2・3話 僕の奇行がとまらない②
前振りなく、唐突に奇行をやりすぎてしまった結果なのだろう。
僕は男子トイレにいた。
尿意があるわけではない。小便器の前に立っているわけでもなく、個室にこもっているわけでもない。
男子トイレの壁際に追いつめられている。窓は壁上部についているが背伸びしてもふちに届くことはない。逃げ場はない。
「ちょっと来いよ」
次の授業の予習をしようとしていると、そんな言葉とともに、胸ぐらを捕まれて、男子トイレまで引っ張り込まれてしまった。予鈴が鳴っていることを主張したが、「いまはそれ以上に大事なことあんだろ」とすごまれてしまった。なにもいえなかった。
用件は、さきほどの奇行についてだった。
「田中、泣いてるけど。舐めてんの? どういうつもり? いきなり倦怠期にでも突入した? モラハラ系彼氏のつもり? 舐めてんの」
三つ並んでいる個室トイレの奥に追いつめられた。すでに壁に押し付けられる距離まで迫られており、逃げ場はない。
パワハラ系の不良イケメンカースト上位男子、が相手ならよかった。
そういうのが相手なら、むりやりふりほどいたり、暴力に頼ることもできた。
僕の目の前で怒り心頭なのは、実里さんだった。
男子トイレに入っているという事実を全く意に介さず、僕を詰めていた。
田中さんから僕が完全無視してくるどうしたらいいんだろう、などのLINEが届いたそうだ。遠目から様子をうかがっており、状況を把握したヤンキー不良暴力担当の実里さんがこうして詰めてきているということだ。
本来男子トイレという女子禁制の場所を、詰めどころに選んでいるところが、実里さんらしくて怖いガチで。
腕を組んだまま、まっすぐ僕を睨みつけてくる実里さん。肉体が震える。自然な反応だ。
「前に言ったこと覚えている」
何を覚えているか、という前提がありません、と思った。
そんなことを口走った瞬間に、頬を叩かれそうだったので、僕は俯き加減に首を振るだけだった。
「田中に飽きたら、あたしのとこ来いっていった。だから? 田中に飽きたから、田中を傷つけるようなことしたの? だったら殴らせろよ」
「あ、飽きるとか、ないです」
「ならなんで田中の心を踏みつけてんだよ。舐めてんのか、答えろよ」
本気の怒りをみせている実里さんを相手にして、回りくどい言い訳はふさわしくないと思った。より正確にいうなら、言い訳されている、と判断された段階で、顔面に鉄拳が飛んできそうだった。
だから僕は心に素直に、言葉を吐き出す。
悪鬼のような形相になっている実里さんを直視する。生物的な反応なのか、少しだけ涙になりそうになるけど、瞳から垂れ流れることは我慢する。
「田中さんとこれ以上仲良くなることは、やめることにしたんです」
実里さんは人喰い鬼のような表情のまま、眉をこれ以上ないぐらい深く寄せたあと、じりじり詰め寄ってきた。
後ずさりたくなったけど、すでに背中はタイル壁にぶつかっていた。
実里さんの顔が近距離にある。吐息がかかる。少し女子の香りがした。
「あんたら仲良くなっていたよね。あり得ないぐらいの速度で。正直うらやましかったよ。田中が男子相手にあんな顔しているところも初めてだったから。なのに今更。今以上に仲良くなることにびびったんだ」
「違います。びびっているわけではないです。ただ今以上、これ以上仲良くなることをやめようと思ったということだけです」
実里さんは一切納得していない表情のままだった。
「だから素っ気なく、無視して田中からあんたへの関心をそぐようなことしているわけ」
「はい」
「なんで駄目なの。なにが駄目なの。田中の何が不満? いってみな。あたしが矯正させてやるから」
鋭利なナイフのような声音だった。僕がもしトイレに駆け込む系統の自然現状を起こしていたら、漏らしていたかもしれない。
そしてその声はとても温かかった。実里さんは本気で田中さんを心配していて、本気で田中さんをあんな風な顔にしてしまった僕に対して怒っているのだ。
うらやましいと思った。
そんなふうに思ってくれる相手がいる田中さんのことが。
僕はそんな実里さんにどう答えるべきなのだろうか。
少しだけ悩み。
正直に答える以外のことはできない、と思った。
「僕はもうすぐいなくなるんです」
友哉のことや、異世界転生のことなど、説明しないといけない本筋をすべて説明せずに、僕は結論だけを口にする。
「転校?」
「違います。でも僕は近い将来消えることになりました。なので。今、以上に仲良くなることはやめることにしたんです」
「転校じゃない? でもいなくなる? 死ぬの?」
「違います」
「二重人格なんだね」
なんともいえない。
「……」
実里さんは一気に興味をなくしたように、ため息をついた。
「いいよもう。わかった」
諦めの声音がにじんでいる。
「すみません」
「要はあんたがもう田中と関わりたくないってことが、結論ね」
悲しい言い方ではあるが、そういうことだったので、僕は肯定するしかない。
「はい」
「ならそう伝えるから。あんたはもう田中に関わるな、話しかけるな、そのままぼっちで生きてろよ」
とても冷たく、冷酷だった。でもそれでいい。田中さんとの関係性をリセットするためには、これぐらい必要なのだ。
「はい」
これでいい。友哉は常に独りだった。多少周囲から軽蔑の視線は受けるだろうが、これで元通りのぼっちに戻るのだ。
そしてなぜか実里さんが少しいじらしそうに、頬を染めていた。
「で、田中に飽きたみたいだからあたしと遊ぼうか。退屈はさせないけど」
「あなたのことは嫌いです」
悲しいけどこういう以外なかった。
不動明王のような顔になった実里さんが、頬を叩いてきた。
ペシっと、軽い音がした。まったく痛みのないビンタだった。まったく力の入っていない暴力だった。
だからだろう。心にきつく響いた。
「しねっ。ばか」
実里さんが男子トイレを出て行った。その背中を直視できなかった。恋愛感情を理解できない僕でも、察してしまうぐらい、その背中はみていられなかった。
大切なものを、大切な存在を失っていく。
でもこれでいい。これで友哉はぼっちになれる。だからそれでいい。




