15.ハートがずっきゅーん(エイジside)
教室の窓から入ってくる風が、息がむせ返るほど熱気を帯びた空気を運んできた。
額から滴り落ちる汗が、机の上に広げたノートを濡らす。
せっかく見つけたページが、いまいましい風によってめくれてしまわないように、タカヒロは国語の辞書を左腕の肘で押さえつけた。
「なあ、エイジ、終わった?」
自分の前の席に座っているエイジの背中に、タカヒロは問いかけた。
「まだ」
エイジはぶっきらぼうに返事して、いらいらとノートに鉛筆を走らせた。
「オレ、国語苦手なんだよな」
片手で髪をくしゃくしゃとかきむしった。
先生はわかってて、わざとこんな罰をやらせたんだ。
四字熟語を五十個見つけて、その言葉と意味をノートに書いて提出すること。
それが、許可なく中学校に潜り込んだエイジとタカヒロのノルマだ。
終わるまでは、家に帰れない。
「あーあ、英語だったら、まだよかったんだけどなあ」
エイジは頭のうしろに手をやって、うーんと背を伸ばし身体の凝りをほぐした。
「冗談!」
エイジの言葉を受けて、タカヒロが声をあげてうめいた。
「もし、そうだったら、オレなんか永久に家に帰れないよっ。帰国子女のエイジは、いいけどねっ」
振り返ると、タカヒロが自分の手で自分の首を絞めるマネをしていた。
苦しそうに目をむき、だらんと舌を出している。
「大げさだな」
タカヒロの顔が可笑しくて、エイジは笑った。
ふたりがこうして誰もいない教室で居残りさせられているのは、すべてタカヒロの姉マツリのせいだった。
世話がかかるくせして、世話を焼きたがる。
ドジで呑気でおっちょこちょい。
とんでもないトラブルメーカーだよ。
タカヒロは、よく姉のことをそう嘆いていたけれど。
そんなまさか。
エイジは、まったく信じてなかった。
髪をきれいに高く結い上げて、紅をさしたかわいらしい顔。
カメラに向かって、つんとすました晴れ着姿。
それだけしか、知らない。
先週あの公園で会うまでは、それだけしか彼女のことを知らなかった。
なのに、現実の彼女は違っていて。
くるくるよく変わる表情に、華奢で小さな身体。
真っ赤な顔してうろたえる姿がかわいくて、ついからかいたくなってしまう。
そしてタカヒロの言ったとおり、彼女はとんでもないトラブルメーカーだ!
あのキンキンとかいう、ふざけた名前のヤツ。
保健室の衝立の向こう側にいた、ふたりを見た一瞬のうちに。
オレは、思わずかっとなった。
『好きになってくれって言った覚えないね』
ホントは、あんなこと言うつもりなかった。
『エイジ君なんか、大っキライ』
マツリに言われるまでは……。
それに、全然わかってない!
大体オレがこんなバカなことをしでかしたのは、マツリのせいなんだ。
なのに、なんで『大っキライ』って言われなきゃなんないんだ。
冗談じゃないよ!
Give me a break! (かんべんしてくれ!)
「どうしたんだよ、エイジ。こわい顔しちゃって」
いつのまにか、もの思いにふけってしまっていたらしい。
エイジは、タカヒロが自分の顔をみつめていることに気づいた。
「あ、ちょっとな。さっきのこと思い出してたんだ。タカヒロも怒られて大変だったろう?」
ごまかすために適当に言葉を探しながら言ったので、だんだん声が小さくなった。
だが、タカヒロは何の疑いを持たずに、エイジの疑問に答えた。
「まあね。大変だったけど、怒られるのわかってて、やったことだしねぇ」
間延びした声で言うと、親指と人差し指の間に挟んだ鉛筆を、器用にくるくる回した。
「うん、そうだな」
エイジはつぶやきながら、その動きを目で追った。
「なあ、エイジ」
タカヒロが鉛筆を回し続けながら、再び問いかけてきた。
「なんだよ」
「単刀直入に聞く。お前、もしかして……」
タカヒロは、そこで言葉をいったん区切ると、エイジの顔を見透かすようにじっと見た。
「姉ちゃんにハートがずっきゅーん、って感じ?」
そのとき、大きな音をたてて椅子が大きく傾き、教室の床をこすった。
思いもよらない質問に驚いて、エイジがもう少しで椅子から転げ落ちそうになってしまったのだ。
「なっ、なっ、なんでそんなこと聞くんだよ。オレ、先週と今日の二回しか会ったことないんだぜ」
エイジは、あせって横向きに座りなおし体勢を立て直した。
「二回しか会ったことない子に、どうやって『ずっきゅーん』するのさ」
「ほら、一目惚れってことあるだろう? 信じられないだろうけど」
タカヒロは肩をすくめて言った。
「あのときのお前は、フツーじゃなかったしね!」
タカヒロは、エイジが見せた氷のように固くした表情を思い出した。
考えられる理由は、ただひとつだけ。
(エイジが姉ちゃんにLoveってることだけだ!)
「ありえないって!」
エイジは大きな声で否定した。
「そんなこと、ありえないさ」
「ホントに? ありえなくないことない?」
思いっきり否定するところが、なんか怪しい。
タカヒロは、エイジの反応をいぶかしく感じた。
「ホントだって、ありえなくないことない! ややこしい聞き方するなよ」
エイジは、握りこぶしつくって足で床を一発踏み鳴らした。
今にも爆発して、かんしゃくを起こしそうだ。
エイジが怒るなんて、めずらしいことだ。
そういえば、さっきも姉ちゃんと保健室でケンカしてたっけ。
「わ、わかったよ。そんなに怒るなって。だって心配してたんだよ。エイジのこと『おにいさま』って呼ぶのを想像したら、ぞっとしちゃってさあ」
タカヒロはエイジの気を削げるため、わざとふざけて言った。
「何の心配してるんだよ。オレだって考えたくないよ」
「そうだよな。お前は、ちゃんと彼女いるもんな」
タカヒロは歯を見せてニヤニヤした。
「彼女? 誰のこと言ってるんだよ」
すると突然、ひやっとするものがエイジの頬に当たった。
後ろを振り向くと、リホがくすくす笑って立っていた。
「ふふ、引っかかった。これ、近くのコンビニで買ってきたの。差し入れだよ」
エイジの頬に当たったもの、それは炭酸飲料の赤い缶ジュースだった。
「ああ、ありがと」
この暑さのせいで、ちょうどのどが渇いていたところだ。
エイジは遠慮なく缶ジュースを受け取り、プルタブを開けて一口飲んだ。
「ああーっ、いいなあ。彼女持ちはいいよなあ」
タカヒロが大声出してうらやましがったので、リホはしーっと指を唇にそえた。
「先生にみつかったら怒られるでしょっ。ちゃんとカンザキ君の分もあるわよ」
リホは持っていたコンビニの袋から缶ジュースをもう一本取り出した。
横向きに座っていたエイジの胸の前に腕を伸ばして、タカヒロにジュースを手渡そうとする。
さらさらの長い髪が彼女の肩の前に滑り落ちたせいで、白いうなじが見えた。
エイジは一瞬どきっとしてジュースでノドを詰まらせ、激しく咳き込んでしまうはめになった。
リホはそんな彼を見て、もう一度くすくす笑った。
複雑な男の子心をうまく書けたかどうか自信ありませんが、いかがだったでしょうか?
「これが恋なんだ」って気づく前って、結構長いような気がしませんか?
周りはとっくに気づいてるのに、不思議ですよね。
そういうところが書けたらいいなあと思ってるのですが、なかなか……。
まだ続きますので、よろしくお願いします♪