<遺影にクラリネット:交の場合>
出不精の自分に再び楽器を持たせてくれたのは妻だった。
「もう娘も巣立ったんだから、二人でまた学生時代に戻らない?」
裏で話はつけてあったのだろう。妻が所属する吹奏楽団に「見学だけでも」と連れて行かれ、現場に行くと通されたのは後ろの見学席ではなく最前列のクラリネット席。しかもいつのまにメンテナンスをしたのか、20年以上も押入にしまっていたはずのマイ楽器が用意されていた。
こっちが怒っていようが面倒がっていようが、お構いなしなのだ。
最初は渋々、けれど徐々にのめり込み、元来凝り性なせいもあって、いつのまにかクラリネットのパートリーダーになり、今ではコンサートマスターに。
妻はそんな私の性格もよく分かっていたのだろう。何を言っても「まあまあ」とニコニコ笑うばかりだった。
上手く乗せられてばかりだ。
だがそれが幸せだった。
だからこそ、妻を亡くしてしばらくは辛くて何も考えられず
普通に食事をして、寝て、生活をすることすら許されないような気持ちになっていた。
ましてや、音楽や仲間との談笑など、楽しいことをするなんて、
もうこの先ずっとないのだろうと。
そうは言っても、コンサートマスターとして今までどっぷりと吹奏楽団の活動に関わっていたから、
急に立場を放棄することは出来なかった。
この演奏会が終わるまで…
次の演奏会が終わるまで…
後輩達が育つまで…
騙し騙しやっていくうちに、徐々に仲間との会話も戻ってきた。
会話が戻ると、あんなに嫌がっていた「笑顔」すら戻ってくるようになってきた。
辛いは辛い。
今だって妻を亡くした朝のことは思い出したくない。
だけれども、辛いことがある時、最も強く回復する方法は意外なことに
「何かに打ち込んだり」「誰かを助ける」
ことだそうだ。
辛い人=ふさぎこんでいるもの、助けられる存在、
と思っていたので、にわかには受け入れられない考えだった。
けれど、ずっとずっと時間が経った今では、分かる気がする。
人は誰かに存在を認められたり、言葉をかけてもらったり必要とされることで、この世の生に繋ぎ留められているのだと。
日常を送り続けることで、日常に深く根を下ろし、生きていけるのだと。
ふわふわ流れていた気持ちが落ち着いてくると、ようやく思い出と現実の両方を見据えられるようになってきた。
音楽の楽しさも、
大事な人がいない悲しみも、
それでもなお生きていく強さも、
愛する君が教えてくれたものじゃないか。
なあ、君が好きだった音楽を、私はもう少し続けていていいだろうか。
どこかで聴いて、くれてるだろうか。
寂しくないと言えば嘘になるけれど、
今こうやって楽器を持てて、一緒に吹いてくれる誰かが居るのは、きっと幸せなことなのだろう。
人は去っても何かは残る。
そして今日も奏でる。
この瞬間を共有する仲間と共に。




