一本抜けていて、つい表情が崩れる。


「みろ、おれ、昨日歯がぬけたんだぜー!」

「ひゅー。男前だねぇ!」

「おう。次は、おとなの歯がはえるって、オヤジが言ってた」


 口を大きく開けて自慢げに笑う子供を「すごーい」と褒めつつ用件を聞く。


「あ、そうだ。なぁ、さっきみんなで遊んでたら、木の上に猫がいてさー。なんかおりられなくなってるみたいなんだ。助けてやってよ」

「そうなんだ、いいよ。どこ?」

「ありがと、さっすがニーナ。こっちきて」


 案内された広場の端に植えられた木の下では、子供たちがそろって一か所を見上げていた。木の枝の上では、猫がか細い鳴き声を上げうずくまっている。

 ニーナは腰の剣を外し、ディオに預け、腕まくりをした。


「なっ、ちょ、ちょっと待ちなさい!」

「え?」


 最初の枝に手をかけたとほとんど同時に、後ろから焦ったような声が聞こえた。アリシアが目をまん丸にして、こちらを見ている。ニーナは、次に彼女が何を言うか、なんとなく分かってしまった。


「女性がそんなことをしてはいけませんわ!」


 大正解。

 出かかったため息を飲み込んで、笑顔を作る。


「大丈夫ですよ。すぐ済みますから」

「そういう問題じゃありません! あちらの男性二人に任せておけばいいでしょう!?」


 怒りはディオとトナーにも飛び火した。剣を抱えたディオが「俺?」と自らを指さす。トナーは付き合っていられないと言わんばかりにため息をついた。


「いや、ルーエン様、女性っていうか……これも仕事の一つなんで……」

「もし落ちて大きなけがでもしたら、どうするんですの!?」

「大丈夫。これくらいの高さなら落ちても怪我なんてしませんよ」

「そんなこと分からないじゃない! いいから! おーりーなーさーい!」

「ほんとに大丈、ぶっ!?」


 ニーナにとって木登りなど朝飯前。これくらいの高さ、目をつぶってでも登り降りできる。

 そんな自信があったのに、すぐ足元から聞こえる金切り声に、集中力がそがれた。会話のさなか、枝をつかみ損ねてしまったのだ。

 普通に落ちれば、受身はたやすい。けれど、真下にいるアリシアを避けなければ、と咄嗟に体が動いた。

 不自然に体を捻ったせいで受身も取れず、背中からそのまま地面に落ちてしまった。すぐそばで「きゃあ」と、引きつった悲鳴が聞こえたが、咳込んでしまって、それに返事を返す余裕もない。


「おっおい、大丈夫かよ、ニーナ」


 慌ててやってきたディオの手を借りながら体を起こした。軽く挙げた手はニーナなりの「大丈夫」の意だったが、伝わったのはディオだけだった。アリシアが真っ青な顔で口元を抑えている。


「だ、大丈夫ではありませんわ……」

「いえ……げほ……ほんとに大丈夫で」

「大丈夫ではありませんわ!」


 腕を引かれ、足が向かったのは隊舎の方角だ。ニーナは来た道を戻ろうとし始めたアリシアを慌てて止めた。


「な、ど、どうしたんですか!?」

「すぐにお医者様に見てもらわないと」

「い、医者!? 木から落ちただけですよ!?」

「一大事ですわ。打ち所が悪かったら死んでしまいますのよ!」

「んな大げさな……」


 そう思うが、アリシアの動揺した顔を見ると、無下にもできない。彼女は冗談でもなんでもなく、本当に“死ぬかもしれない”と怖がっているのだ。けれど、なぜ。いくら温室の華のように、大事に大事に育てられたからと言って、こんな風になるものなのだろうか。どう説明したら分かってもらえるのか。

 ニーナは言葉を探してアリシアを見下ろし、固まった。アリシアの目に涙が浮かんでいたからだ。


「……行けよ」

「……トナー」


 ニーナの背を、トナーが押した。


「いや、でも、猫が……」

「いい、俺がやっとく」

「えぇ……?」

「どっちみち、そんなんじゃ、仕事にならないだろ」


 そう言われて言葉につまった。確かにこの調子でアリシアについて回られては仕事にならない。ニーナはいろいろと言いたい言葉をぐっと飲み込んで、「分かった」と隊舎に戻った。

 結局、医務室へ入るまで、アリシアの手はずっとニーナの手を固く握ったままだった。





「打ち身に効く薬でも塗ろうか?」


 医務室にいた恰幅のいい女性の医者は、からからと笑いながら言った。


「冗談。もう痛くなんてないよ」

「アリシアちゃんだっけ? あの子が真っ青な顔で飛び込んでくるから、ついに死んだかと思ったわよ」

「医者がそんな不謹慎な冗談言っていいんですかぁー」

「本当に死にそうな相手には言わないわ」


 ニーナは隊服を羽織り直し、ボタンを止めた。

 念のため体を動かしてみる。体を逸らせても痛みはない。腕も問題ないし、手に動かしにくさも感じない。軽く飛んでみても、違和感はない。


「ねぇ、ルーエン様は?」

「さあ? あなたを押し込んだら、どこかへ行ったけど……」

「またここに来るとか言ってた? 勝手に出てったらまた怒り狂いそうだな……」


 仕事にも戻りたいが、これ以上下手に彼女を刺激したくもない。頭の中であれやこれやと考えていると、医務室のドアがノックと共に開かれた。

 アリシアだろうか。ニーナはドアを開けた人物を見た。


「あ……隊長」

「おっと、旦那様のご登場だね」


 旦那。

 なかなか攻撃力の強い言葉に、ニーナは言葉を失った。ノーダメージのカイトに代わって、「ごゆっくり」と意味深な笑みを浮かべた医者が医務室を出て行く。なんだその“気を利かせてやりました”みたいな顔は。今、出て行くかどうかの話をしてたのに、なんだ“ごゆっくり”って。勤務中だぞ。


「悪いな」

「……いえ」


 ニーナは隊服の襟元を直しつつ、カイトに促されるままにベッドに腰かけた。同じように正面のベッドに腰を下ろしたカイトは、背中を丸め眉間を揉んだ。


「……お疲れですね」

「そうだな。だが、お前のほうが、だろ。すまない。アリシアがこんなにもお前に執着するとは思わなかった」

「気にしないでください……と、言いたいところですが、すみませんそろそろ限界かもしれません」

「だろうな、本当にすまない。さっき連絡が来た。明日の昼に迎えが来る。それまで、もうしばらくは……」


 カイトの表情に色濃い疲れが浮かんでいた。珍しい。疲れているのはいつものことだが、こんな風に弱っているところを見ることは滅多にない。本来ならば疲れれば疲れるほど横暴になる人だ。ニーナは今まで、その横暴さを何度も正面からくらっている。


「あの……」

「ん?」

「ルーエン様とは、本当になにもないんですか?」

「……は?」


 言い終わって、ニーナは自分が言ったセリフが、まるで浮気を疑う恋人が言うようなものだということに気が付いた。カイトの目が見開かれる。きっと同じような感想を抱いたのだろう。慌てて「いや、そういうことではなくて……」と訂正を入れた。


「その……お二人が恋愛関係でないことはもう分かりました。でも、なにか、古い馴染みだけではないなにか……なにかが、あります……よね?」


 どう言っても浮気を疑う女のようなセリフになってしまい、ニーナは頭を抱える。必死に頭の中で言葉を整理しながら、よい言い方を探した。


「ルーエン様が来てからの隊長は、なんだか、すこし、変です」

「……変?」

「なにか……悲しそうというか辛そうというか……うまく言えないんですけど。本当なら怒ったりする場面で、我慢してるっていうか……いや、そりゃあ、あんな女の子を私やほかの隊員と同じように接することはできないって分かってるんですけど……」


 けれど、それでも。言葉にできない違和感が、どうしてもぬぐえない。ヒントはたくさん拾ったような気がするのに、それをどう置くと正しい形になるのかわらかないのだ。

 うんうんと唸るニーナに反して、カイトはどこか納得がいったように「ああ……」と小さく漏らして、口元を抑えた。


「……お前は目ざといな」

「え?」

「もっと馬鹿だと思っていたが……」

「……しみじみと人を馬鹿にするのやめてくれません?」


 むっと返すと、カイトは「褒めているんだ」と表情を緩めた。

 医務室は静かだ。誰の声も聞こえない。夕方の気配が忍び寄り始めた部屋の中、互いの呼吸の音とわずかな衣擦れの音が、やけに大きく聞こえていた。


「ニーナ」

「はい」

「……お前、知りたいか?」


 試されている、とニーナは思った。

 ここから先の話は、上司と部下のものではない。カイトの目が、そう語った。


「……はい」


 ニーナは小さく頷いた。


「私が聞くことで、隊長の心が軽くなるのなら」


 無理に聞きたいわけではない。けれど、嘘につき合わせた負い目もあるし、感謝もあった。微力でも、なんらかの形で返したい。


「……そうか」


 カイトはそう言って立ち上がった。


「今晩、空いてるか?」

「ええ」

「夕食に招待したい。もちろん、アリシアもいる。お前は嫌かもしれないが……」

「かまいません。最初は戸惑いましたけど、彼女のことは別に嫌いじゃありません。今晩で最後なら、お別れを言ういいチャンスですし」

「そうか」


 カイトはニーナの頭を、犬でも撫でるように乱暴にかき乱した。「やめてくださいよ!」と返したが、効果はない。手が離れた時には、髪はもうぐちゃぐちゃだった。

 やり返してやろうかとも思ったが、見上げたカイトが息が止まりそうなほど優しい顔をしていたので、ニーナは仕方なく、睨むだけにしておいた。


「ではまた。仕事終わりに自宅へ迎えに行く」

「はい」


 カイトを見送り、ニーナは背中からベッドに倒れた。白い天井を見上げ、両手を上げた。手の平を見ると、皮膚が固くなった箇所がいくつもある。細かな傷跡はいつついたものか、もう分からない。どれくらいの期間剣を握らなければ、この手はアリシアのようになるのだろうか、と無意味に考えたりしてみる。


「上司と、部下かぁ……」


 自分はカイトの隠した部分を聞いて、また上司と部下に戻れるのだろうか。

 偽物の恋人を辞めた後、また恋人になる前のような、ただの上司と部下に戻れるのだろうか。


「隊長なら、上手くやりそうだけどな……」


 じゃあ、自分は?

 その答えは出ないような気がして、ニーナは目を閉じた。もう少しだけ休んでから、また仕事に戻ろう。




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