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恋が始まる必須条件  作者: このはな
恋が始まる必須条件 バレンタイン・ガール編
37/44

4.彼と彼女が置かれた事情

 チョコとミルクの濃密な甘さと香りが、マツリの気分を落ち着かせるのに一役買ったようだ。


「ごちそうさまでした! あー、おいしかった!」


 マツリは、タカヒロが用意してくれたホットチョコレートを飲み干すと、空っぽになったマグカップをガラステーブルの上に戻して、上機嫌にパチンと両手のひらを合わせた。


「タカったら、ホットチョコレートを作るの上手だよね。わたしにも作り方を教えてよ、お願い!」


 弟の機嫌を伺うかのように、マツリはどんぐり眼をくりくりさせて彼を見上げていた。少し目が赤いが、さっきまでベソをかいていたとは思えないほどの不自然なはしゃぎ具合だ。


 ――なーる、聞かれたくない何かがあったわけね。


 心の中で「なるほど」の後半部分を省略しながら、タカヒロはマツリの前に置かれたマグカップに手を伸ばした。


「お願いしたってダメだよ。このホットチョコレートは、女人禁制。神崎家男子のみにしか許されない秘伝のレシピなのだ」


「ええーっ」


 マツリは大きな声で不満を訴えたが、タカヒロは彼女を無視してマグカップをササッと盆に載せた。


 くるりと背を向けてキッチンの流し台にまで盆を運び、水道の蛇口をひねる。キッチンの隣のリビングにまで水の流れる音が届くように、わざと水量を調節した。


 ――女人禁制だなんて、変なの!


 姉を無視するタカヒロが、思いっきり気に入らない。


 マツリは、不満げに口を尖らせてスカートがめくれるのに構いもせず足を組むと、ソファにふんぞりがえって「イーッ」と歯を見せた。


「タカのケチんぼ!」


「フン、何とでも言え!」


 タカヒロも負けずに、姉に向かって「あっかんべー」と舌を出した。姉弟ゲンカをしている間でも、マグカップとミルクパンを洗う手を休めないのが彼らしいところだ。


 ――ちぇっ、しょうがないだろう。内緒にしておかないといけないんだから。


 そして彼は、洗剤で泡立てたスポンジを握りしめながら、今は単身赴任で家にいない父親と交わした過ぎし日の会話を思い浮かべるのであった。




『いいか、タカヒロ。父さんがいない間、我が家の男はおまえ一人だけになるんだ。だから、しっかりするんだぞ。母さんとマツリを頼んだぞ』


『うん、わかったよ、父ちゃん。オレに任せといてよ』


『あと、この前教えたホットチョコレートの作り方を覚えているな? 一応レシピを渡しておくから、ちゃんとしまっておけよ。母さんやマツリには、絶対内緒にしておくんだ』


『どうして母ちゃんや姉ちゃんには内緒にするの?』


『ハハ、それはな、タカヒロ。母さんもマツリもホットチョコレートが大好きだからさ。どんなに不機嫌な時でも、これを一口でも飲めば、あっという間に笑顔になるんだ。それにな、女性を笑顔にするのは男の役目なんだぞ。だから内緒にしておくんだ。わかったな』


『わかったよ、父ちゃん! 父ちゃんがいない間、オレがんばるよっ』


『よーし、男と男の約束だ』


『うん、男と男の約束だね!』




 ――あれからもう二年か……。あの頃のオレって、素直でかわいかったよなー。


 タカヒロがしみじみと懐かしい思い出に浸っているときだった。ピンポーンとインターフォンが鳴った。


「ひゃっ……!」


 マツリが、いきなりソファからガバッと立ち上がり右往左往しだした。顔色まで赤くなったり青くなったりと信号のように変わって忙しそうだ。なおかつ、「どうしよう、どうしよう」とブツブツ同じ言葉を繰り返している。


「変な姉ちゃん。何、ビビっちゃってるんだよ。インターフォンが鳴っただけじゃないか」


 マツリの事情を知る由もないタカヒロには、姉の行動が面白く映った。マツリのあわてようが可笑しくて、思わず笑みを漏らしてしまいそうになる。


 ――おっと、やべー。笑うの禁止!


 姉に見とがめられたら、今度はゲンコツが飛んでくる。


 笑いをかみ殺しながら、タカヒロは蛇口をしめて濡れた手をタオルで拭いた。応答するためにキッチンの壁に掛けてある白いインターフォンの前に、スリッパの音を立てて向かう。


「へいへい、ちょっくらお待ちくださいよ、っと……」


 彼が通話スイッチを指一本で押そうとしたら、マツリがハッとして声をあげた。


「タカ、ダメーーッ!」


「うわっ、なんだよ、姉ちゃん!」


 タカヒロは、持っていたタオルをピンと真っ直ぐ伸ばして、とっさに身構えた。マツリがタカヒロに向かってカラダごと突進してくるのが目に入ったからだ。


 が、タカヒロは、闘牛のように駆けてきた彼女を、闘牛士(マタドール)のごとくスルリと横に飛びのきうまくかわした。そのため、マツリは勢いあまって冷蔵庫に「ドシン」とぶつかってしまった。


「あー、いったーい! タカ、なんで()けるのっ。おかげで鼻をぶつけちゃったじゃないっ」


「何だよ、そんなムチャクチャな……ギクッ」


 反論しかけたタカヒロの口が止まってしまった。真っ赤になった鼻を手で押さえながら、マツリが一生懸命にらんでいたのだ。ホットチョコレートを飲んで、せっかく引っ込んだ涙が、また彼女の目に溜まって溢れそうになっている。


「タカっ、お願い! 出ないで! 出たらダメ、居留守してっ」


 彼女は、必死になってタカヒロに命令してきた。 


「ムリ言うなよなー、姉ちゃん。母ちゃんが、まだ買い物から帰って来てないんだからさあ。ちゃんと留守番しておかないと、母ちゃんに頼まれたオレが怒られちゃうだろー」


 すると、マツリが言いにくそうに口をもごもご動かした。


「だって、たぶん……。きっと……なんだもん」


 しかし、あまりにも彼女の声が小さすぎて何を言ってるのかタカヒロにはわからない。


「へ、何? 聞こえないよ」


 タカヒロがそう聞き返したとたん、マツリは大きく口を開けた。


「だって! きっと! インターフォン押したの、エイジ君、なんだもーーんっ!」


 そして、真っ赤になって下を向き、スカートの裾に手をやってにぎにぎし出した。不都合な状況に陥ったときに出るマツリのクセだ。


 ――やれやれ。やっぱエイジとケンカしたからベソをかいてるんだな。相変わらず仲がよろしくて平和なこったい。


 タカヒロは、頭をポリポリかきながらマツリの顔を覗いた。


「ケンカしたんなら、謝ればいーじゃん。カンタンなことじゃないか」


 謝ることが得意な彼は不思議そうに首をかしげたが、エイジに会うのをためらっているマツリにとって、彼の答えは全く参考にならない。


「だって、わたしが先に帰っちゃったから、きっとエイジ君、こーんな顔して怒ってるもん……」


 指先をつかって涙で濡れている目の端を「キュッ」とつりあげる。どの角度からどう見ても、今の彼女の泣き顔は変顔だ。


 ――しまった、どツボに入った!


 こんなブス顔で泣く女子中学生は、オレの姉ちゃん以外絶対いない! コラえ切れずタカヒロは「ブッ!」と思いっきり強く吹き出した。


「何よー、笑うことないじゃない! こっちは、真剣なんだから!」


 マツリは、両手を振り上げタカヒロの胸を叩いた。しかし、叩かれている本人は、腹を抱え笑いっぱなしだ。マツリのゲンコツが効いている様子はない。


「だって、だってよ……ウッヒャッヒャッ! に、似てるんだもん! さっすが彼女だよな。だけど、まだまだだな! 親友のオレの方が、アイツのことをよくわかっているよっ、ウッヒッヒ……!」


「ど、どういうこと……?」


「ま、まあ、見てなって」


 やっとの思いで何とか笑いを封じ込めることに成功したタカヒロは、壁に肩肘をついてインターフォンに話しかけた。


「だとよ。聞こえてただろ、エイジ? 待たせて悪かったな」


「え、なんでっ?」


 マツリが驚いて素っ頓狂な声をあげたので、タカヒロはマツリをチラリと見た。得意げに口の端が上がる。


「何言ってんのさー、姉ちゃんのせいだっつーの。姉ちゃんがぶつかってきたとき、オレ弾みでスイッチを押しちゃったんだよね。ま、不可抗力だから仕方がないよな!」


「ウソっ!」


「ウソじゃないよ、さっきから全部外に聞こえてるってば。それにさ、先に家に帰っちゃったぐらいで、エイジが怒るわけないじゃん。わかってないよなー、姉ちゃんは。そうだろ、エイジ?」


 二、三秒きれいな間が空いた。そして、すぐそのあとに、ため息を漏らしたような声がした。


「ああ、バッチリ聞こえたよ、タカヒロ。オレ、怒ってないから……。今すぐマツリに会いたいって……オレがそう言ってるって、マツリに伝えてくれないか……?」


「と、恥ずかしげもなくヤツは言っておりますが。どうする、姉ちゃん?」


 マツリとエイジの二人が置かれている状況を楽しんでいるかのような口ぶりで、タカヒロはマツリにたずねた。


「どうするって……」


 タカヒロを怒っていたことも忘れて、マツリはインターフォンを見つめた。暗いモニター画面に影が映りチラチラ揺れている。


 それはもちろん、エイジの影だ。日暮れで外は寒いのに、彼はマツリに会えるのをひたすら待っているのだ。約束を破って先に帰ってしまったマツリに、文句のひとつでも言ってよさそうなのに。


 そうだ、わたし動揺しててすっかり忘れてた。


 エイジ君は、いつだってやさしい。わたしのことを、ちゃんと追いかけて探しに来てくれる。心配して会いに来てくれる。なのに、わたしは……。


 ――エイジ君……! 


 マツリは、バッと身をひるがえしてキッチンを飛び出した。




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