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トレギシェ村駐屯地への攻撃を受け、さらに飛行船の爆撃部隊が敗北をしても連邦のメディアは別の事柄を大きく報じていた。
“各地でセ国陸軍部隊を撃破”
これは各地での陸軍の一斉反攻の結果だった。これはプロパガンダも含まれるがおおよそにおいては事実であった。ただし、トレギシェ村での戦闘については国民にはもとより軍内部でも情報は統制されていた。もちろん士気に影響すると考えられたためだった。しかしながら、もともとトレギシェ村を含むエスペランザ地方を除いた地域での戦闘は連邦がかなり優位であったことは事実だった。それに加えてエスペランザ地方に資源があるとはいえ、そのほとんどは無人地帯であるがゆえに政府や軍部にとって重要性は軽く見られていた。ともかく、国境沿いのほとんどの地域で一斉反攻に転じ、セトハウサ軍の地上部隊はもともとの国境あたりまで撤退を強いられた。一部では壊滅に近い被害を被った部隊もあった。
そのような中だったが、セトハウサ国も相当の抵抗を見せていた。連邦軍は徹底的にセトハウサ軍を追撃する計画であったが、途中からその侵攻の速度は鈍った。セトハウサ軍は撤退と同時に部隊を再編して国境沿いで守備体勢を整えていた。各地での速やかな撤退は相手を油断させる巧妙な作戦だった。さらには、同時に各地の工場では兵器生産を急がせていた。連邦の軍部が思っているほどセトハウサ軍は手負いの状態ではなかった。
それに国内では各メディアが
“連邦政府、和平提案を受け入れず”
“空軍、連邦の爆撃飛行船を撃墜す”
といったプロパガンダや士気を促すような報道が盛んに流されており、国民も決して嫌戦ムードではなかった。
しかしながら、国境沿いで連邦軍の侵攻が止まると双方の部隊のにらみ合いが始まった。連邦の飛行船は迎撃を恐れたためか再び現れることもなかった。実際、戦闘機によって撃墜された事実は連邦政府と軍部はもちろんのこと報道されてからは国民にとっても相当な心理的ショックになっていた。また、トレギシェ村での戦闘結果を受けて、再び地上部隊の戦闘が始まれば甚大な被害は免れないだろうとの分析結果も出されていた。一方のセトハウサも守備体制を整えたとはいえ、兵士たちの疲労は限界に近づいている上、追加の兵器生産も限界に近づきつつあった。
そして両国に共通したさらなる深刻な問題も発生していた。それは国家予算であった。これまでの両国が軍に投じた予算は莫大であり、戦争終結後のことも視野に入れるとこちらはすでに限度をとうに超えていた。
国境沿いでの睨み合いはさらに数日続いたが。小競り合いも起きなかった。そして状況をまるで見計らったかのようにセトハウサとの友好国であるエテク共和国およびボズロジデニア共和国、パ連邦とつながりの深いノートラール国による三国仲介が行われることとなった。
さらに数日が経ったある日、ラレイユ大陸の各国メディアは次のように報じた。
“連邦とセ国 停戦への進展”
これにより長く続いた戦闘がひと段落し、停戦への道が選ばれたのであった。




