1・9話 田中さんの番犬がとまらない
僕が知り合ってしまったのはあの田中さんなのだ。
文字通り全校生徒から、顔と名前が認知されている女子生徒だ。
僕の通っている高校名をグーグル検索すれば、予測変換の十行目ぐらいには田中さんの個人情報が出てきてしまうだろう。
いまだにどんな理由があるか判明していないが、そんな田中さんが連日、僕の机の前までやってくるようになった。
必然的に、田中さんの番犬も僕の存在に気付いたようだ。
今日はその番犬が教室までやってきた。
子犬のような少女だな、というのが正直な第一印象だった。視線は自然と彼女と目を合わせるために、見下ろす形になる。
「うぅーっ!! ワンっ!! お前か田中をそそのかしているのはっ!!」
ご主人様のために張り切っている、文字通りの子犬の番犬のようだった。
田中さんを護衛するように、僕の目の前に仁王立ちしている。犯罪者を追求するように、指さしまでしてくる。
田中さんといえば、子犬ちゃんの真後ろで困ったようにはにかみながら、いつものように顔を赤くしているだけだった。
表現する言葉が出てこないが、田中さんが困っていることぐらいは、僕にも理解できた。
「朱音。恥ずかしい」
朱音と呼ばれた子犬ちゃんは僕を睨みつけたまま、うなり声をあげて警戒モードを崩さない。
子犬ちゃんをみていると、僕の心に確信が浮かんだ。
「朱音さんは、田中さんのことが好きなんですね」
なのでいつも通り、心に正直に答えた。
朱音さんは田中さん以上に顔を紅潮させると、軽く震えながら、さらにうなり声を大きくする。
「君はどうやらライバルのようですねっ」
ライバル、好敵手という意味だろうか。
「僕と朱音さんでは勝負にならないと思います」
素直に答える。
子犬とはいえ番犬だ。
腕力はなさそうだが、子犬ちゃんな容姿だけあって瞬発力はありそうだ。
好敵手として対決した際に、首筋などの急所に噛みつかれてしまったら、僕は抵抗する間もなく、食い殺されるのだろう。
残念ながら僕の肉体は根っからの文系体質である。体力の無さは驚愕に値するレベルだ。骨と皮のガリガリ野郎である。
なので勝負にはなりそうもない。
朱音さんが顔面の体温を熱そうにしたまま後ずさる。すぐ真後ろの田中さんの下胸辺りに後頭部をぽよんと当てている。ラッキースケベ現象。
「わたしなどでは相手にならない、というのですねっ! この泥棒猫っ!!」
「猫ではないです」
そういう意味ではない、となんとなく察したが、なにやら理不尽に激昂されている気がした。なので、とりあえずあげあしをとりつつ、反論。
いい加減に同じレベルでやりあっていてもらちが明かない気がしてきた。
やりとりがかみ合っていないことぐらいは、この世界の常識に染まり切っていない僕でも感じとれる。
そんな空気をきちんと読んでくれたのは田中さんだった。
朱音さんの襟首をひっ掴んで、ずりずりと教室から後退していった。
田中さんは表情を隠しており、お顔はうかがえなかったが、まあいい。
「なにすんの田中っ! まだ話は終わってないっ! 離せ!! ていうか、引きずるなっ」
激しく抵抗しながらも、体格と体重の問題からか、朱音さんはあっさり教室から引きずられていった。44・5キロぐらいだろうか?
嵐のような人だった。いきなり現れていきなり消えていったことからして、ゲリラのような嵐の人だ。ゲリラ豪雨さんとこっそり呼ぼう。
「朱音まで引っ張りだすとはね」
不良系女子高生感のある実里さんが、堂島くんの席に座ってきた。席に戻ろうとしていた堂島くんが少し寂しそうな顔を隠して、回れ右して、教室の隅っこへ帰っていった。ごめんね。今度は缶コーヒーを奢ろう。
「番犬のようですから、いつも一緒なのでは?」
「最近までは一緒じゃなかっただろ? 普段はついてこない。田中が一人でもやっていけるって理解しているから。独りでも軟派野郎をサツガイできるだけの猛者だってわかっているから」
「なのに今日は一緒でしたね」
「独りで危ないかもしれないって思われているんだよ。ここ最近惚けた顔しているだろ?」
「そうでしたか」
田中さんにはどうやら惚けるような出来事があったらしい。最近一緒にいる時間が長いような気がするが、何が理由なのかはわからない。
わかる日が来ることを切に願っている。
実里さんは呆れ顔で笑っているだけだった。
「前も言ったけど田中に飽きたらあたしのとこ来なよ? あんたとなら暇しなさそう」




