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HERO(1)

「昔は良かった」だとか「あの頃は良かった」なんてことを言う奴は人生を諦めたどうしようもないクズ野郎で、そんな奴やそんな表情をしてる奴を見ると片っ端からぶん殴っていきたくなる。

 なんていう時代が、確かに俺にもあった。もう何年も前の話だ。

 でもこうして毎日のように近所の緑地公園をぶらぶらやってる今になると、そいつらの気持ちもよく分かる気がするから人間とは不思議なモンだ。

 俺は思う。確かに栄光の時代というのは何倍にも美化されて脳の中に蘇るものなのだ。

 それは時としてとても残酷なことだ。脳みその中の俺はまだまだ現役でロー!ハイ!ミドル!ジャブジャブ!ワンツー!ドギャーン!なんてやって何人もの屈強な挑戦者たちをマットに沈めれるはずなのに、左足の腱をやって現役を引退してからはこうして公園をぶらぶらやるばかりで体は鈍っていく一方。

 優しい母さんは親父との些細な喧嘩が大喧嘩に発展してリリィを連れて故郷に帰っちまうし、ついでにさっき財布も落としてしまった。

 だからこうして公園ぶらぶらしかやることがないのだが、それもいい加減に飽きてきた。

 これ以上、この辺りの浮浪者と仲良くなる前になんとかしないといけない。どうもあいつらの中には俺が住処を探してさ迷ってると思い込んでいる奴もいるみたいだし。

 俺は若くして浮浪者の仲間入りを果たす前に、自分のこれから歩んでいく道を見定めないといけないのだ。


「――帰るか」


 そんな独り言を言いながら自宅に足を向ける俺が考えるのは、いつもと同じで残酷な現実のことだ。つまり、人はいつまでもヒーローではいられないということ。

 守るべきものを失い、力を失い、ヒーローはいずれヒーローでなくなる時がくる。いつまでもドギャーン!とかなんとかやってられないのだ。

 十数何年前にジョーカーを演じたヒース・レジャーがアカデミー賞助演男優賞を穫って話題になった大作映画『ダークナイト』でも、なんとかって市長は恋人を失ってゴッサムのヒーローから一転、醜い怪人に変わったじゃないか。あの映画じゃ、バットマンだってヒーローで居続けるか迷ってる。

 フィクションの中でさえ、ヒーローはヒーローのままでいられないのに、俺なんかがいつまでも強いままでいれるわけはなかったのだ。

 家に帰り着くと親父が一人、座敷で花を活けていた。


「それって楽しいの?」と親父の背中に向けて声を掛けるが、親父は「黙れ」とそっけない。


 名前を知らない大きな赤い花の配置を何度も変えては不満そうな親父の背中を、俺は眺める。

 思えば親父の背中も、学生の頃に見ていたものと比べて随分小さくなったもんだ。同じ年のオッサン(再来年に還暦を迎えるはずだから、もうオジイサンかもな)と比べるまでもないが、今じゃ俺やリリィの三分の二くらいの肩幅しかないだろう。

 そして俺はまたもあの言葉を思い出して悲しくなるのだった。


 人はいつまでもヒーローではいられない。


 あぁ無情、ってやつだねこりゃ。俺はぼりぼりと頭を掻いた。


「そういえば、リリィから連絡はないのか?」


 ようやく赤い花を挿して満足そうにしている親父が言うから、俺はちょっとだけ意地悪をしてみたくなってくる。母さんからと言わずにリリィから連絡はないのか、と聞く辺りがなんとも情けないじゃないか。


「そういえばリリィからメールが来てたな。元気だから心配いらないって。母さんも実家に帰って生き生きしてるってさ。腐ってるのは俺と親父だけだ」


 それは嘘で本当はメールなんか来てないんだけど、親父が小声でそうか、としか言わないから俺はイラついて畳をぶん殴ってから立ち上がった。子どもみたいなことをやってる自分自身に、俺はますますイラついた。

 奥の部屋に引っ込むとき、親父は相変わらず小さな背中をしたまま不思議そうにこちらを見つめていた。

 その次の日も次の日も次の日も、俺はひたすら公園をぶらぶらし続けた。

 運がいいことに、俺がリングで活躍していた時期と格闘技ブームが到来した時期が重なって、ファイトマネーはたんまり貰ったし、恋人もいないから金はあるのだが、やっぱり人間は働かないといけないと考え公園の帰りに仕事を探すのだが、低学歴な俺の就職活動は困難を極めた。

 医者からまだしばらく激しい運動が禁止されているので肉体労働はダメだし、あんまり頭を使うのも向いてない気がする、というか向いてない。それに俺は手先が不器用なので単純作業もチョット……。

 そんなことを書いて何社かに履歴書を送るけど、どこからも今回はご縁がなかったようで、なんて書かれた手紙しか返ってこなかった。

 唯一面接をやってくれた会社は、社長がかなりの格闘技マニアということで、サインを何十枚も書かされただけで追い返されてしまった。

 俺はいつものように緑地公園をぶらぶらして、やがて疲れてきたので公園の端にあるベンチに腰掛けた。


「ゆーちゃん、なんか辛いことあったかい?背中が泣いてるぞ」


 振り返るとそこにはいつもこの辺りで見かける浮浪者の姿があった。

 彼は俺の悠介という名前を知っていて、いつもゆーちゃんと呼んだが、俺は彼の名前も年齢も知らなかった。知っているのは、彼が家も家族も持たない浮浪者だっていうことだ。

 彼は俺の隣に腰を下ろした。


「仕事を探してるんだけどね、なかなか決まらなくて。誰も彼も上っ面だけで、俺の本当のところを見ようとしてくれないんだ」


 俺は正直にそう打ち明けた。名前も知らない彼は、今では俺の胸の内を開かせる数少ない人間の一人になっていたのだ。


「分かるよ、ゆーちゃん。面接官なんてもんは、機械と同じさ。俺たちが自尊心を持った人間だなんて、思ってもいないんだよ。だからあんな紙切れ一枚で縁がありませんとか、採用を見送りますとかさ――」


 飛ばした唾を伸ばした髭にくっつけながらまくし立てる彼を見て、俺は彼もいつかはヒーローだった時代があったのだろうかと考えた。

 俺は途中から話を聞いてなかったのだが、彼は自分が興奮しすぎていることに気付いたのか、話を途中で取り止めて恥ずかしそうな表情を見せた。


「ま、これでも食べて元気出せよ」


 そう言って彼が懐から取り出したのは、新聞紙にくるまれた焼き芋だった。一口かじってみると、冷え切った胸に暖かさがしみ込んでいくようで、ふとすると俺は泣き出してしまいそうだった。


「じゃあ俺はこれから缶拾いに行くから、ゆーちゃんもいつまでもメソメソしてないで元気出せよ」

「おう、ありがとう」


 日に日に冷たくなっていく風が首元を撫でていき、俺はデカいくしゃみをして身震いした。

 手の中にあった焼き芋のカスがこびりついた新聞紙で鼻をかむと、目の前の小さな活字が俺の目に津日込んできた。


 ヒーロー急募!090‐××××‐××××に連絡求む!


 これは運命だ、俺はそう確信して立ち上がった。

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