2.公園へ
マツリはしゃがんで、食器棚の前に置いてあったクーラーボックスのふたを開けた。
「保冷剤も一緒に入れるんだよね?」
「そうよ、暑くて溶けやすいからね」
ママはうなずいた。
「練習が終わったら、タカヒロにも早く帰るように言ってちょうだい。あの子もまだ宿題やってないのよ」
「えー、めんどくさいなあ」
いっつも『ついで』って言って、用事を言いつけるんだから。
「いいでしょう、ついでなんだから」
ほら、言った。
でも、ここで『うん』と言わなければ、せっかくの名案はジ・エンド。
マツリは、真面目な顔をした。
「はーい、わっかりましたぁ。タカをつれて帰ってきまーす」
クーラーボックスを肩にかけて、玄関へ向かった。
思いがけず事がうまく運んだので、ついにんまりしてしまった。
ソフトの練習が行われている公園まで、マツリは散歩がてらゆっくり歩いていくつもりだった。
正々堂々とテスト勉強から脱出できるので、自然と足も軽くなる。
おまけに大好きなチューペットも食べられるし。
でも、ママには絶対知られちゃいけない。
情報公開絶対禁止!
不自然に見えないように、廊下を歩くのが大変だった。
「ちょっと、マツリー」
突然呼び止められたので、ぎくりとしてしまった。
「なあに、ママ?」
できるだけ平静を装って振り返る。
ささやかな企みがばれたのだろうか。
額に冷や汗が出てきた。
「あんた何しに行くのよ。肝心なもの忘れてるわよ!」
と言いながら、ママは急ぎ足で玄関までやって来た。
その手には、袋入りのチューペットと保冷剤が。
しまった、またやっちゃったよ!
徹底した自分のドジっぷりに、我ながらあきれた。
ママはしかめっ面しながら、チューペットと保冷剤をクーラーボックスの中にしまった。
「そんなんだから心配なのよ。中学生なのに、いつまでたっても子供なんだから」
「だって子供だもん」
悔しくなって言い返した。
「バカね、中学生は子供じゃないのよ」
ママは笑みを浮かべて言った。
「でも、大人でもないけどね」
「そんなの、ずるい」
大人は都合の悪いときだけ、子ども扱いする。
そのくせして、もう子供じゃないって言うときもある。
マツリは、ぷうっと頬を膨らませた。
「そんな顔しないの。はい、帽子」
ママは、マツリの頭にカンカン帽をのせた。
「暑いから、熱中症に気をつけてね」
「はーい、いってきまあす」
マツリは納得いかない様子でクーラーボックスをかつぐと、玄関のドアを開けて外へ飛び出した。
空はよく晴れていて、白い雲がぽっかりと浮かんでいた。
太陽がむきだしの肌をじりじり照りつける。
マツリは、日焼け止めクリームを塗ってこなかったことを後悔した。
いくらのんびり歩いていっても、家から公園までの距離は五百メートルしかない。
あっという間に目的地に着いてしまった。
それなのに少し歩いただけでカンカン帽の中が蒸れて、脱ぎたくて仕方がない。
でも、日焼けしたくないので我慢、我慢。
帽子をかぶり直すだけにした。
「ばっち、こーい!」
子供たちの元気な声が聞こえてきた。
公園のすぐ隣の練習場では、実戦形式の守備練習をしている。
汗と埃にまみれながら、みんな一生懸命それぞれのポジションを守っていた。
公園と歩道を隔てている緑のフェンスに寄りかかって、マツリはじっと目を凝らした。
(タカのやつ、どこにいるんだろう)
きょろきょろ頭を動かして、弟の姿を探した。
「あ、いた!」
タカヒロは足を大きく広げて、ライトで構えていた。
口を真一文字に結んで、真剣な表情をしている。
(へえ、結構がんばってるじゃん)
あの運動オンチのタカヒロがレギュラーになったと聞いたときは心配だったけど、この様子ならだいじょうぶみたいだ。
なんだか、うれしくなってきた。
そして、監督は多分あの人。
バッターボックスには、白いTシャツに黒のジャージ姿の男の人が立っていた。
ここからでは角度が悪くてよく顔が見えないが、結構若そう。
背が高くて、手足も長いモデル体形。
はあ、どうりで。
練習場の周りを、たくさんの人が賑やかに囲っているのに気づいた。
普段絶対に来そうにない、高校生の女子やオバサマたちの日傘の花が咲いている。
(もしかして、監督の追っかけ!?)
芸能人みたいで、びっくり。
そのとき軽い金属音が鳴ったので、すばやく視線を移した。
打球が鋭く外野に飛ぶのが目に入る。
タカヒロがいるライトへとボールが転がっていった。
「タカ、がんばれぇ!」
マツリは叫んだ。
しかし、そのままスルー。
ボールはタカヒロの股の間を抜けて、うしろの茂みの中へと消えていった。
(あちゃー)
マツリは思わず頭を押さえた。
あれじゃあ、自分がやるほうがよっぽどまし。
ソフトボールはやったことないけれど、タカヒロよりうまくやれる自信がある。
(家に帰ってきたら、特訓させなきゃ!)
ゲンコツつくって、決心した。
ピーッと高い笛の音とともに、「集まれーっ」の声がした。
守備練習を終えた子供たちが、疲れた足取りで監督の元へ集まっていく。
タカヒロもがっくり肩を落として、とぼとぼ歩き一番最後にたどり着いた。
すると、その肩をぽんぽんと軽く叩いて励ます少年がいる。
(誰……?)
全然見たことない子だった。
いちばん最後でしたが、やっと彼が登場しました。
主役キャラがこんなに遅い登場でいいのでしょうか……(汗)