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1章4話 魔力の盾

「それでは本日から、対抗魔術の実技に入る」

 仏頂面の大男ーーダグラス導師の宣言に、オルフィーナはぴんと背筋を伸ばした。

「簡単な式を織りなす訓練は、ベラルカ導師から受けているな?」

 ダグラス導師は、ぐるりと生徒達を見回した。少し自信が無さそうに、はい、と答える生徒達。オルフィーナだけが一人、元気いっぱいの返事だ。

「うむ、佳い返事だ、オルフィーナ君」

「はい、朝ご飯いっぱい食べましたから!」

 講義室が一時、和やかな笑いに包まれる。

 あれから初めての実技の講義だ。ユウから教わったやり方を実践する、最初の機会だ。オルフィーナは気合いが入っていた。

 いつになくやる気のオルフィーナに、ベラルカ導師にも負けず劣らず仏頂面のダグラス導師が、珍しく笑顔らしきものを浮かべた。それはもう不器用に、口の端を痙攣させるほどの、お世辞にも愛想がよいとは言えない顔ではあったが。

「では、確認だオルフィーナ君。式を織るのに必要なものは何だ」

 いきなり問われ、オルフィーナは狼狽えた。座学は大の苦手である。

「え、えっと……万物素、ですか?」

「うむ」

 ダグラス導師は大仰に頷くと、もう一つだ、と指を立てた。

「も、もひとつ? えっと……」

「魔力です、ダグラス導師」

 しゃんと手を挙げたシフォンが、横から助け船を出す。

「うむ、正解だ。発言は指名してからするように」

「申し訳ございません、ダグラス導師」

 ダグラス導師の注意に、しれっとした顔で答えて手を下げるシフォン。謝るところまで一連の流れが、既にいつものやり取りになっている。オルフィーナはこっそり、シフォンに向かって感謝の言葉を掛けた。表情は変えず、小さくウインクを返すシフォン。

「そう。全ての式は、素を織り上げて作るものだ。そして、その為には魔力が要る。魔力とは何だ、クリストフ君」

 今度は他の男子生徒に質問が飛んだ。シフォンと並んで優等生と見なされている、クリストフだ。

 クリストフは、銀色の髪を揺らして立ち上がると、スラスラと回答した。

「魔力とは、魂の力と言われています。式を織りなすにあたっては、一つ、現界と始海の間の壁に穴を開ける役割。一つ、始海から引き出した素を操り、式として織る役割の、二つがあります」

 見事な説明に、満足げに頷くダグラス導師。生徒達から、思わず感嘆の溜め息が漏れる。

「その通りだ。全界の総ては、始まりの海から生まれる様々な素が、固く固く織られて出来上がったものだ。だが、現界……即ち存在を確立した存在(・・・・・・・・・)は、始まりの海から切り離されている。我々は、魔力で以て始まりの海へと道を作り、万物の(もと)たる万物素を手繰り寄せて織る事で、現界の理を超越した力を生み出すのだ」

 シフォンは首を傾げた。ベラルカ導師から聴いた話とは、少しだけ解釈が違う。ベラルカ導師は、万物は始海とは細い細い糸で繋がっていると言っていた。魔術の媒体に使う魔法石は、特別始海との繋がりが強い石だ。だから、魔法石から伸びる糸は太く分かり易く、その先を手繰ると、様々な素を引き出す事ができる。

 シフォンが万物素を引き出す時の感覚は、概ねベラルカ導師の説明に合致している。この辺りは、導師の間でも、解釈が分かれる所なのだろうか。魔術の根本に関わる理論なのに、だとしたら興味深い。

「つまり、まねっこって事だよね?」

 オルフィーナが小声でシフォンに同意を求める。

「うーん? そうなのかな」

 目に見えない万物の素を、人の力で火や風にする。確かに、全界の理を真似ていると言えるのかも知れない。だが、シフォンには感覚的に理解できなかった。術は式から起き、式は定式と呼ばれるとおり、厳格に定められた呪文と所作から生み出されるものだ。果たしてそれが、真似事と言えるのかどうか。

「オリィが言ってたまねっこって、そう言うこと?」

「うん。ユウさんは、それでいいって……あ」

 ダグラス導師が睨んでいるのに気づき、口を噤むオルフィーナ。ダグラスは小さく鼻を鳴らすと、少し不機嫌そうに――いつも不機嫌そうだが――講義を続けた。

「対抗魔術も、根本は同じだ。だが、対抗魔術は、己に向けられた悪しき術に対抗するための術だ。そうして生み出された超越的な力を無効化できなければ意味がない。火に火をぶつけても、却って状況はまずくなる。かと言って、火には水、と言った現界の単純な関係では済まないことも多い。対抗魔術の実に悩ましいところだ。あらゆる打ち手を逆の力で打ち消すには、三倍の力量が必要という学説もある」

 ダグラスは語りながらゆったりと生徒の前を二往復すると、オルフィーナの目の前で立ち止まった。

「然るに、古代の魔道士達は、次善の策を講じた。それは何だか分かるか、オルフィーナ君?」

「ひぇっ!? えっと、そんなの習いました……?」

 狼狽えてちらりとシフォンを見ると、シフォンも困った顔で首を横に振っている。どうやら復習ではなく、今日初めて出てきた話らしい。それならば、考えて答えを出せば良いのだ。オルフィーナは腕組みして考えた。無意識に、頭がカクカクと左右に揺れる。考え込むときの癖だ。

「えっと、要は式を織れなくしちゃえばいいんですよね」

 首を傾けながらオルフィーナがそう言うと、ダグラス導師は驚いたように目を見開いた。

「なるほど、先の先か。素晴らしい答えだ。確かにそれも、対抗魔術の一つの方式だ。熟練すれば、非常に効果的でもある。だが残念ながら、そのやり方もまた、簡単ではない。誰もが修められる訳ではない。

 これから吾が輩が見せるのは、その真逆。駆け出しの魔法使いでも身に付けられる、後の後の守りだ」

「ごのごの? えっと……逆ってことは、式がどかーんって発現した後ですか?」

「左様。分かるか?」

 先ほどのオルフィーナの回答が気に入ったのか、続け様に問い掛けるダグラス。

「えっと、身を守るんですよね。じゃあ、壁とか穴とか、そんな感じの?」

 オルフィーナが直感のままに答えると、ダグラスは口の端を歪めた。大層判りづらいが、微笑んでいる。

「うむ。正解だ。壁。それも、魔術を寄せ付けない壁が、これから見せる式である」

 ダグラス導師は腰帯に差していた杖を構えると、魔法石の嵌まった先端で円を描くように杖を振るいながら、朗々と、滑らかな発音で呪文を唱え始めた。

「lu-lu vily wasch, eve wasch cicera, yol' ethagh vaw cicera, cicera, vie mofe magica-wole!」

 ダグラスが杖を突き出すと、杖の先から茸の笠のような形に、透明な揺らぎが生まれた。見えない障壁が、杖を中心に、ダグラス導師の前面を覆っている。

「これが、『魔力の盾』の術だ。水の素の上に地の素を巡らせている。但し、普通の式のように、素を結んではならんし、そのままにしてもならん。始海から汲み上げた素を、再び始海へと戻すのだ。滞りなく、滑らかにな」

 初めて見る形の式に、生徒達がざわめき出す。今までにベラルカ導師から習った、どの術とも違う。

 どうして水も物も無いところで、水と地の素を織るのか。どうして式を結ばないで、折角引き出した素を戻してしまうのか。何が何だか解らない。シフォンは、困惑した顔で隣のクリストフの方を見た。だが、優等生のクリストフも、理屈が解らないのか顔をしかめている。

「ふわー、すごーい……。こんなの初めて見た……」

 ただ一人、オルフィーナだけが、目をキラキラさせてダグラス導師の『魔力の盾』に見入っている。野放しの家猫(セスト・ミウ)であるオルフィーナには、何かが見えているようだ。

「解ったか」

 一方的にそう言うと、ダグラス導師は術を解いた。

「先刻説明したとおり、駆け出しでも習得できる程度に織り方は単純だ。魔力で以て素の流れを整えるのが少々手間取るかも知れぬが、寧ろ良い訓練にもなるから、習うよりやってみるのが手っ取り早い。呪文と所作は教本の四十八頁を見よ。質問が無ければ、各自練習」

 ダグラスが講義を打ち切ろうとしたので、シフォンは慌てて手を挙げた。

「ダグラス導師、質問をよろしいでしょうか」

「質問を許そう、シフォン君」

「この『魔力の盾』は、どんな魔術でも防げるのでしょうか?」

 シフォンの問いに、ダグラス導師は鼻で笑うように息を吐いた。

「どんな魔術も防げるような万能の盾はない。ましてや、この盾は非常に単純な構造である」

 その答えは、シフォンも予想していた。寧ろ、逆だ。本当にこの式が、魔術に対して効果があるのか。あるのなら、どんな魔術に対抗できるのか。シフォンの疑問はそこにある。

「何故この式が盾になりうるか解らぬ、と言ったところだな。魔術を防ぐところをやってみせるのが手っ取り早いが、吾が輩一人では実演はできぬ。かと言って、諸君は攻性魔術を習ってはいるまい。

 どうだ諸君。何故この式で魔術を防げるのか、シフォン君に答えられる者はいないか?」

 ダグラス導師は生徒達を見回した。だが、皆一様に、目が合いかけると俯いてしまう。さても奥ゆかしいことだ、とダグラスは呟いた。

「あのっ、もう一度見たいです!」

 発言したのはオルフィーナだった。ダグラスがじろりと睨むと、彼女は慌てて「ダグラス導師」と付け足した。

 ダグラスは、善かろう、と頷くと、再度呪文を唱え、『魔力の盾』を生み出した。

 オルフィーナは、間近に近寄ると、食い入るように無色の盾を観察し始めた。大柄なダグラスの手元を小柄なオルフィーナが覗くので、まるで天井を見上げているようだ。ダグラス導師も、何を見ているのかと幾分戸惑っている様子だ。

 十も数えた頃だろうか。オルフィーナが、ううん、と唸った。

「上手く言えないんですけど、くっつけて流してポイ……みたいな感じじゃないですか?」

 オルフィーナのその答えにダグラスは、思わず式を手放した。その顔には驚きがあった。

「違いました?」

「いや。稚拙な表現だが当を得ている」

 ダグラスが頷くのを見て、生徒達がざわめき出した。あの(・・)オルフィーナが、クリストフですら解らない問題を解いてしまった。でも、何を言っているのか解らない。そんなざわめきだ。

「だけど、何で水の素を敷いてるんですか? 地の素だけでもくっつきそうだけど」

 首を傾げるオルフィーナ。彼女も、総てが理解できたわけではないらしい。だがオルフィーナは少なくとも、地の素が使われていることには、何も疑問を持っていないようだ。シフォンは、地の素とは、物を硬くしたり軟らかくする素だと思っていた。ベラルカ導師からは、そう習った。まだ習っていない、他の性質があったのか。

 ダグラス導師はオルフィーナの指摘に、「火の素だ」と端的に答えた。

 オルフィーナはそのひと言だけで、理屈を呑み込んだらしい。笑顔でシフォンの方に振り向くと、「だって」と呼び掛けてきた。これで解ったね、と同意を求める顔だ。だが勿論、シフォンを始め、誰一人としてついて行けていない。空気のおかしさに気づき、「あ、あれ?」と戸惑いを見せるオルフィーナ。

 クリストフが挙手した。

「発言をお許し下さい、ダグラス導師」

「発言を認めよう、クリストフ君」

「では。……オリィ。僕はまだ、その式の仕組みがよく理解できていない。済まないが、もう少し分かるように、説明してくれないか」

 優等生のクリストフに請われ、オルフィーナは明らかに戸惑っている。自分に解ってクリストフに解らない事があるなど、想像もしていなかったという顔だ。

「その……くっつけて流してポイ、だったか。それはつまり、『魔力の盾』は、敵性の魔術を絡め取って始海に戻してしまう術だ、ということを言ったんだね?」

「そう、それ!」

 クリストフの確認に、我が意を得たりと喜ぶオルフィーナ。それを聞いて、大半の生徒がやっと、納得顔になった。ダグラス導師が、ほう、と感心したような声を漏らす。

「君の今までの発言を踏まえた僕の解釈では、絡め取るのが地の素で、捨てるのは始海。水の素は要らないと言っていたから、流すと表現したのは、素の流れそのもののことかな?」

「うん。そうそう。やっぱりクリスって凄いね! あったまいい!」

 オルフィーナに頭の良さを褒められて、クリストフは苦笑いを浮かべた。今この場においては一番凄いのが自分自身であることを、この無邪気な級友は、全く理解していない。

「君は、地の素に他の素を絡め取る性質があることを知っていたのか?」

「え? うん。習ってる……でしょ?」

 きょとんとしたオルフィーナの問いに、生徒は皆、首を横に振った。唖然とするオルフィーナ。

(そっか、オリィって講義中によく寝てるもんね……)

 シフォンは思わず笑みを零した。

 恐らく、野放しの家猫(セスト・ミウ)であるオルフィーナは、地の素の性質を、ずっと以前から当たり前に知っていたのだ。だから、当然ベラルカ導師が講義で教えている筈だと。

「……解った。だとすると、水の素が必要な理由は? ダグラス導師が仰った、『火の素』の意味が君には理解できたんだろ?」

 クリストフの質問に、オルフィーナはうん、と頷いた。

「えっとね。地の素はあんまり、火の素とはくっつかないの。でも、水の素は火の素とくっつきやすいから」

「……つまり、攻性魔術として使われることの多い、火属性の術への対処、ということですか、ダグラス導師?」

 クリストフの確認に、ダグラス導師は大きく溜め息を吐き、首を振った。

「いや、合っておる。お主の推察通りだ、クリストフ君。

 吾が輩も長年対抗魔法を教えておるが、この術の本質を、呪文を覚え始める前に看破したのは、お主が初めてだ」

 杖で肩をトントン、と叩くと、ダグラス導師は今度こそ、誰にも判る笑みを浮かべた。

「クリスすごーい」

 実に無邪気にパチパチと手を叩くオルフィーナ。釣られて、半数ほどの生徒達が、クリストフに拍手を送る。

「……僕じゃないだろう」

 クリストフが小さく呟いたのを、シフォンは聞き逃さなかった。クリストフの眼は、オルフィーナを見つめている。不機嫌そうな。でもどこか、敬意のこもった眼差しだ。シフォンはその小さな胸に、もやっとした感情が渦巻くのを感じた。今まで、自分にだって、クリストフがこんな視線を向けたことは無かった筈なのに。あるとしてもそれは――そこにいるのは、自分だと思っていたのに。

「本来は練習後に説明するべき話であるが……ここまで至ったならば、先に説明を済ませてしまおう。この『魔力の盾』の弱点についてだ。この単純で美しい、イストゥールの叡智が詰まった式だが、大きく三つ、弱みがある。解るか?」

 ダグラス導師の問い掛けに、真っ先に手を挙げたのはシフォンだった。次いで、クリストフ。彼と目が合い、シフォンは思わず目を逸らした。別に彼に良いところを見せようとか、そんなではない。――きっと。

「では、シフォン君」

「はい。この盾は、魔術には有効ですが、現界の物体には効かないのではないでしょうか」

 シフォンの回答にダグラスは、「そう、それが一つ」と頷いた。ほっと胸を撫で下ろすシフォン。

「存在を確立した存在は、この盾の網に掛けることはできん。剣や矢は防げんし、例えば石を撃ち出すような破壊魔術に対しても、この盾は無力だ。そう言った攻撃には、他の防衛手段が必要になる。では、クリストフ君」

「はい。受け止められる容量の限界も、あるように思います。地と水の素で相手の素を受け止めても、それより多い素を流されたら、受け止めきれなくなるのでは」とクリストフ。

「うむ。正解だ。始海から絶えず素を汲み上げているので、思うよりは大きな術にも耐えられる。だが、お主の言うとおり、それにも限界はある。受け流しきれない素は、お主達に降りかかることになるだろう。

 そしてもう一つは、使ってみれば分かるが、魔力の消耗が大きいことだ。式の構成上、素を引き出し、巡らせ、戻すという一連の流れを維持し続ける必要がある。発動させるのに必要な魔力は知れたものだが、時間と共に魔力を消費し続ける。長時間維持するのは難しかろう。

 この術だけでなく、対抗魔法は相手との駆け引きが最も重要だ。そして、適切なタイミングで適切な手を打つ為には、何より度胸が試される。それを心するように」

 ダグラス導師は説明は終わりとばかり、杖を腰帯に差し直した。それを待ち構えていたかのように、講義終了の鐘が鳴る。

「うむ。実技のつもりが講義で終わってしまったな。だが、実りある時間であったろう。次回は実技から始めるので、各自練習しておくように」

 シフォンは、再びクリストフの横顔を見た。クリストフは、早速あくびを零すオルフィーナを見つめている。

 ――練習しよう。

 シフォンは固く決意した。

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