0章3話 失う日
興味を持っていただき、ありがとうございます。
第3話では、これまで描いてきたユウマの“当たり前の日常”が、
音を立てて崩れ落ちていきます。
穏やかな時間、笑い合える朝――
そんな“普通の幸せ”が、どれほど脆いものなのか。
そして、その一瞬の崩壊が、
ユウマという少年の人生を大きく変えていくことになります。
内容はこれまでより少し重く、衝撃的な展開も含まれますが、
物語において非常に重要な場面のひとつです。
心の準備だけして、読み進めていただければ嬉しいです。
別れとは唐突に訪れる。
日常がいつの間にか壊れ、知らぬ間に奪われてしまうことがある。
そう――これは俺の当たり前が奪われる話。
ひたすら走った。
死ぬ気で走った。
脳裏に浮かぶ最悪を否定したくて――
だけど、村に近づけば近づくほど焦げた匂いは強くなり、悲鳴まで聞こえ始める。
走ってるから体は熱いはずなのに、背中がすごく冷たい。
ようやく村の入り口が見えてきた。
だけど、その目に映るのは平和で穏やかな村の景色なんかではなかった。
「嘘……だろ?」
想像していた最悪が、現実になっていた。
村は焼け、魔物の群れが村人を襲い、そこら中に死体が転がっている。
焦げた木の匂い。
土に染みた血の臭い。
そして――甘ったるく腐敗臭が混ざった、鼻を刺す“何かの”悪臭。
朝までの平和は、まるで幻だったかのように踏みにじられていた。
足が止まる。
膝が笑い、呼吸が乱れる。
村はすでに炎に包まれ、赤い光が夜明け前の空を焦がしていた。
焦げた木の匂いが鼻を突く。
けれど――この森には、火を吐く魔物なんていないはずだ。
「なんて……あんな化け物が……」
村を襲った魔物たちは、人を食い荒らすでもなく、ただ斬り裂き、焼き払い、蹂躙していた。
それは“狩り”ではなく“虐殺”だった。
脳裏に両親の顔が浮かぶ。
「助けなきゃ……っ!」
そう思った瞬間、体が勝手に動く。
だけど、村の入り口にはまだ魔物たちがうろついていた。
黒い影が、炎の中を這うように動いている。
息を殺し、焼けた家の影に身を潜める。
炎の爆ぜる音と、魔物の低いうなり声だけが響いていた。
焦げた木の匂いに混じって、血の臭いが濃くなる。
胃が裏返りそうになるのをこらえながら、ユウマは少しずつ移動を始める。
昔遊んでくれたお兄さんも、よく野菜を分けてくれるおばさんも、あまりかかわっていない人だって、みんな無差別に殺されてる。
吐き気がする。
このまま逃げたい……
そんな思いを押し込めひたすら家の方へと進んだ。
ようやく家の前についた。
奇跡的に家は壊されていなくて、朝のままの姿をしていた。
「よかった……母さん! バカ親父! ただいm――」
玄関を開けた瞬間、安堵の感情が絶望へと変わっていく。
最初に目に入ったのは、血だまりに倒れた母さんの姿だった。
「母さん……っ!」
駆け寄ってその手を握りしめる。
冷たい。
脈はなく、もう動くこともない。
明らかに手遅れだと分かっていても、ユウマは受け入れられなかった。
「母さん!母さん!目を覚ましてくれよ!……頼むから……!」
「ユウ、マ……なのか……」
その声が、家の奥から聞こえた。
聞き慣れた声――父の声だった。
「父さん!」
廊下の奥から現れた父は、血にまみれ、足を引きずっていた。
右半分の顔は焼けただれ、左腕は肩から先がなくなっている。
その姿を見た瞬間、息が止まった。
「……静かにしてくれ……頭に響く……」
「わ、分かった……でも、傷が……!」
父は壁に手をついて立っていたが、すぐに力尽きるように膝をついた。
赤黒い血が床を伝い、母の血と混ざり合っていく。
「俺は……大丈夫だ。だから、聞け……ユウマ」
声を絞り出しながらも、その瞳は真っすぐ息子を見ていた。
「俺は母さんを――愛する人を、守れなかった」
その言葉に、ユウマの喉が詰まる。
「だが……お前はまだ間に合う」
父は、血に濡れた手でユウマの肩を掴んだ。
「ユナちゃんが……教会にいる。オークロードが向かった」
「っ――!」
ユウマの全身が固まる。
「ユウマ……行け」
「あの子のところへ」
「お前は俺じゃない……だからできる」
「で、でも父さんは――!」
「俺のことはいい!」
父は叫ぶように言い放ち、震える体で真剣を握りしめた。
「すでにこの家は包囲されてる。俺が食い止めてやる」
「だからお前は、守れ。守りたいと思った女を」
その言葉には、痛みも恐怖もなかった。
ただ、息子への信頼と、父としての覚悟だけがあった。
「……ユウマ」
「優しい男になれ」
「男なら、女を傷つけるな」
「そして――後悔だけは、絶対にするな」
父は一瞬だけ笑い、血で滑る床を踏みしめて立ち上がる。
炎の明かりに照らされたその背中は、まるで燃え尽きる命の灯のように揺らめいていた。
「……行け、ユウマ」
「でも――」
「行け!………ユナちゃんを……守れ」
その言葉を聞いた途端足が勝手に教会の方へと走り出していた。
背後の光景を決して見ないように――
「行ったか……さて」
ユウマの父親の前には十を優に超える魔物がいた。
だがそれでも剣を構え言い放つ。
「我が名はアカギッ!」
「愛する者をなくし、満身創痍だろうとただ一人の息子の為に剣を握る者!」
その声は瀕死であることが嘘かのように周囲に響き渡った。
村中の魔物が集まってくる。
「うちのバカ息子を殺したければ俺を殺してからにしやがれ……化け物ども」
ユウマは父の言葉を背に、視界を覆う炎と悲鳴を振り切るように走り出した。
振動する地面、焦げた空気、あちこちで崩れる屋根――それでも脚は止まらない。
父の声が頭に焼きついて離れない『ユナちゃんを守れ』。
そのたった四語が、千の理由を押しのける。
村の通りを曲がると、教会の尖塔が黒煙の中に浮かんでいた。
鐘楼の一部は崩れ、石の断片が地面に散らばっている。
中にいるはずのシスターたちの声が聞こえない。
もう間に合わないかもしれない――そんな考えが頭をよぎる。
だが、止まれない。止まってはいけない。
崩れた扉を蹴り開けた瞬間――時間が止まった。
緑色の巨体が、ひとりの修道女を高々と持ち上げていた。「ユナ――ッ!」
「……ユウマ? 来ちゃダメ!」
修道服を身に着けたユナが叫ぶ。その声に、怪物がゆっくりと振り向いた。
目が合った瞬間、世界が凍りつく。
直視するだけで気絶しそうなほど濃密な殺意が、ユウマの全身を貫いた。
オークロード――オークの群れを率いる王種の魔物。
危険度はジェネラル級より下だと父から聞いていた。
だが、目の前のそれは明らかに異質だった。
黒炎のような瘴気を纏い、空気が軋むほどの圧を放っている。
それでも――
「ユナを返せッ!」
ユウマの声が震える。守らなければならないという思いだけが、震えた声を支えた。
「黙れ……虫けらが吠えるとは生意気だ」
低く濁った声が炎の中で響く。魔物が、人の言葉で喋った。
本来ならあり得ないことだ。魔物は理性を欠くか、独自の言語でしか会話しないはずだが――こちらの言葉で、はっきりと喋ったのだ。
「うるさい! ユナを返s――」
声を上げた瞬間、
視界の端で何かが閃いた気がした。
風が頬を撫でた――そう思った直後、
背後の壁が大きく抉れ、崩れ落ちる。
「黙れと言ったはずだが?」
突き刺さる殺意が増していく。
(……今の、なに?)
理解が追いつかない。
ただ掠っただけなのに、身体が震えて止まらない。
「黙れと言ったはずだが?」
突き刺さる殺意が増していく、今にも目の前の虫を踏みつぶすかのように――
「まあいい……殺したくなきゃ受け止めろ」
オークロードの口角が吊り上がる。
次の瞬間、巨体が片腕を振るった。
ユナの小さな体が宙を舞う――。
「ユナ――ッ!」
考えるよりも先に、体が動いていた。
ユウマは必死に走り出し、両腕を広げて受け止める。
その瞬間、ユウマの身に着けていた何かが火の中へと落ちた。
ユウマの肉体には重い衝撃が背中を突き抜け、息が詰まるような感覚を与えた。
視界が白く弾けた。
「ぐっ……!」
背中に瓦礫の破片が突き刺さり、息が荒くなる。
けれどユナは、生きている。
腕の中で弱々しく、息をしていた。
ユナは何か言ってるような気がするが聞き取れない。
ユナを抱えたまま、ユウマは必死に息を整えようとする。
だが胸の奥が異様に熱く、視界がじんじんと揺れていた。
「……あれ……?」
頬を伝う生ぬるい感覚に気づき、指先でなぞる。
赤い。
べったりと、血がついていた。
(いつ……殴られた?)
思考が追いつかない。
今の自分の体では“殴られた”という事実すら理解できなかった。
背後の壁が崩れた理由が、ようやく繋がる。
さっき頬を掠めた“何か”――
あれは衝撃波だけで壁を叩き割るほどの力だったのだ。
軽く触れただけで、皮膚が裂ける。
「……っ」
震える指先が、痛みよりも恐怖を示していた。
あの化け物に本気で殴られていたら、
自分もユナも、その瞬間に跡形もなく砕けていた――。
その時だった。
「最後の別れは済んだか?」
そう言い、オークロードが近づいてくる。
一歩、また一歩と距離を詰める。
その足音はまるで死神が近づいてきているかのように感じさせた。
その直後、ユナがユウマを抱きしめた。
「――ごめんね」
ユナが祈りの言葉を紡ぐ。
《聖なる門》
眩い光が教会を満たし、空気が震えた。
床の瓦礫が浮かび、砕け散ったステンドグラスが虹色の光を散らす。
あまりの光量にユウマは目を覆う――その刹那、オークロードの声が響いた。
「なっ……これは―――権能⁉」
黒い瘴気が荒れ狂い、炎が逆巻く。
だが、どれだけ抗っても聖なる光は崩れない。
まるで“神”そのものが現れたかのように、聖光がオークロードを押し返していく。
「まさか……人間ごときが……っ!」
怒号とともに、その目が天を睨み上げた。
「許さんぞ――――アロガンスッ!!」
咆哮とともに黒炎が爆ぜる。
光と闇がぶつかり合い、教会の空気が一瞬で弾け飛んだ。
そして――オークロードの姿は、聖なる光の奔流に呑まれて消えた。
さっきまで世界を焼いていたはずの炎も、いつの間にか消えている。
ただ、焦げた空気と、漂う灰だけが残っていた。
ユウマはゆっくりと目を開けた。
視界の白が薄れ、崩れかけた教会の天井が見える。
周囲に――魔物の姿は、どこにもなかった。
「……消えた……?」
掠れた声が漏れる。
だが安堵するよりも先に、腕の中の重みが気になった。
「ユナ……?」
返事はない。
抱きかかえたユナの身体は、あまりにも軽かった。
血の気が引いた唇。震えない指先。
「……ユナ? ユナ!」
ユウマは揺さぶる。
だが、揺れても、声をかけても――反応はなかった。
一瞬にして世界が色彩を失った。
外の風が吹き抜け、ステンドグラスの破片が小さく転がる音だけが響いた。
まずは今回のお話を読んでいただき、ありがとうございます。
第3話は、ユウマにとって決して消えることのない“悪夢の記憶”。
守れなかった悔しさ。
目の前の地獄に立ち尽くすことしかできなかった無力感。
――9歳の子どもに背負えるはずのない重さです。
……ですが、私は悪魔なのでそんなこと知ったこっちゃありません!
さて、ご安心ください。
ユウマは凡人ですが、決して弱くはありません。
どれだけ絶望の底に沈もうとも、彼は前に進みます。
いずれ、あの“異様なオークロード”にも届くでしょう。
……おっと、少し素が出てしまいましたね。
最後に。
次回からも、物語は静かに、しかし確実に動き出します。
どうか、引き続きお付き合いいただければ幸いです。




