5話 猪狩り
「みんな逃げろ!早く!」
男の警告が、広場に響き渡る。1人、2人と少しずつ人が広場から出ていく。近くの家屋に入る人もいる。
「どいてくれ!怪我人だ!」
そんな声と共に、男の後ろから、さらに数人の男女が駆けてきた。その中の1人が、背中にぐったりと目を閉じた男を背負っている。
「すいませんユヴェールさん、様子を見てきます」
俺が突然そう言っても、彼女は冷静に頷いた。そして肩にかけた革袋を俺に差し出す。
「中に武器が入っています、使ってください」
やっぱりユヴェールさんは、どこまでもお見通しのようだ。こうなることを知っていたとは思えないが、俺が必要そうなものを用意してくれていたんだろう。
大猪がどれほどのものかはわからない。しかし怪我人が出ているなら、見過ごすのは無理な話だ。そう思った俺は、声かけをしている男に駆け寄った。
「北の道ですよね?あっちの方ですか?」
「そうだ!あんたも早く逃げろ!」
「いえ、俺はそっちに行きます」
俺がそう言うと、男は驚いた表情で俺の肩を掴んだ。
「何言ってるんだ!怪我人が大勢いるんだぞ!」
「だからですよ。俺は元騎士です。怪我人くらいは運べるはずだ」
それを聞いた男は、頭をぐしゃぐしゃと掻きむしり、忙しなく猪へ続く道と俺を交互に見る。
そして決心がついたのか、少し長く一息吐いて、一歩退いた。
「気をつけろよ、これ以上怪我人が増えたら困るんだからな!」
「ありがとうございます!」
俺がその剣を受け取り、北に向けて走り出すと、あっという間に広場は遠ざかっていく。
程なくして、倒れた木々や建物が見えてきた。まるで嵐でも通り過ぎたかのように、建物がバラバラに弾け飛んでいる。
「こりゃ酷いな…」
大猪と聞いていたんだが、もはや災害に近い。想像していたよりも何倍も大きい猪のようだ。
さらに少し走ると、何人かの男が見えてきた。彼らは各々武器を手に取り、一つの巨大な何かを、距離をとりながら囲んでいる。多分、あれが猪だろう。
唐突に巨大な猪が揺れ動き、周りにいた男が1人、こちらに弾き飛ばされた。
「マズい!」
それを見た俺は、走る速度を上げ、男と地面の間に滑り込む。凄まじい勢いで吹き飛んできた男を、どうにか地面にぶつかる前に受け止めた。
急いで男を地面に仰向け寝かせて、怪我の有無を確認をする。衝撃で朦朧としているようだが、目は開き、意識はあるようだ。
出血などはなく、骨折していそうな箇所も見当たらない。あたりどころが良かったんだろう。俺が受け止めたことも功を奏したようだ。
「大丈夫ですか⁈」
「ああ、なんとか…俺はいいから向こうの応援を…頼む…」
その言葉を聞いた俺は、男に楽な姿勢をとらせ、猪の方へ走り出す。
一際距離をとっている射手に対して合図して間を通り、剣や斧を持った男たちの横に立つとそこには、村の男に混ざって、よく見知った狩人がいた。
「オーヴィスくん!よく来てくれた!」
「ダンカンさん、状況を教えてください」
「“アレ”にすでに4人やられた。さっきので5人目だ。大き過ぎて太刀打ちのしようがない」
アレ、って…
俺は、その猪を見上げた。そう、見上げたのだ。
あまりにも、巨大。
その体高は、ダンカンさんよりも一回り大きいのでおそらく2メートルほど。体長にいたっては4メートルはあるように見える。
「大きすぎません?」
「彼らが言うには山の主だそうだ」
「山、降りてきてるじゃないですか…」
軽い掛け合いで引き攣り笑いをしながら、俺は剣を革袋から取り出し、抜き放つ。
猪の巨体を観察すると、いくつかの傷跡が見える。血が流れているので、ダンカンさんたちによるものだろう。
矢も何本か体に刺さっているが大したダメージはないようで、猪はピンピンして体を震わせている。
「斬りました?」
「刃が入らんかったわ。一撃でも喰らったらひとたまりもないせいで、引き気味の攻撃しかできんのだ」
だよなあ…アレを相手にするとなれば俺でもそうする。でも、ダンカンさんには相性が悪すぎるな。
ダンカンさんの剣術は、大剣を使いながらもコンパクトだ。最小限の体の動きだけで剣を振り、その重みで相手を斬る。
逆に言えば、剣の重みでは斬れない相手には通用しないわけだ。ダンカンさんの剣は分厚くはないが刃がかなり長く、敵に当たった部分の一点にその重さがのる。
だが猪の巨体だと刃全体が当たってしまい、重さが分散されるわけだ。
ならば、突き技はどうか。それもおそらくできないだろう。大猪の突進を避けながらだと、ダンカンさんが言うようにどうしても引き気味の攻撃になる。剣を前に出す突き技は不可能だ。
もちろん、全力で剣を振り下ろせば斬ることはできるだろう。彼の肉体なら簡単にできる。
だがそもそも剣を振る隙がない。振りかぶった段階で、距離を取られるか吹き飛ばされるかのどちらかなのは明らかだ。
したがってダンカンさんが取れる手段は無い。というか、剣士の取れる手段はほとんど封殺されていると言っていい。
だから弓をつかう射手が仕留めるのがセオリーのはずだが、矢を受けてのダメージも感じられない。巨体のぶん皮膚も厚く、矢の勢いが消えているのだろう。
それを抜きにしても、刺さったところでこの大猪からしたら棘のようなものだ。毒でも塗らない限り大きな効果は期待できない。
つまり、現状ここにいる人たちにうてる手段は無い。
言ってて気づいたが、かなり良くない状況じゃないか?
「ダンカンさん、なにか策は?」
「ないな。オーヴィスくんこそわざわざ来たんだから何かあるだろう?」
くそ、来なきゃよかった!
俺たちが言い合っていると、猪が鼻息を鳴らし、体を震わせてこちらに体を向けた。
冗談を言い合っている場合じゃなさそうだ。
「仕方ない、持久戦と行きますか…」
「それしかあるまい」
俺は剣を両手で持ち、目の前に構える。少しでも斬撃に重みを出すためだ。
ダンカンさんも前とは違い、両手で剣を持ち、重心を後ろにずらして構えている。避けが主体の構えのようだ。
俺たちのとる手段は単純明快。避け続け、斬り続ける。一撃も喰らわず、攻撃を当て続ければいい。斬撃は面積が広いのだから表面の傷でも出血が続く。大猪も生物なのだからいつか失血死するはずだ。
猪は地面に足を擦り付け、頭を振ってじりじりとこちらに詰めてくる。
「来るぞ!」
ダンカンさんの声とともに猪が走り出し、こちらに突っ込んできた。俺とダンカンさんが左右に分かれると、猪は迷うことなく俺に向かってくる。咄嗟に体を右にかわし、猪がそれについてきたのを確認して反対の左へと飛ぶことで突撃を交わした。
そしてすれ違いざまに剣を振り、通り過ぎていく猪の体に、引っ掛けるようにして斬る。しかし大した傷にはならず、出血もほとんどしていない。
「かっっったい!!」
思わず声に出してそう叫ぶ。巨体で力を伝えづらいだけじゃない。毛と皮が異常なほどに硬いのだ。そりゃあダンカンさんも斬れないだろう。
毛皮の薄い場所といえば腹や喉だが…あの猪の下に潜り込める人がいるならお目にかかりたいものだ。
猪は一度足を止めた後、こちらに向き直ってもう一度走り始める。ダンカンさんが狙われるが、無駄のない動きで避け、返すように一太刀浴びせる
「オーヴィスくん、狼に使った技は使えないのかね!」
狼にって…ああ、“外し”か。
「あれは対人用なんですよ!応用も聞きますけど、大きすぎる相手には効果ないです!」
「肝心な時に役に立たんな!」
「アナタの剣術もでしょうが!」
彼の斬撃だって通っていない。人のことを言えたものではないはずだ。
俺たちが喚いていると、猪は再び俺に向けて突っ込んできた。今度はギリギリまで引きつけて左側に避け、剣を振って傷をつける。
やっぱり刃が通らん!硬すぎる!
長くて硬い毛が振った勢いを殺すのが厄介だ。その上向こうは突進してくるんだから、剣の勢いが消えるどころか剣が弾かれそうになる。
斬られたことを微塵も気にしない猪は、今度は走り続けたまま俺の方にもう一度突っ込んでくる。
射手はさっきから何をしてるんだ、と思ったが、こうも縦横無尽に動かれるとそう簡単には当たらんよな。しかも近くには俺たちがいるし。
俺はもう一度左に避ける…とみせかけ、右に体を切った。そして避けた勢いそのままに剣を振る。
先ほどよりも深く刃が肉を切り裂き、血がボタボタと滴り落ちた。
猪の足が、少し遅くなる。それでも止まることはなく、今度はダンカンさんに向けて走り出した。
当然、簡単に躱し、猪横っ腹に沿わせるように剣が振られる。
「ムゥ、仕留めきれん!」
彼もダメージが通っていないことが不満らしく、ぼやきながらも剣を持ち直す。猪は一度止まり、標的を俺に変えて走り始める。
いくら大きいとはいえ、やはり獣。動きは単調で読みやすい。突進の速さにも慣れてきた。
当たる直前、ギリギリで右に避け、剣を振る。手応えが、あった。猪の傷から勢いよく血が吹き出し、数滴、俺の顔に当たった。
「な…一体どうやったのだ、オーヴィスくん!」
俺の剣が猪にダメージを与えたことに驚いているようだ。そりゃあ彼より筋力のない体、小さい剣であれだけ深く斬ったら驚くよな。
「右に、3度避けました」
剣についた血を振り落としながら、俺は答える。
「その3度の全て、同じところを斬ったんです」
まず1度目で、毛皮を斬り裂く。
そして2度目、全く同じ箇所を重ねて斬る。当然、傷は浅いし毛の位置も変わるから、それほど深い傷にはならない。しかし、1度目よりは確実にダメージを与えられる。
そして3度目、さらに同じ箇所をより深く斬る。ここまでくれば、ただ肉を斬るだけだ。
たしかに硬い。たしかに大きい。だが、その程度なら大した問題にはならない。ここでようやく傷を負わせられるというわけだ。
「同じ場所を3度、それも狙ってやったというのか⁈」
「はい」
「ハハハ、とんでもないな!」
ダンカンさんはひとしきり笑い、剣を振りながらニコリと笑った。普段のような優しい笑みではなく、獲物を狙う、肉食獣のような顔だ。
「よぉし!突破口が見えたぞ!」
そう叫び、なんと彼は、剣を鞘に戻した。そして鞘ごと、剣を少し離れた位置に置いた。
「ちょっと!なにしてるんですか!」
俺がそう声をかけても、ダンカンさんは素手のまま。しかし、獰猛な笑みは絶やさない。そんなダンカンさんを見て好機とみたのか、猪は彼に向けて走り出した。
「悔しいが、儂にはそんな芸当はできん!だがな!」
猪の突進を華麗に避けたダンカンさん。彼は体を捻って猪の方を向き、その豪腕を唸らせて、猪を思いきり殴りつけた。
ドゴン!と快音が響き、傷口から血が飛び散った。
切り傷への予想外の追い討ちによる鈍痛で、猪は鳴き声をあげて身をよじらせて悶える。
「こうすればダメージを与えられる!」
いやいや、線で斬れないから面で殴るって…脳筋すぎるだろ。とんでもないパワーのおかげで。ダメージは通っているみたいだけども。
突然の大きなダメージに猪はパニックになっているようだ。俺とダンカンさんのどちらに向かうか迷ったのか、右往左往しながら少しずつ後ろに下がりはじめた。
そのまま逃げるのかと思ったが、俺が前へと一歩踏み出すと、覚悟を決めたようにもう一度走り始めた。傷をかばうように、体をひねっての突進。本能的なその行動で、ほんのわずかにスピードが落ちる。
そのわずかな差は、ダンカンさんにとっては剣を振りかぶって余りあるほどの時間だ。そして剣が、振り下ろされる。十二分な威力と速度を持ったその一撃は、毛皮を通り抜け、肉を裂き、真っ赤な血を咲かせながら、その命を絶った。
猪は力なく地面に倒れ、わずかに体を震わせ、そして動かなくなった。俺たちが勝ったのだ。とはいえ、そこまで気分のいいものでもない。
怪我人が何人も出たとはいえ、やはり動物を殺すのは後味が悪い。悪人を斬ったほうがマシ…と思ってしまうのは、人を相手にするのに慣れすぎたせいだろうか。
動物を殺して悲しむのは、人間の傲慢だろうか、などと哲学的なことを考えつつ、剣を納める。あたりを見回すが、怪我人などは見当たらない。さっきの吹き飛ばされた人も、村の奥へと運ばれて行ったようだ。
集まってきた村の人たちが後処理がどうのと小難しい話を始めたあたりで、面倒くさくなってきた俺はその場を離れた。
俺はただ、猪を仕留めるのを手伝っただけだ。壊れた家屋や猪の死体の片付けは必要があれば手伝うが、話し合いには巻き込まれたくない。
戦いが終わったことを聞いたのか、周りに人だかりができ始めている。その間を縫うようにして抜けると、少し離れたところにユヴェールさんがいた。俺に手を振って合図をしている。
「来ていたんですか」
「ええ、事が済んだと聞いたので。無事なようで何よりです」
「剣、ありがとうございました。これがなかったらどうなっていたか…」
剣を革袋に入れ直して差し出すと、彼女は首を横に振って、それをこちらに押し戻した。
「村にいる間は持っていただいて大丈夫ですよ、なにかと必要でしょう」
「それはまた、何とお礼を言ったらいいか…」
もう、ユヴェールさんには頭が上がらないな。義眼についての話も快く教えてもらって、剣も貸してもらって。命を救われたようなものだ。
「今日はお疲れのようですし、義眼についての話は明日にしましょうか」
「今からで間に合うのなら、今日でも大丈夫ですよ!あまり先延ばしにするのもよくないと思いますし」
疲れていないわけじゃないが、身体的な疲労の原因はどちらかというと昨日飲み過ぎたことが大きい。二日酔いなので明日にしましょう、は流石に失礼がすぎるだろう。
「そうですか?では行きましょうか」
ユヴェールさんが歩き出し、俺もそれについて行く。彼女は村のはずれの空き地から、さらに外の森に向かって進み始めた。
どうやら義眼の魔女の作業場は、村の中にあるわけではないらしい。
ユヴェールさんは無言のまま、草木が生い茂った森を進んでいく。道らしきものはないのだが、彼女の後ろを歩くと、不思議と木の枝が全く当たらない。草に足を取られることもなく、まるで見えない道を歩いているかのような感覚だ。
目印となるものも無さそうだが、ユヴェールさんが足を止めることはない。
同じような景色が延々と続き、自分が歩いてきた方向もわからなくなり、内心少し不安になってきた、そんな時。前方に建物らしきものが見えた。
さらに先へ進むと、景色がひらけ、それの全貌が目に飛び込んでくる。
縦に並んだ円柱をふたつくっつけたような形のその家は、まさに魔女の家。森の中にぽっかりと空いた空き地の中で、異様な雰囲気を放っていた。
長さが大きく違う円柱には、どちらも急角度の尖った屋根が付いている。
丸硝子がピッタリと嵌め込まれた窓の斜め上に、材質のわからない煙突が飛び出して、そこから黒っぽい煙が吹き出していた。
ユヴェールさんはレンガの枠で囲まれた楕円形の扉を開け、中に入って俺を手招きする。うながされるままに中に入るとそこには、外にも劣らない不思議な景色が広がっていた。
入って正面には大きなテーブルがあり、右側にはキッチン、左にはもう一つの円柱に続いているであろう扉が見える。左手前に二階へと続く階段があり、上の階の一部は柵付きの吹き抜けになっていた。
木材を基調とした内装と家具は、落ち着きがありつつどこか神秘的な雰囲気を醸し出しており、どう使うのか想像もつかない器具が入った棚や、木製の籠に入ったランプがあちこちに置かれている。
中でもひときわ目を引くのが、奥の壁に取り付けられた板だ。表面には幾何学的な模様が彫られ、張り付けられた何枚もの紙は、謎の数式や読めない文字に覆われている。
そして何より不思議なのが、全体的な統一感だ。いくつもの物や棚、本が所せましと置かれているのに、乱雑さが全くない。整理されているようには到底見えないが、なぜか法則性を感じるのだ。
「人を招くような場所ではないのですが、どうぞ上がってください」
現実なのにどこか夢のようにも感じる光景に見惚れていると、ユヴェールさんが声をかけてくれた。どうやら遠慮していると思われたようだ。
頭を下げて一礼し、中に入った。少々足の踏み場が少ないので、周りのものに気を付けながら、一歩ずつ床を踏みしめる。トン、トン、と妙に足音が響く中、奥のテーブルまでたどり着くと、ユヴェールさんが椅子を勧めてくれた。
妙に心地よい椅子に腰を沈め、ユヴェールさんを正面に見据える。
「それでは、まずは義眼のための処置についてお話しますね」
自分の左目に指を差し込みながら、彼女はそう言い放つ。美しい青色の義眼は、音もなく彼女の眼孔から抜け落ちた。
どうも、煮込み昆布です。
五話目、いかがだったでしょうか。
アクションシーンは書くのが楽しいので、毎回長くなってしまいます。
ヤッパリセントウッテカッコイイヨネ、ウン。
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