2.1
トレスは無事に退院できるまでに回復した。トラウマという心の傷はそのままに……。
トレスが街の病院に入院している間、世論は大きく動いていた。セトハウサ軍が連邦の市民に危害を加えたという情報はメディアが過大解釈も加わえたため、政府がある決断を迫られることになるまでに事態はなっていた。
当時、戦況は小康状態が続き、メディアは過激なニュースに飢えていた。世論も比較的落ち着きを取り戻しており、状況は和平交渉に移るだろうという声も聞かれていた。そんなか、トレスの件でトレギシェ村の騒動が記者の耳に入ることは造作なかった。メディアが報道を伝えるうちに過剰な解釈をくわえられて連邦全土に伝えれらていった。
“南部の寒村をセトハウサ軍が襲撃”
“罪のない民間人が銃弾に倒れる”
新聞には過激な見出しが並んだ。ラジオ放送はこの話題で持ちきりだった。中にはまるで村一つが無くなったかのような内容の報道も散見していた。あとあとにしてみれば大げさどころかフェイクニュースもいいところだったが……。とにかく、徹底反攻を唱える強硬派にとっては、反攻に転じるためだけの理由が出来ればそれで十分だったのだ。
強硬派は勢いを取り戻し、融和派はすっかり鳴りをひそめることとなった。厭戦ムードが漂いつつあった連邦内の世論は一気に反転した。セトハウサに強力な一撃を加えるべきとの声が高まった。これにより連邦政府と軍部は何らかの行動を起こすことを迫られた。もちろん政府内にはこれを又とない機会だと考える人達も少なからずいた。軍の大部隊を派遣する十分な理由になった。この事件から一年も経たずして、連邦政府はエスペランザ地方の奪還政策に舵を切らざるをえなかった。
再びトレギシェ村に軍隊の姿が現れた。もちろん連邦の国防軍だった。装備はピカピカの新品、整った身なり、兵士や士官たちの表情は凛々しく、若くていかにも頼もしそうな風であった。ただ、その様子をクーンハイトだけは気難しそうな様子で伺っていた。
さらには、村人や世論には秘匿されていたが最新鋭兵器である戦車――現場の兵士たちは単に装甲戦闘車両と呼んでいた――も幾両か運び込まれてた。とは言えトラクターに装甲を施して大口径の機関銃を乗せた様なものだったが、歩兵相手や塹壕突破には十分に威力を発揮するだろうと軍部は見込んでいた。
一方のセトハウサ政府もこの事態を見過ごすわけがなく、連邦に抗議するとともに国内外に声明を出した。
「パ連邦で騒がれているニュースは事実無根である。我がセトハウサ軍が民間人に対して攻撃を行なった事実はない。それに現在、和平交渉に向けた協議が始まろうかというなか、そのような事実に基づかない事案によって状況を悪くすることは非常に好まざることである。しかし連邦政府がこのまま進軍を進めるなら我々も対処せざるおえないことも付け加える」
もっとも連邦政府はその声明を取るに足らない口だけの反攻と思っていた。事実、連邦軍の反攻作戦がいざ始まってみると順調に進んだ。セトハウサ軍は勝てる見込みない地域での戦闘を放棄、各地で部隊を撤退させた。それによって連邦政府や軍部はセトハウサ軍はすでに手負いの状態だと考えるのは当然のなりゆきだった。




