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人喰いマント

人喰いマント 第一夜   『連鐘』

作者: 久青玩具堂

 

 

「君は売られてきた、理解できるね」

 学はないが、売り買いの仕組みくらいは解るつもりだった。

 金の代わりに、()()が流れる。間違いない。簡単な話だ。十六にもなって、そんなことが解らないわけがない。

 ルーラは、うなずいた。

「よろしい」

 相手は満足げだった。だが、ルーラには解らないこともある。商売が成立するためには、金に相当するものが必要になる。だが、施設には自分には不相応な額が払われたと聞いている。シスターは育てた子供を売って口を糊する女だが、不正はしない。彼女は間違いなく聖職者だ(なにせ地獄と交渉を持っている)。

 ルーラは、訝しさを目色に表した。相手は片方の眉を上げた。

「なぜ君なのか、か? いい質問だ。

 その()()を決して他言しない者でないと務まらない仕事だから、だよ」

 多分にはぐらかすような回答だったが、ルーラには半ば理解できた気がした。自分のような者に、法外な報酬――

 外に漏れては困る仕事なのだろう。


 口が利けない分、勘は鋭いルーラだった。




  人喰いマント 第一夜

     『連鐘』




         1.


 石垣を辛抱強く積み重ね、漆喰で真っ白に塗り固められたその様は、まるで信仰の比喩のようではあった。

 地上四〇メートル。階層と呼べる部屋は、基部に当たる一階のみ。それより上は、ただ螺旋の階段が延々と続き、先端に戴く青銅の鐘の間にたどり着く。それだけと言えばそれだけの、塔。

 歓喜の鐘塔と人は呼ぶ。

 それは、とある城下町の片隅に、忽然としてそびえ立っていた。都の教会にある鐘塔よりもなお高い。なんでも数代前の領主が酷く自己顕示欲の強い男だったそうで、都の同輩を(へい)(げい)すべく当時の技術を尽くして建てさせたという話だった。言うまでもなく規格外の巨大さだが、構造を極力シンプルにまとめることで、築半世紀を越える(こん)(にち)も、揺らぐことなく大地に根付いている。

 だが、皮肉にも領主の一族は没落の一途をたどり、政治は停滞し城下は淀んだ。

 腐りかけのこの町の、しかし誇りの大鐘塔。史上一等の職人の手による二連青銅鐘の音色は、近隣に知られた名物であり、さながら地下の水脈の如く密やかに民人を慰めていた。


 鐘を鳴らす間隔は、一刻(ごと)と定められている。ルーラの仕事は、一階と鐘のすぐそばにある機械時計の時間を見つつ、朝から夜までの六刻、規則正しく鐘を鳴らす。ただそれだけのことだった。一階には簡単な生活ができる部屋があり、ルーラはそこに住み込んで仕事に当たっている。

 その日もルーラは、夕刻の鐘を鳴らすために螺旋階段を登っていた。塔の中は、日中でも薄暗い。少しでも堅固にするために、窓の数を極端に減らしているためだ。必要最低限の場所に据え付けられた燭台には、もう何年も灯を入れた形跡がない。

 塔の螺旋にわだかまったカビの匂いが、妙にルーラを落ち着かせた。

 一階から鐘のある最上部まで上がるには、男の足でも五分はかかる。急いでも三分がせいぜいだろう。そのくらい、高い。ルーラは、唖者ではあるが体は健康そのもので、この長大な塔を上るのも苦ではなかったが、それでも七分を要した。だから、鐘を鳴らす十分前には塔を上り始めねばならない。幸い、彼女の時間感覚は確かで、今まで定時を大きく外したことはなかった。

 ちょっとした、こつがある。

 チャラリ……チャラリ……

 手にした鍵束。それを弄んでいると、リズムが出来る。彼女の体の中で時計の機械(からくり)になって時を刻む。腹の奥底に、規則正しく水滴が落ちてくるような――感覚。



 ――音が近づいてくる。

 石の階段を上る甲高い足音。それと、鍵束をまさぐる聞き慣れた金属音。

 静かな一室だから、その二つの音を正しく聞き分けることが出来た。

 音といえば、それだけしかない。後の空気には、ただ光だけが満ちている。

 塔の最上、鐘の間。余人には知られないが、ここにも部屋がある。

 ほぼ半球に近いドームの中に、寝台と書机、椅子、そして鐘を鳴らすための大きな機械装置――平たく言えば機械室である。頭上では、この塔の本体たる青銅二連鐘がコウモリのように天井を掴んでいる。壁には錆びた梯子が据え付けられていた。鐘の整備に使われるのだろう。

 天蓋が付いてはいたが、鐘の音を四方に伝えるため大きく外に開いた造りになっている。当然、雨の日などは、容赦なく水滴が入り込んでくる。机も椅子も木製のため、大分以前から腐敗して、いわく言い難い異臭を放っていた。さすがに、寝台の布団やシーツは頻繁に取り替えられてはいるが、やはり同じような臭いがする。その寝台ではなく、石の冷たさが心地よい床に直に寝転がって。

 コトリコ・ヲーロク伯爵は、脱力していた。



         2.


 面食らう。という表現は適当にも程があったが。

 その少年――ヲーロク伯爵――らしい――の言動にはいつも驚かされるルーラだった。

 初めて会ったのは、この塔に連れて来られたその日のことだ。

 その時に驚いたのは、少年の行動にではなかった。彼はただ、椅子に座って茫然と空を眺めていた。驚いたのは、その格好だった。貴族の装束とは思えないボロボロの衣や、極端に小作りな体躯にも驚いたが、それ以上に、少年が仮面を着けていたことに驚かされた。鉄の()(ざね)となめし革を複雑に組み合わせた、頭をすっぽり覆う、仮面だ。

 露出部は口と鼻、それに目の部分に一文字のスリットが入っているだけで、素顔は見当の付けようもない。戦場で見たならば迷わず兜と判断したであろう厳重な造り。そして、首元に鍵が下がっていた。自分では脱げない仕掛けになっているらしい。小さな錠で、ルーラに渡された鍵束の中にそれらしい鍵はない。

 その時、ルーラは一人だった。鐘の間に人間のいることは聞いていたし、その世話も命ぜられていたが、仮面のことは初めて知った。だが、納得もした。例の男に渡された、奇妙な食器。その使い道に思い当たったから。

 少年は、ルーラの気配に緩慢な動作で振り向いた。反応したと言うより、暇を潰した。そんな様子だった。

「だれですか?」

 仮面のせいか抑揚がなく、くぐもっていたが、落ち着いた知性の感じられる声だった。声変わりの前なのか、少々、甲高かった。

 口の利けないルーラには、応えようがない。どのみち、少年は気にしないで続けた。

「新しい人ですね」

 ルーラはうなずいた。

「鐘ですか? 食事ですか?」

 口数が多い。ルーラは困惑した。少年――ヲーロク伯爵は極端に無口で反応に乏しいと聞いていたのだ。話が違う。

 とはいえ、まごついているわけにもいかない。ルーラは、手に提げていたバスケットから、少年の昼食を取り出した。冷めた粥のような物だった。それが、吸い口のついたランプのような容器に入っている。中身は乳白色で、匂いは無い。

 なんとなく頭を下げ、少年の口元に容器を近づけると、少年は素直に吸い口をくわえ、粥のようなものを吸い上げ始めた。雇い主に言われた通り、ただ差し出せば食べてくれるようだった。

 ちゅるちゅると、乾いたような仮面に似合わない音が漏れる。ルーラは少年の顔を見たが、仮面に覆われた表情をうかがうことはできなかった。慣れているのか、えずくこともなく淡々と食べている――摂取していると表した方が適当かも知れない――

 大した量ではないが、食べ方が食べ方だけに、なかなか進まない。容器を持っている手が痺れる頃に、少年は食事を終えた。

「御馳走様でした」

 仮面の少年は口を離すと、丁寧に言った。仮にも伯爵だという少年の言葉にルーラは困惑したが、やはり彼方の表情を知ることはできなかった。


 ルーラは納得した。

 なるほど。なぜ、伯爵と呼ばれる少年が、奇怪な仮面を着けられて鐘塔に幽閉されているのか、気にならない者はいないだろう。どんな聖者でも、好奇心、あるいは猟奇心から詮索せずにはいられないと思う。

 しかし好都合なことに、ルーラにはできない。

(なぜ?)

 その一言すら、口にできない。


 最初の数日、ルーラは鐘の鳴らし方がよく解らなかった。

 青銅鐘は鐘の間に据え付けられた機械装置によって動く。もちろんルーラは操作方法を教え込まれていたが、いきなり実際の作業がこなせるわけでもない。

 助けてくれたのは、ヲーロク伯爵だった。彼はレバーが並んだ装置の前でまごつくルーラをやんわりとどかせて、勝手知った様子でレバーを操作してみせた。ルーラが覚えやすいようにだろう、ゆっくりと。

 おもむろに鐘が揺れ、鳴り出した。ゴォンゴォンと、重くも美しく、町中へまろやかな音を落としていく。が、至近距離で聞くには大きすぎる音だ。ルーラは、予想以上の音量にびっくりして両手で耳を塞いだ。

 慣れているのか、それとも仮面のせいか。少年は平気でルーラを見ていた。少し笑ったような気もした。ルーラは、顔を赤らめた。

 そうして二人、骨まで揺さぶるような鐘の音を浴びていた。


 鐘の間の窓を開けば、街を一望できる。

 驚くほどに、空が近い。

 同じ程度に、地面が遠い。

 目線にあるのは、いっそ刺激的ですらある青一色。見下ろせばくすんだ色合いの町並み。そしてその先に、白亜の城。領主の住居であり、政事の場でもある。

 コウ、コウと風が鳴る。窓際に座り込み、ある日のヲーロク伯爵は、やはり茫洋と外の景色を眺めていた。

 くぐもってよく聴き取れなかったが、なにか詩を口ずさんでいるようだった。

 魔王。

 ルーラは、仮面の少年を眺めて、そんな言葉を思い浮かべた。


「あなたはもしかして、喋れないのではありませんか?」

 塔の生活にも慣れてきた、ある日。ヲーロク伯爵がようやく気付いたようだった。

「今までの人も無口だったけれど、少しは喋りました。無愛想な人ほど、喋る時は優しいことを言ってくれるのです。あなたはとても良くしてくれるけれど、ちっとも喋らないから不思議です」

 そう聞いて、ルーラは少年に憐れみを感じた。孤独。ルーラの慣れきった感触。ヲーロク伯爵は孤独なのだ。当たり前のことに、しかしその時初めて、気付いた。

 ルーラはある意味で、生得の孤独者だった。声の無い、捨て子だったのだから、それは当然のことだった。疑問に思ったことは、実はない。ルーラは甘受のできる少女だった。

 だが、この少年はどうなのだろうか。言動からすると、昔は普通の暮らしをしていたように思われる。それが、こんな奇妙な空間に閉じ込められて、平気で居られるものだろうか。見張りと言える者はルーラだけ――逃げだそうと思えば簡単にできるはずなのにそれをしないのは、頼るべきものが無いからだろう。そうして、そんな境遇だから殺されずにいるのだろう。

「そうなのですか、それじゃ、名前を聞くこともできないですね……」

 ある程度文字を読めたが、書くことはできなかった。うなずくほかないルーラに、ヲーロク伯爵は残念そうに呟いて窓外を見やった。


 我々は無意にしてルーラの名を知っている。しかしヲーロク伯爵は、どうあがいても彼女の名を知ることができない。


 二週間に一度ほど、あの男がやってくる。

 ルーラをこの塔に送り込んだ、あの男がやってくる。

 あの男は豪奢な馬車で乗り付けて、半刻ほどヲーロク伯爵と面会して帰って行く。男は護衛らしき帯剣した兵士を連れていたが、少年のいる機械室には決して伴わなかった。ルーラも入れようとはしなかった。


 雨の日。

 ヲーロク伯爵は、よく窓を開け放しにした。ただでさえ天蓋に隙間があるのに、窓まで開けるのだから部屋の中が水浸しになる。だが、伯爵はただ雨を眺めてずぶ濡れになるのが楽しみのようだった。時には、狂ったように歌い出す。光る夜がどうのと、ルーラの知らない歌だった。

 特に指示は受けていなかったので、ルーラは機械に防水の布を掛けただけで、伯爵のことは放っておいた。時には、理由もなく快活になって伯爵の歌に合わせてでたらめに踊ってみせた。

 一緒に雨を浴びて、ずぶ濡れになった。


 例の、あの男が塔を訪れた日のことだった。

 あの男は一時間ほども鐘の間で過ごした後、揚々として帰っていった。男の乗り込んだ豪奢な馬車の轍は、真っ直ぐに城の方へ向かっていた。

 ルーラは男を見送った後、塔を上って鐘の間に入った。鐘を鳴らすには、少し早い。男とヲーロク伯爵が何を話したのか。男の帰り際の、何か上擦ったような態度が妙に気になった。伯爵はルーラによく話しかけてくれる。今日の出来事も、案外あっさり教えてくれるかも知れなかった。

 いつものように、一応ノックをして――一度、ノックせずに入ろうとして酷く怒られたことがあった――みると、返事がない。そのことに、ルーラは変にあわてた。胸騒ぎ。急いで鍵束を探り、扉を開ける。

 そこには、いつものように少年がたたずんでいた。無事に見えたが、しかし、部屋を見回すと机と椅子が倒されて隅に転がっていた。

 少年は、こちらに目を向けようとも向けず、出し抜けに呟いた。

「……教えてくれないのです」

 ? ルーラは訝しげに少年を眺めた。よく見ると、上着の組み紐が何本か掛け違っている。胸元の一本は千切れていた。

「あなたの名前を、教えてくれなかったのです。言う通りにしたのに」

 仮面の下から発せられる声音は聞き取りにくい。まして、少年の声はかすれていた。だが、ルーラには、確かに聞こえていた。彼女は音を貴重なものだと、そう思っていたから、とても耳が良くなっていた。

 だが、聞き取った言葉の内容に、ルーラは困惑した。それで喧嘩になったとでも言うのだろうか。たかだか奴隷一人の名前のために?

 伯爵は、それきり黙って足下を見つめていた。慰めるべきだろうか。べきだろう。ルーラはなんとなく落ち着かなくなって少年に近づき、掛け間違った組み紐を、一本一本ゆっくり直してやった。少年は少し震えていたが、大人しくルーラのするままにしていた。やがて、切れてしまった一本を残して全てを直し終えたルーラの手に、ぽとりと水の玉が落ちた。空は気持ちの悪いくらい晴れていた。

 ()()()……?

 ルーラはハッとして、少年の顔を――しかし仮面を――見た。仮面の中で少年がどんな表情をしているのか、やっぱりうかがえなかった。そして「泣いてるの?」と尋ねる(すべ)を、彼女は持たなかった。

 絶望的な無力感が風の音すら沈黙させ。

 次の瞬間、ルーラは恐ろしい力で押し倒された。

「ィッ――――!?」

 悲鳴すら上げられずに床に叩き付けられ、息が詰まる。涙がにじむ。

 ヲーロク伯爵は強引にルーラにのしかかり、無遠慮に彼女の体を撫で回した。仮面から漏れ出る息が荒い。涙なのか唾液なのか解らないものが飛び散って、ルーラの服に血のようなシミを付けた。

 動転して、ルーラはがむしゃらに少年の体を叩いて、蹴った。華奢なヲーロク伯爵だ、ルーラの攻撃でも痛みを感じているはずだが、(こわ)ばった体は決して引かない。ルーラはむしろ、自分が少年の体を壊してしまわないかと心配になった。そうして、抵抗を止めた。そういった行為に嫌悪を覚える育ちではない。ただ、勢い余って殺されるのが怖かったが、途中でどうでもよくなった。

 ヲーロク伯爵は、しばらくは抵抗のなくなったルーラの体に自分の四肢を叩き付けるようにしていたが、やがて動きを止めた。ひょっとすると、それ以上の行為に関する知識が欠如しているのかも知れない。ただ、涙を垂れ流したルーラの顔に仮面を向けて、わけの解らないことを唸っている。

 仮面の奥の瞳が、何かの光を返して煌めいた時、ルーラは突然、強い衝動に襲われた。いつの間にか始まっていた恋に、突然気付いた。

 無駄だと解っているのに、必死に口を、喉を、動かした。

(わたしはルーラ! わたしはルーラ!)

 やっぱり声は出なかったけれど、一心不乱に、叫んだ。

(わたしはルーラ! わたしはルーラ!)

 ヲーロク伯爵に、ルーラの言葉が届くことはない。だが、解ってもらいたくて、ルーラは叫び続けた。

 涙に揺れる視界の隅で、大きなトカゲのような影を見た気がした。


 その日の午後、鐘は一度だけ定刻に鳴らなかった。



         3.


 ある日、状況が変わった。

 そこでラムゼーは、一振りの短剣と二人の兵士を伴い、鐘塔を訪れた。

 ヲーロク伯爵を生かしておくと政争の火種になりかねない。ならば殺す。ラムゼーはそういう人間だった。不安があれば、殺す。これほどの正確はない。だから、殺す。伯爵はラムゼーにとって、色々な意味で惜しい少年ではあった。肉親の情がないでもない。だが、このままでは、あるいは命取りになりかねない。やはり殺す。

 白昼。しかし鐘塔を訪れる可能性のある人間は、皆ラムゼーの息が掛かっている。誰に見咎められようと問題なかった。

 名乗りも上げず、荒々しく鐘塔の扉を開く。

 塔の一階は無人だった。シスターから買い取った声無き少女の姿はない。そういえば、もうすぐ定時だ。鐘を鳴らしに鐘の間に上ったのだろう。

 丁度良い、一緒に殺そう。

 即断して、ラムゼーは兵士とともに螺旋の階段を駆け上った。護衛の二人――城から連れてきた私兵だ――は、すでに剣を抜き放っている。命令一下、即座に伯爵を刺し殺すだろう。

 刺。

 血。

 ラムゼーは(たか)(ぶり)とともに歩を早めた。

 見上げれば、鐘の間の扉が近い。


 がばンッ!


 その時ルーラは、食事の入ったバスケットを机に置いたところだった。

 突然の音に驚いて扉の方を見やると、そこから三人の男が駆け込んでくる。先頭の一人に見覚えがあった。例の男だ。何者かは知らない。だが、いつも領主の城の方向から馬車でやってくる、あの男。

 あの男が、抜き身の短剣をぶら下げて、ずかずかと鐘の間へ踏み入ってくる。他の二人も、真っ直ぐな剣を抜いている。

 ルーラは理解した。口が利けない分、無言の状況の把握は迅速だった。

(殺される!)

 そうして、バスケットに入っていた食事を食器ごと床に叩き付けた。派手な音が狭い室内に響き渡る。悲鳴を上げられないもどかしさに狂いそうになりながら、きっと伝わると信じた。

(逃げて!)

 伯爵はルーラの視界になかった。男たちも見つけられないでいるようだ。だが、彼らには余裕がある。出口さえ塞いでいれば、この部屋から逃げ出すことはできない。窓から飛び降りれば、着地した瞬間に死ぬことになる。


 だが、それでも、伯爵は逃げた。壁面に設えられた梯子を上って、青銅鐘の整備用の小部屋に入り込んだ。だが、ここでもすぐに見つかってしまう。殺されてしまう。

 伯爵は焦った。そうして、目の前の巨大な鐘に目を留めた。


「足掻くか」

 あの男が呟く。意外そうな、だが面白そうな顔つきだった。そしてルーラは、これまでも彼が仮面の伯爵が苦しむ様を見て楽しんでいたということを悟った。そのために、飼っていたのだろう。

 ルーラは、生まれてこの方感じたこともないような強い怒りが沸き上がるのを感じた。

 そうして、やにわに男の横っ面に拳を叩き込んだ。自分の手首が嫌な音を上げるほど強く殴り込んだ。その拳には、確かに殺意があった。

 ――()()っ!


 ごッ!


「なっ……!?」

 少女の存在を完全に忘れていたラムゼーは、まともに拳を受けてのけぞった。だが、少女の力では、さすがに倒れはしない。混乱しつつも少女を視界に収め、思い出す。

(そうだ……この娘もいた)

 だが、理解には時間を要した。なぜ殴りかかってくる? 少女はまだ、自分が殺されるという発想には至らないはずだった。こちら側であるべきはずだ。それなのに、殴りかかってくる以前にも少女は、伯爵に注意を促すような挙動をした。

 ……裏切った?

「なぜ?」

 ラムゼーは、怒りよりも訝しさを先に立たせて、少女に問いかけた。激昂しているのか少女は怯まなかったが、答えてもこなかった。いや、

「そうか、喋れないんだったな」

 ラムゼーの興味は、そこで終わった。どうせ判らないのなら、どうでもいい。

 至極つまらなそうに、短剣の柄で少女を殴り倒した。

 少女は、悲鳴も上げられずに壁に叩き付けられた。

 そのまま、動かなくなる。頭を打ったようだ。

 その時。

「ラムゼェェェェー!」

 恐ろしいような怒声が、頭上から聞こえた。間違いない、伯爵の声だ。仮面の内からとは思えないほどの、強烈な憎悪が剥き出しなった声音だった。ラムゼーが見上げると、そこにあるのは巨大な青銅二連鐘だけがある――一つ一つが、人がすっぽり入れるほど大きな、鐘。

「そんな所に隠れていたのか……」

 兵士二人が、伯爵を狩るために梯子に駆け寄ろうとするが、ラムゼーは手で制した。先程の伯爵の怒声、そして少女の不思議な反応。全てが理解できた気がした。そうして、そのことがラムゼーに残忍な思いつきをさせた。

 異様な興奮。それが少女に対する嫉妬であり伯爵への理不尽な憎悪であるとラムゼーは自覚していた。

 口元に泡を溜めながら、鐘を鳴らすための機械装置の前に立つ。今――伯爵が鐘の中に逃れている今、この装置を作動させれば……

 さすがに、震えた。兵士たちも、ラムゼーのしようとしていることを悟って青ざめた。だがラムゼーは、どんな恐ろしい思いつきも実行できる男だった。それは、城に近しい者なら誰もが知っている。ラムゼーの歴史そのものが証明だった。

「これも領主の務めだ――

 町の者に定刻を報せねば、な」

 ついにレバーを、引いた。


 鳴り響く鐘。少女の()()


 轟音に耐えきって、見回す。

 銅鐘の真下を中心に、部屋中に大量の血が撒き散らされていた。ラムゼーも浴びた。髪を撫でると、べとりと指に絡みつく、伯爵の血。

 兵士たちは、茫然として畏怖の視線をラムゼーに向けている。鬱陶しい。彼らが見ていなければ、血を舐め取っているところだ。

「…………ゃぁぁ…………」

 唖者のはずの少女が、いつの間にか起き上がって嗚咽していた。栓が壊れたように涙を流して、部屋中に飛び散った血を一つ一つ目で追っているようだった。

「……や……」

 声が出るようになっても、発する言葉はそれだけだった。

「む。頭を打って声が出るようになったか?」

 ラムゼーは、自分でも半信半疑で呟いた。まぁ、どうでもいいことだ。どうせ、この少女もすぐに殺す。

 ラムゼーが短剣を握り直し、少女に向かって歩き出した、その時――



 どさっ



 銅鐘の真下に、なにか大きなものが落ちてきた。

 最初ルーラは、それがヲーロク伯爵の死体だと思った。これだけおびただしい血を撒き散らして生きているはずがないから、死体だろう。原型を留めない、ただの肉塊になっているかも知れない。

 だが、違った。死体でも肉塊でもない。

 それは、奇妙なマントに包まれていた。

 暗いような緑色。ただの布には見えず、爬虫類のような光沢がある。そして、首元まで閉じたフードには、戯画化したような二つの大きな目が付いている――それが、ぐったりと床に転がっていた。

「なん、だ……?」

 兵士の一人が、怪訝な様子で近づいていく。不気味さからだろう、油断はない。

 一歩。二歩。三歩。死んだ。

 …………?

 沈黙。声は出せるようになったはずだが、マントが落ちてきてからのルーラは黙っていた。歓声を上げるべきなのか、それとも泣き叫ぶべきなのか、判断に迷った。だが、その一瞬から、不理解の沈黙に変じた。

 兵士の頭が、消えていた。部屋の中を見回しても、どこにも見当たらない。

 ややあって、首を失った体がどさりと倒れた。血も吹かない。物に、なっていた。

 ……………………

「う、うわぁっ!?」

 残ったもう一人の兵士が、ようやく悲鳴を上げた。

 一方で、緑のマントが、ゆっくりと体を起こしている。頭をもたげる蛇のような挙動だった。

「……殺せ!」

 兵士姿でない男――領主だとか言っていたか――が、即座に命令した。この男だけが、困惑はしていたが混乱はしていなかった。

 兵士は、命令されたからと言うよりも、恐怖のために剣を振り上げた。

 同時。

 振り上げた腕に、舌が巻き付いた。

 長い、長い、赤ん坊の腕ほどもある太さの舌だった。そうして、赤い。

 マントのフードの中から、伸びていた。

「え?」

 兵士の顔に浮かんだのは、ルーラと同じ表情だった――不理解。そこに殺戮の職業はなかった。ただ、人間の顔をしていた。ルーラは、その一瞬、成り行きも忘れてその兵士を憐れんだ。直感が告げている。彼はもう、駄目だ。

 今も、ルーラの勘は、やはり鋭かった。

 兵士の、剣を持った方の手が、ぐいと引かれた。舌に。

 手品のように、あっさり、取れた。なにか強烈な酸のようなもので溶かされて。

 兵士の様子は、やはり不理解だった。ひたすらに不理解だった。

 自分の腕がフードに呑み込まれむしゃむしゃと咀嚼される様を、茫然と見つめていた。

 マントの足下に、兵士の剣が転がった。その白い刃に、フードからこぼれ落ちた鮮血がしたたり落ち、ぎらりと血の色を照り返した。

 再び伸びたマントの舌が、器用に(つか)に巻き付き、剣を拾い上げる。

 舌が、剣が、赤が、魔法のように閃いた。

 不理解の死体が出来上がる。

 剣の刀身が、真っ赤に染まっている。その柄に巻き付く舌は、元から真っ赤だった。

 赤の起点。緑のマント。笑うようにはためくフードの二つの(まなこ)

 恐怖の王が、そこにいた。


「ヒト……クイ……マント……!」

 ルーラは、唐突に思い出した。彼女は知っている。このマントを知っている。

 小さい頃にシスターから聞かされたお話――人喰いマントの物語。

『人喰いマントはね、自分を着た人を食べてしまうんだよ。

 マントの裏側がお腹になっていて、中の人間を溶かしてしまうのさ。だけど、さすがただの畜生じゃない。中の人間を頭まで溶かす間に、不思議な力でその人の最後の願いを叶えてくれる。食べさせてくれてアリガトウってね。その願いが強ければ強いほど、人喰いマントは美味しく食べて強い力を振るうのさ。

 ルーラ、お前もあんまり物欲しそうにしていると、人喰いマントに喰われちまうよ。

 ヒ……ヒヒ――ッ――ヒ!』


 ラムゼーは犬が嫌いだった。いっそ憎んでいた。

 子供の頃、従兄弟でもある、とても美しい友人がいた。彼はナイフのように鋭く岩のようにたくましい犬を飼い、目にするたびに戯れていた。友人は愛犬の針金のような体毛に顔をうずめ、光のような笑顔をラムゼーに向けるのが常だった。

 華奢な体格の友人は、ともすれば巨犬に喰い殺されるのではないかと思われ、そんな妄想に捕らわれ出すと何日も抜け出せなかった――あの貪欲に唾液をしたたらせた牙が、今に友人の細く白い首を赤いすり身に変えるのではないか。あらかじめ寸法を測ったように均整の取れた四肢をくわえて振り回し、バラバラに引きちぎって打ち捨てるのではないか。ラムゼーは不安と言うよりも期待を胸に、恐怖と言うよりも昂奮に駆られて、そんな空想に一日を費やした。

 空想の中の巨犬はラムゼーの憧れであり、英雄だった。それでありながら、彼が従兄弟を愛す気持ちには一片の偽りもなかった。白い果実のような友人は愛情の対象であり、黒い嵐のような犬は愛情そのものの象徴であった。

 だが、巨犬はいかにたくましくとも犬であって、無論主人を害すことはなかった。ラムゼーは長ずるに従って、その犬を物足りなく思った。ラムゼーが若者らしい筋肉と欲望を得ていくうちに、犬はただ老いと落ち着きを得た。そうして猛々しさと禍々しさと、ぎらぎらした眼の光を失っていった。ラムゼーの失望は時とともに深まり、ついには絶望となった。友人も果実ではなくなっていた。

 そうしてラムゼーは、老い果てた巨犬に毒を与えて殺した。

 とても()()かったという。


 追跡者の影に、ラムゼーはかつての英雄を――獰猛なる剛犬を見ていた。それは、彼の犬のように巨大でもなければ、脂ぎった剛毛に鎧われているわけでもない。ラムゼーがあれほど心惹かれた、欲望をにじませる(あら)(きば)も見当たらない。

 だが、機械室から逃げ出した自分を追って螺旋階段を駆け下りてくる緑のマント。その奔放に躍動する殺意は、ラムゼーが幼い日に恋い焦がれた()()()あの犬のそれだった。まさしく! まさしく!

 ラムゼーは、恐怖だとか歓喜だとか、でたらめな感情に支配されて狂奔した。カンカンカンと、自分の足が石段を叩く高い音が耳の内に満ちている。尖塔の壁に反響して足音はいつまでも消えず、ただただ無限のように増殖していく。

 しかし背後から迫る影は、一切音を立てなかった。塵の落ちるほども音を発せぬまま、あっさりとラムゼーに肉迫してくる。

 自分の影に気配を感じるとするならば、まさにそれだった。


 運命!


 ルーラは見た。マントと男がもつれ合って、螺旋階段の吹き抜けを逆落としに落下していく様を。角度のせいだろうか、それがとてもゆっくりとして見えた。たっぷりと三呼吸はあって、マントと男は一階の床に落ちて動かなくなった。

 地上二十メートル。そんなわけはなかったが、しかし、二つの体が石床に叩き付けられた衝撃が塔を震撼させた。ルーラはそう思った。

 …………死んだ……?

 塔は一転して静寂に包まれていた。たった今繰り広げられた惨劇と悲鳴が嘘のような、沈黙。

 だが、振り向けばそこでは、二つの死体と大量の血痕が鐘の間を汚している。カビの臭いを圧する血潮の臭気は、いっそ生命力を感じさせるほど禍々しかった。

 ルーラは、もう一度塔の一階を見下ろした。

 そこには、領主(いち)(にん)の死体が転がっているだけだった。

 例のマントの姿は、どこにもない。

 ――ルーラはハッとして、塔の空洞に向かって叫びを上げた。


「あッ……わたし! わたしは! わたしはルーラ!

 わたしはルーラ!!」



         4.


「ねぇシスター、今日もお話、してくれるんでしょ?」

「あらあら、ミシェルは本当にお話が好きなのね」

「うン、だってシスターのお話、とっても面白いんだもの!」

「ありがとうね、ミシェル。

 でも、私は十六歳になるまで言葉を話すことができなかったのよ」

「え? そんなのウソよ。シスターはそんな病気じゃないわ」

「いいえ、ホントよ。今こんなによく喋るのは、昔話せなかった反動かも知れないわね」

「……そんなのって、フシギだわ……」

「そうね、不思議ね……それじゃ今日は、私が言葉を喋れるようになった時のことを話して上げるわ」

 ルーラは、目を細めて背後の鐘塔を見上げた。優しい陽を浴びて、乳白色の光を照り返している。塗り直したのは院に改修した時だが、まだまだ保ちそうだ。

「人喰いマントを知ってる?」


 丁度その時、高らかに鐘が鳴り、ミシェルがきゃッと耳を塞いだ。




Mantle Maneater : Episode 1

 When their masks breaking,

 belfry rings "My name is... My name is..."





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