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岩岡家の一番強い人間(3)

「よう悠介、久しぶり」


 ぬっと、駅前のコンビニから俺の姿を見つけた兵藤が出てきたかと思うと、俺は肩を組まれたままコンビニ裏の駐車場に連れて行かれる。もちろん抵抗しないだけで、抵抗しようと思えばこいつなんか三秒で殺すことができる。


「なんなの?いつもなんなの?そんなに絡んできて、ひょっとして俺のことが好きなの?」


 俺は一台も車の停まっていない駐車場に着くと、兵藤を肩から引き剥がしてから聞いてみた。半分冗談で半分本気だ。兵藤は何も答えずただ気持ち悪いにやにや顔を俺に見せている。

 すでに俺たちの周囲にリリィの姿はなくなっていた。

 俺が誰かに絡まれるのはいつもことだから、またいつものようにコンビニに入ってサンデーかマガジンでも読んでいることだろう。

 最初はリリィもビビって喧嘩を止めようとしたり、俺を助けようとしたりしたが、その必要がないとすでに理解しているらしい。なんたってほとんど毎日のように、俺は柄の悪そうな男たちに声をかけられるのだ。

 改めて見ると、兵藤は変わらず不細工だった。

 いつか兵藤が気を失っている間に駐車場の車どめのコンクリートで顔面を思い切り殴ったせいで鼻は潰れ、さらに歯は六本しか残っておらず、その六本の歯もシンナーで黄色く溶けてしまっている。

 いつか俺が両腕をへし折った後に髪を百本くらい引き抜いたせいで髪はところどころ禿げていたし、残った髪の毛を引っ掴んでコンビニのトイレの鏡に突っ込んだせいで顔には直りきっていない切り傷の跡が無数にあった。

 優しい俺はそれを兵藤に教えてあげることにする。できればこんなことは言いたくないのだけれど。


「兵藤さあ、お前鏡見たことあるの?せめてその不細工な顔が人並みに回復するまで俺にちょっかいかけるのはやめた方がいいんじゃない?」

「うるせーよ、俺はとにあくお前を殺したくて仕方ねーんあよ」


 歯が無いせいで、兵藤の声はひどく聞き取りにくかった。いや、シンナーのせいかもしれない。

 言い終わるやいなや、兵藤は胸ポケットからナイフを取り出し、つかつかと俺に歩み寄ると大きく振りかぶり、俺の顔面を狙って振り下ろしてきた。完全に俺を殺しても構わないというような速度でナイフが落ちてくる。

 どうしてこんなことになったのだろう?どうしてここまで取り返しのつかないところまで来てしまったのだろう?

 俺はスウェーして兵藤のナイフを避けながらそんなことを考える。きっと兵藤のシンナーで小さくなった猿並の脳みそには『岩岡悠介を殺したい』というたかだか九文字の情報しか入力できないのだ。

 俺は振り下ろされたナイフが再び振り上げられるまでの長い時間を利用して大股で兵藤の懐に潜り込むと、その勢いのまま兵藤の鼻に頭突きする。

 ガッ、という鈍い音。そして兵藤の「あぉうヴぇぇ!」という叫び。

 馬鹿な兵藤はナイフを持った手で血が噴き出す鼻を抑えるので、その手の上から左手で軽く殴りつけると兵藤の手の中にあったナイフは兵藤自身の頬をざっくりと切り裂き、赤い肉が覗いたかと思うとそこからデロデロとどす黒い血が流れ始めた。

 俺だってここまでやりたくない。ここまでやったら、正直なところ俺だって気分が悪い。

 だけど、兵藤に関していえばこのくらいやっとかないと、次の日またやってくるのだ。前の日よりもさらに物騒な武器を持ち出してな。


「あ……うあ、あ……」


 自分の学ランに流れ落ちる血をぼんやりと見つめて、兵藤はそんな声を出した。

 いつもならこれで終わりか、俺が兵藤の顔面を最後にもう一度、思い切り殴って終わりって感じだった。そう、いつもなら。


「あーひどい。ひどいね、これは」


 背中から聞こえてきた気だるそうな声を受けて振り返ると、そこに立っているのは喧嘩屋。不良たちのヒーロー。最強傭兵集団。

 俺は喧嘩屋が喧嘩しているサマを一度しか見たことはないが、その一度で奴らとは絶対に闘わないでおこうと心に誓った。奴らはそのくらいぶっ飛んでいた。俺のようなチャチな不良とは違う、本物のプロだ。喧嘩屋の腕に入った赤い拳のタトゥーを見れば誰もが震え上がる。

 俺はあまりの出来事にひどく顔をしかめて天を見上げてしまう。それがもう失敗だった。というか兵藤と知り合ってしまったことからがもう失敗だ。

 その二秒後には、俺は前歯を二本折りながら駐車場の車どめに強烈なキスをしていた。

 さらの十秒後には繰り返し俺の腹にかまされる丸太をぶつけられるような蹴りのダメージを減らそうと体を亀みたいに丸めて、三十秒後には片方の金玉を握り潰されて小便をちびりながら「もう片方だけは勘弁してください」と喧嘩屋に泣きながら命乞いしていた。

 今まで感じたことのない恐怖に、たったの数十秒で俺は支配されていた。こんな経験は初めてだった。体中の肌という肌が粟立ち、熱が四十度以上出たみたいに震えが止まらなかった。喧嘩屋は人の心を刈り取る方法をよく知っていた。


「調子に乗ってると殺すぞ」


 喧嘩屋がぼそっとつぶやいたその一言で、俺は今この瞬間、本当にこいつに殺されてしまうんだ恐怖したし、殺されないためには何でもしようと決意した。

 かろうじてもう片方の金玉を握り潰されるのは避けることができたが、歯をほとんど折られ、髪を抜かれ、鼻を潰され、右手の指を全て折られて駐車場にほうり捨てられた俺はまるで瀕死のドブネズミ。それはどう考えても兵藤のリクエストに他ならなかった。そのどれも、俺は兵藤相手にやった覚えがあるのだ。こんなに痛くてひどいことしてごめんよ兵藤。

 ってなことを考える余裕もなく、痛みはマッハ三で全身を駆け巡って、俺の額からはだらだらと気持ち悪いくらいに脂汗が流れ落ちた。


「調子ぶっこいてっからこんあことになるんあぞ」


 兵藤の笑みの混じった声がして、うつ伏せで倒れたままの俺の腹は兵藤によって何度も蹴り上げられる。

 それは兵藤が雇った(と思われる)喧嘩屋の蹴りに比べたらマザー・テレサのビンタくらいの威力しかなかったが、俺はわざとよく効いたフリをして大げさに悶絶してみせた。喧嘩のコツとは、ただパンチ力が強いってだけじゃなく相手を騙す技術でもあるのだ。

 兵藤の痰の混ざった唾が俺の顔に向けて吐き捨てられ、俺は神経が焼け付くほどの痛みと戦いながら、恐怖を焼き尽くすほどの怒りのみを原動力にふらふらと立ち上がって兵藤を殺そうとするも、喧嘩屋が満身創痍の俺の腹を思い切り殴りつけるから俺は駐車場に盛大に吐しゃ物を撒き散らして腹を抱えたまま駐車場を転がりまわった。

 さらに喧嘩屋の蹴りは転がりまわる俺を容赦なく狙う狙う。


「勘弁、ひて……」俺はそんな情けない言葉を口にしていたが、残念ながらその願いは聞き入れられなかった。


 俺を蹴る音が、次第にどこか遠くのほうで聞こえるようになっていた。あ、これヤバイわ。俺は思った。

 今まで感じたことのない感覚、心地よさや気持ちよさとも言い換えれそうな感覚を体中に感じて、俺は半ば死を覚悟した。

 意識が遠くなってきたなぁと思っていたら、側頭部に誰かの蹴りが入り、細い線になっていた俺の意識はそこでようやくぷっつりと途切れた。

 やがて目を開けるとそこにはリリィのデカイ顔があった。

 周囲は薄暗くなっており、兵藤と喧嘩屋の姿はもうそこにはなかった。

 そして俺は理解する。俺は喧嘩屋に惨めに負けたのだ。かっこ悪く命乞いして、泣きながら自ら敗北を認めたのだ。俺は最低の臆病者だ。さらに言えば玉無しだ(もう一個残ってはいるが)。

 視線を下げればズボンは血と小便が混ざってビショビショで、チンポの感覚はほとんど無くなっていた。もう二度と勃起しないかもしれない。


「男ナラ誰ダッテ一回ハ、地上最強ヲ目指スノサ……ナンテ。デモオ兄チャンモ喧嘩に負ケルコトガアルンダネ。キャンユースタンダップ?」


 リリィが言ったのはおそらく『刃牙』という、俺の愛する漫画に登場する言葉だった。

 リリィが漫画の名言を口にするのはいつものことだが、今日ほどムカついたことは今までになかった。つまりリリィは俺が今まで地上最強を目指していたけど、今日の敗北で諦めたと思っていやがるのだ。


「うるへー。それにお兄ちゃんはお前だろうが」


 俺はリリィをぶん殴ろうとして自分の現状を思い出し、ただそう吐き捨てるだけにしてリリィに差し出された馬鹿でかい手を取ると、行きつけの病院へと向かうのだった。

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