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岩岡家の一番強い人間(9)

 強いかは知らないが、確かに母さんは偉大だ。俺は病院のベッドで横になったまま改めてそんなことを思う。

 家族同士の喧嘩だなんてアホ丸出しの理由で入院した俺たち三人の世話を毎日焼いてくれるし、何よりも俺が感心させられるのは母さんの俺とリリィに対する平等さだ。

 いつも世話になっている病院の六人部屋の病室に、怪我の重たい順に入り口側から俺、リリィ、親父と並んでベッドに横になっているのだが(一番怪我が軽い親父でさえ肋骨にヒビが入っているんだから笑える)、母さんはいつも俺とリリィのベッドの間の、ちょうど二人の足元の辺りに座った。

 そうすると俺とリリィのどちらか片方ではなく、両方を同時に見ることができる。母さんはよく俺たち二人に「ハウアバゥトザコンディション?」だとか、「調子ハドウ?」だとか聞いてきた。

 すると俺とリリィは競うように「問題ないよ」だとか、「オールライト」だとか、そんな言葉を言い返した。それはもう母親から餌をねだるツバメの子供みたいに。なんだかんだで俺たちは母さんのことを好きになっていたし、こういうときだからこそ甘えたくもなるのかもしれない。

 一番怪我が軽いから当たり前だろうに、親父は母さんが俺とリリィばかりに世話を焼くことに拗ねているのか、入院してからずっと機嫌が悪かった。

 ひょっとして生まれて初めて吹っ飛ばされたことに腹を立てているんだろうか?とも思ったが、なんとなくだがそれはない気もした。

 親父はきっと単純に母さんが相手をしてくれないから腹を立てているのだ。

 後から聞いた話だが、俺が気を失った後にリリィは肋骨にヒビが入った親父によってボコボコにされたらしい。それを聞いた俺はホッとしていいのか、怒っていいのか、悔しがっていいのか、イマイチよく分からなかった。

 ただ俺には二つだけ、確実に分かっていることがあった。

 一つは、リリィは俺を守るために強大な敵と戦った。リリィには感謝している。

 そしてもう一つ、俺はもう怒ってはいなかった。

 そもそも俺はどうしてあんなに怒っていたのだろう。そんなことを考える俺はふと、漫画『幽☆遊☆白書』のワンシーンを思い出す。

 仙水忍という技巧派の強敵の、正面から攻めてこない曲線的な攻撃にイラついて本来の力を出せなかった主人公の浦飯幽助を見た仲間の飛影が、幽助を挑発して自身と戦わせることによって欲求不満を解消させ、頭を冷やしてやるという印象深いシーン。俺の大好きなシーンだ。


「久々に全力で暴れた気分はどうだ?」っていう飛影の台詞は、やっぱりいつ読んでもシビれてしまう。


 大怪我はしたものの、あの時の俺は本当にそんな感じだった。どうしてあんなに怒っていたのかよく覚えていないが、怒りを静めてくれたのは確かに親父の大きな拳だった。

 俺はふと、あの時の喧嘩を思い出して親父に質問してみる。本当になんとなく、親父に聞いてみたくなったのだ。


「俺とリリィってどっちが強い?」


 親父はしばらくしかめっ面をした後に、ふんと鼻息を吹き出した。


「そりゃお前、リリィに決まってるだろ」

「……だよな」って俺、納得しちまってるし。それでも不思議と俺の中に怒りは沸いてこない。

「それよりお前、リリィに礼は言ったのか?助けてくれてありがとうって、きちんと礼を言っとけよ。リリィがあそこで俺に向かってこなかったら、ひょっとしたらお前、死んでたかもしれねぇぞ」


 自分が殺そうとしてたクセに今さら普通の父親みたいなことを言われて俺はムカつくが、確かに親父の言うとおりだった。

 俺は隣のベッドで真剣に『火の鳥』を読みふけっているリリィに声をかける。


「サンキューな、リリィ。お前のおかげで助かったぜ」


 リリィは漫画本から顔を上げ、俺に片方の唇の端を上げてみせてから、


「オ前ハ、イツダッテ俺ノ足手マトイダゼ」


『ジョジョ奇妙な冒険』の第四部で虹村形兆が弟に言った言葉だ。詳しい説明は省くが、弟の虹村億康にとって兄の虹村形兆はヒーローだった。だがリリィにとって俺はどうなんだろう?俺はなんとなくそんなことを思った。

 俺は生意気なリリィに食い残したおにぎりを掴んで投げつけてやるが、リリィはひょいと『火の鳥』の背表紙でそれを受けてしまう。こいつ神様の漫画でなんてことを。

 そんな感じで親父、リリィ、俺の順番で退院して退屈な日常が戻ったには戻ったが、一つだけ新たな問題が浮上した。

 リリィが馬鹿みたいにデカくてどこにいても目立つせいで、どうも喧嘩屋に目を付けられたらしい。


「ヒャクマンエン!ぺらぺーらぺらぺーらヒャクマンエン!ぺらぺーら」


 日曜日の午前中、俺が部屋でのんびり過ごしていると、リリィは俺のアパートに飛び込むなり俺の肩を揺すりながら叫んだ。

 どうにも要領を得ないので、後からやってきたありえないくらい日本語が上達した母さんに通訳を頼むと、母さんは元々白かった顔をさらに青白くしてから言った。


「リリィが橘っていう人に肩をぶつけて骨折させて、治療費として百万円も請求されたって。リリィが言うには骨折するほど強くぶつかっていないし、相手も簡単に骨折するほどヤワじゃないように見えたそうだけど」

「マジで?よりにもよって橘かよ」

「知り合いなの?」

「いや、知り合いって訳じゃねーんだけど」


 喧嘩屋の橘薫、聞いたことのある名前だった。いや、この辺に住んでる人間なら誰もが知っているはずだ。橘の名前は。

 橘がプロボクサーとしてデビューしたのは確か五年ほど前のことだ。豊富なスタミナを生かしたフットワークと破壊力のあるパンチで、その後、日本スーパーフェザー級の王座に上り詰め、同じ年に東洋太平洋スーパーフェザー級の王座を獲得したのをよく覚えている。

 その頃には橘の出身地であるこの辺は大騒ぎになっていた。

 それから二度の防衛に成功し、世界挑戦を契機に王座を返還するが、そこで覚せい剤乱用と暴力団との繋がりがバレてすべて水の泡。この町を覆っていた橘ブームはこれでもかというくらい一気に冷め切ってしまった。

 それから橘はボクサーを引退し、喧嘩屋のリーダー格としてこの町の地下世界に住み着いた。今ではヤクザの用心棒や喧嘩賭博を生業としているらしい。

 元々が黒い噂も多かった男だ。町の住民としては本当にいい迷惑だったが、現役時代ほとんど負けることなく引退したあいつに誰がそんなことを言い出せるだろう?

 橘に負けることは確実にないだろうが、橘の噂を聞いた親父も「無視していればいい」なんて言ってたし、同級生や周りの奴らもビビり抜いてるから俺もなんとなくわざわざちょっかいかけたりしなかったが、まさか向こうから仕掛けてくるとは。それも俺の大切なブラザーに!


「ちょっと俺出かけてくるよ」と外に出ようとすると、母さんに肩を掴まれて止められる。


 どうして気づいたのだろうか、母さんには俺が喧嘩屋のアジトに話をつけに行こうとしていることが分かったらしい。


「行っちゃ駄目よ。まだ怪我も治りきっていないのに、死んじゃうわよ」

「大丈夫だって。喧嘩屋なんてほとんど見かけだけで大して強くないから。俺だって強くなってる訳だし」

「でも、退院したばかりなのに……」

「なるべく喧嘩にはしないようにするよ。話し合いでケリがつけば俺もそれが一番だし」

「でも……」

「それに、俺はずっと喧嘩屋からは逃げてばっかりだったから、ここらで一回立ち向かっとかないとかっこ悪いじゃん。俺、一応リリィの兄貴なんだし」


 そうなのだ。俺は兵藤に雇われた喧嘩屋に負けて、あの一件もそのままになっているのだ。

 大気圏を突き抜けるほどに強い男が負けたら負けっぱなし?親父はまだ置いとくにしても、俺はそんなことでは駄目なのだ、と阿呆な俺は今さらになって気が付く。

 そもそもどうして忘れていたんだろう、と考えると同時に、ひょっとして心の奥底では喧嘩屋に対してビビってたんじゃないかという考えが脳裏をかすめ、俺はそれを否定するためにいよいよ母さんを振り切って喧嘩屋の下へ行かなくてはいけなくなる。


「邪魔するぞ」


 そんなタイミングで親父が俺の部屋に入ってくる。

 次の瞬間、親父が俺の顔面を思い切りぶん殴るので、俺はいつものように軽く三メートルほどぶっ飛んでから、ふらふらと重たい頭で親父の声を聞く。


「話は聞こえた。お前、一体何回入院するつもりなんだ?次入院したら入院費は自分でバイトして稼げよ。病院の皿洗いくらいはできるだろ」


 やっぱり素晴らしい俺の家族!

 俺は親父の顔を立てて今喧嘩屋の下に行くのはとりあえず止めるが、次リリィに何かちょっかい出した瞬間にそいつに地獄を見せてやる決心は微塵も変わることはない。

 俺はただ強くありたいんだ。決して悪役に負けることのない、漫画やアニメに出てくるHEROのように。それは無理でも、せめて自分の周りの人間だけでも守れるように。

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