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1章10話 悪い報せ

 オルフィーナ達三人にとって初めてとなる出張の旅は、大きなトラブルもなく六日目の夕方を迎え、ナーナスという名の小さな宿場町に辿り着いた。

 行程は至って順調で、早朝に宿場町を出発して街道沿いを馬車で進み、夕方前後には次の宿場町に辿り着いて、そこで一泊。その繰り返しだ。このままのペースならば、明日の昼過ぎには目的地のタルダットに到着する。

 商国(ホルス・ロウ)を東西に横切るこの中央街道は、商隊が頻繁に往来する基幹道だけあって、宿場には事欠かない。街道自体も馬車が四台並べるほどに道幅が広く、大部分はミルズフィアの街中と遜色ないほど整備されていて、馬車の揺れも比較的少ない。旅慣れていない彼女達でも我慢できる程度には、快適な旅路だった。

 とは言え、馬車の荷台に座りっぱなしなのには我慢の限界があった。二日目の昼過ぎにはオルフィーナが、お尻の痛みに弱音を漏らした。だが、翌日にはクッションが三人分用意され、そこから先の旅路は打って変わって快適だった。クッションは、アメリアが手配したものだ。アメリアとミランダは最初から自前のクッションを持ち込んでいたので、ミランダも特に咎めはしなかった。ただ、従士のアサムだけは、アメリアから勧められてもクッションを使おうとはしなかった。鋼のような男だ。

 流石に五日目ともなると道中の話題にも事欠きつつあったが、アメリアがクッションと一緒に購入した遊技札(カード)のお陰で、退屈はせずに済んだ。『数え札』でも『狐の中抜け』でも、運が全てのはずの『埋もれた宝』でさえ、全てにおいて、アメリアはカードゲームに滅法強かった。最初は横で見物していたミランダ導師も四日目になって参戦したが、アメリアにはついに勝ち越せなかった。ミランダ導師はとても悔しそうだったが、楽しそうでもあった。

 この数日で、最初は険悪な空気を感じさせていたミランダ導師とアメリアの仲は、随分と良くなったようだ。宿の部屋割りで、二人部屋しか空いていなかった二日間、同室になったのも奏功したのかも知れない。




「主よ、悪い報せだ」

 従士アサムがミランダにそう耳打ちしたのは、彼を除く五人が宿の近くの料理店で夕食を食べていた時だった。

 いつの間に近づいたのかと思うほど滑らかに入ってきたので、オルフィーナは声を聞くまで、彼の存在に気がつかなかった。

 ミランダは口いっぱいに頬張っていた鶏肉をひと息に飲み下すと、ナプキンで口を拭いて頷いた。

「よろしい。話しなさい」

 目配せしあって耳をそばだてる生徒達。

「ここから十キロメートルばかり北西の国境付近の砦に、武装したトスカー人(狐目)どもが集結しておる。どうやら南下してきた部隊のようだ」

 淡々としたアサムの報告を聴いて、ミランダは左の眉を跳ね上げた。

「数は」

「二百ほど。正規兵は二十もいないようだが、部隊としては街一つを制圧できる数だ」

 アサムの報告を聞いて、ミランダ導師は顔をしかめた。

「砦の近辺に対抗勢力でもいるの?」

(それがし)が聞いて回った範囲では、否だ。砦はヘンズ大公派のビライ伯の領地だが、周辺の領地を治めているのも全て、ヘンズ大公派の領主だ。恐らく、狙いはタルダットだな」

「狐目たちは、戦争でも始めるつもり? タルダットに手を出しては、最早内乱とは言えないわ。彼らは自分たちが何をしようとしているかすら、理解していないに違いない。あまりに愚かよ」

 ミランダ導師は強い口調で息巻いた。アサムと話すとき、ミランダは偶に、こうした口調になる。生徒と話すときは常に敬語の彼女だが、どうやらこちらが素のままの言葉遣いらしい。

「でもタルダット周辺の海岸線は、数百年前はトスカー人達の領地でしたわ」

 アメリアが、横から口を挟む。ミランダは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「私は、貴女に講義を受けるほど無知ではありません。貴女の言いたいことは解ります。彼らは大義は掲げているだろうと言いたいのでしょう?

 『三つの聖地』には含まれませんが、タルダットは鷹神が飛び去った恵方の、最端の街です。そしてヘンズ大公は、鷹神の熱心な信奉者だそうですね」

 鷹は、トスカー人にとって、最も神聖な鳥だ。遥かな昔、故郷である境界地域を追われた民族が、西の砂漠を流浪する中で辿り着いたのが今のトスカー地方だ。その時、神の化身と言われる黄金の翼を持つ一羽の鷹が、彼らを導いたと云われる。三つの聖地の最初の一つが、その『始まりの地』であるエスタブールと言う街だ。今はアルフォード大公が治めるエスタブールには、鷹の偶像を祀った聖殿があり、鷹神信仰の拠点となっている。

 鷹神信仰では、東のハイアレン人を中心に各地に伝搬している聖教のように、神殿が各地にある訳ではない。三つの聖地の方角と、最後に鷹神が飛び去った――即ち、神がおわす方角。合わせて四つを恵方として、毎日祈りを掲げるのが信仰の有り様だ。具体的な場所、土地というものに、非常に強い執着を持つ宗教と言える。例年、聖地を訪れる者は後を絶たないという。

「もしそんなことを理由に国境を侵そうと考えているなら、ヘンズ大公は頭に羽根が詰まった愚か者よ」

 ミランダはそう吐き捨てた。アサムは表情を変えず、それだけではなかろうな、と呟いた。

「大義名分はともかく、狙いは当面の軍資金と食糧の確保だろう。もしや、アルフォード大公の混乱を狙っているのかも知れん。そうであれば、感心するところだ」

 アサムは平坦な口調で述べると、報告は終わりだとばかり、クリストフの隣の椅子を引いて腰掛けた。

 内情はどうあれ、公式には国境の向こう側を治める国主は、公王を名乗るアルフォード大公だ。一軍を以て国境を侵せば、当然まずは、抗議の矛先はアルフォード大公に向く。公国軍の初動を遅らせるには、十分な効果があるかも知れない。尤も、仮に公国を転覆させ得たとして、その暁にはこの問題は、ヘンズ大公自身に降りかかってくることになる訳だが。かの狐目達は、蜥蜴が尻尾を切り落とすように易々と、部下や仲間を売り飛ばす。ビライ伯とやらもまた、捨て駒にされる運命なのだろう。

「しかし、戦としては間違いなく愚かと断ずるべきだ。他の街ならばいざ知らず、二百ではタルダットを陥落させるのには足りぬ」

「陥落はしなくても、被害を与えるには十分でしょう。問題なのは街が陥ちるかどうかではなく、それが我々の目的の妨げになるかどうかです」

「然り」

 アサムは頷くと、腕組みをした。

「戦争に、なるんでしょうか」

 不安そうにミランダに問いかけるオルフィーナ。ミランダは首を横に振り、分かりません、と呟くように言った。代わりにアサムが、彼にしては珍しく、気楽な口調でオルフィーナに答える。

「まあ、そう気張ることもない。警戒に越したことはないが、今日明日動き出すとは限らん。タルダットの守備隊は、数も錬度も申し分ない。情報を伝えれば、彼らで何とかするだろう」

「……だとよいのですが」

 ミランダは小さく溜め息を吐くと、にこりと微笑んで、お疲れさまでした、とアサムを労い、彼のために確保していたカップに手ずから水差しの水を注いだ。

「何か食べますか、アサム」

「結構。酒場で散々飲まされてきたところだ」

 差し出された水を一息に飲み干すと、アサムは小さく肩を竦めて見せた。宿場町に着く度に、アサムは町の酒場や怪しげな店に一人で足を運び、様々な情報を仕入れてくる。息が酒臭かったり服の袖に血を付けて帰ってくることもあるが、彼自身が負傷している姿は見たことがない。

「すみません。ちょっとよろしいですか?」

 見知らぬ若者が、不意に一行に声を掛けてきたのは、その時だった。六人全員が、声の主の方を見る。

 金髪で細身の、ルード人の若者だ。オルフィーナよりも幾つか年上、アメリアと同じく成人を迎えて幾ばくもない年頃だろうか。なかなかに整った顔立ちだが、どこか子どもっぽい笑顔のせいか、軽薄そうな印象を受ける。前髪を垂らした気取った髪型からして、都会育ちだろう。

「もしかして、そちらにいらっしゃるのはローズバーグ家のお嬢様じゃありませんか?」

「ええ。私はアメリア・ローズバーグですが……失礼ですが、お会いしたことがありましたかしら?」

 アメリアが小首を傾げると、若者はやっぱりそうだった、と嬉しそうに笑った。

「いいえ、以前遠目からお姿を拝見したことがあるだけです。でも、ミルズフィア学院に入学されたと聞いてましたので、魔道士さんといらっしゃるのを見て、もしやと」

「そうでしたか。それは奇遇なことです」

 余所行きの笑顔で若者に応えるアメリア。クリストフが隣で、面白くなさそうに若者を睨みつけ、更に隣でシフォンが、そんなクリストフを拗ねたように見つめている。

「お兄さん、この町の人ですか?」

 オルフィーナが尋ねると、若者は、おや可愛らしいお嬢さんだ、と微笑んだ。

「僕はしがない行商人の小倅ですよ。出身は商都ですが、専ら色んな国をフラフラ旅しています」

「その行商人の小倅が、何の用だ」

 詰問するような口調でアサムが若者に問い糺す。警戒した口調だ。強面の従士に睨まれて、若者はその軽薄な笑顔を引き攣らせた。

「いえいえ、偶々アメリア様のお姿が見えたのと……タルダットがどうとうか戦争がどうとか、ちょっと、気になる単語が耳に入りましたもので」

 アサムの眼光がますます厳しくなった。たちまち、怯えるようにミランダの背に隠れるルード人の若者。

「あの、魔道士さん? ちょっとあの方、怖いんですけど……」

「……アサム」

 ミランダに窘められ、アサムは鼻息を鳴らして首を正面に戻した。水差しをつかみ、カップに二杯目を注ぎ始める。だが、警戒を解いていないのはその居住まいで分かった。

「お兄さんもタルダットに行くんですか?」

「ええ、そのつもりなんですよ。でも何か、タルダットが危ないみたいなお話をされてたじゃありませんか。もう、気になって気になって。恐縮ですが、詳しく教えていただけませんか?」

 オルフィーナは、ミランダの方を見た。ミランダは、迷惑そうな顔をして、横目で若者を観察している。アサムはそっぽを向いたままだ。どうしよう、わたしは説明上手くないし、という顔で、シフォンと顔を見合わせるオルフィーナ。シフォンは逡巡し、リーダーのアメリアを見た。アメリアは、貴女から説明して差し上げなさい、と頷いた。

「あの、国境を越えた先の砦に、トスカー人の軍隊が駐留しているそうなんです。その、もしかするとタルダットを攻めようとしているんじゃないか、って……」

 シフォンが怖ず怖ずと説明すると、若者は目を輝かせた。

「おお、こちらのお嬢さんも大変に可憐ですね。なるほどなるほど。その砦、どの辺りにあるか詳しくご存知ですか?」

「……それを知ってどうするんですか」

 鋭く質問したのは、クリストフだった。若者はきょとんとした顔でクリストフを見つめると、ああ、と手を叩いた。

「もしかして、すごく怪しまれてますか、僕?」

 今更のようにそれに気づくと、若者は参ったなぁ、とヘラヘラとした苦笑いを浮かべた。

「すみませんね、お食事中。お邪魔しちゃ悪いので、僕はこの辺りで退散します」

「あの、お兄さんもタルダットに行くんだったら、とにかく気をつけた方がいいですよ?」

 立ち去ろうとする若者の背に、オルフィーナは声を掛けた。若者は人好きのする笑顔でにっこりと微笑むと、ありがとうございますお嬢さん、と頭を下げて、そのまま店の奥のテーブルに戻って行った。一行がしばらく様子を見ていると、若者はそれから百も数えない内に代金の支払いを済ませ、テーブルに座っていた数人の男女を引き連れて店を出て行った。どうやら、連れと一緒に来ていたらしい。

「……何者だったのでしょうね」

 彼らの姿が店から消えたのを見届けて、アメリアが呟く。結局若者は、名前を名乗ることもなく去って行ってしまった。

「さあ。北の砦のことを聞きたがっていたようでしたが。それを知ることが誰にどんなメリットがあるのか、僕には分かりません」

 クリストフはそう答えると、フォークに突き刺した最後の肉切れを行儀良く口に運んだ。単にアメリアを見つけて嬉しがって声を掛けにきた、という訳ではなさそうだ。だが、不快感を表されてすんなりと引き下がったところを見ると、この一行に用があった、という訳でもなかったのかも知れない。本当に、情報が知りたかっただけか。でも、砦の場所を聞いて、どうするつもりだったのだろうか。砦までの距離やいつ頃軍隊が来そうか、という情報ではなく、砦の場所、である。クリストフはそこに、違和感を感じた。尤も、言葉のあやだった可能性も否定はできない。

「まあ、余計なことは考えないようにしましょう? ほらオリィ、口元が汚れてますよ」

 ナプキンで隣のオルフィーナの口元に付いた肉汁を拭ってあげるアメリア。オルフィーナは頬を赤くして、アメリアにお礼を言った。

 世話を焼くアメリアの姿は、まるで手の掛かる妹の面倒を見る姉のようだ。オルフィーナもこの数日間で、アメリアのことをすっかり気に入り、実の姉のように懐いていた。気が付けば、アメリアは三人の保護者のようになっている。これだけ人を手懐けるのが巧ければ、本職の政治や商売でも、さぞや人に恵まれることだろう。




 その日一行は早々に食事を切り上げ、早めにベッドに入った。いよいよ明日は目的地にたどり着くというタイミングでの悪い報せに、誰もが不安を抱えながら眠りに就いた。


 オルフィーナは、夢を見ていた。

 オルフィーナは、夕焼けの街角に立っていた。ミルズフィアに似た街だ。でも、見知った人はいない。

 一面の夕焼けを蝕むように、黒い影が幾重にも折り重なりながら、にじり寄ってくるのが見えた。影の向こう側にいるのは、更に大きな魔王の影だ。街も空も大地も、真っ赤な景色がどんどん黒く塗りつぶされていく。

 でも、人々はそんなことは気にも留めない。影法師になっていることにも気づかずに、槍で、剣で、ただただ刺し合い、斬り合いを続けている。槍が刺さった所から、剣で斬られたところから、黒かった大地に、空に、赤い色が戻っていく。

 オルフィーナは気づいた。夕焼けじゃない。この赤は。これはとても、いけない赤だ。

 オルフィーナは、桶の水をぶちまけたみたいに迫ってくる赤から逃げ出した。

 でも、影も止まらない。少しずつ少しずつ、空から包み込むように近づいて、再び人々を包んでいく。真っ黒に塗りつぶされた人々は、もう影法師さえも見分けられない。真っ黒になった人々からは、もう赤い色は出てこなかった。

 赤い色と、黒い色。二つの色が、せめぎ合いながら迫ってくる。

 オルフィーナは、赤い色に追い立てられるように走り続けた。でも、逃げる先には黒しかない。

 その内、オルフィーナは、真っ黒な影に包まれて。

 それきり、何も見えなくなった。



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