3.お嫁さんにしてあげる
他のみんなより頭ひとつ分背が高いせいか、遠くから見ても彼はとっても目立っていた。
すらりと均整の取れた体つきに、健康的に日焼けした手足。
紺色の野球帽を目深にかぶっているので、顔はよく見えない。
だけど、とがった顎と薄い唇だけが覗いて……。
(うわーっ! 何やってんの、わたし!?)
マツリは、赤面した。
フェンスの網を両手でぎゅっと握りしめて、熱心に彼を見ていたからだ。
ぷるぷると頭を振ったあと、気合を入れるために、ばちんと両手で頬を打った。
チューペット食べるために、ここに来たんだぞっ。
そのためにテスト勉強を犠牲にしてるんだからね!
肩紐に手をかけてクーラーボックスを肩から外し、アスファルトの上に置いた。
(えーと、公園の入り口は……)
久々に公園に来たので、出入り口がどこにあるか、すっかり忘れてた。
右を向いても、左を向いても、緑のフェンスが一直線。
きょろきょろ探していたら、追っかけのみなさんの帰る姿が、木々の間からちらほら見えた。
(ああ、あっちかあ)
公園の出入り口は、今立っている場所になく、この先のずっと角を折れた方にあった。
でも、マツリは練習場の出入り口の真正面に立っている。
彼女と練習場の間の障害となっているのは、この胸の高さまであるフェンスだけだった。
(右よし、左よし)
歩道に誰もいないか確かめた。
「どなたも、いらっしゃいませんね! いらっしゃいませんよっと」
言うと同時に、フェンスの上に両手をついた。
ワンピースの裾がひるがえってドキッとしたが、どうせ見てる人なんかいない。
だいじょうぶ!
そのままエイッとフェンスを飛び越えて着地した。
やったね、着地成功!
でも、やっぱり乙女だもん。
ワンピースの裾がめくれていないか、一応チェックした。
そして、歩道に置いたクーラーボックスに手を伸ばして肩に担ぐと、練習が終わって談笑している子供たちのところへ、ダッシュで駆けていった。
「はい、チューペットお待たせっ」
ベンチの上にクーラーボックスをどすんと置いた。
汗と埃だらけの小学生たちの顔が、みるみるうちに輝きだす。
「ああーっ、チューペットだあ」
早く頂戴と次から次へ手が出てきたので、マツリはあせった。
「ちょっと待って、監督さんに聞いてみないと」
「えーっ! いいじゃん、マツリ姉ちゃん」
二年生のナオトが、口を尖らせた。
彼は隣の家の子で、家族ぐるみで付き合うほど仲がいい。
マツリのもうひとりの弟っていう感じ。
くりくり大きな目をした、丸刈り頭のかわいらしい男の子だった。
「そういうわけにいかないのよ、ナオト君」
年上らしく言い聞かせてみた。
「でも。ほら、あれ!」
ナオトが自分の後ろを指差した。
「あんなんで、どうやって監督に聞くの?」
ごもっとも。
バーゲンセール会場に飛び込むぐらいの根性が要りそう。
監督は、女の人たちで築かれた壁の向こう側。
そのおかげで背が低いマツリには、監督の頭しか見えなかった。
「新しい監督が来てから練習試合にも勝てるようになったけど、いっつもあんなふうなんだ」
ナオトが不満を口にすると、他の子供たちも騒ぎ出した。
「そうそう、ボクの母ちゃんだって」
「うちの姉ちゃんも、きゃあきゃあ言っちゃってさあ」
ふーん、だからかあ。
今年の差し入れが妙に多いのは、監督さんの人気があってこそだったのね。
よっぽどカッコいい人なんだ。
マツリも興味がそそられたが、その一方であきれた。
子供たちそっちのけで、何やってるんだろう。
大人って、時々勝手よね。
それに早く配らないと、この暑さでチューペットが溶けてしまう。
いくら保冷剤で冷やしているとはいえ、溶けるのは時間の問題だった。
(しょうがないなあ。まっ、いいか)
仕方ないので、勝手にチューペットを配ることにした。
「順番だよ。順番に配るから、ちゃんと並んでえっ」
クーラーボックスのポケットから、キッチンバサミとゴミ袋を取り出した。
「いーい? 順番にあげるから、ちゃんと並ぶこと! 小さい子が先で、六年生は一番最後だよ。食べ終わったらゴミ袋に入れてね。その辺に捨てたら、絶対ダメよ」
「やったあ、さっすがマツリ姉ちゃん!」
ナオトは喜んで指を鳴らした。
「オレ、姉ちゃん大好きさ。お嫁さんにしてあげてもいいよ」
「ぶっ!」
お嫁さん!?
唐突にナオトが言った言葉に驚いて、マツリはひっくり返りそうになった。
(くうーっ! 最近のガキんちょは、おませさんなんだからっ)
「あのねえ、ナオト君。小学生が中学生に言うセリフじゃないわよ。同じ歳の子に言いなさい」
ナオトの視線の高さにまで、身体を折り曲げた。
「でも、ありがとう。うれしかったよ」
深く考えずに言ったことはわかっているけれど、男の子に『好き』って言われるのはうれしい。
たとえ年下の小さな男の子でもね。
「うん、わかった。ゴメン、お姉ちゃん」
ナオトは、にこっとした。
そんなナオトがかわいらしくて、マツリは彼の頭を優しくなでた。
それから蜂の巣をつついたように騒いでる子供たちに負けじと、声を張り上げた。
「今からチューペット配るよ! 並んでえっ」
「はーい!」
子供たちはいっせいに返事を返すと、マツリの前にキレイに整列した。
弟のタカヒロが、列の一番最後でにーっと歯を見せて笑っている。
姉をからかいたくて、うずうずしてる顔だった。
主役の彼より、脇役のナオトのほうが目立ってましたね。
おまけに、彼の顔は半分しか見えてないし。
お楽しみは次回で。