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男女比1:20の世界で、元社畜の俺が『高嶺の花』扱いされるまで  作者: おぷらてぃー


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第16話:家政婦の特権

装甲バスが学園に到着し、ようやく解散が告げられた頃には、夜の帳がすっかり降りていた。


  演習場の喧騒が嘘のように遠ざかり、残ったのは身体の奥に沈殿する疲労と、遅れてやってくる現実感だけだった。


 アカリは名残惜しそうに何度も振り返りながら、一真に向けて体調を気遣う言葉を途切れなく口にしていた。

無理はしていないか、帰ったらすぐ休むように、食事はちゃんと取るのか――その声音には、女王としてではなく、一人の少女としての不安が滲んでいる。


 その少し後ろで、氷室愛華は立ち止まり、一真に視線を向けては、また伏せるのを繰り返していた。

声をかけたい衝動と、今はそれを許されないという自覚。その狭間で揺れながら、彼女は結局、何も言わないまま、小さく息を整えるだけだった。


佐藤家の迎えの車に乗り込む頃には、校門前の照明も半分ほどが落とされていた。


     ◇


 静まり返った夜の住宅街。

 車が止まり、一真が玄関前に立つと、家の灯りは最小限に抑えられているのが分かる。


 母は、今夜も帰りが遅い。

 夜遅くまで働くのが、この家ではすっかり日常になっていた。


 この時間に、一真の帰りを迎える役目を担っているのは――いつも、決まって早苗だった。


 門灯の柔らかな光の下、聞き慣れた足音が近づく。


「おかえりなさい、一真君。……怪我、してない?」


 玄関を開けるより先に、早苗が中から姿を現した。

 いつものエプロン姿ではなく、少し厚手のニットを羽織っている。

 一真の姿を確認した瞬間、彼女の肩から、張り詰めていた緊張がすっと抜けたのが分かった。


「ただいま、早苗さん。……そんなに心配しなくても、大丈夫だよ」


「そうはいかないわ。テレビのニュースでも、今回の演習は例年以上に激しかったって言ってたもの」


 早苗は一真の腕をそっと取ると、傷がないかを確かめるように撫でる。

 その指先は少し冷えていて、彼女がどれだけ長い時間、この場所で待っていたのかを雄弁に物語っていた。


「さあ、中に入りましょう。冷えたでしょ? すぐお風呂に入れるようにしてあるわ」


     ◇


 湯気が立ち込めるバスルーム。

 一真は一人で入るつもりだったが、早苗は着替えのタオルを抱えたまま、当然のように脱衣所までついてきた。


「一真君、背中に泥が跳ねてるわ。……演習着、脱ぐのも大変でしょう?」


「いや、それくらいは自分で――」


「だめよ。今日は疲れているんだから」


 早苗は微笑みながらも、一切引く気配を見せない。


「見えないところに青あざでもできていたら大変だもの。家政婦として、主人の健康管理は大事な仕事なんだから」


 その言葉は冗談めいているが、視線の奥には確かな意志があった。

 一真は小さく息を吐き、彼女の流れに身を委ねる。


 シャワーの温かな湯が、張り詰めていた筋肉をゆっくりと解きほぐしていく。

 背後に回った早苗は、驚くほど手際よく、一真の身体を洗い始めた。


「……少し、痩せたかしら。肩は前よりしっかりした気もするけど」


 泡立てられたスポンジが肌を滑る。

 時折、確認するように触れる指先は、どこまでも穏やかで、慈しみに満ちていた。


「星野さんや氷室さんは、元気だった?」


 不意に、名前が出る。


「……一真君に、無茶なことさせなかったかしら」


「二人とも、よくやってくれたよ。……アカリは前線で戦ってたし、氷室さんは……これを」


 一真は脱衣所の籠を指差す。

 そこには、愛華から受け取ったお守りが丁寧に置かれていた。


「濡れないように、避けておいてくれる?」


 早苗の手が、一瞬だけ止まる。


「……そう」


 声は穏やかだった。

 だが、次にスポンジを動かす力が、ほんの少しだけ強くなる。


「大切にされているのね、一真君」


 早苗はシャワーで泡を流しながら、低く、静かに言葉を続ける。


「でも、一真君。外でどんな役割を背負っても……ここだけは、あなたが何も気にせず休める場所でいなきゃいけないの」


 水音の中で、その言葉は確かに届いた。


「ここでは、誰かを守らなくていい。考えなくていい。……ただ、休めばいいだけ」


「ああ……」


 一真は湯に身を沈めながら、小さく頷く。


「ここに戻ってくると……ようやく一日が終わったって思える」


「……なら、それでいいのよ」


 早苗は一真の背中に手を添え、円を描くようにゆっくりと撫でた。

 それは戦場で向けられる欲望とも、所有欲とも違う。

 もっと深く、静かで、根を張るような独占だった。


「今夜は、ゆっくり休みなさい。……私の目の届くところで」


 湯気の向こうで、早苗は満足そうに微笑んでいた。


 一真は温かな湯に浸かりながら、この家庭という名の檻が、演習場の壁よりも遥かに柔らかく、そして遥かに抜け出しにくいものであることを、改めて実感していた。

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