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監禁  作者: 友野久遠
2/2

後編

 目を開けると、ミチルは畳の上に転がされていた。

 朽ちかけた卓袱台の前で、男が胡坐をかいてコップに何かを注いでいる。

 あの独特の、磯臭い潮の香りが鼻を突いた。

 次の瞬間、ミチルは男の腕で抱き起され、その白濁した液体を突きつけられていた。 首を振って拒否しようとしたが、体が自由に動かないので抗いきれなかった。 唇にコップが押し付けられる。

 「飲め。 ほら素直に飲めよ、あんた死にたいのか」

 脅迫されて、ミチルは観念した。 力を抜いた唇から、生臭い海獣の唾液のような物が、口の中になだれ込んで来る。 飲み込むと同時吐き気がこみ上げ、、飲んだものを半分以上戻した。 男の腕に、ミチルの吐いた物が吹きかけられる。


 男がミチルを突き飛ばし、大声で怒鳴り始めた。 恐怖のために、ミチルは彼が何を言っているのかわからなかった。 襟髪を掴まれ、無理やり担ぎ起こされる。 もうダメだ、殺される。 毒薬も半分は飲んでしまったし、自分は助からないだろう。

 その時ミチルの手に、何かが触れた。 さっき手にしていた金槌が、床に転がっていたのだ。

 ミチルは思い切り、その最後の武器を迫害者に向かって振り回した。


 重い手ごたえと同時に、男が白目を剥いた。 側頭部にヒットしたのだ。

 男の下品な厚い唇の隙間から、白い泡が噴き出す。

 床にずるずると座り込みながらも、男の手がブルブル伸びて、ミチルから金槌を奪おうとする。

 ミチルはそれを避けて体を引くと同時に、もう一度金槌を振り上げた。

 今度は顔面を狙った。 まず眉間に一発。 まだ倒れないので、二発目も顔を攻撃した。 男の左目に金槌が食い込むと、ぐしゃりと嫌な音がして、ミチルの顔に生暖かい物が飛び散った。 あぐッ、と嫌に控えめな声を残して、男は床に昏倒した。


 (まだよ。 まだ動くもの)

 男の体はまだがくがくと振動を続けている。 動けるうちは安心できない。 起き上がって追ってくるかも知れない。 なにしろ人を監禁して毒殺しようとした極悪人なのだ。 

 ミチルは男の腰に馬乗りになり、今度は何度も続けてガンガンと叩いた。 暴れて逃げようとするので、左手で首を押さえつけて打ち続けた。

 止めに来る手も怖かった。 悲鳴を飲み込みながら、掌を床に押し付け、手の指をガツンガツンと金槌で叩き潰す。 そう、頑張ればドアの蝶番だって壊せたのだ。 ちゃんと壊せば逃げられる。 頑張れ、頑張れと口の中で唱えながら、リズムをつけて叩き続けた。

 叩けばドアが開くような気がした。

 叩けば助けが現れるような気がした。 




 やっと警察が来てくれた。 

 サイレンの音の洪水の中、ミチルは昏倒した犯人と一緒に救急車に乗せられた。 車内で暑いから飲めと言って、ペットボトルの水を渡された。

 病院での診察が終わると、警官がミチルの腕を取った。 ようやく保護されたとホッとして深いため息をついた途端、いきなり音高く頬を叩かれた。 茶色に髪を染めた中年の女がミチルに掴みかかってきたのだ。

 「この人殺し! あんた自分が何やったのかわかってんの!?」

 「……誰?」

 女の顔に見覚えはない。 わかっているのは、この女と犯人の男が夫婦であるらしいことだ。 女は男の後から別の軽乗用車でやって来て、昏倒している男を発見し、警察に通報したのだった。

 「覚えてないって言うんでしょうね、そりゃそうよね。 自分の家族の顔も忘れるのに、私なんて他人だものね」

 女は怒りでひきつった顔を、ミチルの隣で途方に暮れている警官に向けた。

 「あのひと、ずーっと心配してたんです。 この人がオシッコが近いだのなんだのって滅多に水を飲まないから、熱中症起こしかけてしょっちゅう足がつるんだって。 だからスポーツ飲料水を飲ませようと思うって。 毎日毎日、会社に行く前に様子見に来て、昼休みに寄って、夜帰りにまた寄って、すごく気にかけてたのに」

 「勝手なことを。 人のことを監禁したのはあの男ですからね」

 ミチルが言うと、女は目を剥いた。

 「鍵を閉めないと、あんた勝手に何処かへ行っちゃうでしょう?

  何度警察に保護されたか覚えてないの? 何度溝に落ちたか、何度車に轢かれかけたか、何度近所の人の家でお世話になったか、全部忘れてるのよね。 通帳が無くなったとか貯金の金額が違うとかで、あの人や私を何回犯罪者扱いしたかも覚えてないんでしょう。 最初は2階に置いといたんだけど、階段から転げ落ちるから下に降ろしたら、今度は窓を壊すし、逃げちゃあ近所に殺されるって触れ回って」

 女はため息をつき、警官に向かって涙ながらに訴えた。 

 

 「私、最初に言ったんですよ。 お義父さんが亡くなった時に、一緒に住みましょうかって。

  この人、こう言ったわ。 和臣さんとの思い出が詰まったこの家を離れたくないわって。

  偉そうなこと言ったくせに、2年も経たないうちにお義父さんのことも結婚してからのことも、ぜーんぶ忘れちゃったんじゃないの! 今じゃ、お義父さんの写真が怖いって泣くんだって。 愛しい和臣さんが聞いてあきれるわ。 

  挙句の果てに自分だけすっかり若い頃に戻った気になって、何がミチルちゃんよ、気持ちが悪い!」

 「奥さん、落ち着いて」

 「自分の息子を殺しておいて、涼しい顔して! このクソ婆あ!」


 警官に両脇を挟まれ、パトカーに乗せられながら、ミチルの心臓はドキドキと落ち着かなかった。

 この警官は何のために来たのだろう。 自分をどこに連れて行くのだろう。

 何かの陰謀かも知れない、自分は陥れられたのかも知れない。

 両親や和臣は、きっと自分を救おうとしてくれている筈だ。 彼らと連絡を取らねばならない。

 

 動き出したパトカーの中で、無線連絡をする警官の声は、ミチルにとって半分以上意味不明だった。

 「小野町4丁目で56歳の会社員が金槌で殴打され、死亡。 犯人の身柄は確保。 片山ミチル、85歳。

  認知症で会話がすれ違う状態、脱水症状があり先に病院へ寄りました。

  家族の顔がわからず、息子を誘拐犯と思い込んで撲殺した疑い。 これから署に連行します」

 


 ミチルが本当に戦わなければならなかった敵は、誘拐犯でも毒薬でもなかった。

 幸せな時間をひとかけらも残さず次々と飛び去ってしまう、己の記憶力こそが彼女の敵だったのである。 


 現在、高齢者ばかりの地域に住んでいます。 罵倒、俳諧、等々近所でいろいろと大変な事件が日々起こっているので、その中からネタを頂きました。

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