16.校門の前で
夏の遅い夕暮れ時の小学校の校門前。
一度家に帰って私服に着替えてきたマツリは、すでに三十分以上行ったり来たりを繰り返していた。
昼間の保健室での騒ぎのあと、アイコと一緒に歩いた帰り道で、マツリはその原因を初めて知った。
彼女は泣きそうな顔でマツリに謝った。
『ごめんね、マーちゃん! あんなことになるなんて思わなくて……。マーちゃんのことが心配だったから、タカヒロ君にも知らせたほうがいいと思ったの』
“マーちゃんのことが心配だったから”
そう、すべては家族や友達に心配ばかりかけている自分のせいだった。
マツリは、ふと足を止め空を見上げた。
電線と電線の間に挟まれた狭い空が、オレンジ色に染まっている。
アイちゃんやタカだけじゃない。
全然関係ないエイジ君だって、心配して来てくれたのに。
ついかっとなって『エイジ君なんて、大っキライ』と言ってしまった。
今さらどんな顔して謝ればいいんだろう……。
校門の前でぼんやり空を見上げていたマツリを、誰かが呼んだ。
「そんなところでどうしたんだい、誰か待ってるの?」
声がしたほうを振り向くと、タオルを巻いて頭のうしろで結んだ大人の男性が、歩道のガードレールに手を置いて、もたれるようにして立っていた。
カーキ色のTシャツにベージュのハーフパンツ、素足に下駄(!?)という、ちぐはぐな身なり。
そして分厚いレンズのメガネ。
「だ、誰……?」
どこかで見たことあるような気もするけど、全然思い出せなかった。
もしかして、変な人かもしれない。
マツリは、いつでも走って逃げられるように、じりじり後退した。
するとその男性は、突然笑い出した。
「ごめん、ごめん。これじゃ、わからないよね」
と言いながら、二、三歩歩いてマツリの目の前に立ち、タオルの結び目をほどいて頭から取り去って首に掛けた。
黒い髪を無造作に手で梳いて、かけていたメガネをはずす。
そして、背が低いマツリの高さに合わせて身をかがめると、顔を近づけた。
「ほら、これこれ」
彼は、自分の顔を自分で指差して片目を閉じた。
一度見たら絶対忘れない、男らしくはっきりとした目鼻立ちのこの人は……。
「か、監督さん!?」
彼は、町内の小学生のソフトボールチームのイケメン監督、そしてエイジの兄でもあった。
「うん、そうだよ。ひさしぶりだね」
彼は、唇の端を上げた。
「わからなかった?」
「はい、ぜんぜん……。メガネでわからなくて……」
タオルを巻いて、牛乳瓶の底みたいなレンズのメガネに、下駄を履いていたから。
先週のソフトの練習のときと全く印象が違っていたので、監督だってわからなかった。
「ああ、オレ視力悪いんだよね」
と言いながら、彼は目を細くした。
「コンタクトやメガネがない時は、ここまで近づかないと、君のかわいい顔が見えないんだよ」
ものすごい至近距離になって、互いの前髪が触れそうになる。
「えーと、タカヒロのお姉さんだよね?」
「か、カンザキ マツリです」
マツリはどぎまぎさせながら、目を横にそらして答えた。
こんなに近い距離では、とても目を合わすことができない。
恥ずかしいから、これ以上近寄ってほしくないのに!
願いはまったく通じなかった。
「へえ、あのカンザキさんのところの、マツリちゃんなんだ」
彼は何かを思い出すみたいにゆっくりつぶやいて、こっちの顔をまじまじ眺めた。
その意味深な言い方が気になったけど、彼がまた質問してきたので、そっちのほうに気を取られた。
「元気ないみたいだけど、なんかあったの?」
「はい、あの、その……」
あなたの弟さんとケンカしました! って言えないし。
どうしようと思って口をもごもごさせていたら、彼が先に口を開いた。
「ああ、わかった! 彼氏とケンカしたんだ!」
「ち、違いますって!」
えーと、どうやって説明したらいいんだろう!?
やっぱり、こう言うしかないかな……。
「とっ、友達とですっ!」
弟の友達とケンカしたって言うのも変だと思って、頭に浮かんだ言葉をそのまま言った。
そうしたら彼はまた、とんでもない勘違いを犯した。
「ああ、ボーイフレンドかあ」
納得! というような顔をして、勝手にうんうんとうなずいた。
確かにボーイフレンドは男友達って意味だけど、なんか違うような。
それに、いくらこっちが小さいからって、兄弟そろって同じことしなくたっていいのに!
兄である彼もまた、エイジがそうしたのと同じように、長い身体を折り曲げてマツリの顔を覗き込んでいた。
しかも、これ以上近寄れないと言っていいほどの至近距離だ。
動揺して空と同じ色に頬を染めてしまったけれど、マツリは言葉の代わりに唇を前に突き出して、不愉快な気持ちを表した。
それを本気に取ったのか、わざとからかっているのか。
彼は、嬉しそうに笑った。
「え、まいったなあ。こんなところでキスしちゃっていいの?」
ま、まさか。
「ち、違います! 違いますって!」
マツリは、あわてて両手のひらで自分の口をガードした。
そのとき、「この、バカ兄!」の声と共に、何かが飛んできて彼の頭に直撃した。
「いってえ……」と頭を抱えうずくまる彼のそばには、赤と白のスニーカーが片方だけ転がっている。
「警察に捕まるぞ、変態!」
校門のすぐ目の前にある校舎の出入り口から、三人の生徒たちが出てくるのが視界に入った。
エイジとタカヒロ、それにあのストレートの長い髪の女の子。
先週の土曜日、マツリの目の前でエイジと仲良く話をしていた彼女も一緒にいた。
エイジがぴょこん、ぴょこんと片足で地面を飛び跳ねていたので、このスニーカーが彼のものだとマツリはすぐ気づいた。
(せめて、エイジ君ひとりだけだったらよかったのに……)
彼女に変な誤解を与えずに謝るなんて、そんな器用なことができるのだろうか。
(やっぱり、今日も謝れないよ……)
マツリは、ため息ついてしまった。
次話で五人も登場させることになってしまいました。
しまった! と後悔しても、もう遅いですね(^^;)
You dingdong!(ドジなんだから!)