.8.礫象の枝(1)
「おーい、起きてくれ!」
次の日の朝、僕は、ジードの声で目を覚ました。
「ジード?」
「イアヌーに呼び出された。何かは分からないけど、ちょっと、厄介な話かもしれない。わるいけど、急いでほしい」
「はい、わかりました」
「僕は、〈ブズゥーク〉のところで待ってるよ」
慌ててベッドから起きて、『ルグ』を使って着換えた。
まだ少し眠気の残るまま、海の宮殿の回廊を歩き、〈ブズゥーク〉の発着場へ行った。
「ウチのかあちゃんは、時々、ディフィネ山の『大宮殿』で働いていてさ。昨日から、『大宴会』の準備をしていて、何か問題が起こった、らしい」
「それは、僕を呼びだす必用がある事態、だったんですか?」
「分からないよ。ともかく、すぐ行こう」
空を飛ぶ〈ブズゥーク〉の中で、ジードは珍しく口数が少なかった。
『大宮殿』に着くと、すぐに案内されたのは、神々の宴の準備が行われる広間だった。
そこでは、給仕頭のエル――目覚めた僕に最初に話しかけてくれた妖精族の女の人――と、ルーファの妻ヴィードが激しく言い争っていた。
二人の間には、精緻な装飾が施された壺が割れて散乱しており、周囲には甘い香りが漂っていた。
「これは……?」
ユウが尋ねると、ジードが小声で答えた。
「思ったよりマズイ事態だね……『根蔵蜜』さ。神々の精力を保つための特別な薬……のようなものかな? 年に一度、『神族』の宴で振る舞われる貴重品なんだ」
壺の破片の間に、確かに、黄金色の液体がこぼれていた。
ヴィードは、怒りに顔を紅潮させ、エルを睨みつけていた。
「あなたが管理を怠ったから、壺が落ちたのよ!」
「違うわ! 誰かが壺を割ったに違いないのです!」
エルとヴィードが、僕の方を見た。
「昨日の夜、エルがウィエンの姿を『大宮殿』で見たというのよ。あなた、昨日、ウィエンと一緒にいたでしょう? わたくしの先見の能力では、ウィエンは無関係とでているのだけど……」
ウィエンの名が出た瞬間、僕の心臓が跳ねたのが分かった。彼女が壺を割った? そんなことがありえるのだろうか?
「ウィエンが?」
ジードも、驚いた声を上げた。
「そうよ。あの子が、広間にいたのを見たのですわ! あの子は宴には出られないから、準備前の物を漁ろうとしていたのかと思ったのですけれど!」
「ユウ、君はウィエンと昨日、一緒にいたんだろう?」
ジードが尋ねた。
「はい。人間の村まで案内してもらいました。その後、『アドヴィーエの花園』で別れたのですが、彼女一人で、ここまで来られるのですか?」
ジードは、髭も生えていない頬をつまんだ。
「うーん。妖精の道といって、妖精族同士なら、誰かがいる場所に瞬間移動できるんだ――けど、ウィエンは、『ルグ』を使えなかったっけ?」
僕は、昨日のウィエンとの会話を思いだした。
「はい、彼女は、自分を、妖精族だけど『ルグ』は使えない、と言っていました」
「そうだよね。妖精の道を使うにも『ルグ』がいるよ。エルは、本当に、ウィエンを見たの?」
「それは、他の妖精族が道で呼んだのですわ! あの姿ですが、同じ妖精族ですもの。きっと、宴の応援のため、猫の手を借りたのですわ!」
エルは、まなじりをつり上げて反論した。
ジードは、肩をすくめた。
「ユウ、ウィエンに、何か変わった様子はなかった?」
僕は、少し考えた。ウィエンは、明るくて無邪気な少女だった。時折見せる寂しげな表情に、何か深い事情があるように感じてはいた。しかし、何かに悪意を持っているような雰囲気は、まったくなかった。
「……彼女は、とても真面目に、人間逹と接していました。誰かを困らせようと思って壺を割るなんて、想像できません……」
ヴィードは、ユウの言葉に眉をひそめた。
「あなたは、彼女に好意を持っているのねぇ。でも、『根蔵蜜』は、神々の力の源なの。これが失われれば、『神族』の力が落ちて、オーネ世界の均衡が崩れるかもしれない。だから、知っていることを教えてほしい、わ?」
「えーと。ウィエンは、壺に関係するようなことは、何も言っていなかったと思います」
その言葉に、広間の空気が一層重くなった。
ちょうどそのとき、イアヌーが現れた。
「皆、集まっているな。事実を確認する。ウィエンを呼び、話を聞く必要がある!」
ジードが頷き、給仕服をきた一人の妖精族に行くように伝えた。
すると、その妖精族は、一瞬、その場から消えて、暫く待ったところ、ウィエンが現れた。
なるほど、これが道とやらか、と思った。
「えーと……あ、ユウ……?」
ウィエンは、いきなりこの場に連れて来られたせいか戸惑っていたが、僕に気づいて、昨日と同じように明るい笑顔を浮かべた。
しかし……広間の空気に気づくと、すぐに表情を曇らせた。
イアヌーが、尋ねる。
「ウィエン、おぬしは、昨日、この広間に来たのか?」
「はい。お花を、エルに届けにきました。『金黄花ジャム』の材料です」
「その時、『根蔵蜜』の壺に触れたか?」
ウィエンは、そのとき、初めて、床に散らかった壺の様子に気づいたようだった。
驚いたような表情のまま、少し考えてから首を振った。
「触れて、いません。でも、壺のそばまでは、行きました。お花を花瓶に入れる必用があったので……」
「では、壺が割れたのは、おぬしのせいではないのか?」
「はい。わたしは、何もしていません!」
「でも、あなたが広間で、何か念じていたのを見たわ!」
エルは、苛立った様子で言った。
ウィエンは、驚いたように目を見開いた。
「念じていた? そんなこと……あ、でも……」
彼女は、言葉を濁した。
「ウィエン、何か思い当たることがあるの?」
僕が尋ねると、彼女は、小さく頷いた。
「昨日、ユウと一緒に〈ブズゥーク〉に乗ったとき、少しだけ、『ルグ』の気配を感じたの。自分では使えないはずなのに、何か、流れ込んできたみたい、で……お花を渡した後、それを確認しようと思って……」
その言葉に、神々の間にざわめきが走った。
「それは……『ルグ』の共鳴かもしれない」
ジードは、呟いた。
イアヌーは、静かに頷いた。
「そうか。ユウの『ルグ』が、この者に影響を与えた可能性があるな」
ヴィードも、頷いた。
「彼女が、意図せずに力を発動させたのかもしれないわ。今後のため、彼女の『ルグ』の状態を調べる必要があるわ」
「は、い」
「ユウ、君も協力してくれるかな?」
「もちろんです。僕も、ウィエンが誤解されるのは見たくありません」
「あ、ありがとう、ユウ」
ウィエンは、戸惑っているようだったが、僕に向かって微笑んだ。
「ともかく、割れてしまったものは仕方ない。新たに『根蔵蜜』を造る必用がある。すぐ手配するのだ。できれば、宴前にな!」
イアヌーの言葉に、妖精族逹が、ひれ伏した。
その後、『根蔵蜜』の製造の件で打ち合わせがあるというので、僕とウィエンは、その場を後にしようとした。
すると、ジードが僕に耳打ちした。
「えーと、ユウとウィエン、よかったら、〈礫象の枝〉を取ってきてくれないか? 〈礫象の枝〉は、地下世界の最深部に生える希少な植物でさ、完全な闇夜の空気の結晶から育つんだ」
「木の枝みたいなものですか?」
「そう。『根蔵蜜』の香りと力を決定づける重要な素材なんだ」
ジードは、横にいたヴィードに目配せした。
「ウィエン、あなたは、地下世界も植物も詳しいでしょう? 引き受けなさい。それが、無罪の一番の証明になるわ」
「そうだね。それがいいよ」
……壺を誰が割ったのか曖昧になっていたが、このままだとウィエンが犯人扱いされることになりそうなことを、二人とも懸念してくれたのだと思った。
「は、い」
ヴィードとジードの言葉に、ウィエンは俯きつつ頷いた。
***
「ウィエン、君は、本当に何もしていないんだよね?」
僕は、〈ブズゥーク〉の操縦席で、隣に座るウィエンに問いかけた。
彼女は、しっかりと頷いた。
「うん。『根蔵蜜』の壺には、触れてない、よ。けど……試していたら、身体のなかで、何かが動いた、かも」
「それって、『ルグ』のこと?」
「たぶん……」
どうも、ウィエンにも、よく分からないようだった。
「僕は、君を信じるよ! でも、ともかく、濡れ衣を晴らすために、〈礫象の枝〉とやらを採りに行こう」
「うん。ユウと一緒だから、がんばるよ」
ウィエンは、僕に向かって、にこりと微笑んだ。
「でも、地下世界って、どうやって行くのかな?」
「ルーファの宮殿の奥に、〈沈みの門〉が、あるの。そこから、降りられる」
「分かった」
僕は、〈ブズゥーク〉を海の宮殿へと向かわせた。




