幕間:残香と決意、眠れぬ夜の独白
合同演習――それは、佐藤一真という存在の価値を、学園という閉じた世界に決定的に刻みつけた一日だった。
だが、当事者である少女たちにとって、その意味は単なる勝利の記録に留まらない。
それは、自らの内側に潜んでいた「獣」を、否応なく自覚させられる儀式でもあった。
◇
星野アカリの夜:冠を脱いだ夜
星野邸。
豪華な天蓋付きのベッドに身を横たえながら、アカリは自分の細い指先をじっと見つめていた。
風呂上がり、丹念に手入れをしたはずの指には、まだあの廃倉庫で一真の肩に触れたときの、かすかな「熱」が残っているような錯覚がある。
「……あんな声、出すつもりはなかったのに」
誰もいない寝室で、アカリはシーツを強く握りしめた。
一真の指示通りに動き、彼に導かれて勝利を掴んだあの瞬間。
女王として積み上げてきた誇りは、音を立てて崩れ落ちていた。
代わりに胸の奥で芽生えたのは、彼にすべてを委ね、支配されることへの――
恐ろしいほど甘美な悦びだった。
『交渉成立だ』
彼が告げたその一言。
軍師としての自由と、その対価としての「私生活への介入」。
歪で、不均衡で、けれど抗いがたい契約。
「一真さん……貴方は、私をどうしたいのですか?」
――三センチ右へ。
淡々とした声が、今も耳の奥で何度も反響する。
自分を完全に把握し、最適解へと導いた軍師。
明日になれば、学園中の女子が、あの“王子”を求めて動き出すだろう。
「……渡しませんわ。たとえ、この学園のルールすべてを敵に回したとしても」
暗闇の中で、アカリの瞳だけが黄金色に、鋭く光った。
◇
氷室愛華の夜:少女の宣戦布告
一方、質素なアパートの一室。
愛華は机に向かい、裁縫セットを広げていた。
一真に渡したお守り。
彼がそれを大切に持っていてくれた――その事実だけが、今の彼女を支える唯一の光だった。
「……やっぱり、私じゃダメかな」
アカリのような権力も、圧倒的な存在感も、自分にはない。
そう思うたび、胸の奥がきしむ。
けれど、バスの中で一真の肩に頭を預けたときの、あの静かな安らぎ。
彼が、他の誰でもなく「自分」を隣に座らせてくれたという事実。
「……ううん。ダメじゃない」
愛華は唇を噛み、手元の布をぎゅっと握りしめた。
アカリが一真の腕を取る光景を見たとき、胸が引き裂かれるように痛んだ。
その痛みこそが、紛れもない本心だった。
「一真君の隣にいていいのは、星野さんだけじゃない……私だって」
彼女は再び針を手に取る。
次はもっと、彼を守れるものを。
彼を、自分の居場所に引き留めておけるようなものを――
今度は、黙って見ているだけでは終わらせない。
おどおどしていた少女の瞳には、静かだが決して消えない火が灯っていた。
◇
佐藤一真の夜:前世の記憶と今の重み
そして、佐藤家の自室。
早苗に徹底的に「洗浄」され、心地よい疲労の中で、一真は天井を見上げていた。
正直、この世界に来てから、これほど頭を使った日はない。
前世――社畜として無茶な納期と理不尽な上司を相手にしてきた経験。
それが、この“女子が主導する世界”では、これほど有効に機能するとは皮肉な話だ。
「……好意、なんて言葉で片付く話じゃないな」
一真は右手を顔の前にかざす。
アカリに掴まれた腕の感覚は、早苗のマッサージによって、ようやく和らいでいた。
だが、彼女たちが向けてくる視線の熱量は消えない。
それは、これまで経験したどんな感情よりも重く、どこか捕食的だった。
「……俺は、ただの駒じゃない。
無意識のうちに、“導いてくれる存在”を求められている」
一真は、薄く笑った。
支配されることを拒まない少女たち。
だが彼にとって彼女たちは、単なる戦術的な「駒」ではない。
守らなければならない、危うい存在でもあった。
「……やれやれ。明日からの学園生活、これ以上ややこしくならなきゃいいんだが」
家の中では早苗に心身を委ね、
外ではアカリたちの独占欲に晒される。
そんな平穏とは程遠い日常が、これからさらに加速していくことを、
一真自身の生存本能はすでに理解していた。
眠りに落ちる直前、脳裏に浮かんだのは――
火花を散らすアカリと愛華、
そして微笑みながら髪を撫でてくれた早苗の姿だった。




