水に数を書く 【小領主夫人の怒りの人生 それを戦いと呼ぶのは本人のみではあるけれど】
久しぶりの過去小説ランキング感謝記念
この世界には告罪使という存在がいる。
私がその存在を知ったのはもう数十年も前のこと。
異世界に生まれたという数々の戸惑いの中で、私はその存在をドラゴンと同じように定義した。
この世界には存在している。だが、海を越えた山脈に生息しており、図鑑で眺めるような存在だと。
前世で見た、海を越えたニュースの中の出来事。飢饉、戦争、民族紛争。大手ファーストフードの訴訟問題。現実世界ではあるけれども、どこか遠い。
この世界に自分が生まれ、育ち、そして違和感を思い出した時の私の衝撃たるや、それまでの人格を大きくゆがめてしまうものだった。
それまでの私はこの世界の中で、恵まれた家柄の娘として、無邪気に傲慢だった。世界は目の前に認識される範囲で構成されており、だれもが親切で(ただし、その親切が通常だったので、それを「親切」とは認識できていなかった。魚は水を見ることができない。)豊かで、清潔だった。
それが7歳の誕生日、突如、自分に前世があるとこを理解した時、私は死んだ。衝撃からどうしようもない現実を飲み込むまでに、私は熱にうなされ(知恵熱と判断されたが、あれは脳と魂との生体防御反応だったと思われる)それまでの人格は上書きされた。
前世の自分の詳細は分からない。ただ、どうやら同じ性別だったこと。平和に暮らしていたこと。そして、なにやら自分がゲームか、小説かはわからないが、何らかの舞台を現実としたらしい世界に転生(?)してしまったようだということを理解した。
たぶん、私はいわゆる「悪役令嬢」であると。
現実なのか、それが本当に起こりうるのか、その葛藤は熱が引いたころの私には存在しなかった。
ただ、諦観と、それを受け入れた後の現状への怒りが私の中に満ちていた。
それまでの私は気に入らないことがあれば泣いて、わめいた。
だが、熱が下がった後の私は泣くことはなかった。そして、理解した。
自分は現状に困難があれば、嘆くよりも、逃げるよりも、怒りを覚える人間なのだと。
その怒りをもって、戦う人間性なのだと。
私が「悪役令嬢」で、王妃になるヒロインをいじめる存在になるのだと、この世界に役割を振られたならば、私は抗う。
そして、7歳の誕生日から、私と世界との戦いは始まった。
透き通ったガラスの存在しない世界。本のページが柔らかく光を透かすことのない、世界。
子供に飢えがあたりまえに存在し、貧しい者の衛生観念などない世界。
前世を思い出した私にとって、現世は常に殴りかかってくる。
靴は重く、硬く、指に触れる布は固い。
ささやかれる吐息は臭く(ミントフレーバーの歯磨き粉の存在などない)、微笑みをもって教えられる世界の理は「神がすべてをつくりたもう」から始まる天動説だった。
断片的な前世の記憶と現状の断絶が、不意打ちで私に衝撃をもって襲い掛かる日常だったが、7歳で思い出せてよかった。3才だったら、私はこの世界の数の数え方に絶望していただろう。なぜならこの世界は8進法だったからだ。
そう、この世界の人間は、前世と同じ容貌でありながら、たった一点、決定的に違っていたこと、それは指が四本だったのだ。
教師が笑顔で、私に告げた「この世界の理」。
この世界はかつて神との5つの約束があった。人々はその5つの約束の下、平和に暮らしていた。しかしそこに悪魔がやってきて一つの約束を消し去ってしまった。
人はその約束の代わりに魔法を使えるようになり、ゆえに世界はもう一度平和になった。私たちはこの世界を魔法とともに支えていく。だからこそ、貴族は魔法を使えるし、それで世界に貢献していくのだと。お嬢様も、だからこそ、真摯に魔法を学ばねばなりませんよと。
この世界の女性に学問を求めず、特にある程度の地位の女性には働くことは推奨されない世界でよかったと思った。前世持ちの転生者にとって、10進法でない世界の数学は恐怖でしかない。
7歳で数に違和感を持たずに生活できていたことに、心底の安堵を得、8歳で私は10歳を祝われる。
8という記号のない世界。衝撃と、諦観と、怒り。世界は敵だ。
10歳で婚約者が決まりそうになった。私は全力で拒否した。お父様と結婚するという宣言をやってのけ、それがだめならお兄様、でなければ、いとこのロビーと結婚すると叫んだ。
「顔も知らない人なんて嫌!私はこの領地からでないもの!ここが一番だもの!」
甘やかされた優秀な令嬢の我儘はみごとに通り、そのまま、王立学園に通うことも拒否し、年頃になって、私はロビーのもとへと嫁いだ。
世界は敵だったが、自然は前世とさほど変わらなかったため、私は自然を好んだ。
花の名前は違えど、心を優しく揺らす美しさは共通だ。
木漏れ日、水の冷たさ、風の通り抜ける音。そこに技術を伴わなければ、目を閉じて、自分は外国に来ているのだからと納得できる状況は私につかの間の安定を供する。
私は田舎の小領主夫人として、領地の医療技術の推進と、乳幼児の死亡率低下に貢献した。
清潔な水を提供するため井戸堀り職人を呼び寄せ、この成果から数年後、新進気鋭の(要は異端気味の)教会使を派遣させ、火葬の協議を徐々に取り入れさせた。同時にひたすら開墾させるため、開墾税を5年撤廃させた。
今、老化による体力の衰えに逆らうことなく、ベッドから見下ろす領地は、穀物のグラデーションが重なり、街道の果樹の紅葉が美しい。
この、美しく、憎たらしい、おぞましい、世界。私に敵対する、美しい世界。
丘をなぞる小道が見える。白い衣を着た人間が見える。この世界には神が存在し、ドラゴンが実在する。
そして、そう、この世界には死の間際、次の生のために「その者が自覚しない罪を告げる」告罪使が存在するのだ。
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その日、領主館に一人の告罪使が訪れた。
迎えた使用人は驚く。告罪使は死を間近に迎える、罪ある人に赴くのだ。
ただし、その罪は本人が自覚しない罪である必要がある。
この館に今、死の淵にいるのは前領主夫人のみ。だが、夫人は周りから慕われ、敬われている。
彼女に、なんの罪があるのか。
使用人は困惑しながらも、彼を案内する。
******************
「あなたの罪を告げに来ました」
彼は枕元に立ち、私に告げた。
ごく平凡な容姿の中に、輝く紫の、神につながる瞳が彼の存在を物語っていた。
「わたくしの、罪ですか」
驚くことなく(年月は感情の隆起をすり減らす。経験とは髪が少なくなったころに手渡される櫛のようだ。くそったれ!)私は声を出す。
若いころの、自分の声がもう、思い出せない。布団の上にそろえられた掌のシミに違和感は覚えないのに、いまだに存在しない小指が私を揺らす。
「あなたは一人の女性を、永遠の孤独に突き落としました。それが、あなたの罪」
彼はゆっくりと何かを読むように話す。
ああ、そう、彼女か。私が何かの舞台から怒りとともに背を向けた結果、主人公の少女は何事もなく、私抜きで演じきったらしいことは、遠い首都の出来事として知っていた。
私抜きの学園で起こったあれこれ、尊き方々の序列争い。それは私が起きると予想していたことと、寸分たがわずとはいかなくても、結果として同じところに着地したようだった。
主人公は王妃となって、いつまでも幸せに暮らしました。
「彼女は幸せでしょう?」
私はいくばくかの滑稽さを載せて言い切った。あざけり、と人は呼ぶかもしれない。何に向けてのあざけりなのか。そう、世界へだ。
この、輝く蛇口のない世界。夕方の帰宅チャイムの鳴らない世界。ランドセルの中の筆箱が起こす音のない世界。
私は常に怒っていた。私の前世について、自分自身のことはほとんど覚えていない。
ただ、どうやら同じ性別だったこと。平和に暮らしていたこと。そして、なにやら自分がゲームか、小説かはわからないが、何らかの舞台を現実としたらしい世界に転生(?)してしまったようだということを理解した。
平和に暮らしていた。子供がいた。湿った、温かい手で私を母と呼ぶ子供。
ランドセル、畳に置かれた学習机に落ちる、柔らかい影。くすみながらも、かわいらしく丸まった白い靴下。
指切りしたあどけない約束が、できない今の掌。
私は女だ。半径200メートルが平和であればそれでいい母親だった。名前は覚えていない。旦那も友達も思い出せない。それがなぜ、この世界に落とされた?
困惑の前に、怒りが来た。私を帰せ!元の場所に、あの世界に!
この役割に据えるために呼ばれたのならば、私は抗う。運命も、世界も、敵だ。誰も私の戦いを知らない。妄想だと自分を慰めることなどしない。しない、とあの日決めたのだ。順応などしてやるものか。記憶が薄れたとしても、私はあの役割を忘れない。だから徹底的に拒否をした。
領地が富めば、忙しくなる、忙しければ首都の社交への優先順位は下がる。領地の評判が上がれば、社交に出ない変わり者の領主夫人は、国を富ませる賢婦人になる。
「あなたは怒りをもって運命を疎んだ。その結果、彼女は恐ろしい孤独に落とされた。神は彼女を愛しております。その彼女のための、あなただったはずなのに」
世界に愛されたヒロイン。その舞台での悪役令嬢への断罪は命であがなうようなものではない。聖女があらわれて、世界を救う。ほころびかけた悪魔の封印を聖なる魔法によって強固にし、この世界に三百年ほどの安寧をもたらす。その準備期間の学園生活の、初めの障害。それが尊い方の婚約者として立つ、私の役割だった。
その悪役令嬢はヒロインに礼儀作法や貴族への関わり方を注意する。結果、恋愛感情を踏み台にした(頭の茹った)王族によって学園生活から追放される。
しかし、最後は世界を救ったヒロインに感謝し、永遠の友情を誓うのだ。
友情を。
この世界に、おそらく同じ前世を持つ人間はいない。
だから、貴族社会の序列を乱すような存在に友情を誓えるのは、私くらいだったのだろう。
彼女のかわいらしい口から出る、不思議な単語。不思議な知恵。それを貴族社会に通訳し、彼女の功績を積み上げるための橋渡し。
ティータイムの甘味を共にする、愛する王子はいても、彼女は「おやつ」を説明することはできない。
約束をするとき、彼女の小指はそこにない。
水の上に、文字を書くようなものだ。彼女の言葉は、心の底からの共感を得ることはできない。その理由を彼女だけが絶対的に知っているのだ。
「この領地では、火葬を推進しているとか。教会は揺れております」
後悔の表情のない私に、告罪使は言葉を重ねた。
彼は神とつながる瞳を持つが、その身は現実の教会とのしがらみに揺れた生身のものだ。
瞬間、生臭坊主め、と湧いた言葉で自分で唇がゆがむ。
「強制はしておりませんよ。教義には火葬の禁止は語られておりませんから」
「夫人は火葬を希望していると聞きましたが」
告罪使は死の間際の人間に自覚のない罪を告げに来る。それは次の生へのためだ。神の慈悲だという。
その罪を自覚することで、次の生はより良く生きることができる。
繰り返す死後、人は最後の生のために、神の国から帰り、最後の時をこの地で幸福に過ごすという。
教義には書かれていないが、この国の人々は最後の生のために、遺体をそのまま埋葬する。
「来てしまった告罪使様を拒むことはできませんから、それくらいは希望しました」
私は微笑み、最後の生の教義を拒絶する。
私は帰るのだ。研究を重ねても、別の世界の帰還魔法はわからなかった。私の体はこの世界で構成されているからだ。
彼女の孤独が私の罪の形というのなら、私の孤独は誰の罪になるというのか。
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思った会話にならない相手を見る目で、告罪使は教義の一説を読み上げる。
「罪はあなたに帰り、あなたはその荷をもって次を行く。」
老女はそれを目を閉じながら聞いていた。
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私は帰る。怒りをもって。その怒りを妄想にしないと、私が決めた。
彼女の孤独を、私の罪とはしない。
私は戦った。今、その開放が訪れる。五本目の指に、小さな指が触れた気がした。
とある母の戦い。
絶望を怒りに変えて。たぶん、世界平和なんて、知ったこっちゃなかった。




