豊かさの裏側
この世界は、おそらく人類史のどの時代よりも栄えている。
世界中のどこにでも行けて、誰とでも瞬時につながり、ほしいものはワンクリックで翌日に届く。
それでも、人々はなぜか満たされない。
働かなくても生きていけるほど技術が発達したのに、私たちは依然として働き続けている。
それは、技術が本来もたらすはずだった「自由」や「余白」が、いつの間にか別の生産や競争へと吸い取られ、結果として欲望を追いかけるための労働が再生産され続けているからだ。
一生使えるものばかりが市場に並んでしまえば、店は潰れる。
だから商品には、あらかじめ寿命が仕組まれる。
スマートフォンは二年で動作が重くなり、家電は決まったように故障し、衣服は流行の循環によって価値を失う。
こうして技術は、生活を楽にする道具であるはずが、人間の欲望を刺激し続ける仕組みへと姿を変えた。
消耗こそが、現代社会の心臓の鼓動になっている。
広告を見れば、「今のままでは足りない」「あなたは遅れている」という声が、巧妙な映像とともに繰り返し流れ込んでくる。
欠乏がつくられ、それを埋めるための労働が求められ、その労働がまた新しい欠乏を生む。
私たちの人生の大部分は、この循環に吸い込まれていく。
それは、誰かの悪意によるものではない。
しかし、悪意のないままに作られた不幸は、もっとも気づきにくい。
人々は今日も、自らの暮らしをよりよくしようと願いながら、知らず知らずのうちに、その不幸を積み上げていく。
豊かさの裏側で、静かに育ち続ける欠乏。
もしかすると現代という時代の豊かさは、その見えない欠乏の上にかろうじて立っているのかもしれない。
そして私自身もまた、同じ構造の中で、満たされない何かを抱えたまま生きている。




