1.7
トレスは畑を横切って村外れの雑木林に逃げ込もうとしていた。そして二人のセトハウサ軍兵士がトレスのことを追跡していた。
「なんて逃げ足の速い! ガキのくせに……」年上の兵士が言った。「よし、お前、あいつに向かって撃て」
「う、撃つんですか?」
新米兵士は先輩の一言に一瞬戸惑った。
「なあに、脅すだけだ」
「ですが、発砲の許可は出ていなかっと思いますが」
「このまま取り逃がしたんじゃ、そっちの方が問題だぜ」
言われるがままに新米の兵士は小銃を構えた。その小銃は当時開発されたばかりの無煙火薬を用いる威力の高いものだった。新米兵士はボルトを操作して銃弾を薬室に装填した。それから多少躊躇いながらも大雑把に狙いをつけて引き金を引いた。
小銃のボルトの中では、撃芯がバネの力で一気に前進して薬莢の底のプライマーを叩いた。打撃を加えられたプライマーから出た火花によって薬莢内の無煙火薬は着火し、急激に燃焼ガスを生成すると鉛で出来た弾頭を一気に押し出した。弾頭はライフルリングに食い込み、回転を始めながら速力をあげた。兵士の前方に一瞬、火炎が輝いた。しかし硝煙はほとんど出なかった。口径八ミリの弾頭は毎秒八百メートル近い速さで銃口から飛んでいった。銃声は村まで響いた。
新米兵士は言われた通り、はっきりと彼女を狙っていたわけでは無かった。それに彼の射撃の腕前は今一つだった。加えて、わざと逸れたとこに狙いをつけていたのだから、普通なら当たることなどなかったはずだ。しかし弱い横風も吹いていた。狙いの角度、風向き、小銃の銃身コンディションや弾薬の品質等々、たまたま条件が整った。ただそれだけのことだった。銃弾は狙わずして彼女の右腕に命中したのだった。
トレスは右腕に強い衝撃を感じてよろめいた。地面には鮮血が散った。銃弾は十分な威力を備えていた。銃弾は彼女の腕の肉を裂き骨を砕くと、そのまま腕を抜けてどこか遠くへ飛び去った。
目標がよろけるのを見てとった兵士は「もしや、やったか?」と言った。
だがしばらくはトレスの歩みは止まらなかった。彼女自身何が起きたか分かっていなかったが、頭の中に思っていたことは「捕まれば殺される!」ということだけだった。
地面にぽたぽたと血が滴っていたが、彼女はその能力の甲斐もあって出血量は一命を取り留めるレベルには納まっていた。ただし、大量失血というのは、もちろん死をもたらすことも一つではあるが、判断力の低下、痛みの鈍化といった症状を彼女にもたらしていた。最後にトレスが感じたのは眠りに落ちるときに似た感覚だけであった。