7.教えてほしい?
「ほら、お姫様。どうぞお手を」
エイジがうやうやしく手を差し伸べてきたので、マツリはためらいながら視線を上げた。
さっきと打って変わった、ふんわりと柔らかい表情で、彼女が手を出すのを待っている。
マツリは、日に焼けた手のひらをみつめた。
何をたくらんでるの?
彼が差し出した手と顔の両方を交互に見て、マツリはごくりとつばを飲み込んだ。
きっとまた、さっきみたいにからかうつもりなんだ。
そうに決まってる。
もう騙されないんだから!
そうやって必死に思い込もうとしたけれど、肝心のマツリの心臓のほうが裏切って、胸をどきどきさせて激しく彼女を揺さぶり続けていた。
だって、そうでしょう?
こんなキレイな子にみつめられて、何にも思わないほうがどうかしてる。
おまけに自分から手を差し出して、わたしのこと待ってる。
わたしが手を出したら、エイジ君は……。
「いいよ、ひとりで立てるから」
やっぱり、男の子の手を取るなんて恥ずかしいことできない。
そっぽを向いて断った。
それに……。
マツリは、自分の手のひらを見た。
さっき尻餅ついて地面に手をついたとき、手のひらが汚れてしまっていた。
汗でべとべとになって砂がくっつき、水のみ場の水道で流さなければキレイになりそうにない。
そんな手で、どうやって彼に触ればいいっていうの?
するとエイジの右手がマツリの左手をつかんできたので、マツリは驚いて抗議の声をあげた。
「何するのっ? 離して!」
「何もしないよ。ただ立つのを手伝おうとしてるだけ」
平然と言いながらエイジは左手をマツリの腰へまわし、そのまま力を入れてぐいっと自分のほうに引き寄せた。
抵抗する間もなく彼に導かれ、自然に身体が上に引っ張られる。
マツリはエイジの身体の前に立たされ、彼の体温を感じられるほど近い距離にいた。
視界が彼の胸によって再びふさがり、他の存在がわからなくなった。
ひっきりなしに鳴くセミたちの声だけが、マツリにその存在を訴える。
び、びっくり。
エイジ君こんな細っこい身体してるのに……。
女の子みたいな容姿と裏腹な彼の腕の力強さを知って、マツリは戸惑い身を震わせた。
腰に廻された彼の大きな左手と、すっぽりとマツリの手を包み込む彼の右手。
自分のとは違う、たくましい汗の匂いと熱が伝わってきて、まぶたまで震えだす。
知り合ったばかりの男の子に身体を触れられて、正直言って怖い。
でも、自分を気づかうように支えてくれる彼の手によって、とても優しく守られているような気がして……。
マツリは目を開けていられず、ぎゅっとまぶたを閉じた。
こんなふうに優しくするなんて、小学生のくせにずるいよ。
だってエイジ君、まるで王子様か騎士みたいなんだもん。
何もかもリードして、カッコつけちゃって……。
本当にずるい。
まだ小学生なのにずるいよ。
「女の子は、黙って男にエスコートされればいいんだよ」
マツリの頭の上から、ふいにエイジの声が降ってきた。
(エスコート?)
ぱちっと目が開いた。
テニスコートだったら知ってる。
聞きなれない言葉にクエスチョン・マークだったけど、マツリは黙って下を向いていた。
エイジに手を重ねられたまま、彼の顔をまともに見ることができなかったからだ。
「あれ、ひょっとして知らないの?」
マツリは頭をわずかに動かして、こくっとうなずいた。
「ふーん、日本の女の子たちは慣れてないんだな。だから、あんなことにびっくりするんだ」
エイジはひとりで納得するようにつぶやいた。
「あんなことって、どんなことなの?」
思わず気になって、疑問を口にした拍子に顔を上げてしまった。
エイジと目が合う。
彼の顔に、あのふてぶてしい笑みが戻っていた。
「教えてほしい?」
エイジは、マツリを握る手に力をこめた。
「いい! 別に教えてほしくなんかないっ」
びっくりして、マツリはエイジの手をあわてて払いのけた。
危ない、危ない。
またからかわれるところだった。
彼に握られていた手を反対の手でさすりながら、きつい目でにらんだ。
ったく、ちっとも油断できないんだから!
しかし、エイジはそんな彼女を見て、うれしそうに笑った。
「あーあ、失敗しちゃったかあ。もうちょっとで、引っかかるところだったのになあ」
反省するそぶりを少しも見せず、小学生らしい顔をして、にっと歯を覗かせた。
「そうだよ! もう、そんな手には絶対のらないよ」
弟のタカと変わらない、その子供っぽい笑顔にマツリは安心して口を尖らせた。
よく考えたら……ううん、よく考えなくたって相手は小学生。
いつもタカやナオト君にやってるように、普通にしてればいいんだ!
さっき手をさすったとき自分の手にチューペットがあったのに気づいて、マツリは本来の目的を思い出した。
この暑さとグズグズやっていたせいで、チューペットの半分は溶けて液体になっている。
今だったら、いつも通りの自分を取り戻して、エイジに頭を下げることが出来そうな気がした。
次は、作者も忘れていたチューペットの出番です。
普通忘れないだろ! というご指摘は、ご勘弁ください。