1章9話 笑顔の才能
オルフィーナ達が荷物を抱えて南門に辿り着くと、既に門の前には二頭立ての馬車が繋がれ、従士の男がミランダ導師とアメリアの荷物を荷台に積み込んでいるところだった。
馬車は、学院そばの馬小屋で調達したらしい。荷台は前部に幌が張られ、後方まで引き延ばせるようになっているようだ。寒さが厳しくなり始めた季節だけに、風除けがあるのはありがたい。
全員分の荷物を載せ終わると、オルフィーナ達はミランダ導師に促され、馬車の荷台に乗り込んだ。一番前、幌の奥まったところにアメリア。オルフィーナ達三人が真ん中よりに身を寄せ合い、後方にミランダと、従士アサムが陣取った。
御者が鞭を入れ、馬車が石畳を軋ませながら動き出すと、最初にアメリアが口を開いた。
「改めまして、五年生のアメリアです。不束者ですが、この旅の間、リーダーを務めさせて頂きますので、よろしくお願いしますね」
ミランダは内心で舌を巻いた。
先ほどの厳しい態度とは打って変わって、柔らかで謙虚さに満ち溢れた物腰だ。慈愛に満ちたその微笑みは、先程ミランダに向けていたものとは全く違う。とても、作り笑いには見えない。
その笑顔だけで、緊張を漂わせていた下級生達の肩から力が抜けたのが判った。
「三年生のクリストフ・ランドシャです。ローズバーグ卿には、祖父が大変お世話になっております」
三年生の中で真っ先に自己紹介したのは、首席のクリストフだった。アメリアを見つめる顔は、緊張のためか先ほどから紅潮している。
「ええ、貴方のことも憶えていますよ、クリストフ。四年ほど前だったかしら。ランドシャ親方とローズバーグの屋敷にいらしたことがあるでしょう。大変利発なお孫さんだと、感心したことを憶えています」
アメリアの返事に、クリストフは明らかな喜色を浮かべた。終始冷静沈着な彼にしては、珍しいことだ。「光栄です、アメリア様」と、裏返った声で頭を下げるクリストフ。隣で見ていたシフォンが、面白くなさそうに口の端をへの字に歪めた。
「様、はやめて下さい。ここでは私は貴方と同じ、ただの一生徒に過ぎません」
あくまでも謙虚なアメリアの申し出に、クリストフは感動したような表情で、「はい、アメリア先輩」と言い直した。アメリアはにっこりと――本当に嬉しそうに――微笑むと、「私も、クリスと呼ばせて頂いて宜しいかしら。学院でも大変優秀な成績を修めているそうですね」と褒めちぎった。クリストフはもう、言葉もない。
「それに、貴女の噂も聞いていますよ、シフォン。クリスと並んで、近年稀に見る秀才だとか」
それまで不機嫌そうに俯いていたシフォンが、いきなり褒められて真っ赤になった。
「そ、そんな……クリス君に比べたら、わたしなんか……」
もじもじとローブの裾をいじるシフォンに畳みかけるように、アメリアはそっとシフォンの手を取った。
「一度、お話ししてみたいと思っていました。こうして仲良くする機会ができて、嬉しいわ」
「は、はい……わたしも嬉しいです、アメリア先輩……」
あっと言う間に骨抜きにされるシフォン。クリストフに負けず劣らず頬が赤い。
実際のところ、シフォンが優秀なのは疑うべくもないが、「近年稀に見る」は、褒めすぎだろうとミランダは思った。数年に一人は、優秀な人材がいるものだ。現に、シフォン達の僅か二年前に入学し、彼女に匹敵する成績を修めた才女が、今ミランダの目の前にいる。
順番待ちのオルフィーナはと言うと、目をキラキラさせて、そんなアメリアに見とれている。会話を始めて百も数えない内に、下級生達の心を掌握してしまった。
「そして……オルフィーナですね。ベラルカ導師のお気に入りの」
「え?」
アメリアの指名に目を丸くするオルフィーナ。ミランダは、思わずクスリと笑いを零した。アメリアの洞察は間違いなく正しい。が、オルフィーナ本人は、ちっともそう思っていないだろう。何しろ、入学から今までベラルカに叱られた回数は、間違いなくオルフィーナが一番多い。逆に、褒められたことはあるのだろうか。
アメリア本人も分かって口にしたらしく、オルフィーナの反応を愉しそうに眺めている。
「アメリア先輩、私のことご存知だったんですか!?」
違った。オルフィーナの意外そうな反応は、名前を呼ばれた事に対するものだったらしい。嬉しそうにはにかむオルフィーナを見て、アメリアは目を丸くした。彼女と初めて会話する人は、よくこういう反応をする。流石のアメリアも、例外ではなかったようだ。
「ええ、貴女も色々と、上級生の間では噂なんですよ。特に最近は……」
「え!? ど、どんな噂ですか!?」
友人二人が褒め殺しに遭った後だけに、期待に顔を輝かせるオルフィーナ。だがアメリアは、堪えきれない、といった様子で、いきなり吹き出すように笑い出した。何かを思い出したようだ。
「ね、鼠取りに指を挟まれて大騒ぎしたりとか、川底を浚おうとして足を滑らせたりとか……」
どうやら、オルフィーナが組合の依頼を請けた時の話らしい。
「中でも私が一番お気に入りのエピソードは、迷子の猫を捜していた時のです」
「ああ。頭から水浸しにされた、あれですね」
シフォンが相槌を打つと、アメリアは少女のように目を輝かせた。
「そうです! 猫をおびき寄せるために鳴き真似をしてたら、野良猫と間違われたんでしょう? もう、お腹が痛くなるまで笑い転げてしまいました。私、友人達から貴女と任務に着いたときのエピソードを聴くのが楽しみで楽しみで……あら?」
アメリアは、我に返ったように真顔になった。気がつけばオルフィーナが、真っ赤になって俯いている。勿論、クリストフやシフォンの時とは、赤面の理由が違う。
「わたし、ドジなんで……。そう、ドジなんですよ、ええ……」
虚ろな目で、誰にともなく呟くオルフィーナを見て、一度は真顔になったアメリアがまた声を上げて笑い出した。こんなに笑う娘だったのかと、ミランダが目を見張るほどだ。
「ご、ごめんなさい。笑ってはいけないのは解っているんですけど……あはははは、あーおかしいー」
アメリアは目の端に溜まった涙をハンカチで吸いながら、大きく深呼吸して息を整えた。
「……失礼しました。でもね。貴女には、人を笑顔にする天性の才能があります。人伝てで聴いても愉快なんですもの。それに、噂以上に愛らしいわ。きっとこの旅はさぞ愉しいものであろうと、私、そう期待しているんですのよ」
アメリアは、満面の笑顔をオルフィーナに向けた。笑ってはいるが、その言葉に偽りはなさそうだ。
オルフィーナは、きょとんとした顔で、「笑顔にする才能……?」と首を傾げ、少し考え込んで、おもむろににっこりと白い歯を見せた。
「えへへ。何かいいですね、それ。本当にそうだったらいいなぁ」
嬉しそうに、両方の三つ編みを左右の手でびよんびよんと引っ張るオルフィーナ。照れているらしい。
アメリアはにこにこと可愛い後輩を眺めていたが、暫くしてミランダに目を向けた。
「あら、申し訳御座いません、ミランダ導師。お仕事の内容をご説明頂けるのでしたよね? お邪魔してしまいました」
一見して殊勝な態度だが、間違いなく分かってやっている。まあ、このくらいは大目に見ましょう。
「構いません。それに、笑顔は私も大事だと思いますよ。ベラルカにも聴かせたい言葉です」
最後の一言に、アメリアは思わず顔を背けた。吹き出しそうになったのを、導師の話題だけに咄嗟に堪えたらしい。「ベラルカはいないのだから、笑ってもいいのよ」とでも言ってやろうかと思ったが、仏頂面のアサムが正面にいるので止めた。砂の戦士団出身のアサムは、上下関係に厳しく、上の者に対する陰口にはあまり好い顔をしない。二人になった時に小言を聴かされるのは勘弁だ。
「さて。今回、タルダットに行く目的でしたね。一言で言えば、取引です」
「取引……ソーマ人とですか?」
ミランダは、クリストフの質問に肯いた。ソーマ人とは、海洋民族として知られる、海国の住人だ。元は南西諸島に住んでいた民族で、古来、航海術に優れ、海の資源を採って暮らしていた。ここ百年ばかりで船の建造技術が発達し、大きな船で遠洋まで航海できるようになったことで、貿易に力を入れるようになった。実のところ海国は、ソーマ人の故郷ではない。遠国の特産品を大陸の国々と取引するための、貿易拠点なのだ。
商国と海国が隣接しているのもまた、偶然ではない。ソーマ人とよく比較されるルード人は、ソーマ人を海の商人とするなら、陸の商人。古くから他民族との交易で財をなしてきた、工と商の民族だ。ソーマ人が、仕入れた品を卸す先として、また大陸の特産品を仕入れる先として、ルード人をパートナーに選んだのは、歴史の必然であるとミランダは思っている。
「今回の依頼は、外部から受託したものではありません。依頼元は、魔道士協会そのものです。目的は、ある貴重な古代遺産の入手。無論、ソーマ人が所有しているものです。私が派遣されたのは、その真贋を鑑定するためです」
「……その目的だと、我々はいなくても良いのではないでしょうか。我々の力量では導師の護衛ができる訳でもありませんし」
クリストフの疑問にミランダは正直に肯いた。
「私も、そう思います。少なくとも、初級魔道士を護衛に雇うことはありません。人選したのはベラルカです。アメリアとクリストフは、名の知れた家の出ですから、もしかすると取引を円滑に進めるのに役立つと思ったのかも知れません。アメリアに至っては、タルダット領主であるローズバーグ侯のご令嬢な訳ですし。でも、シフォンとオルフィーナを連れて行く理由にはならないのです。恐らくベラルカは、一度あなた達にソーマ人を見せておきたいのでしょう」
「ソーマ人を? 何故でしょう」
「理由は二つです。一つは、彼らが非常に交渉術に長けた商売人であるということ。将来貴方達が一人前になって宮仕えすることにでもなれば、交渉や調停は避けられません。中でも、異文化間の調停は、相手の文化を深く理解していないと、交渉の円卓に座ってもらうことすら適いません。異文化を知る機会は、貴重なものです。それに、彼らの『契約』の文化は、とても進んだ考え方だと思います。知っておいて悪いことはありませんしね。
そして今一つは、彼らの魔法文化です」
「魔法文化?」
聞き慣れない用語に、顔を見合わせる三年生達。
「ミルズフィアに、ソーマ人が何人入学しているか知っていますか?」
唐突なミランダの質問に、クリストフは黙ってシフォンとオルフィーナに目配せした。二人とも、揃って首を横に振る。
「いえ……ですが、学院内でソーマ人を見掛けた記憶はありません」
代表してクリストフが答えると、ミランダは、さもありなん、と頷いた。
「当然です。ミルズフィアの創設からこの方、ソーマ人は誰一人として、門をくぐってすらいません。賢者の学院には、一人か二人、ソーマ人の出身者がいた事があるそうですが。彼らはそもそも、内陸の街に足を運ぶこと自体がありません」
「つまり、ソーマ人はイストゥールの古代語魔法とは異なる魔法体系を使うということですか?」
聡いクリストフの質問に、ミランダは、その通りです、と肯いた。ふとオルフィーナを見て、ミランダは笑みを零す。オルフィーナは、目を輝かせてミランダを見つめていた。やはり、新しい魔法の話になると、誰よりも食いつきが良いのはこの生徒だ。
「但し、今回はそちらは期待はできません。彼らは、余所者に魔法を見せることは、まずありませんから」
ミランダが断言すると、オルフィーナの顔が目に見えて萎れた。満開の花が萎んでしまったかのようだ。内心でクスクスと笑いながら、「でも、運が良ければ見られるかも知れませんよ」と付け足すと、七分咲きまで復活した。この娘は本当に、からかうと面白い。
奥でアメリアも、そんなオルフィーナの様子をちらちらと見ながら、ニマニマとした笑みを浮かべている。背中でも判るほどオルフィーナの浮き沈みが大きいのだ。アメリアの事は堅いお嬢様だと思っていたが、彼女とは意外と気が合うのかも知れない。
「はい、しっかり見ます!」
そんな二人の密かな愉しみになど気づきもせず、元気に返事するオルフィーナ。
「……そうね。貴女なら、本当に何か見えるかも知れませんね」
ふと、春先の中庭での出来事を思い出し、ポツリと呟くミランダ。シフォンとクリストフが、驚いたように顔を見合わせた。なるほど、この二人も、知っているのか。
再び期待に胸躍らせるオルフィーナと、少しばかりの戸惑いを滲ませる二人の優等生を順に眺め回し、ミランダは少しだけ、華やいだ。
アメリアの言うとおりだ。これは意外と、愉しい旅になるかも知れない。