2・4話 田中さんの番犬がとまらない。ガチで
「きっさまぁっ」
案の定、番犬さんは、本当に噛みついてきた。
文字通り、僕の二の腕に噛みついている。
制服越しではあるから甘噛み感覚ではあるが、番犬さんの血走った瞳を想像するに、本気で噛み切ろうとする意図がありそうだった。
しばしもがもが制服ごと噛み切ろうと努力していた番犬さんだが、それが不可能としれると、制服から顎をはずし、僕を犯罪者のように指さした。
「田中に何をしたっ!! この淫乱外道っ」
授業間の十分休み中である。移動教室などはなく、歴史から数学の授業へ移行する間の時間だ。
教室内には八割九割ほどのクラスメイトが残っていた。
それら十数の視線が、一切に僕へ向いていた。
僕が田中さんをむげに扱っていたのは、あくまで僕の席周囲の出来事で収束していたが、実里さんに連れ出されたことが契機になり、教室内全体で共有され、番犬さんの淫乱外道発言で、完全に周知されたようだ。
下駄箱の外履きが隠されたり、燃やされたりしてないことを祈ろう。
僕は席に着くと、数学の教科書を取り出して、予習を開始する。素因数分解は。ふむ。分からない。誰か教えてほしい。
「きっさまぁっ!! 無視かゴラァっ」
番犬さんが吠えている。
実里さんや田中さんとの決定的な違いは、両者がある程度周囲への迷惑をかけないように振る舞いことを意識していることに対して、番犬さんは己の感情をひたすらに最大音量にしてぶちまけてしまうところだ。
このまま番犬さんの感情むき出しを放置していると、ガチのマジの本気でトイレで小をしている最中に背中を押されてしまうような事案が頻発するかもしれない。
それはこの身体を友哉に返す身としては、あってはいけないことだ。
処置しよう。
僕は席を立つ。番犬さんを見下ろす。少し怯えが瞳に宿る。
「外で話をしよう」
「皆の前ではいえないかっ!! 淫行外道っ!!」
僕は相手にせず、廊下にでる。背後から僕を非難する言葉を浴びせられるが、僕に用事がある以上、番犬さんは素直についてくるだけだった。
番犬さんの罵倒をあびながら、特殊教室棟まで歩く。十分人気がなくなってきたところだ。
番犬さんは僕をののしる言葉を吐き出すことに忙しくて、人気のないところに連れ込まれたことを意識していない。
周囲から物音がしなくなる。校内の喧騒が消えていく。誰もいない教室や廊下に音が吸い込まれていくようだ。
さきほどまでと打って変わって、自らの怒声のみが響いていることに気づいた番犬さんが、口を閉ざす。
僕はそのタイミングで、彼女の急所を突く。
「君は、田中さんを救えなかった」
「え」
さきほどまでの強面の番犬めいた彼女の仮面が、うっすら剥がれかける。僕は剥がれかけた部分に指を引っかけて、引っ剥がすように言葉を続ける。
「救えなかったくせに、僕を糾弾できるの?」
「そ、そんなこと」
「あるよ。そんなことある。事実田中さんは、どうしていた? どんな顔をしていた?」
泣いていた、とは伝えない。番犬さんに自らそれを想像させる。
それをきっちり想像している番犬さん。
数秒待ってから続けた。
「君は田中さんのことが好きなんだね」
番犬さんの頬が朱に染まる。否定の言葉を吐こうとするが、僕はそれを言葉と手のひらで制する。
「君は田中さんが好きなんだ。でも君は君の好きな人を守れなかった。なにもできなかった。そのくせ、僕を糾弾できるの?」
「やめて」
続け様の言葉に、番犬さんはついに弱音を吐いた。そしてもちろんやめることはない。
想像通りだ。番犬さんは攻撃力特化の人格のため、守る方の力はからきしのようだ。
「やめないよ。恥いるべきだ。田中さんを守れなかったのに、その責任を僕に押しつけるような言葉を吐くことを。本来なら田中さんを守れなかった責任をとって、君が田中さんの前から消えるべきではない?」
俯き、しゃがみ込み、番犬さんは声も出せずに泣いていた。
想像通り、あっさり撃退はできた。
同時にこれは、田中さんに恨まれる、嫌われる方法だった。
でもしょうがない。
いつまでも期待させるわけにはいかないから。
これでいいのだ。
僕は続ける。
「なに泣いているの? 迷惑だからそのまま教室帰られないでね? 田中さんが怒るでしょ」
止めの言葉をぶつけて、僕はその場を離れた。
これでいい。
泣きはらした顔で教室へ帰っていく番犬さんを見送りながら、願った。
いつか彼女に謝れる日が来ますように、と。




