6.彼女の悩み
バレンタインを明日に控えた前日の日曜日、マツリは朝から頭を悩ませていた。
二週間前に恋する女の子として一大決心をしたものの、具体的にどうしたら良いのかわからなくて、悩んでいるうちに時間だけがあっという間に過ぎてしまったのだ。
「マーちゃん、マーちゃん。マーちゃんってば!」
――あ。
「ごめんね、アイちゃん。ボーっとしてて話聞いてなかった。何だった?」
愛子に名前を呼ばれていることにやっと気づいたマツリは、「えへへ」と苦笑いを浮かべた。気恥ずかしさを隠すように、コーラをストローでチュウチュウ音をたてながら飲む。
「マーちゃんはチョコいっぱいゲットしたんだね、何個買ったの? って言ったんだけど……」
マイペースなマツリに慣れっこの愛子は、嫌な顔せずニコニコ笑顔でテーブルに肘をつきマツリの返事を待った。
「うん、あ、これ……?」
マツリは、自分の隣の椅子に置いてある大きな紙袋を見た。
ショッピングセンターのロゴが入った、その茶色の紙袋の中には、色とりどりの形が異なる箱がいくつも入っている。先程バレンタイン・チョコレートの特設売り場で手に入れたばかりのものだ。
「なんか迷っちゃって。アレもコレも、みーんな美味しそうだったもん」
「ふふ、食いしん坊のマーちゃんらしいな」
愛子もまた、マツリと同じようにコーラを飲みながら、マツリの隣の椅子に置いてある紙袋に視線を移した。溢れんばかりにチョコの箱が重なっているので、マツリが本命以外にもチョコレートを買ったのは明白だ。
――マーちゃんたら、お人好しなんだから。でも、そこがマーちゃんの可愛いところなのよね。
「冷めないうちに食べよ、お腹減っちゃったし」
「うん!」
二人は、フライドポテトに手を伸ばしてつまみ始めた。
マツリと愛子の二人は、バスに乗り地元のショッピングセンターに来ていた。
休日ということもあって、どの階も家族連れやカップルなどの買い物客でにぎわっていたが、中でもバレンタイン・チョコレートの特設売り場はたいへんな混雑ぶりだった。特に二人と同じ十代の女の子たちが真剣に商品を選ぶ姿が目立っている。
そして、二人は、肩をぶつけ合いながら何とか会計を済ませ、ちょうど今三階のフードコートで休憩をとっているところだ。
彼女たちが向かい合って座っているテーブルには、おやつ代わりに某大手ファーストフードで買ったコーラとポテトがトレイの上に置かれてあった。
「えーと……」
マツリは、紙袋を自分の膝の上に置いた。
「パパとタカの分でしょ。ママと自分用と、キンキンに……全部で七個、か……。買い忘れないかなあ」
指をひとつひとつ折り曲げながら、マツリは買ったチョコの数を数えた。すると、愛子がムッとした顔でポテトを一本口に放り込んだ。
「キンキンの分まで買ったの? あんなヤツの分まで買わなくてよかったのに」
ムシャムシャと噛み砕いてゴクリと飲み込む。マツリには、愛子が意地を張っているように見えた。
――アイちゃん、素直じゃないなあ。本当はキンキンのことが気になるんじゃないの?
友チョコなのか本命チョコなのか本人に聞いていないのでわからないが、マツリは愛子が野球ボールの形をしたチョコを選んでいるところを目撃していたのだ。
乙女の第六感がピピっと働く。
――きっとキンキンにあげるつもりなんだ。
マツリは、愛子の顔を見てクスクス笑った。
「だって、友達だし。キンキンだけ仲間ハズレにするのは、かわいそうなんだもん……はい、これ!」
紙袋の中からキレイなピンク色のリボンでラッピングされた箱をひとつ取り出し、愛子の前に置いた。愛子がハッとしてマツリを見る。
「アイちゃんの分だよ。かわいいバラの花の形のチョコなの。アイちゃんにピッタリだな、と思って……気に入ってくれるといいんだけど」
「ま、マーちゃん、ありがとう! チョコちょうだいって言ったこと覚えてくれてたのねっ。わたし一生大切にするっ!」
よほど嬉しかったのだろう。愛子はチョコの箱を胸に抱きしめて頬ずりまでした。
「すぐ食べた方がいいよ。お腹こわすといけないし……」
「うん、でも……もったいないなあ、すぐ食べるの。可愛いから」
マツリの顔がパッと明るくなった。
「わかるわかる! わたしもそうだもん! わたしもエイジ君にあげるって言うより、自分が好きなの選んじゃってるし……」
元気よくにこやかに話していたマツリだったが、急に声のボリュームが小さくなって終いには口をつぐんでしまった。
エイジの名を口にしたことで、この二週間ずっと胸に秘めていた想いをまた思い出したからだ。
ドキドキと脈拍がにわかに早くなる。
「マーちゃん、どうしたの? 何か気になることあった?」
愛子が心配そうにマツリの顔を覗き込んだ。
「ねえ、アイちゃん……。あの……ちょっと、聞きたいことがあるんだけど……」
マツリがキョロキョロと周りを気にしながら話を切り出した。声をひそめて前かがみになる。
「なあに、マーちゃん。どうしたの、何か心配事でもあるの……?」
愛子もマツリと同じように声を小さくし前かがみになった。
「アイちゃんって、あの、その……さ、き……」
「き?」
「きっ、キスしたことある……?」
マツリがこれ以上ないってほど顔を真っ赤にして愛子の顔をじっと見たので、愛子は「ブッ!」と飲みかけていたコーラを吹き出しそうになってしまった。ゲホ、ゴホと咳き込む。
「だいじょうぶ、アイちゃんっ?」
マツリは、腰を浮かせ愛子の背中をさすった。
「だっ、だいじょうぶ! だいじょうぶだけど、ビックリしちゃって……」
涙目になって愛子は、マツリを見上げた。
「ねえ、マーちゃん。キスって、あのキス……のこと? つ、つまり接吻……?」
「う、うん。そう……あのキス……」
マツリは、下を向いてもじもじしながら答えた。
「変な風に思うかもしれないけれど、こんなこと聞けるのアイちゃんしかいないから……」
もちろん彼女の両手はスカートの裾の上だ。
「ちょ、ちょっと待って、マーちゃん。わたしだって、わからないわよ! それに聞く相手を間違えているんじゃない? そんなこと彼氏に聞けば喜んで教えてくれるんじゃ……」
「ダメ、それは絶対ダメなの! エイジ君には、絶対内緒なの……」
消え入りそうな声で話す彼女に、愛子は気を取り直し姿勢を正した。
「どうして内緒なの?」
「だって、突き飛ばしちゃうんだもん。来るとわかったら勝手に手がでちゃって、エイジ君を突き飛ばしちゃうんだもん……。だから、エイジ君ずっと待っててくれて……。でも、それじゃダメだよね……? 彼女失格だよね……? だから……」
愛子は、あんぐりと口を開けてマツリの真っ赤な顔を見つめた。
「だから……えーと、その、自分から……キスしにいけば、だいじょうぶかなあ……と思って……。自分からいけば、心の準備ができるし……。でもね、やり方が全然わからないの。DVDや少女マンガを見て研究したんだけど……具体的なところがわからないの……」
「ぐっ、具体的なところって……?」
「あ、あのね、何センチまで顔が近づいたら目を閉じるとか。でも、目を閉じたら顔が見えないから……どの場所にいくかわかんないでしょう……? あと、息をどうするかとか、とにかくいろいろなの!」
マツリは、愛子の手をとってギュっと握りしめた。
「お願い、アイちゃん教えて! わたし、明日のバレンタインにエイジ君の本当の彼女になりたいの……!」
「お、落ち着いてマーちゃん。落ち着いてよ……」
――マーちゃん結構キワどいよ、そのセリフ……。全然気づいてないところが、マーちゃんの可愛いところだけど……。あの子、相当苦労してるっぽいなあ。
愛子は、マツリの手を握り返しながら、美少女みたいなエイジの顔を思い出した。とたんに腹立だしい思いが込み上げる。
別にいいわよね。わたしのマーちゃんを彼女にしているんだから、それぐらい苦労するのは当たり前よ!
そして、ウブで何も知らない親友にどう答えようか彼女は悩むのであった。