岩岡家の一番強い人間(4)
「あー強くなりてーなー」
入院となった病室のベッドで、俺は独り言のつもりで言ったのだが、ベッド脇のパイプ椅子に座って居眠りばかりしていると思っていた親父はそれをしっかり聞いているようだった。
祝日の午前中、窓の外ではじいちゃんかばあちゃんのお見舞いにでも来たんだろう子供たちが芝生の上ではしゃぎまわっている。
「お前は強くなれねーよ」
「どうしてだよ?」俺は決め付けるような親父の言葉に反抗する。
病室には俺と親父だけ。母さんとリリィはまだ来ていない。
小さい頃は何度も親父と喧嘩してはこうして入院して、親父やお袋が見舞いに来ていたな。俺はふとそんなことを思い出した。
「お前は本当の強さっていうものを分かってないからだよ。お前、今みたいな生き方を続けてるとそのうち本当に死ぬぞ」
「なんでだよ?」
「それ、喧嘩屋にやられたんだって?やくざでもあるまいし、高校生が喧嘩で飯食ってる喧嘩屋相手にして勝てる訳ねーだろ。あいつらは喧嘩のプロだぞ」
「あれは……不意打ちだったんだよ」
俺は自分のひたすらダサい言い訳が恥ずかしくなって舌打ちする。それを耳ざとく聞きつけた親父は含み笑いを混ぜながら言い返してくる。
「あっそ。お前が死ぬのは勝手だけどな、死体は見つからないようにしとけよ。喧嘩屋に頼んでどこかの山にでも埋めてもらえばいい。死体が見つかると悪い噂が立って次の選挙に落ちちまうからな」
地元で議員をやっている親父は、俺にさも愉快だというような顔をしてみせた。俺はイラつくが、あんまり怪我がひどいので突っかかっていく気力も起きない。
「嫌味を言いにわざわざ病院まで来たのかよ。さっさと帰れよ」
「言われなくても、もう帰るよ。お前の面を見ていると気分が悪くなる。あ、強くなりたいんなら、最後にひとつだけ聞いとくけど、うちの家族で一番強いのは誰か分かってるか?」
「親父だろ?」
俺は自分の答えに自信を持っていたつもりだったが、
「バーカ」親父は盛大に喉ちんこを見せてから言った。
俺が親父のあまりの子供っぽさにあっけに取られている間に、答えも言わずに親父が病室を出て行き、入れ違いにリリィと母さんが遠慮がちに病室に入ってきた。
俺や親父にとってはよくあることだったが、リリィと母さんにとって俺の入院は初めてこのことだった。そういえばここ半年ほど、珍しく入院はしなかった気がする。俺も少しずつ強くなっているのだ。喧嘩屋には負けたけど。
「アーユーオーライッ?」
イギリス人の母さんは俺にも分かるように、いつも簡単な英語を使ってゆっくりと話してくれる。
ベッドの脇に立った母さんは包帯でぐるぐる巻きにされた俺を見て涙を浮かべ、もう一度ゆっくりと語りかけてくれた。
「アーユーオーライッ?」
「イエスイエス」くらいしか言えない俺は自分の英語力を恥ずかしく思う。
考えてみれば喧嘩に負けたり言い訳をしたり恥ずかしい思いばかりしている。だがこれは仕方がないことだ。全ては己が蒔いた種なのだ。
「ぺらぺーらぺらぺーらぺらぺーら」
リリィは俺にまったく気遣う様子もなく、訳の分からない英語を連発してくる。よく見れば、本屋に寄ってから来たのか、手には『よつばと!』の新刊を携えている。
俺の中にめらめらと小さな炎が芽生えるが、もうこいつのことは無視しておくことにする。
母さんはブラウンの瞳でしばらく俺のことを見ていたが、俺になんて話しかければいいのか分からないみたいだった。相応しい日本語や英語を見つけきれないのかもしれない。国際結婚なんて不便なだけだ、俺は思う。
「あーごめんね、俺、もう眠たいから。アイムスリーピー。ソーリー。ソーリーソーリーアイムソーリーなんちゃって」
俺がひらひらと手を振ると母さんは少し寂しそうな表情をして、「インアディッション、アイカム」と言い残すと、部屋を出て行った。
きっと「また来るわ」とか、「お大事に」とかいう意味の言葉を言ったんだろう。母さんの言葉はリリィのそれとは違って、だいたいのニュアンスで俺に簡単な言葉の意味を伝えることができるのだった。
これは案外凄いことなのだ、いつもリリィの訳が分からない英語を聞かされる俺には、その凄さがよく分かった。
それに俺は、母さんが夜更かしをして日本語の勉強をしていることも知っている。
イギリス人の新しい母さんは俺のことを愛そうとしてくれていた。俺はいつもそれが邪魔くさく、少しくすぐったくて、照れくさいと感じてはいたものの、やっぱり嬉しかった。
病室に残された俺とリリィ。
おおかたどこかのサッカー漫画からでも取った言葉だろう、リリィは俺を見下ろすと片言の日本語でこう言った。
「コノママデ終ワリジャナイダロウ。オ前ノ中ノジャイアント・キリングヲ起コセ」
ジャイアント・キリングとは自分より強い相手を打ち負かすことだ。リリィは俺にもう一度喧嘩屋に立ち向かえと言っているのだ。おそらく。
余計なお世話だと、俺は誰かが持ってきた見舞いのリンゴを比較的指が使える左手で掴んで、リリィに思い切り投げつけた。
リンゴが尻に当たったリリィは体をくねらせながら「イヤーン!」と叫んだ。自分の兄貴ながらマジで殺してしまおうかと思った。