29.勝負を挑む相手
タカヒロの携帯にマツリから連絡があったのは、彼女を見失ってからわずか十五分後のことだった。
こっちを驚かせてやろうという腹積もりなのか。
余計な工作なんかしなくたって、エイジの心臓は今にも止まりそうなのに、タカヒロは「げっ!」のひと言だけ話すと、おもむろに携帯をパチンと閉じた。
(なんなんだ、その『げっ!』は!?)
イヤな予感がして、エイジの心が騒いだ。
「どうなんだ、タカヒロ。マツリは、どこにいるって?」
タカヒロが得た情報を早く引き出したくて、エイジの口調は荒々しくなってしまった。
マツリが履き慣れない下駄を履いているため、先程の小さな女の子のように転んでしまったのではないかと、気が気でなかったからだ。
それに女の子たったひとりだ。
心細い思いをしていることだろう。
早く行って彼女を安心させてやりたかったし、エイジ自身も安心したかった。
誰もが浮かれているこんな夏の夜に、女の子をひとり放っておくなんて、良からぬ輩に狙われないとも限らない。
うじうじ悩んでないで、手をつないでおくべきだった。
人込みの中でも離れないよう、迷わずそうすべきだったのに。
マツリを見つけたら今度は必ずそうしようと、エイジは心に決めた。
「この先の……、ふたつ目の交差点にあるコンビニにいるらしいんだけど……」
最後まで言わずに、タカヒロは口をつぐんだ。
「だけどって何だよ。また、なんか問題でもあるのか?」
歯切れが悪いタカヒロの言い方に、エイジの目がわずかにつりあがる。
少しの間違いも見逃さない、とでも言いたげだ。
「問題ってわけじゃ……ないんだけどさあ……」
タカヒロは、エイジの剣幕に押されて後ずさりした。
「早く行ったほうがいいと思うよ、たぶん」
自分の意見を言うことで、エイジの詰問を回避することを試みた。
『今コンビニにいるんだけど、偶然友達と会っちゃって。ひとりじゃないからだいじょうぶだよ』
マツリが朗らかにそう言ったので、タカヒロが安堵した……のもつかの間。
電話の向こうから男の声がして、タカヒロは自分の耳を疑った。
わざとこちらに聞かせるかのように、姉の名前を呼ぶ声が聞こえたのだ。
しかも、『マツリ』と呼び捨てで。
そのため、タカヒロは『げっ!』と口走ってしまった。
(友達は友達でも、男じゃねえのか? こんなことエイジに言えるかよ。言えやしない、言えやしないよ、絶対!)
言ってしまったら、あの保健室のリプレイになりかねない!
もう二度とごたごたに巻き込まれたくなかったタカヒロは、エイジにすべてを預け、さっさとこの場を去ることにした。
「もう時間だから、オレ行くわ。姉ちゃんのこと頼むぜ」
自然に、さりげなく。
妙なそぶりを見せて、怪しまれてはならない。
そろそろと足元に探りを入れながら、身体の向きを変えるタイミングを伺う。
「じゃ、あとで合流しようぜ。がんばれよ、エイジ!」
タカヒロが手を上げて走り去ろうとしたら、エイジが「あっ」という声を出してタカヒロの肩をつかんだ。
「な、何だよ。何かある?」
「サンクス、タカヒロ!」
「わっ!」
エイジがストレートに感謝の弁を述べて手を広げようとしたので、タカヒロは手を伸ばして彼の両肩をしっかりつかんだ。
向こうで培った習慣か何だか知らないが、公衆のど真ん中でハグされてはたまらない。
ここはニッポンで、アメリカじゃない。
「礼を言うの早いぞ、エイジっ!」
全身の力を両腕に集めて、エイジの身体を押しやった。
「まだ勝負はこれからなんだ。こんなことやってないで早く行けよ」
「あっ! ああ、そうだな」
エイジは今目が覚めたみたいな顔して答えると、タカヒロを振り返ることなく人込みの中に消え去った。
(ああっ、もう! ふたりして世話がかかるんだから)
エイジが去るのを見届けると、タカヒロは携帯の時計を見た。
七時ジャスト五分前、リホと約束した時間まであと五分だ。
もう行かなくては。
タカヒロは、頭をかきむしった。
(姉ちゃんとエイジのおかげで、自分の段取り考えるの忘れてたぜ!)
シュミレーションなし、ぶっつけ本番のデート。
その上、リホはデートだと思っていない。
タカヒロは、エイジに負けず劣らず問題を抱え込んでいることに、今さらながら気づいた。
『まだ勝負はこれからなんだ。こんなことやってないで早く行けよ』
タカヒロにそう言われて返事したものの、なぜ彼がそう言ったのか理由がわからないまま、エイジはふたつ先の交差点目指して歩き出した。
もう一度本気の気持ちを伝えて、マツリの誤解を解くためか。
今の自分にとっては、それがいちばん最優先すべき必須条件だ。
しかし、コンビニの駐車場に着いたとき、タカヒロが言った言葉の意味を瞬時に理解した。
タカヒロは『勝負』と言ったのだ。
マツリは、エイジが愛おしいと思っている女の子。
エイジの勝負を挑む相手は、マツリではない。
(オレが勝負を挑む相手は、ヤツだ)
コンビニの駐車場の片隅で、マツリが楽しそうに笑い声をあげて誰かと話をしていた。
エイジが立っている道路側を背にしているので、自分が来たことに相手はまだ気がついていないはずだ。
彼女と会話するのに夢中で、周囲を気にする様子もない。
背が低い彼女にできるだけ近づこうと、ヤツは背中を曲げている。
エイジがそうするのと同じように。
薄暗くても相手のうしろ姿を見ただけで、相手が何者かエイジにはすぐわかった。
思わず歯軋りがでてしまう。
こんなところでヤツに会うとは思わなかった。
対峙、再びだ。
エイジは、駐車場の暗がりに立つ二人に向かって一歩踏み出した。
ここまで読んでくださってありがとうございました♪
ちなみに、タカヒロのセリフは野口さんを意識しました。
そう、あのお笑い好きの小学三年生の女の子です。
言えやしない、言えやしない……クックックッ(でしたっけ?)