26.自信がない
「いっ、いったーい!」
マツリの叫び声が聞こえてきた。
「動かないで、じっとして! アップにできないでしょう」
ママの怖い声。
(中で、何が起こってるんだ……?)
タカヒロは、ドアに耳をくっつけて様子をうかがっていた。
浴衣の着付けをすると言って、かれこれ二時間。
マツリとママは、マツリの部屋に閉じこもったきりで、部屋を出てくる気配がない。
衣擦れの音が聞こえる。
「ほら、背筋ぴっとして! 帯が巻けないわよ」と、ママがマツリを怒っている。
着付けに少々てこずっているらしい。
ダメだ、こりゃ。
まだ時間かかるな。
マツリの部屋のドアから離れ、タカヒロは階段を下り玄関に出た。
「エイジ、ごめんな。姉ちゃん、まだみたいだ」
決して広いとはいえない玄関のたたき部分を、エイジは落ち着かない調子でうろうろ歩き回っていた。
玄関にやってきたのがタカヒロひとりだけだと知ると、彼はほっとした顔を見せた。
「いいよ、べつに。まだ時間あるし」
「待つ時間も楽しみ、ってか?」
タカヒロは、ニッと笑ってエイジの肩に手を回した。
「どうなんだ、やったのか?」
「やっ、やったって、何をだよ」
エイジは不意をつかれて、ぎくりとした。
「まーたまた、こっちはもうわかってるんだぞ。姉ちゃんに告ったんだろ、おにいさま?」
「バーカ、やめろよ」
エイジはタカヒロの腕を振りほどいた。
しかし、その口調は満更でもなさそうだった。
すっきりとして晴れ晴れとした顔をしている。
タカヒロも、そんな彼を見てうれしくなった。
「じゃ、オレ、待ち合わせしてるから。あとよろしく」
タカヒロはエイジの肩をぽんと軽く叩くと、玄関に無造作に出してあった自分の靴を履いた。
「一緒に行かないのか?」
エイジが、意外そうな口ぶりで聞いてきた。
てっきり三人で行くと思い込んでいたらしい。
マツリとふたりっきりになれるうれしさを隠せなくて、彼の口元は緩んでいた。
「へへっ、お前の邪魔するほどヒマじゃないんだよ。待ち合わせしてるって言っただろう」
タカヒロも笑えてきて、上機嫌に鼻の頭を擦った。
「班長と約束してるんだ」
「へえ……、イヌカイと!?」
エイジは、複雑な笑みを浮かべた。
リホの気持ちをうすうす知っていながら、自分の気持ちをはっきりさせないまま、彼女に期待を抱かせ続けていた。
そして、マツリへの淡い初恋が本物だとエイジが自覚したとき、はからずも彼女を傷つけることになってしまったのだ。
あの日からリホとは、必要最低限の会話しか交わしていなかった。
「エイジ、こればっかりは仕方ないんだぞ。二兎を追うもの一兎も得ず、だろ?」
タカヒロにしてはめずらしく、この前授業で習ったばかりのことわざを引用した。
しかも使い方まであっている。
エイジは苦笑した。
「タカヒロに言われるなんてな。オレ、よっぽど未練がましい感じしてた?」
「おうおう、してたしてた! 班長みたいな美人、めったにいないからな。ふるの惜しい気持ちわかるよ。それにクラスのやつら全員、エイジと班長はカップルだって思ってたし」
「まあ……ね。正直言って、自分でも悪くないって思ってたんだ。マツリに会うまでは……」
(ったく、ホント正直なヤツ)
タカヒロは、素直に気持ちを打ち明けるエイジがうらやましくなった。
恥も外聞も捨てて、人間ってヤツはここまで正直になれるのか。
恋は、本当に不思議だ。
それ以上に、エイジを変えてしまった自分の姉の方が不思議なのかもしれない。
「そういえば、あのときの姉ちゃん面白かったぞ。エイジの分のチューペット食べちゃったって、おろおろしちゃってさ。『エイジ君、やさしい?』とか聞いてきたりして」
タカヒロは、マツリがエイジのことを初めて自分にたずねてきた日を思い出した。
「まっ、マジ?」
「マジマジ。だから、言ってやったんだ。お前のこと、やさしいって。オレに感謝しろよ! 出会いをつくってやったんだからな」
タカヒロは恩着せがましく言うと、大きく胸を張った。
(ということは、知らない間にタカヒロに借りをつくってたことになるんだな)
エイジは、タカヒロの顔を凝視した。
タカヒロがいなければ、マツリが彼の姉だなんて知る由もなく、彼女に会うこともなかった。
初恋は、淡い思い出として胸の奥にしまい込んだまま、終わっていたかもしれない。
そうだ、自分の恋は始まりさえしなかったのだ。
「タカヒロ、やっぱタカヒロはオレのダチだよ! ずっと一緒にいてくれっ」
エイジは感激のあまり、タカヒロをハグした。
「やめろって、キモい! 言う相手が違うし、キャラ変してるぞっ、エイジ!」
タカヒロは、突然抱きついてきたエイジを押しのけようとしたが、エイジの方が上背がある分力も強かった。
なかなか離れてくれない。
「おっ、オレはそんな趣味ないぞおおっ」
タカヒロが大声でわめいたときだった。
「そうだったの、よかった」
ふいにマツリの声がした。
「ふたりして何してるかと思っちゃった」
髪をアップに結ってかんざしをさし、白い蝶に紺色の浴衣を紫色の帯でしめた女の子が、くすくす笑いながらふたりのことを見ていた。
見慣れた瞳が、いつもより愛らしい。
つややかに輝く唇と、白くて柔らかそうな耳たぶに、胸がつかれる思いがした。
「姉……ちゃん?」
マツリの変身振りに、タカヒロの口はあんぐりと開いてしまった。
エイジは言うまでもない。
はっと驚いて、息を呑んでいた。
「え……と、おかしい? クマがひどいから、ママにちょっとだけお化粧してもらったの」
マツリは、はにかんだ。
「でも、びっくりした。エイジ君がうちに来るって知らなかったんだもん。ソフトの皆で行くって話聞いたから」
「え? お、オレ、そんなことひと言も……」
花火大会に行こうと誘ったのは、タカヒロだ。
しどろもどろになりながらも言おうとしたが、エイジの声はタカヒロの大声にかき消されてしまった。
「ああっ、そうだった! 集合場所変わったんだよ、なあ、エイジ?」
タカヒロは、エイジに素早く目配せした。
話を合わせろ、という合図だ。
「そ、そうだった、そうだった。そうだったよなあ、タカヒロ」
エイジは、なんとかごまかして返答した。
しかし、マツリは怪訝な顔つきで頭を横に傾けていた。
マズイ、怪しまれたか?
ふたりは顔を見合わせた。
すると、マツリが口を開いた。
「あの、ふたりが仲良しだってことはわかるけど、いつまでそうやってるの?」
マツリに言われて気づいた。
ふたりは、まだ抱き合った状態だったのである。
男同士抱き合った姿勢で、キレイに着飾った女の子に見惚れていたわけで。
「げっ!!」
エイジとタカヒロは、同時に身を躍らせて飛ぶように離れた。
マツリは、面白がって声に出して笑った。
自分が知っているよりも、ますます輝いてかわいらしい笑顔だったので、エイジの胸はどぎまぎした。
(タカヒロがいてくれてよかった……)
エイジは、本気でそう思った。
彼女の笑顔を見たとたん、うずうずと手の指を開いたり閉じたりし始めたからだ。
今ここに、彼女を抱きしめずにはいられない自分がいる。
もしタカヒロがいなかったら、そうしていたかもしれない。
そして、マツリに突き飛ばされて……。
また同じ目にあったら、今度こそ立ち直れない。
それに、マツリがイヤがることをしたくなかった。
あれ、オレが触るのイヤじゃないって言ってたっけ?
どちらにしても、自分自身からマツリを守らなくては。
ややこしいことになったぞ。
とてもじゃないけど、自信ない。
想いは同じなのに、微妙にすれ違ってるふたりでした。
次は、いよいよ……? だと、いいですね。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました♪