岩岡家の一番強い人間(5)
親父は強かった。それも桁違いに。
俺は親父が負けるところを見たことがなかった。
喧嘩はもちろんだが、選挙でも、スポーツでも、たとえ口喧嘩や討論でも、俺は親父が惨めに負ける姿を一度も見たことがなかった。
俺は幼稚園を卒園する頃から親父に殴られていた。
お袋や何も知らない大人たちは虐待だと叫んだが、親父が虐待ではなく鍛錬のつもりでそれを行っていたのは、暴力を受けていた俺が一番よく知っていた。俺は幼かった当時からそのことを理解していたつもりだ。だからそれは虐待ではなかった。
だが、親父のことを憎いと思う感情が俺の中に存在していたのも、また事実だった。
まだおねしょも終わらない頃から、俺は幾度となく俺からお袋を奪い、俺に苦痛を与える親父を殺してやろうと殴りかかった。だがその拳は高校に入った今現在でさえ親父に届いてはいなかった。
俺が親父に対して持っている感情は非常に複雑だといえる。
その普通の親子とはひと味違った関係性は、一言ではとても言い表せない。それでも一言で語るとするのなら、俺はあいつのことをこう呼ぶだろう。ヒーローだと。
忘れられないエピソードがある。
詳しい経緯は覚えていないが、その時の感情だけは覚えている。小学生だった俺はただ友達にいいところを見せたかった。
だから地元では有名な乱暴者で、同じ小学校の同級生や上級生に卑猥な悪戯をしているという噂のあった三人の米国人のうち、一人の指を食いちぎった。
「ヘイヘイアメリカボ~イ」とか挑発になっているのかよく分からない言葉を掛けるとイカツイ三人のアメリカ男はノコノコと追いかけてきて、事前に掘っていた落とし穴に三人が落ちたところでこっちから近付いていって指をガブリとやったのだった。
アメ公どもは三人ともが現役のレスラーみたいな体格をしていた。
落とし穴から這い出してきて、俺を捕まえた時の表情を見れば、仲間の指を食いちぎった俺を無事に帰すつもりはないであろうことはすぐに分かった。三人が三人とも、その瞳には狂気を宿していた。
俺は捕まってすぐに倉庫のような汚い部屋に連れ込まれた。と同時に、小便と大便を同時に漏らしてしまった。その部屋には拷問に使われる器具のようなものがいくつか置いてあったのだ。
俺は馬鹿だからまさか指を噛んだくらいで自分が拷問を受けるとは夢にも思っていなかったし、血を失いすぎて意識が朦朧とするまでは自分が死ぬかもしれないなんて思わなかった。
だが世の中には、自分の理解の範疇を超えてしまっている人間が確かに存在して、普段は接点がないだけで、彼らは意外と身近にいるものなのだ。
爪が剥がされた痛みもあまり気にならなくなった頃に、馬鹿な俺もようやく悟った。あれ、俺このまま死ぬんじゃね?と。
親父が来てくれたら――俺は何度もそう思ったが、それはあり得ないことだった。
その日、選挙を前にした親父は地元の名士の家を訪問する予定で、詳しくは知らないが、それをすっぽかすことは議員としての道が完全に断たれるということだった。俺を助けるために親父が来るわけがない、俺は小学生にして覚悟を決めるほかなかった。
次の瞬間、ガラスの割れる音が響くと同時に、窓を蹴破った親父が部屋に飛び込んできた。
「人の息子攫っといて五体満足で変えれると思うなよこの変態の糞虫共が!」
俺の友達から俺が拉致られたという話を聞いた親父は、俺が監禁されていた倉庫に、どこで用意してきたのか釘バットを持って現れたのだ。
親父はちらりと俺を見て短く舌打ちすると、三人のアメ公を釘バッドで半殺しの目に遭わせた。武器を持っているとはいえ、親父は自分よりも明らかに体格のいい三人の男にも怯むことなく立ち向かい、圧勝したのだ。
三人は死ななかったそうだが、俺はそれからたっぷり五年間、実はあの三人のアメ公は死んでいて親父が揉み消したと思い込んでいた。そのくらい、親父の追い込みは半端じゃなかった。
その後、地元の名士との約束をすっぽかしたはずの親父は選挙に見事当選し、何が楽しいのか今でも議員を続けている。親父の強さは桁違いだ。
親父は俺のヒーローなのだ。