30.月の氷、かわらない想い
こちらにゆっくり近づくエイジの姿が視界に入ったとたん、まるで彼に吸い寄せられてしまったかのように、マツリは瞳を動かすことが出来なくなった。
月の光がさしているせいだろうか。
夏だというのに、彼の周りだけ空気が冷たく静けさに満ちている。
月の氷が結晶となって集まって、彼を取り巻いているようだ。
そう思わずにいられないほど、彼の顔は青白く凍りついているようで。
マツリはふいに怖くなり、エイジの元へ駆け出した。
「エイジ君!」
履き慣れない下駄につまずきながらも、手を伸ばしてエイジの腕をつかんだ。
直に指で触れて確かめる。
半そでのシャツから伸びた彼の腕は、汗ばんで湿っていた。
(よかった、あったかい……)
マツリは、ほっとして涙ぐんだ。
「ゴメンよ、マツリ、ひとりにして。怖かった?」
マツリの涙の訳を、自分が彼女をひとりにさせたせいだと思い込んだエイジは、彼女を安心させようとして、身体を折り曲げて彼女の顔に自分の顔を近づけた。
優しい笑みを浮かべたその顔には、もう月の氷の影は見られない。
急に血が通いだしたかのような温かい彼の眼差しに、マツリは胸がどぎまぎして頬が熱くなるのを感じた。
「ううん、キンキンが一緒に待っててくれたの。タカが迎えに来てくれるまで……」
「ああ、そうみたいだな」
エイジは、マツリに向けていた視線を、わずか一メートルほど離れた場所に立つ少年に移した。
折り曲げていた身体を起こして向きを変え、彼の真正面に立つ。
エイジとキンキンは、互いの視線をぶつけあう格好となった。
「思ったより来るの早かったな。弟が来るって聞いてたけど?」
キンキンが先に口を開いた。
「でも、オレは弟じゃない」
エイジが静かに答えた。
「じゃあ、なんだっていうんだ?」
キンキンの問いに、エイジは黙って少しの間考え込む。
そして、きっぱりと言った。
「あんたとおんなじだ。マツリを好きでしょうがないヤツ。そんでもって彼女と出来ることは、全部したいって思ってるヤツ。ただし、彼女が嫌がる事や不利になることはしない、っていう絶対条件つき」
エイジがにやりと笑う。
「はあ……!?」
「なっ……!?」
マツリとキンキンは、ふたり同時に言葉を発した。
マツリはふうふうと苦しそうに大きく何度も息を吐き、キンキンは目を白黒させる。
「お、お前、なに考えてんだよ!」
「え、エイジ君!」
しかし、エイジは全く意に介さない。
ふたりがあわてふためく様子を、口元を緩めてしばらく眺めているばかり。
マツリとキンキンが平静を取り戻すのをしばらく待ったが、ふたりはショック状態から回復しそうな気配がなかったので、エイジは軽く舌打ちした。
「中学生のくせにテンパってるの? このくらいのことでさあ」
まいったなあ、という感じに両手を広げ肩をすくめる。
「もう、オレ決めたんだ。言いたいことは、はっきり言うって。手加減はいっさいなし、ってことでよろしく」
エイジは、キンキンに向かって言い放った。
「だからって、いつ、頼んだんだよ! オレが、いつ、言ってくれって?」
ペットボトルが二本入っているコンビニ袋が、キンキンの手から滑り落ちてゴトンと音を立てた。
「蒸し返すなよな、もう終わったんだから!」
キンキンはエイジをにらみつけると、それでも気がおさまらないといった様子で肩を怒らせて、ひとまたぎで彼の元へ行く。
「キンキン!」
エイジがキンキンに殴られる、マツリはそう思って叫んでしまったが、キンキンはそれ以上のことはしなかった。
エイジも落ち着き払ってキンキンをにらみ返す。
「オレ、引っ掛けで言ったんだけど……。その様子じゃ、やっぱ、さっきオレが言ったこと本当なんだ?」
キンキンの身体がぴくっと動いたが、エイジの問いかけに反応することなく無言だった。
エイジは、それを肯定の意味として受け取り話を続けた。
「でも、終わったかそうじゃないかはオレたちじゃない、マツリが決めることだろう? それにオレは告ったんだ、黙ってたらフェアじゃない」
「……カンザキは、決めてたぜ」
キンキンは、エイジの視線をそらすことなく真っ直ぐ見ながら、ゆっくり話した。
「お前なんかに言われなくたって、オレとカンザキは友達なんだ。お前がいてもいなくても、カンケーない。オレたちは仲がいい友達、それだけなんだ」
今度は、エイジが驚く番だった。
「そう……なのか……?」
さっきと打って変わって蚊の泣くような小さな声で、エイジはマツリに聞いた。
マツリは、エイジの質問に答えていいものか迷って、キンキンを見る。
キンキンがマツリにかすかな笑みを浮かべながら黙ってうなずいたので、マツリも何も言わずにエイジに向かってこくんと頭を振った。
エイジの顔つきが変わった。
「ゴメン、あ、いやっ! すみません! オレ、生意気なこと言っちゃって……」
エイジが頭を下げた。
「……あと、マツリについててくれて、ありがとうございました。オレが誘っておきながら、彼女とはぐれてしまったもんだから、つい気が立って……」
何を思いついたのであろうか。
「ばーか、謝るな! お前のためにやったんじゃねえよ!」
キンキンが、突然エイジの腕をつかんで彼を引き寄せた。
「いいか、よく聞けよ!」
耳元にささやく。
「友達はな、二、三ヶ月会わなくたって友達でいられるんだ。だけど、お前は違うんだぞ。二、三ヶ月会わなかっただけで終わっちまうんだ。どっちがいいんだろうな?」
エイジはキンキンの手を振り払った。
「例えそうなったとしても、オレは終わらないぜ。六年間片思いしてるんだ。それに比べたら二、三ヶ月ぐらいどうってことないさ」
「げっ、六年も!?」
キンキンの目が丸くなった。
「女顔のせいなのか? お前……、思いっきりしつこいんだな」
「うるせえな、オレの勝手だろう! しつこくやらなきゃ、ちっともわかってくれない子が相手なんだからさあ」
「まあ、それもそうだ。お前の言うとおりだ、間違ってない」
ふたりは急に吹き出して笑いあった。
(な、なんなの? やっぱり、男の子ってわからない!)
マツリは、狐に化かされているよう思いで、ふたりの様子を眺めた。
今にも殴り合いのケンカになりそうだった彼らが、急に顔を寄せ合ってナイショ話を始めたからだ。
(あんなにほっぺたくっつけるほど仲良くなるなんて!)
もちろんエイジとキンキンは、ほっぺたなどくっつけていなかったが、マツリのいる角度からはそう見えた。
マツリは、ふたりから仲間はずれにされて面白くない。
こんなことなら泣くんじゃなかった。
水分返してよ、エイジ君のバカ!
今履いてるこの下駄を、彼らに向けて投げつけてやろうか。
マツリは真剣に考えあぐねた。
やっと三十話です。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました♪