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天ノ音

作者: sugar

                     「1」



1月も半ばに差し掛かったある日、私、親園咲希は悩んでいた。

まぁ、うら若き女子高生には悩みが付き物なのだけど、どうやら今回はそう簡単に解決できそうもない。


「咲希ー、帰るよー」

「んー、私まだ残ってるよ」


友人からの声にも上の空。


「わかった。じゃ、また明日ね」


教室から段々に遠ざかる友人達は、もうすぐ来る乙女の戦争をどんな武器で戦い抜くかを討論しているようだ。ケーキやら、ガナッシュやら、とても甘そうな武器を使用する戦争。料理が苦手な私には、一寸も関係ない話だけど。

そもそも、そんな戦争のことを考えられるほど今の私には容量が足りなかった。

原因を作ったのは、まぁ、私なのだけど。


時刻は、4時15分にあと3分ほどで差し掛かろうとしていた。夕陽は徐々に傾きはじめ、教室に延びる影が少しずつ薄暗くなってきた。

ぼんやりと時計を見ていた私は、予想以上に時間が過ぎていたことに気付き、支度を整える。別に帰る訳じゃないのだけど、約束の時間に間に合わない可能性が出たからだ。

教室を慌ただしく後にして、昇降口に背を向け、階段を駆ける。

数年前から増改築を繰り返すこの青風高校は、外面だけに囚われすぎて内装の改築が一向に進んでいない。故に階段が急で、あちこちでこぼこしてるので昇るのに苦労する。しかも三階建て。

息も絶え絶えに、三階の引き戸前までたどり着く。

小説や、漫画の世界では、屋上への立ち入りが制限されている・・・何て言うのは結構ベターだけど、この学校は違う。

屋上は、私の目の前にある薄っぺらい窓ガラスがはめ込まれた引き戸を隔てた向こう側で、施錠もされていなければ、机や椅子のバリケードも、重厚感溢れる鉄製の扉も無く、誰でも立ち入りが出来る。流石築100年は伊達じゃない。


引き戸は立て付けが悪く、アルミ製の枠を軽く蹴らないと上手く開かないので、いつものように絶妙な力加減で枠を蹴る。かれこれ二ヶ月以上屋上に通っているので、この行為は造作もない。

しかし、ここからが鬼門で、出せる限りの力で思い切り開け放たないと、耳に障る金属音のせいで気持ちが悪くなってしまう。

一呼吸おいて、引き戸に手をかける。

勢いがついた引き戸はガタンと音をたてて開いたが、反動で半分ほど戻ってしまった。

隙間に体を横にしてすり抜けた私を、冬の風が包み込み容赦なく体温を奪う。手を擦り合わせてはみたもののちっとも温かくならない。

少し悩んで、仕方なく手をカーディガンの裾に覆ってしまおうと思ったけど、こんなことをするキャラではないので、もたつき具合に目も当てられない。


「なにしてるの?」

「ひゃぁ!」


必死に裾を引っ張り出していた私の横から、にゅっと顔を覗かせる一人の男の子。私の好きな人。

集中しすぎていたせいで彼の存在に全く気付かなかった私は、情けない悲鳴を上げてしまった。こんな声が出ることにも驚いたけれど。


「カーディガン、そんなに引っ張ったら延びちゃうよ?」


せっかく覆った右手と中途半端だった左手を彼は引っ張りだし、すっぽりと両手で包む。やっぱり、男の人の手だ。とても大きくて、温かい。そして凄く恥ずかしい。なんで彼は何の躊躇もなくこんなことが出来るのだろう。

彼は、私より15センチくらい身長が高く、高校生でも中々の身長で、大体175位だろうか。

ほんわかした性格で、体格に似合わない料理好き(らしい)。長く伸びた睫毛、茶色の混じった癖っ毛は愛らしく、沈みかけている夕陽を含んでキラキラと輝いていた。


「ありがとう、薄葉君」


照れながら、精一杯振り絞った言葉だったけど、彼は何処か不満げな表情だ。


「和人でいいよ、親園さん。苗字で呼ばれるのそんなに好きじゃないし」


そう言う彼の言葉には、矛盾がたっぷり詰まっていて、彼は「和人君」と呼んで欲しいのに、私の事は「薄葉さん」と呼ぶのだ。理由はわかっているのだけど。


「じゃぁ、私の事も咲希って呼んでよ、薄葉君。手を握れるんなら簡単だよ、きっと」


意地悪な私の問に、深刻そうに悩む彼。その両手には、私の手が未だに収まったままだ。胸をつくような冷たい風は、徐々に欠けていく夕陽に比例するように増していくが、私の両手だけは温かい。


「親園さんは意地悪だ」


暫く唸っていた彼は、そう言うと少年のような顔を見せ、少し口を膨らませる。私は、そんな彼を可愛く思ったのと同時に、もっと意地悪をしたくなってきた。




                    「2」


名前の問答は暫く続いたが、いい加減本題に入らないと暗くなってしまうことに気付いた私は、名残惜しくもあったけど彼の手から両手を引き抜いた。


「薄葉君って、以外に女誑しだよね」

「急にどうしたの?」

「だって、いくら寒いからって簡単に女の子の手、握っちゃうんだもん」


恥ずかしさを紛らわそうと、心にも無いことを言ってしまう。いや、「心にも無い」は間違いかな。少しは、ほんの少しはそんな風にも考えた。


「えっ、あぁ、ごめん!寒そうだったからつい・・・」


何故そこで赤面するのだろうか。非常にタイミングがずれている。

彼の手を握る行為は、女誑しでも計算でもなく、ただ混じりけなく「寒そうだった」からと言う素晴らしいほどの天然な理由だった。ここまでくると、寧ろ清々しいけれど少し寂しくもあった。だって、寒そうにしていたら手をとって温めてくれる彼は、私じゃなくてもそうしてくれあげるに違いないのだ。そうだ、そうに違いない。


「私の方こそごめんなさい。ちょっと意地悪が過ぎたよね」

「いや、僕こそごめん」


妙な沈黙が流れていたけど、その沈黙を貫くように一迅の風が吹いた。

寒さに負けたのか、彼は口を開く。


「やっぱり、寒いね。今日は、やめとこうか?」

「嫌。わざわざ寒いのにここまで来ているんだから、聴かせてよ」


ちょっと不機嫌な顔を見せる私を、嫌がる素振りひとつ見せずに彼は微笑んだ。


「風邪引いちゃうかもだから、少しだけ」


そう言うと彼の口から綺麗な歌声が響き渡り、私の居る空間を包み込んだ。

流行りの歌ではなく彼作詞の曲でとても悲しげだけど、何処か温かい愛に満ち溢れていた。

私が、ここに通い続ける理由は、この歌声だった。それまでは、彼の事を知らなかったし、すれ違ってもきっと平然にしていたと思う。


出会いは偶然で、授業の後片付けを先生に頼まれ渋々3階の準備教室で整理をしていた時に、この声がたまたま耳に入ったのだ。

歌声に導かれるように歩き出していた私は、この屋上にたどり着いていた。その先には彼がいて、歌い終わるまで隠れて見ていたのも今になっては懐かしい話。

最後まで隠れていれば良かったのに、不意に私の名前が彼の口から出たものだから思わずびっくりして返事をしてしまった。そんなこともあったんだよね。

結局「さき」違いだったし。


それが、私と彼との出会い。

この歌声を知っている、「二人目のさき」だった。


歌い終わった彼に、私は精一杯の拍手を贈る。スタンディングオベイションだ。コンクリートの床は冷たかったから、立ちっぱなしだったしちょっと違うかな。


「やっぱり凄いね、薄葉君は」


何を話すわけでもなく、彼は沈みかけた夕陽を見つめていた。私の声は届いていないみたい。


「僕の声は、天まで届いたかな」


さっきまでの優しい口調は影を潜め、彼の後ろ姿はとても悲しみに溢れて、私はただただ黙る事しか出来なかった。

夕陽は沈みきり、彼の影はコンクリートの床と同化してしまいそうになっていた。



                    「3」


「ごめんね、遅くなっちゃって。暗くなっちゃったから送るよ」

「ううん、大丈夫。」

「そっか。でも方角一緒だし、途中まで送るよ」


しんと静まり返った校舎には灯りがほとんどない、部活動に勤しんでいた生徒たちの声もなく閑散としていた。なんとなく、二人の世界になったみたいで、ほんの少し嬉しい。

学校を後にした私たちは街灯と、少しだけ輪郭が現れてきた月に照らされながら歩く。なかなか会話を切り出せないでいた私を気遣ったのか、彼は話題をふってくれた。


「寒いね」

「うん、お鍋とか食べたいなぁ。今夜のメニューはなんだろう」

「いいね、鍋。すき焼きとか食べたい」

「えっ、すき焼きって鍋なの?」

「鍋だよ? 確かに、すき焼き鍋ってはあまり言わないけど」


それから色々な話をした。最近聴いた音楽とか、自分のクラスのこと・・・私の知らない早姫ちゃんのことも。同じ名前なのに、彼の言う「早姫」の熱量に胸が締め付けられた。私も呼ばれたいと思うのはワガママだとわかっているけど、それでも辛かった。


先ほどより輪郭がくっきり映し出された月、その明かりの下で二つの影が綺麗に投影されていた。並んで歩いていた私は歩幅を少しずつずらして後ろに下がり、投影された彼の手に私の手を重ねた。


(気付いて無いかもしれないけど、薄葉君と手を繋いでるんだよ)


くっきりと映し出された私たちの手は、ぎこちなく重なっていた。傍から見たら、空虚だけど今はこれで充分。


「ごめん、歩くの早かった?」

「ううん、大丈夫」


急に振り向かれたものだから、咄嗟に手を引いてしまった。別に直接手を握ろうとしていたわけでもないのに、何を慌ててるんだろう、私。何を遠慮してるんだろ、私。

暫く歩くと、大きくカーブしている上り坂と、住宅街へ続く分かれ道に着いていた。勿論、こっそり影の手を握っていた。


「今日はごめんね。遅くなっちゃて」

「大丈夫、私の方こそごめんね。早姫ちゃんも待たせちゃったよね」

「多分怒ってるかも」


無理に作った彼の笑顔に、なんて言葉をかけていいのか分からない。


「そっか。じゃあ早く行ってあげなきゃ」


絞り出した言葉は、なんともありふれたものだった。


「うん、ごめんね、最後まで送ってあげられなくて」

「気にしないで。じゃあ、また来週」

「うん、またね」


別れの言葉が凄く名残惜しかった。

私は、彼の後姿が見えなくなるまで坂の下に立ち尽くし、ふと空を見上げる。

二人を追いかけていた月は夜道を、私を照らし、様々な物の境界をはっきりと映しだして、きらきらと美しく輝いていた。

私と私の手は、感覚的に握っていた彼の手を思い出していた。


                    「4」


一月ももう終わりに差し掛かっていたあるお昼休み、私と彼は肩を並べて昼食を摂っていた。

今日は風もなく、屋上に降り注ぐ陽光からは春の匂いさえ感じられるくらい穏やかで、とても暖かい。


「今日は暖かいね。昼寝するにはもってこいだよ」


ハムサンドを片手に、慎ましい欠伸をする彼。


「うん。一年中このくらい暖かかったらいいのに」

「うーん、僕は四季が移ろうの結構好きだからなぁ。あっ、でも夏は苦手かな」

「私も暑すぎるの嫌かも」


友達より親密で、恋人と言うには些かぎこちない会話は、今日の陽気みたいに曖昧だけれど何故か居心地が良かった。


「それにしても、本当にお料理できたんだね、薄葉君」


目の前に広げられたランチボックスの中には、綺麗に揃えられたサンドイッチ、黄色を通り越して金色にも見えてくる卵焼きにプチトマト、一口サイズに整えられたハンバーグと見た目も綺麗で、普通にお金を取って売れるくらいだった。疑っていた訳ではないのだけど、ここまで上手いとは思っていなかった。


「料理、結構好きでさ。でも、なんで知ってたの?」

「前にね、薄葉君のクラスメイトが話していたの聞いたことがあったの」

「そうなんだ。なんか照れるな」

「羨ましいな。私、お料理てんで駄目でさ、この前なんかホットケーキ作ってたつもりがいつの間にか凄く甘い厚焼き卵みたいになってて、悲しくなったし」

「お菓子作りは、料理より難しいからね。多分、焼くときにプレートの温度が少し冷たかったのかも」

「そうなんだ、知らなかった。温度も重要なんだね」


ベジタブルサンドに手を伸ばし、口に運び感心しながら彼の話に耳を傾けていた。


「けど、なんでこんなに量あるの?」


明らかに二人分位あって、一人で食べるには量が多い。


「妹がさ、彼氏ができたからって朝からお弁当作ってて、昨日用意していた食材余っちゃたんだよね。だから、親園さんを誘ってお昼一緒に食べようと思って持ってきたんだよ」

「妹さんのお弁当も作ってるんだね。・・・妹さんに彼氏かぁ、お兄ちゃんとして心配じゃない?」

「いいや。若いんだから、沢山恋をした方がいいよ」

「薄葉君も若いじゃない」


彼は笑いながら話しているけれど、私は笑えなかった。

会話の振り方を模索していた私に気付いたのかどうかは解らなかったけれど、彼が話題を振ってくれる。


「親園さんも好きな人居るのかな?」

「いきなりどうしたの?」

「だって、毎日と言っていいほど僕と居るからさ。なんだか申し訳なくって」


会話の振り方があまりにも急角度過ぎて、声が少し上ずってしまう。言えるわけないじゃない。あなたのことが、声が、性格が全部好きです・・・なんかさ。

それにしても、こんなに一緒にいるのだから少しくらい私の想いに気付いてくれてもいいんではなかろうかと思ってしまう。

そんなことを考えていると無性に腹が立ってきた。それと同時に、私の悪い口がまた悪戯をしてしまう。


「早姫ちゃんって、凄い寛容だったんだね。いい彼女さんだよ本当に」

「え?」


彼の間の抜けた返しと同時に、私は口を手で覆った。

またやってしまった。そう思う頃には、いつも手遅れなのだ。

感情の起伏が激しい私は、言わなくてもいい余計なことまで言ってしまう癖がある。ここまで来ると、癖なんて言う可愛いものじゃなくて、もはや病気だ。たちの悪い病気。おかげで、友達も少ないし、まともに話せる男子も薄葉君くらいなものだ。だから、彼の前では良い女の子で居たかったのに。


「ごめんね。気分悪くしたよね・・・」

「ううん、気にしてないよ。それに、早姫とは付き合ってなかったからさ」

「えっ・・・。はい・・・?」


いきなりの告白に、私の脳が理解するのに時間が掛かった。



                    「5」

衝撃的なお昼休みが過ぎ、5限目は数学だった。

苦手な科目のせいで、先生の話がお経に聴こえるし、黒板に書かれている数式はこの世にあることを疑いたくなるようなものばかりだ。いつもの事だけど、今日はより内容が入ってこない。

「付き合ってなかった」そう言った彼が原因なのは、言うまでもない。「付き合ってた」と過去形になるのは分かるけど、そもそも付き合ってないなんて驚愕で想像も出来なかった。だって、早姫ちゃんの事を話す彼はとても嬉しそうで、幸せそうだったからてっきり両想いで付き合っていたものだとばかり思っていたのに。

教室に響くペンの音、たっぷりと降り注ぐ陽光。いつもなら睡魔が襲ってきてもおかしくないのに、余計な悩みが増えたせいで目はぱっちりと冴えていた。


「ここはテストに出すから、ちゃんと復習しておくように」


先生の言葉が耳に入り、ふと時計を見る。すでに45分も経っていて、授業も後5分で終わりを迎えようとしていた。そんな月曜日の昼下がり。

往々にして月曜日は憂鬱で時間の進み具合が遅いものだ。そう言う私も月曜日は苦手だけれど、お昼の件が有ってからやたらに時間が進むのが早かった。

終業のチャイムと共に、クラスメイト達は思い思いの休み時間を過ごしている。読書をする人、放課後の予定をたてる人達、二週間と少しに迫った乙女達の戦争について作戦会議をする女の子達、それを聴いて明らかにそわそわしている男の子達と様々だけど、私は何をするわけでもなく時間という流れに身を任せて、只々ぼんやりと窓の外を眺めていた。

清風高校は小高い丘の上に建っていて、2階の教室からは街を一望できる。

春には満開の桜が舞い散り、夏には新緑が眩しく輝く。秋には落ち葉が山を成し、冬には銀世界とまではいかないけど、雪が降る。今年は、暖冬って言われてるから雪には期待できそうにないのは残念だ。


あっという間に休み時間も6限目も終わり私は、いつもより早く屋上に向かった。いつも彼を待たせるのも悪いし、それに早めに行って彼に会う予行練習をしないと上手く話せそうにないし。

扉の前に来たのは良いけど、見慣れない紙が貼ってあった。


「屋上整備中につき、立ち入り禁止」


業者の人達が慌ただしく動いている。そういえば、朝からそんな風貌の人たちとすれ違っていたのを思い出し、また改築するんだななんてぼんやり考えていたけど、屋上だとは知る由もなかった。お昼休みには居なかったのに。

立ち尽くす私を、業者の人が目の端に留める。その仕草に、邪魔をしないでくれという意図があることを察した私は仕方なく引き返そうとしたけど、彼が来るかもしれないと思い階段の端に腰かけて待つことにした。

スカートに皺が入らないように気を付けて座ると、2階から3階へ通じる踊り場に柔らかな夕陽が射し込んでいる。まるで、踊り子を照らすスポットライトのようだ。ガラス窓の向こう側は、散り散りに浮かんでいる雲を掠めるかのように夕陽が射して、なんだか幻想的な風景だった。

昼間の陽光を含んだ校舎内はまだ暖かく、色々と考え疲れていた私は、うとうとしてしまう。

いつの間にか眠ってしまっていた私は、背中に少し重みを感じ目が覚めた。

 

「これ、男子のブレザー?」


濃紺のブレザーは、陽光の匂いを含んでいてどこかで感じた香りがした。


「おはよう親園さん」

「えっ、薄葉君・・・なんで」

「気持ち良さそうに寝てたから起こすのも悪いと思ってね」


2階から上がってくる彼の背中には夕陽が射し、いつもより笑顔が輝いているように見える。無造作に私の隣に腰かけた彼のワイシャツは、すこし縒れていて男の子らしかった。

ワイシャツの間からはしなやかで艶のある肌がのぞくけど、所々骨が浮き出ている。


「これ、ありがとう」


予行練習する間もなかったから上手く話せるか心配だったけど、何とか絞り出すように言うことはできた。


「ん、寒くなかった?」

「大丈夫」


陽光と匂いと、彼の匂いを含んだブレザーを名残惜しくも彼に返した。

それから何を話すわけでもなく只々沈黙が包んだけど、居心地は悪くなかった。彼も、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

数分後くらいだろうか、彼は嬉しそうに言った。


「あ、あの雲ウサギみたい」


無邪気にはしゃぐ子供の様に、雲を指さしている。

窓の外を見ると、確かにウサギ型の雲が悠然と浮かんでいて、その周りにはウサギ型の雲を包むようにオレンジ色の薄雲が浮かぶ。


「早姫が、浮かんでる雲を色んな物に例えて言うのが癖でさ、僕もいつの間にか染みついちゃって」


満面の笑みを浮かべる彼と、彼の言葉に胸がチクチクする。

なんでそんな顔が出来るのか、なんでそんなに嬉しそうなのか。

なんで、なんで・・・


「早姫ちゃんは、もう居ないのに」


私の口は、また余計なことを言ってしまっていた。



                    「6」

彼が早姫ちゃんと出会ったのは、中学2年の2月1日だったらしい。クラス替えでたまたま一緒になった彼女に惹かれてしまったのだ。いわゆる、一目惚れってやつだ。

そう言った彼が、2年前に撮った写真を見せてくれた。

腰の中心まで伸びた黒髪はまるで人形みたいになびき、肌は雪みたいに真っ白で透き通っていた。目元は垂れ気味で、優しい笑顔の似合う女の子という印象。正直、女の子としては負けを認めざるおえなかった。

面倒くさがりな私は、髪も短く纏めて、写真写りも悪くて、いつもぎこちない笑顔を浮かべている写真ばかり。目元なんて、彼女みたいに垂れ目で愛らしい感じじゃない。比較するのさえなんだか悪い気さえしてしまう。

そんな彼女も、彼と出会った頃は全く笑わないし、感情らしい感情を表に出さない女の子だった。

小さいころに両親を亡くし、親戚中をたらい回しにされ、挙句の果てにその親戚達から暴言やら暴力を浴びせられ、心身共に憔悴し、自分という存在を否定するあまりに感情を押し殺して生きるようになっていたらしい。彼はそんな儚げな彼女と話すうち、どうやったら笑わせることが出来るんだろうと、そればかり考えるようになっていた。

そんなある日、教室の隅の席で何かを真剣に書いている彼女に声をかけたのが本当の彼女を知るきっかけになる。

そこには、書いては消してを繰りかえされ少し黒ずんでいるノートにびっしりと書き連ねた詩があった。


彼が

「僕の声は、天に届いてるかな」といつも言うのは、今は亡き彼女を思って言っていたんだと思う。

彼が、歌うようになったのはそんな彼女の、作詞家になりたいと言う夢の応援と、只々彼女を笑顔にしたい一心で出た彼の優しさが紡いだものだった。

日々を重ねる内に、少しずつではあるけど彼女に笑顔が戻っていった。

けど、別れはと言うものは突然、音も無くやって来る。

2月14日、彼女の真っ白な肌は真っ赤なインクで塗りつぶされ、綺麗な黒髪は乱され地面に横たわり、やっと日の射した顔は原型を留めないほどの有様だった。呼吸もなく、飛び散った赤いインクからは甘酸っぱい匂いが立ち込めた。

死因は、自動車を運転していた人の前方不注意が原因だった。彼は事故が起こる現場に居合わせ、彼女が跳ね飛ばされる寸前まで隣で温度を感じていたのだ。

彼が伸ばしていた手は虚空を彷徨い、取れない手を探した。

人の不条理で虐げられても頑張った彼女は、またその不条理に虐げられ挙句命まで奪われてしまった。

現実を直視してしまった彼は、横たわる彼女をただ抱きしめた。

好きだということも愛しているということも言えず、永遠に握れない手の温度を感じることさえも叶うことは無い。そんな不条理に彼は、只々涙を流していたに違いない。

そうして彼の初恋は、1年と少しで幕を閉じた。

 

彼女とのそれまでを話してくれた彼の横顔を、私は見ることが出来なかった。


「2月14日、僕は居ないから」


そう言い残した彼は、階段を下って行った。振り返ることもせずに。




                    「7」

私は今日も、屋上に向かうことなく岐路についていた。


「2月14日、僕は居ないから」


14日どころか、ここ2週間屋上に彼が来ることは無かった。学校も休んでるみたいで、彼の影はどこにも射してなかった。

何か引っかかる私は、岐路についていたはずなのにふらふらと彷徨いいつの間にか近所にある公園のブランコに腰かける。手には、精一杯の女の子らしさを詰め込みラッピングした箱を持ちながら。


「関係ないって思ってたのにな・・・」


掲げた箱の向こう側は厚い雲に覆われ暖冬と言われていた割に、今日はやけに寒かった。予報では、雨か雪になるみたい。

吐いた息は白く曇り、風に巻かれて空気と同化するのを目で追う。暫くそんな行為を繰り返していると見慣れた長身が目に入った。

心なしか足元がおぼつかない様子の彼は、横断歩道を渡り始めた。歩行者用の信号が点滅し始める。

半分ほど渡ったところで、彼の足はぴたりと止まった。そして、ふと空を仰いでいる。

泣いているように見える。

そこで私は気付いた。胸にあった引っかかりに。彼の言葉の意味に。


「僕は居ない」


ブランコを飛び下りた私は、全力疾走で彼の元に向かった。箱の中身なんてお構いなしだ。いつでも作り直せる。でも、彼・・・和人君という人は直せない。


愛らしく揺れる癖っ毛の 和人君

細かなところに気付いてくれる 和人君

歌が上手い 和人君

料理も上手い 和人君。

ふと寂しい顔をする 和人君

早姫ちゃんのことを嬉しそうに話す 和人君

早姫ちゃんを一途に愛する 和人君

そんな和人君が好きな 私


色んな想いがぐちゃぐちゃに廻る。

道路を見ると、呆然と立ち尽くす和人君の向こうから大型の配送トラックが近付いてくる。


「和人君!!」


大声で叫ぶ。

喉が張り裂けそうになるくらいに。

横断歩道の和人君に気付いたのかトラックのドライバーはブレーキを掛けて減速する。

息も絶え絶えに、横断歩道の端へたどり着いた私は歩行者用の信号が青に変わるのを確認して、彼の元に駆け寄る。


「おい、大丈夫か少年」


トラックから心配そうに降りてきたドライバーは、怪我の有無を確かめるように彼を覗き込む。


「すみません、考え事をしていて・・・。大丈夫です、ちょっと驚いただけなので」


そう力なく答える横顔は怪我もしていないのに痛々しくて、目を背けてしまいたくなる。

人当たりの良さそうなドライバーは怪我をしているのを我慢しているのだと勘繰り、病院まで連れて行ってくれるとのことだったのだが、力ない笑顔で「本当に大丈夫ですから。仕事の邪魔してごめんなさい」と彼は丁重に断る。


「これから多分雪になるだろうから気をつけてな」


そう言ったドライバーは、最後まで私たちを気遣いながらトラックに飛び乗り路肩を後にする。

去り行くトラックに二人で会釈をして、公園へと戻り公園のベンチに腰を掛ける。1人分の隙間を空けて。

普段なら近所の子供達や、世間話をする主婦が散見出来るこの公園だけど、天気が悪いせいも相まって閑散としていた。

木々がザザッと揺れる度に、彼は何か言いたそうにしている。気付いてるけど、私はそれを制して話し始める。


「ねえ、和人君」

「・・・何」


いつもの優しい口調は影を潜める。


「なんであんな嘘ついたの」

「ずっと屋上に行かなかったこと?」


気付いているのか、本当に分かっていないのか解らないけど、彼のその回答に私の中の何かが弾けた。我慢出来ずに口が動いてしまう。ああ、また言ってしまうんだ、余計なこと。でももういいや、遠慮するってことは彼と同じになってしまうから。


「死ぬつもりだったんでしょ。今日[2月14日]・・・早姫ちゃんの一周忌になるこの日に」


芯を付かれたようにビクッと肩を揺らす。そんな彼を目の端に感じるけど、構わず続ける。


「そんなことして、早姫ちゃんは喜ぶと思う?。それに残された家族は、友達はどんなに悲しい思いをすると思う?」


捲し立てるように言葉の雨を彼に浴びせる。

その雨に晒される彼は、今にも泣きそうな口調のなか精一杯の優しさを込めて反論する。


「勘違いだよ。本当に考えごとしてた・・・」


最後まで聞くことなく立ち上がり、彼の頬を全力で叩いた。公園中に響いた音と同時に、大粒の涙が私の頬をつたった。


「いつまで我慢するの・・・?辛いなら、辛いって言ってよ。そこまで思い詰めてたんだったら、気を使わないで泣いてよ。気を使わないで叫んでよ」

「薄葉さん・・・」


ただでさえ可愛くない顔が、涙でぐしゃぐしゃになってもっと酷くなる。でも、今はそんなのどうだっていい。


「確かに、早姫ちゃんみたいに可愛くないよ。でも、分りあうことも、一緒に泣いてあげることも、叫んであげることもできるんだよ。・・・私たちは生きてるんだから」


彼の温度を感じる距離まで詰め寄り、頬を叩いた手で心臓に手をあてる。言いたいことはまだまだあるけど、だんだん纏まらなくなったので諦めた。いつの間にか、雪もちらついてきていた。


「ごめん」

「本当に、和人君は分かってない」


彼の顔に隠れた影を見逃さない。


「じゃあ、どうすればよかったんだ・・・。握れなかった手の温度も、救えなかった早姫の幸せも、好きだと言えなかった僕の心も、どこに置いたらいい」


静かに彼は、自分の心をなぞり口に出す。心の奥にしまい、厳重に鍵をかけた言葉を。頬をつたう涙は、そんな彼の想いの泉が封を開けた証拠だ。


「置かなくていいんだよ。だって、そんな和人君を私は・・・」


小さく小さく言った言葉は、きっと彼には届いてはいない。

彼の肩には、早姫ちゃんがこぼした想いの欠片が積もり始めていた。



                    「8」

回収した箱は、見るも無残な姿に変形していた。


「それ何?」


すっかり落ち着いた私たちは、さっきまでの距離が嘘みたいに肩を並べ帰路に着いていた。


「んー、私には関係ないって思ってたものだよ。見る影もないけどね」

「そっか」


深くは追及してこない彼に、口を膨らませる。

なんかこう、もっと気にして私の心に踏み込んでほしいのに、まだ遠慮している彼にイライラしてしまう。完全な八つ当たりだけど。


「ねえ、寄り道してもいいかな」

「別に良いけど」


彼の言葉に出来るだけ不機嫌に答える。気に留める素振りを見せる彼から、そっぽを向いて。

いつの間にか白く降り積もった想いの欠片は辺りを染め上げ、吐く息はさっきより白みを帯びながらゆらゆらと舞いやがて風にさらわれる。私たち二人の息も楽しそうに遊び、やがて消えていく。

5分ほど歩いただろうか、見慣れた建物が目に入ってきた。


「寄り道って・・・学校?」

「うん、その通り」

「うんって・・・もう学校閉まってるよ」

「大丈夫。秘密の抜け道知ってるから」


人差し指を立てながら私に笑みを向ける彼は、どこか吹っ切れたように見えるけど私はまだ信じられないままでいた。


「これ、非常階段?」

「古い学校だから整備が行き届いて無くて、3階非常口の鍵掛があまくって・・・さ」


3階の非常口はいとも簡単に開いてしまう。

そっと中に入ると、校舎内は静まり返りしんとしていた。先生たちも、雪の影響で早めに帰宅したのだろう、物音一つしない。この空間だけが世界から切り離されているようだ。今度こそ、2人以外に誰もいない。

いつものように屋上に立ち入る。


「暗くなっちゃったから、お互いの顔も分からないね」


多分、いつものような顔で笑ってるんだろう、なんだか呆れてくる。


「ずっとずっと好きだった。愛してる。ずっとずっと」


急に叫んだ彼に、びっくりして肩が弾んでしまう。おそらく空を仰ぎ見ながら叫んだのだ。曇天を裂くような澄んでいる中にも、はっきりとした声で。


「これで、おあいこだね」

「いじわる・・・」


こんなとこまで連れてきて、そんなこと言われたら敗北宣言をせざるおえないじゃない。

うつむく私の耳に、澄んだ声が響く。

優しく、悲しく、甘くて、少しだけ苦いそんな声、歌。


「天ノ音ってタイトルを付けてみたんだ。早姫が作った詩に。でもタイトルが決まる前に居なくなっちゃたからさ」


「天に居る私を覚えていて欲しい もしも君が私を忘れてしまっても 君の音を私は覚えてるから」なんて、ずるい。

無意識だと思うけどそんな歌詞を組み込んだら、彼はずっと早姫ちゃんに縛られたままだ。彼女も彼が好きだったんだ。両想いじゃないそれ。

良い女の子で居たいなんて、そんなこと思ったこともあったけど意味なんかなかった。

よく「心を入れ替える」なんて言うけど、私には入れ替える心なんてない。彼だって多分同じだ。

彼の早姫ちゃんを思う心も1つ。私の、彼を思う心も1つしかないんだから。

だから、だからこそ、言わなくちゃ。言わなければ、私も彼も死んでしまうかも知れない。それが、1秒後か1時間後か或いは1週間・・・いや、1年後かは分からないけど、きっといつか死んでしまう。

はっきりと言わなければ伝わらない。

言葉も、思いも、想いも。

今度こそ好きだとはっきり言おうと思った私は、寸前で口をつぐんでしまう。遠慮してしまったんだ。彼と、早姫ちゃんの影に。代わりに、違う言葉を絞り出す。


「私、今は叶わなくても、絶対に負けないから!」


これは、私からのライバル宣言だ。

心にしかいない人に挑むのは些か不利だ。けど、一歩も引くつもりはない。 

だって、私も彼のことが好きな「咲希」なんだから。

私の戦争は、今終わるんじゃない。

今から始まるんだ。

見えない彼の顔を想像して、不格好なチョコケーキが入ったぼろぼろの箱を胸に抱いた。




 










こんな稚拙な文章を読んでくれて、感謝です!作者のsugarと申します♪

バレンタインって、本当に乙女の戦争であり、男子諸君も日に日にそわそわするものですよね・・・。

なんだか遠い昔の様に感じます(笑)

さて、今回のバレンタイン用の作品ですが・・・色々詰めすぎて、終わり方が雑になってしまいました(笑)

なにせ、本文を完成させたのが2月12日の18:30分なのです(ぎりぎりすぎる!)

主な理由としては、出張ですね・・・うん

内容は、中高生をメインターゲットに書いております。

そんな乙女達は・・・

バレンタインに告白する人もいるでしょう。

頑張って、チョコを作っている(作った)人も沢山いるでしょう。

好きな人に、想い人がいるのを知って苦しんでいる人も一杯いるでしょう。

誰しも、幸せな‘答え‘が待っている訳ではないけど、好きだという想いはちゃんと伝えて欲しいです。

だって、口に出さなければ何も変わらないから。

言えなくて苦しんでいる乙女達の、背中を少しでも押せたらな・・・って思います!

ではでは、長くなりましたがこれにて・・・。


追記 

And Without Saying Goodbye Also (AWSGA)

サヨナラのミラ。 

も鋭意作成中です!もうしばらくお待ちください!

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