6.1
エンツシャード少佐は一週間分の仕事を部下に引き継ぐと自宅へと戻った。家には彼一人だけだった。結婚はしていたが、妻は数年前に交通事故で亡くしていた。そして子供もいなかった。
書斎に入ると棚からグラスと中身が半分残っているバーボンの瓶を取り出した。机にグラスを置くと瓶の中身を注いだ。眼帯も外してイスに深く座り込むと、グラスの中身を一口飲んでくつろいだ。長らく掃除もしていない、少し埃っぽくなった部屋をゆっくり見渡した。
書斎の部屋半分の壁は本棚になっており各国の戦史や歴史書から伝記もの、その他分野の雑多な書籍が収められていた。棚のないところには大判の地図――オワム大陸も含めた世界地図――が張られていた。もうあの女は国境を越えて連邦内に戻っているだろう。少佐はため息をついた。いや、待てよ。彼はそこまで考えたところで部下の提出した報告書を鞄から取り出した。急いで作らせた簡便なものだったが必要なことは書いてあった。観察対象は連邦政府のエージェントと思しき男性と同行……その部分を読んで少し考え込んだ。もしこのエージェントにそれなりの思考力があるなら、そのまま国境に向かうだろうか。待ち伏せが一回だけしかないなどということを思うだろうか……それに国境沿いはボズロジデニア共和国の軍も動き始めた。わざわざ危険な道を選ぶとは思えない。もちろん訓練と経験を積んだプロならそんな道を選ぶこともあるだろう。だが、あの女の方はいくら念力があるからと言っても素人だ。それは難しいだろう。となれば、確実でシンプルで何か起きても対処しやすいルートを選ぶというものだ。そこまで逡巡してから、少佐は椅子から立ち上がった。書斎の壁に貼ってある地図に近づき、「通るとすればノートラール国だ」とつぶやくと地図のぞの場所を指で軽くたたいた。
ボズロジデニア共和国の右隣に位置しており、東側は海、北部はパ連邦と接している。一貫して中立的外交――むろん、偏った中立ともいわれる――をしていて、ボズロジデニアとは鉄道で簡単に行き来ができる。そしてノートラールとパ連邦の行き来もそれと同じくらい簡単だった。そしてボズロジデニアの鉄道はどこへ行くにも必ず首都を通る。このセトハウサからそこまでは鉄道を一回乗り継ぐだけで行ける。少佐はそこまで考えたところで行動に移すことに決めた。
もしかすると見当はずれかもしれない。国境沿いで出迎えの部隊でも用意しているならとっくの前に連邦入りしている可能性もある。そもそも自分一人で何ができるというのだろうか?そんなことを思いながらも、彼はバッグに荷物を詰めた。構うものか、どうせ休暇中の身だ。この思い付きが空振りでも、気晴らしついでにボズロジデニアの首都観光とでも行くか。いろいろな考えが頭を巡るなか、手早く荷物をまとめた。準備を整え玄関に立った時、少佐は一瞬ためらいがちな表情を浮かべた。が、ドアを開けると外へ出た。
セトハウサとボズロジデニア共和国は友好国同士であり、官民問わず人の行き来は多かった。そういった事情もあり、少佐も幾度か首都を訪れたことがあった。ボズロジデニア共和国の首都は国の南部に位置している。地質的特徴としては大きな湖と川があることだった。特に河川はまっすぐに南下し、エテク共和国を抜けて大陸南海岸へ続いていていた。そのため、船で容易に海と行き来できた。そのためボズロジデニア共和国は内陸国でありながら海軍が存在する国でもあった。もちろん海に面した国のものと比べれば小型艦艇ばかりだが、港を訪れると本当に海に面した港町にいるかのように錯覚することもあった。
少佐は港をみながら、海の波と潮風に揉まれるのと大陸の上で泥まみれで動き回るのとどっちがマシだったのだろうか。と考えた。少佐は少年のとき、海に憧れたことがあった。大航海時代をモチーフにした小説を読んだ影響だった。しかし他国へ移住して海軍に入るなどということはなかった。少佐の家系は代々にわたり騎士を務めていた。それに彼の親父も陸軍の軍人を務めていた。陸軍に入るのは必然的なことだった。
いくらかの時間、港で係留された船や街の景色を眺めて思索にふけった少佐は再び駅の方へ戻った。
駅舎に入った少佐は時刻表を手にすると駅に併設されいるカフェテリアへ入って行った。目立たない隅の方の席に陣取ると、サンドイッチとコーヒーを傍らに時刻表のチェックを始めた。北部から来る列車とノートラールに向かう列車をすべて確認し、しるしをつけていった。しらみつぶしに探していくつもりであった。まったく自分は何をしているのだろうか?少佐は自問した。あの小娘に惚れているとでも言うのか?あるいは憑りつかれているのかもしれない。いずれにせよ、仮に見つけたところでどうするのか?というところまでは考えていなかった。




