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男女比1:20の世界で、元社畜の俺が『高嶺の花』扱いされるまで  作者: おぷらてぃー


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第6話:規律の牙城、崩落の朝

 昨夜の星野邸での出来事は、まるで質の悪い夢でも見ていたかのようだった。

 だが、スマホに残された氷室愛華からの心配そうなメッセージの数々と、早苗さんの「歴史がひっくり返る大事件よ」という、呆れ半分、面白がり半分な言葉が、それが紛れもない現実であることを物語っていた。


 翌朝。

 俺が学園の校門をくぐろうとした瞬間、異様な空気の塊に、足を止められた。


 登校中の女子生徒たちが一箇所に固まり、遠巻きに何かを伺っている。その中心にいたのは、一台の黒塗りのリムジンと、その横に凛として立つ、黄金の少女だった。


 星野アカリ。

 彼女は、いつも以上に高く結い上げた金髪のポニーテールを揺らし、校門を背にして立っていた。腕を組み、背筋をピンと伸ばしたその姿は、まさに学園の規律を体現する委員長、そのものだ。


「委員長が校門で待ち構えていらっしゃるなんて・・・・・・誰かの違反でも、待っているの?」

「まさか。あの人に、そこまでさせる人間なんて、この学園にいるはずがないわ」


 そんな喧騒の中、アカリの鋭い瞳が、俺を捉えた。

 彼女はゆっくりと、迷いのない足取りで、俺の方へと歩み寄ってくる。女子生徒たちが、まるでモーゼの十戒のように、左右に割れた。


「おはようございます、佐藤さん。昨夜は、よく眠れましたか?」


 静かだが、校門全体に響き渡るような、芯の通った声。

 一瞬、学園全体が真空になったかのような静寂が訪れた。


「え・・・・・・?」

「今・・・・・・『佐藤さん』って・・・・・・」

「嘘でしょ、あの厳格な委員長が、男子を『さん』付けで呼ぶなんて・・・・・・!」


 周囲の反応は、凄まじかった。

 この世界において、上位の女子が男子を呼ぶ際は、「君」か「呼び捨て」、あるいは単に「貴方」と呼ぶのが常識だ。「さん」を付けるのは、敬意を表する対等な相手か、あるいは特別な親愛の情を持つ相手に限られる。


 男子の肉体的な脆弱さが当然とされ、庇護対象として「愛でる」存在でしかないこの社会において、規律の化身である彼女が、昨日今日編入したばかりの男子に、そんな敬称を使うなど――天変地異にも等しい衝撃だった。


 当のアカリは、あくまで委員長としての毅然とした態度を崩さず、俺の目の前まで来ると、周囲には聞こえないほどの小声で、付け加えた。


「・・・・・・公の場ですから、今はこう呼びます。貴方も、分かっていますね?」


「ああ、分かっているよ。おはよう、星野委員長」


 俺が、わずかに皮肉を込めて、あえて役職で返すと、アカリの瞳が微かに揺れた。

 この世界の男子なら、彼女の歩み寄りに恐縮するか、あるいは可憐に微笑んで感謝を示すのが、模範解答だ。だが俺は、彼女を「一人の組織の長」として扱い、対等に言葉を返した。


「・・・・・・ふん。不遜な態度は、相変わらずですね。ですが、私の誘いを受けたからには、遅刻などという不見識な真似は、許しませんよ。行きましょう。皆様の、通行の妨げになりますから」


 アカリに促されるようにして歩き出した俺の背中に、何百という女子生徒たちの視線が突き刺さる。

 その視線の群れの中に、俺の隣の席の主――氷室愛華の姿があった。彼女は教科書を抱きしめたまま、蒼白な顔で立ち尽くしている。その瞳には、自分たち「普通」の人間とは違う次元で会話をする、俺たちへの深い困惑が浮かんでいた。


 二年A組の教室に入ると、そこには独特の熱気が充満していた。

 このクラスに男子は、俺たった一人しかいない。三十人を超える女子たちの視線を一身に浴びながら席に着くのは、前世で経験した、どんな大舞台でのプレゼンよりも神経を削るものだった。


 だが俺は、商社マン時代に培った「ポーカーフェイス」を崩さず、カバンを机に置く。


「佐藤君・・・・・・」


 隣の席から、氷室愛華が、おずおずと声をかけてきた。

 彼女の指先は、教科書の端をぎゅっと握りしめ、白くなっている。この世界において、唯一の男子の隣に座る彼女は、クラス中の女子から羨望と、時には無言の圧力を受けているはずだ。


「大丈夫だった・・・・・・? 星野さんの家で、何か・・・・・・変なこと、されなかった?」


「変なこと? ああ、紅茶の淹れ方を、少し指導したくらいだよ。あとは、来週の合同演習で、チームを組むことになった」


 その言葉が漏れた瞬間、教室内が再びざわついた。

 後ろの席の女子たちが、身を乗り出してくる。


「冗談でしょ!? 委員長が、男子をチームに入れるなんて、開校以来、初めてよ!」

「しかも、あの『絶対防衛』の委員長のチームに・・・・・・? 貴方、自分が何を言っているか、分かっているの?」


 愛華の顔から、血の気が引くのが分かった。

 この世界の女子は、生物学的に身体能力が高く、男子との体力差は圧倒的だ。そのため、女子たちの放つ「圧」は、物理的な威圧感となって、俺の肌をチリつかせる。


「それ、本当なの? 委員長のチームは、毎年優勝候補だけど・・・・・・その分、当たりも一番激しいんだよ。男子が最前線に出るなんて、そんなの、今まで一度だってなかったし・・・・・・。佐藤君が怪我でもしたら、どうするの・・・・・・?」


 愛華の心配は、この世界の常識に照らせば、正論だ。

 男子は、奥深くで守られ、勝利の象徴として座っていればいい。怪我をさせるなど、女子としての資質を疑われるほどの失態とされる。


「俺が決めたことだ。心配いらないよ、氷室さん」


 俺が、落ち着かせようと努めて冷静に言うと、愛華は、悲しそうに視線を落とした。


「・・・・・・でも、私・・・・・・。私、佐藤君のこと、守りたくて・・・・・・。でも、星野さんは、私なんかじゃ、到底届かない人で・・・・・・」


 この世界の男子は、弱く、守られるべき「宝石」のような存在だ。

 愛華にとって、俺の「不遜な口調」は、危うい崖っぷちを歩いているように見えて、仕方ないのだろう。


 昼休み。

 愛華とお弁当を広げようとした、その時だった。校内放送が、教室のスピーカーから鳴り響く。


『――事務連絡です。二年A組、佐藤一真さん。至急、保健室まで来なさい。繰り返し連絡します・・・・・・』


 再び訪れる静寂。

 クラスメイトたちの視線が、針のように俺を刺す。唯一の男子が、放送で呼び出されるなど、よほどの大事だ。


「保健室・・・・・・? 佐藤君、やっぱり、どこか具合が悪いんじゃ・・・・・・」


「いや、ピンピンしてるよ。ただの事務手続きだろう。ちょっと、行ってくる」


 俺は愛華を安心させるために、軽く肩を叩き、席を立った。

 廊下へ出ると、遠くの方で、アカリが厳しい表情でこちらを見ていた。彼女の側近らしい女子生徒たちが、慌てて何かを調べている。委員長である彼女にとっても、この呼び出しは、予期せぬイレギュラーだったようだ。


 学園の最奥。

 長い廊下の突き当たりにある、保健室のドアを開けると、強烈な消毒液の香りと共に、微かに甘い「何か」が焦げたような匂いが、鼻を突いた。


「失礼します。呼び出された、佐藤ですが」


 返事はない。

 ただ、奥のベッドを仕切るカーテンが、揺れている。


 俺が数歩踏み込むと、キャスター付きの椅子が回転し、一人の女性が姿を現した。


 白衣を羽織り、気だるげに脚を組んだその女性は、長い指先で眼鏡のブリッジを押し上げ、俺を獲物のように見つめた。


「あら、意外と早かったわね。律儀なこと」


「・・・・・・どちら様でしょうか。お見かけしたことは、ないようですが」


 俺が、努めて事務的に問いかけると、彼女は口角をわずかに上げ、名札を指先で弾いた。そこには、『九条冴子』と記されている。


「この学園の保健医を務めているわ。九条冴子よ。君たちの健康状態と、それから・・・・・・校内の、ちょっとした『秘め事』を管理するのが、私の仕事」


 九条は立ち上がると、白衣を翻し、俺に近づいた。

 彼女の背は、女子としては高く、俺の目の前に立つと、その瞳は妖しく光っている。


「名乗る必要も、なかったかしらね。君のことは、よく知っているわよ。佐藤一真くん。あの堅物の委員長を、登校早々、骨抜きにした不敵な転校生・・・・・・。ふふ、噂以上の面構えじゃない」


「・・・・・・わざわざ放送を使って呼び出した理由は、俺の顔を拝むためですか?」


「いいえ。警告よ」


 九条は、俺の胸元を、細い指先で軽く突いた。

 女子特有の、男子を圧倒するようなしなやかな強さを、その指先から感じる。


「君、星野さんのチームに入ったそうじゃない。・・・・・・死ぬわよ、今のままじゃ。あの演習は、貴方が思っているような『スポーツ』じゃない。男子を奪い合う、合法的な戦争なのよ」


 彼女の瞳には、アカリのような支配欲でも、愛華のような庇護欲でもない、純粋な「観察者」としての好奇心が宿っていた。


「面白くなってきたわね。アカリが隠していた『本性』を引きずり出した貴方が、この先、どう壊されるのか・・・・・・私が、一番近くで、診てあげるわ」


 窓から差し込む午後の光が、彼女の白衣を、不気味なほど白く浮かび上がらせていた。

 女王、クラスメイト、そして謎めいた保健医。


 俺を巡る女たちの思惑は、来週の合同演習という嵐に向かって、急速に渦を巻き始めていた。

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