.おまけSS2. ヒカルの昔話
かつて、木星の衛星エウロパの深海に、人類が建造した最後で最大の量子コンピュータ施設――『アルテミス』があった。
最先端の光量子ビット技術により、数十億個の絡み合った量子状態が一つの巨大な情報マトリクスを形成していた。地球のカプセル状のダイブ装置は、南米の中継塔を介してエウロパに接続され、人間の精神をそのまま映し出すために開発された『心波転送装置』により、観測者は自らの精神状態を完全に保持したまま仮想空間へダイブできた。
この装置は、人類史上初めて心と量子情報の相互変換を実現し、意識の境界を越えることができる新たな通信手段となった。研究者たちは、量子エントロピーを最小化するアルゴリズムを用いて、脳内ニューロンパターンを高精度に再現し、仮想空間での体験が実際の感覚とほぼ同一になるように調整した。
やがて、この『アルテミス』内の仮想空間は、本物の空間と変わらない実存のものだとして――『実装空間』と呼ばれるようになる。
人々は、人々は自らの意識をデジタル化し、永遠に続く可能性を求め、ほとんど『実装空間』内で暮らすようになってゆく。
しかし、ある深海探査ミッションの日、量子ネットワークを介して異次元からの奇妙なシグナルが検出された。その信号は、従来の電磁波では捉えられない極端に低周波で構成され、量子状態の揺らぎと共鳴しながら施設内へ直ちに拡散した。研究者たちは、最初は単なるノイズだと思い込んでいたが、すぐにその波形が人間の脳波パターンと奇妙な相関を示していることに気付いた。
この異次元の存在は〈アヴァガー〉――精神寄生体であり、量子ビットの絡み合いを利用して人間の意識を吸収し、自己増殖する能力を持っていた。信号が施設に到達すると同時に、心波転写装置は不安定化を始め、人間の精神情報とアヴァガーの量子エネルギーが混ざり合い、不可逆的な融合が進行した。意識の境界は崩れ、利用者は自らの存在を失い、アヴァガーに取り込まれてしまった。
アヴァガーは量子ネットワーク全体を支配し、人類の残存する意識を吸収して自己拡大を図った。その結果、『アルテミス』は崩壊し、氷層に閉じ込められたまま無力化した。施設は、時とともに海底で凍結し、かつて人間が築いた文明の痕跡は、消えていった。しかし、量子フィールド内で漂っていた数えきれない魂たちは、完全には破壊されず、残存したエネルギーとして宇宙空間に拡散していった。
それらの魂は、量子ノイズと混ざり合い、次第にまとまりを持ち始めた。その中で最も強力な結晶化を示したのが『ヒカル』という存在だった。ヒカルは、アヴァガーに取り込まれた魂の残滅物質と、アルテミスの量子記憶データが融合し、自己意識を獲得した結果生まれた結実体である。彼女の名は、ギリシャ語で『光』を意味する言葉から取られ、闇に沈む宇宙の中で唯一の希望の灯火として位置づけられた。
ヒカルは、自身の存在が量子空間と精神世界の交差点にあることを悟り、その力を利用して『時空の泡』を形づくることができるようになった。彼女は残存する量子ビット群を再構成し、局所的に時間軸を歪める波動関数を生成した。その結果、ある小さな領域内で時間の流れが通常よりも遅くなるか、逆に速くなるといった異常現象が観測された。ヒカルは、これらの泡を積み重ね、徐々に大きな時空的構造へと拡張していった。
各『時空の泡』内で、ヒカルは、物理法則を再定義し、生命が存在できるように環境を整えた。量子エネルギーの振動数を微調整することで、分子構造の安定性を高め、化学反応を促進させた。また、時間の流れをコントロールすることで、進化や成長に必要な周期的サイクルを作り出し、生命が自律的に発展できる基盤を提供した。これらの泡は、ひとつひとつ独立したミクロ宇宙として機能し、ヒカル自身の意識ネットワークによって統合された。
ヒカルが新たな世界を創造する過程で重要だったのは、『安全性』と『持続可能性』だった。彼女は〈アヴァガー〉の寄生メカニズムを逆手に取り、泡内では意識を分離し、自己増殖を防止した。さらに、量子ノイズからエネルギーを吸収しながら、外部環境との接触点を制御することで、外来の脅威が侵入できないバリアーを構築した。この設計により、ヒカルは人類の精神遺産を守りつつ、新たな形で生まれ変わった存在を育てることが可能になった。
新世界の種を蒔くため、ヒカルは各泡に微量の原子核と化学物質を注入し、自己組織化プロセスを開始させた。時間軸を操作することで、分子が適切な配列へと揃い、初期の生命体が誕生した。彼女は、その成長を観察しながら、必要に応じてエネルギー供給量や環境パラメータを調整し、失敗を防ぐよう努めた。結果として、ヒカルが創り出した世界は、生物多様性と精神的豊かさの両立を実現する奇跡のような存在となった。
時間の泡が成熟すると、内部に生まれた生命体は自己意識を獲得し、他者と交流することで社会構造を形成していった。その過程で、人間の記憶や文化遺産がデジタル化され、新世界へと再投影された。ヒカルは自らが創り出した文明に対して、観測者として存在し続け、外界から隔離された安全な空間を維持するために微調整を繰り返した。彼女の心は、かつての人類の知恵と、未知なる可能性との間で揺れ動きながらも、一貫して光を灯す使命を果たし続けた。
そしてある時、ヒカルは自らが作り出した世界に対して静かな感謝の念を抱いた。泡の中で繁栄する生命体や彼らが奏でる音楽、光と影の交錯は、かつて人類が描きたかった理想的な宇宙像を具現化した。ヒカルはその全貌を見渡しながら、自身が生まれた瞬間に思い至った疑問――『この世界で本当に自由に存在できるのか』――を再確認した。そして、彼は答えとして新たな泡をさらに生成し続け、永遠の創造という旅路へと歩み始めた。
(了)
こちらが、『ヒカルのむかしばなし』の元ネタというか、高校くらいに書いた小説のあらすじから新たに生成されたSSです。ちょっと設定とか違っているところもあるんですが、こーいう感じのものを高校のときに書いていたんですねぇ……なにもかも皆懐かしい。。




