掌編「魔法の速度」
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男の前に突然、豹が現れた。豹は男に尾を見せて、こちらに来いと案内するのだが、男は迷ってしまった。今は使いの途中で、知らせを彼の仕える主人に持っていかなければならなかったのである。しかし、その豹から醸し出される空気を前にして、男は豹のあとを付けねばならなくなった、そして男は主人のもとには帰らなかったのである。
数日経っても、男が帰ってこないため、主人は家来に男の捜索に出掛けさせた。ただ、家来たちもまた帰らなくなったので、主人は困り果てた。そこにトントンと主人の扉を叩く音が聞こえたので、主人が扉を開けると一人の年老いた魔女が立っていた。
「ごめんください、なにかお困りですか」
「な、なぜ私が困っていることを知っているのだ」
「私は勘づきやすいものなので、あなたの困惑したにおいを感じたまでですよ」
「ほう、そうか。実はこれこれで・・」
と主人は魔女に事情を話したが、魔女は途端に高笑いした。
「ははー。それはとんだお笑い草だよ」
「なんだって、こっちは困っているというのに」
「だって、豹に誘導されて食べられたのだろう、そりゃしょうがないじゃないかい」
「なんだと。なにがしょうがないだ、そのせいで私の仕事には依頼がこなくて商売あがったりだよ」
「いや、すまんね。しかし、私は人の感情までは嗅ぎ取れるものの、何についてかはわかりかねまして、今回は話になりませんでしたね、これで失礼させていただくよ」
「おい、手伝ってくれないのかい」
「食べられたものをどうにもできないね」
「そんな、私はどうしたらいいんだ」
「他のことをすればいいじゃないか、あんたも外に出てあちこち廻るこったね、それじゃあ」
と言って魔女は扉を閉めたのだった。
その魔女は男の困惑ぶりとその内容の違いがあまりに滑稽に思えて可笑しくて中々飛べずに道を歩いていたのだが、そこに家来たちを唆した豹が魔女の前に現れた。
「おやおや、あんたも私を食べるのかい」
豹の頭のなかに魔女の言葉が語りかけてきたため、初めて豹は困惑するのだった。
「お前は俺たちの言葉がわかるのか」
「なにせ、私は魔女だからね、あんたらの言い分は正しいと私も思うよ、さあ私も食べておくれ」
「待て待て、自分から食べてなんて言われると、なんか不気味に感じてしまう」
「なにもありゃしないよ、ほとほと私は生きていることに飽きちまった。全く色々見たりして生きているとろくなことありゃしないよ、仲良くしていた村人たちには疑がわれるし、可愛い子供達はいたけど、もうどうでもいいね」
「おい、お前がどうでもいいなら、俺も生きていることはどうでもいいのか」
「おかしな豹だね、お前さんが生きようが死にようが私には関係ないことだよ、さあ私を食べるならさっさと食っちまうんだよ」
「いやいや、そいつはできない、お前が俺の質問に答えてくれるなら、食ってやろう」
「そうかい、で、なにが知りたいんだい」
「俺が動いていることはどうでもいいのか」
「また、その質問かい、くどいねえ、どうでもいいかどうかはあんた自身が決めることだ、もっともそれが村人達の悩みでもあったがね、自分で決めるってのはどうも臆病でいかんね」
「どうやって俺は決めればよいのだ」
「あんたは今、動いていて飽きやしないかい」
「飽きるだって、俺は毎日、食べ物を探すのに必死でいる、飽きるというよりも疲れているそんだけだ」
「なるほどねえ、あんたは疲れちまったタイプだね。それで、私を引き寄せたそういう話かい」
「なにを言っているのだ」
「いいんだよ、あんたは偉いよね、毎日毎日動いてさ、食うために生きている。大したもんだよ、それが疲れるってか、あんたも飽きちまう私に近づいてきてるね、そしてあんたは自分でこの状態を終わらせちまおうかと望んでいる、どうだい」
「・・ああ。日々、空腹でうんざりしている」
「肉食動物というのは、可哀想なものさ、それでしか食べられないのに、最近は人間がペットを飼うから家畜を盗むのも一苦労、かといって野生動物には他の捕食者と競争しなければならない、大変なもんだよ」
「そんなこと・・誰も労ってくれなかった」
豹は魔女の言葉に動揺してしまった。今まで、孤立していた豹を魔女の言葉が少しばかし解いてくれるからであった。
「だから、あんたはもう続けるのも面倒だとそう感じているんじゃないかい」
「人間はいい。毎日、食べ物にありつける、俺はそれが羨ましい」
「ところがどっこいだよ、私も魔女で食べ物には困っていないけどね、何分長生きしてしまってね、もうどうでもよくなっちまったのさ」
「・・・」
「長生きもそうだけど、色々観ちまうのも怖いもんだよ、信用とはちょっと違うものだと思う、なんだかな、私は初めて生きているのにそれが長すぎる生で、目の前に人が困っていようが、所詮うつろうものなんてどうでもよく思っちまっている、おまえさんも人間を食べるしね、私が解決しようが、その人をお前さん食べちゃうだろう」
「なにがいけないんだ、俺は食べることで生かされているんだ。生きる為には食べなきゃならん、俺はいつの頃からか他の豹よりも食通になって、人を食べるようになった、そんだけのことだ」
「そうだよ、あんたは間違っていないと思うんだよ。だけど、その間違っていない行為の結果に私が手伝った人が食べられるっていうんだから、それはもう惨めでしょうがないよ、やっていられないね」
「じゃあ、助けないようにすればいいんじゃないか」
「わかっていないね、私は魔女だけど、生きるにはなにかしら人間の共同体のなかで暮らさなきゃならん、そしたら生きる手段ってのがあるだろう、私はこの性質を生かすために手伝っているようなもんだよ。いや、話が逸れちまったね、あんたが変なこと聞くから。別に私はあんたに人を食うのを止めろとは言ったりしないよ、話題になっている殺人鬼に比べればあんたのは立派な生存行為さ。だけどね、私はどうすりゃいいんだい、私の仕事がなくなっちまうよ」
魔女は豹の前で、感情が高ぶりおめおめと泣いてしまった。豹は尾っぽで魔女の顔を拭った。その毛並みは他の豹と変わらずふかふかしていた。
「あんたの言葉で事情がはっきりわかった。あんたは俺が食べてきた人間を助けたことに悔んでいるのか」
「ひっく、そ、そんなことあるもんかい。人間は助け合いがお似合いってもんさね」
「じゃあ、その人間が食べられることのなにがあんたを悲しませるのだ」
「だって、人間は卑屈だが皆、生きることを諦めはしないんだ。わかっているよ、あんたが正しいことは。でも、私は人間に似ているからね、やっぱりそれで食われちまうのは悲しいんだよ」
「じゃあ、お前はなぜ、俺を殺さないのだ。魔法で操作しちまえばいいだろう」
「殺したくてもそうできない理由ってのが私にはあるんだよ、私は魔女だ、人間の心も通い合って、そうではないものたちの心も知り取ってしまう。結局何が理想の状態なんてわかるわけない。大体、人間も誰かに食べられなければ、必死になれないかと長く生きてきて思っているんだよ」
「・・・」
豹は魔女の身体に寄り添い細長い体で彼女を囲った。
「なんだっていうんだい」
「お前が感じてきたことまで俺に伝わってきた。俺はどうなるかわからないけど、お前の方が相当疲れている、そんな気がしている」
「そうかい、じゃあ食べちまうのかい」
「そうもできる。だけど、お前が私の感情を知っているなら、それが不本意であることもわかるはずだろう」
「別にお前に食べられなくてもいいからね、無理にお前をこれ以上疲れさせるのはやめておく」
「残念だ、なにもかも残念だ」
「おかしな豹だね」
豹が魔女から身体を離すと、魔女は箒を呼び出して、飛んで行った。豹は彼女が飛んでいく方をなぜかわからぬが追い掛けていた。獣の豹より魔女の長く生きてきた上で熟練した魔法の速度は格段に速かった。そのうち、魔女の行方を豹は見失った。