3.2
早朝、鉱石を積載した貨物列車が並ぶ中をよけるようにしてファリードの乗る客車列車はシスタルービ駅のホームに入っていった。中心街から見上げる空にはどんよりとしたスモッグ混じりの雲が広がっていた。冬はまだ先のことだが、風は冷たかった。
駅を出るとファリードは迷わず目的地に向かった。街中から北の方に進んだ山中に例の屋敷である。今となっては人付き合いの嫌いな貴族が作らせたのかと思うような場所にあるが、屋敷前の道はかつて馬や徒歩が一般的な移動手段の時代の主要道路だった。鉄道も普及し、人によっては車も使うようになった今、バイクや自転車ですら通るのがやっとのその道を行き来するのは屋敷の住人と郵便配達員くらいなものだった。
到着すると建物や周囲を一瞥したファリードはドアノッカーを叩いた。しばらく待ったが住人が出てくる気配はなかった。
「不在でしょうか……」ファリードは呟きながらドアノブに手をかけた。カギはかかっていなかった。
「街中ではないとはいえ、少し不用心ですね」
少し開いたドアの隙間から慎重に中の様子をうかがった。それからファリードは少し困り顔でため息をつくと、上着下のホルスターから小型拳銃を取出した。それは軍・警察組織なども含めて必要がある政府機関職員の各自に支給される標準的な代物であった。三十二口径で装弾数は八発、残弾がゼロになるとスライドが後退した状態で止まり、弾倉を取り換えると自動で弾を装填してくれる仕組みだった。さらに初弾を装填した状態でも安全に携行できるダブルアクションを備え、ホルスターから抜きやすい直線と曲線をうまく組み合わせた形状をしていた。もちろん局のほうとしては、状況に合わせて自身で選んだものを使用することも許可していた。が、ファリードが銃にこだわりをみせることはなかった。
親指でスライドのセーフティを解除すると、足音を立てずゆっくり屋敷の中へ入って行った。
玄関ホールは貴族の屋敷と比較しても遜色ない作りで、吹き抜けには二階に続く階段がカーブを描いていた。窓のから見える屋敷の裏手には小さな温室があった。ざっとと見て回った一階には来客用と思われるゲストルームの他、書庫や作業場のような部屋があった。そのとき二階の奥の部屋からなにか物音が聞こえたような気がした。
屋敷の暖炉では炎が揺らめき、くべられている薪は小さくパチパチと音を立てて燃えていた。屋敷の住人は、暖炉の近くに置かれた大きくてゆったりとした安楽椅子でうたた寝をしていた。凛々しい顔立ちだけをみると美男子とも思えたが、服装、それから僅かにふくよかな胸元、手入れの行き届いた赤い長髪から女性であることが見てとれた。寝息をたてている彼女の傍のテーブルには書籍が一冊とペンや紙がやや乱雑に置かれていた。
彼女は気配に気づいたのか目を覚ました。ファリードの姿を一瞥すると、彼女は素早くテーブルの下に手を伸ばして何か取出した。それと共に小さな金属音が響いた。彼女の右手に握られていたのは大型のリボルバーだった。撃鉄は起きていた。
「けったいな銃ですね……」マルティグラは思わず呟いた。
マルティグラは仕事柄、銃を突きつけられてもすぐには動じなかった。むしろ彼女の手にした銃がどんなものか観察する余裕はあった。大陸で使用されている銃火器に関しては浅くはあれど広い知識を有していたが、それでも目の前にある銃には多少なりとも驚かされていた。彼女が手にしていたのは帝政時代に開発されたリボルバーだった。現在でこそ金属薬莢は当たり前の存在だが、当時はシリンダーに火薬と弾頭を直接込めるパーカッション式と呼ばれるものがほとんどだった。しかし、今注目すべき点はそこではなかった。装弾数とシリンダーの軸。リボルバーは今でも六発か五発が一般的である。これは九発で、しかもシリンダー軸は径が大きく散弾を発射できる銃身になっていた。当時、前線にいた士官たちが好んで持ち歩いていた理由がよく分かる。これほど頼もしいリボルバー拳銃はほかになかった。もしこの距離で散弾銃身から弾丸が発射されたならば確実に死ぬなとファリードは思った。
「貴殿は何者だ?」彼女は淡々とした、それでいて強さを感じる口調で言った。
「これはご無礼を、失礼しました」そう言いながら銃をゆっくりとした動作で仕舞い、両手を見せながら「ご在宅のようでしたね。申し遅れました。私はファリード・マルティグラ。パラムレブ連邦のとある政府機関のエージェントです」と言った。
「そうか。マルティグラ君、それで君の目的はなんだ?」彼女の方は銃を構えたまま、落ち着いた様子で言った。
「一言では説明しかねますね。少なくとも敵ではないことは強調しておきましょう。それより、お伺いしたいのですが……貴女はトレス・レペンスでお間違いはないでしょうか?」
「銃を向けられているというのに、なかなか君は肝が座っているね」彼女は嘲るように言った。「まあ、たしかにその通り。私はトレス・レペンスだよ」
彼女はため息をつくと、硬かった表情を少し緩めたようだった。
「どうも敵意を持っていないのは確かなようだね」それから彼女は銃をテーブルの下に仕舞い、椅子に座りなおした。
「まあ、そこに座ってくれたまえ」
「なかなか……説得に時間がかかるかと思いましたよ」ファリードはテーブルをはさんだ向かい側の椅子に座った。
「もしも、君の目的が殺しだったなら、もう私は死んでいるはずだ。そうでないということは、殺すのが第一目的ではないと推測できる。それに、私にだって多少は人を見る目と言うものがある」冗談ぽっい笑みを見せながら言った。
「かなり聡明な思考ですね」
「なに、多少本をよんでいるだけのこと。それにしても、なぜ銃を構えたりして入って来た?」
「いえ、訪ねてきたときに返事はありませんし、玄関のドアにカギがかかっていなかったものですから、不測の事態を思っただけのことです」
彼女はそれでも怪訝そうな顔を浮かべていた。
「まあ、何はともあれ撃ち合いにならなくてよかったですよ」
「そうだね。加えて君の顔が気の抜けたような表情でよかった。でなければ今頃私は撃ち殺していたとこだよ」
彼女は笑いもせずにそう言った。ファリードはそれが冗談なのかどうか判断しかねた。




