2話 豪腕の狩人
「皆無事か⁈」
ダンカンさんの声が、倒れた馬車の中に響く。俺の胸の上で、何かがモゾモゾと動いた。
「私は…大丈夫です。痛むところもありません」
ユヴェールさんだ。馬車が倒れる一瞬で、俺はユヴェールさんの手を掴んで引き寄せ、地面との間に自分の体を入れ込んだ。
自分の体をクッション代わりにしたわけだ。
「すいませんオーヴィスさん。庇っていただいて」
「いえいえ、気にしないでください。体は人一倍丈夫なので」
そう言って俺もゆっくりと上半身を起こす。馬車の中は思ったより酷い有様だ。それぞれの荷物は滅茶苦茶に入り乱れ、床板や柱も所々に割れ目がはしっている。
「娘は大丈夫そうですが…私は少し腰を打ってしまいました」
シャーレさんは、ルナちゃんを抱えたままそう言った。その言葉通り、腰に手を添えて辛そうに顔を歪めている。
ルナちゃんは幸いなことに、まだスヤスヤと寝息を立てながら目を閉じている。あれだけの音と衝撃でも起きないので、最悪の事態を想像してヒヤりとしたが…
怪我もしていないようだし、一度眠るとなかなか起きないというだけだろう。
「皆さん、大きな怪我はないようですね…お爺さんは?」
「儂も問題無いが…どうして…こんな、こんなことに…」
御者のお爺さんは怪我はなさそうだが、馬車の惨状に肩を落としている。
ユヴェールさんはシャーレさんの腰を支えるようにして、立ち上がるのを手伝っていた。俺とダンカンさんは顔を見合わせ、お互いに頷く。
「外の様子を見てきましょう」
「そうですな」
そう言って俺たちは、馬車の後方の布をめくり、順番に馬車の外へ顔を覗かせた。
そこに広がる光景は、馬車の中の有様にもにも劣らないものだった。森の中で青々と生い茂った大木は、ひしゃげ、折れ、弾け飛んでいるように見える。
木の幹の中ほどで折れ曲がっているものもあれば、根からそのまま抜け飛んでしまっているものもある。
ものすごい力が横から襲った、という以外に形容のしようがないそれは、常識はずれの現象が起こったようにしか見えなかった。
「これは…一体何が」
「竜巻でも起こったのでしょうか」
木が折れ重なって先が見えないが、この惨状は一方向に続いているようだ。
「なんにせよ、これでは村まで向かうのは厳しいか…」
「いえ、そうでもありません」
ダンカンさんの呟きに答えながら馬車から出てきたのはユヴェールさんだ。彼女はこの光景にも落ち着き払って対応している。
「幸いなことに、村までの距離はあと少しです。今すぐ馬車を立て直すことはできませんが、歩いて一度村に向かうといいですよ」
「ああ、もうすぐなんですね。よかったぁ…」
馬車の中からは、シャーレさんの声が聞こえてくる。ユヴェールさんの発言のおかげか、その声は安堵にあふれていた。
「はい。もう日が暮れる頃ですし、最低限の荷物だけ持って行くとしましょうか」
「ああ、すまんな、儂のせいで…」
「爺さんのせいではなかろう。安心しろ、全員無事に送り届けてやる」
御者のお爺さんの謝罪に、ダンカンさんが力強く答える。たしかに、狩人の彼がいれば無事に森からも出られるだろう。
この惨状の原因が一過性のものであれば、だが。
もし、こんなことが可能な“なにか”が、意思を持って俺たちに襲いかかってくるのであれば、帰れる保証はどこにもない。
「気をつけていきましょう。俺も剣はないですが、多少なら」
戦えます、という言葉は、念のため口には出さない。シャーレさんたちを不安にさせることのないように、出来るだけ強い言葉は口にしたくないのだ。
それに、口に出さずともダンカンさんであればその意図は伝わっているようだ。
俺たちはごく自然に、他の4人を挟むような立ち位置に移動した。ダンカンさんは進行方向に、俺は後ろ側に立つ。
全員が荷物をまとめ終わったのを見て、ダンカンさんが声を上げた。
「皆!儂が先頭を歩く!離れないよう注意してついてきてくれ!それと、爺さんは村までの道案内を頼む」
ダンカンさんの言葉に、御者のお爺さんはしっかりと頷く。
そうして、俺たちは村までの道を歩き出した。
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「随分と、歩きましたね…」
馬車を離れて歩き始めてから、1時間ほどは経っただろうか。シャーレさんのこぼした声は、かなり疲れているように聞こえる。俺とダンカンさん以外の面々にも疲労の色が見え始めていた。
「馬車ならあっという間なんですが…流石に人の足だと遠いですね…」
ユヴェールさんが、力無くそう答える。
確かに、そういった理由もあるだろう。しかしそれだけではない。全員の歩くペースが明らかに遅いのだ。
腰に怪我をしているシャーレさんだけでなく、車掌も、冷静なはずのユヴェールさんも、何かに足を取られているかのようにゆっくりと歩いている。
無理もないだろう。大きな怪我ないとはいえ、馬車が横転までしたとなれば打ち身や打撲、擦り傷はいくらでもあるはずだ。それに日も暮れかけて、視界が悪い。道があるとはいえ、あくまで自然のど真ん中だ。足元の植物や木の根に気付かずに転びかけることもある。
これは…少しマズいかもしれない。
このまま誰かが怪我でもしたら、歩く速度はさらに遅くなる。そうして時間を取られれば、日も暮れて進むことすらできなくなる。泥沼だ。
俺は意を決して、口を開く。
「それじゃあ、少し休憩にしましょうか」
その発言に皆が、特にダンカンさんとユヴェールさん、御者のお爺さんがギョッとした顔でこっちを見た。きっと、このままのペースでは日没に間に合わないのだろう。
「今のままじゃ怪我人が出ます。どうせ日が沈むなら、多少遅くなっても変わりはないですよ」
「しかし…」
「ここで休んで火を起こしましょう。松明でもあれば少しはマシになるはずだ」
御者さんには悪いが、ここは有無を言わせずに押し切る。俺は自分の革袋から、油、火打石、布を取り出し、近くにある木の適当な枝を折り取ってそこに布を巻き付けた。
油の入った筒を傾け、茶色いそれを布に染み込ませる。枝をわきに挟み、先に巻いた布に向けて、二つの火打石を打ち付けた。
カッ、カッ、という固い音が響き、何本かの火花の筋が散る。その筋が布に触れた瞬間、枝の先を飲み込むようにして炎が燃え広がった。
「ほらほら、火も点いたことですし、皆さん腰を下ろして休んでくださいよ」
俺はそう言って、手本を見せるように自分からその場に座り込む。その様子を見て、シャーレさんが最初に地面に座り、ユヴェールさんと御者さんもそれに続いた。ダンカンさんは座らないが、それでも少し気を緩めてはいるようだ。
地面にある枯れ葉や落ちた枝をかき集め、油をかけて松明を寄せて火を移す。
パチパチと枝が弾け、火の粉が舞った。
「一休みといきましょう。空気も冷えてきましたから」
俺はそう言ってシャーレさんたちを焚き火のそばに促すと、御者のお爺さんへ手招きをして呼び寄せる。
「なにか?」
「村までのあとどれくらいかかりますか?」
「馬車だとあと30分ほど。歩きでは…倍はかかるかと」
なるほど…腰に怪我をしたシャーレさんにとってはなかなかハードかもな。松明の油はまだあるし、時間をかけてゆっくり進むべきだ。
おれはもう一つ松明を作り、ダンカンさんに手渡す。
「これまでのように先頭をお願いします。明かりもあるので、少しだけペースを落とすよう」
「承知した」
「もう半分の距離は歩いています…お願いします、ダンカンさん」
「ああ、任せておけ」
ダンカンさんは力強くうなづく。彼の勇ましい表情はやっぱりとても頼もしい。俺の話にもいくらか納得してくれたみたいでなによりだ。とにかく、俺たちは無事に村につかなければいけない。一人も欠けず、誰も見捨てずに。
見習いをやめたとはいえ、騎士道精神まで捨てたわけじゃないのだ。あと少しの間、皆を守り切ってやる。
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休憩を終え、そろそろ出発…という空気感になったとき。ダンカンさんがこちらに手を向け、歩き出そうとした俺たちを制する。彼がただならぬ気配をまとっているのを見て、
「どうかしましたか?」
「向かってきておる」
「…なるほど」
言われて、俺も気づいた。
8人…いや、8匹か。何かが近づいてきているのはわかる。だがどうやらダンカンさんは、それが何なのかまで正確に把握しているようだ。
「かなり数が多いぞ。やっかいな」
「やはりこちらを狙って?」
「ああ、少しずつ距離を詰めてきておる」
それはまた面倒な事だ。知性を持って狩りに及んでいるとなれば…狼あたりの肉食動物だろう。
「迎え撃ちますか?」
「そうでなければ厳しい。森で奴らから逃げおおせるのは不可能だ」
だろうな…勘弁してくれ。こっちは片目をなくしているし、一般人も3人もいるんだ。
ふと見ると、ダンカンさんの顔付きが変わっている。闘う者の、狩人の顔だ。口を真一文字に結び、目は鋭く森の奥深くの敵を見据えている。
「オーヴィスくん、皆を連れて下がっておれ。片目ではあの数の相手は辛かろう」
「いや、しかし…」
「心配せずとも負けはせん。とはいえ、後ろを気にしている余裕もなさそうなのでな」
彼は脇にある大剣をすらりと抜き放つ。普通の人であれば持ち上げるのにも苦労するであろう剣を、苦もなく、それも片手でだ。
そしてその剣を軽く三度ほど振ると、ダンカンさんは右足を前に出し、少し脱力して剣を正面に構えた。剣を握るのは右手だけで、左手は軽く握って腰のあたりに添えられている。
騎士団の稽古でも何度か見た事がある、多数を相手にする時の構えだ。とはいえこれまで見てきたのは短刀か片手剣を使ってのものであって、大ぶりな両手剣でそれをやるなんて正気じゃない。
ダンカンさんの鍛え上げられた肉体あってのスタイルだろう。
「…わかりました、後ろは任せてください」
「ああ、頼む」
茂みの奥の気配は、どんどんと近づいてくる。草むらがかすかに揺れ、かと思えば横の木の後ろに影が見える。
が、どんなに撹乱されても気配は一定だ。7つから増えも減りもしない。つまりダンカンさんと俺には効果がないわけで、俺たちは落ち着き払って気配のする方を見つめている。
ふと後ろから近づいてくる気配を感じて振り返ると、シャーレさんがゆっくりとこちらに近づいてきていた。足跡を立てず、そろりそろりと体を縮こませてだ。
「あの…今何が?」
そう言われて俺は気づく。ユヴェールさんたちに、状況を説明していなかった。
慌てて俺は、少し離れたところにいるユヴェールさんと御者さんを手招きし、シャーレさんの抱えたルナちゃんを囲むようにして顔を突き合わせる。
「落ち着いて聞いてください、今、僕らは動物から狙われています。多分…狼といったところですが、複数頭いるようです」
狼と聞いて、シャーレさんの顔から血の気が引いていく。一方でユヴェールさんは、こんな状況でも至って冷静だ。御者のお爺さんもこういったことの経験はあるのか、ユヴェールさんほどとはいかないがかなり落ち着き払っている。
「動物というと…野犬とか、狼とかですか?」
「おそらくそのあたりです。ダンカンさんが相手をしてくれるようですが、念の為僕のそばからは離れないように」
「わかりました」
「だ、大丈夫なんですか?」
シャーレさんの声が震えている。幼い娘を連れているのだから、無理もないだろう。彼女だけが、自分の命よりも重いものを抱えているのだ。絶対に、何としてでも守り抜かなければ。
とはいえ、過剰に怖がる必要はない。戦力的にいえば、こちらには一切の不安要素がないからだ。
「問題ないですよ。この程度であれば、ダンカンさん1人で対処できます」
「でも…やっぱり、今は逃げたほうがいいんじゃないですか?」
逃げたい、というその気持ちも理解できる。戦ったことのない人間が、得体の知れない敵を恐れるのは当然のことだ。
ただ、今回は敵を恐れて逃げたところで問題は解決しない。
「仮に逃げたとして、森の中じゃすぐ追いつかれます。それに、方向が悪すぎる」
そう言って俺は、気配を感じる方向に目を向ける。そちらへは、村への道も続いているのだ。
「方向ですか?」
「ええ、今奴等から逃げようと動けば、来た道を戻ることになります。村に着くまでの時間が長くなれば、また同じ事が起きるかも知れない」
「…わかりました、お任せします」
「はい、安心して任せてください」
とは言っても、俺が実際に戦うかどうかはわからないが…
「皆さん、来ます!俺から離れないように!」
俺のその言葉と同時に、ダンカンさんの前にある茂みが大きく揺れ、中から一つの黒い影が現れた。
松明で照らされたそれは、黒く、巨大な狼だった。頭の高さは俺の胸の下ほど、大体1.2メートルくらいだろうか。
デカすぎる…はずなのだが、ダンカンさんと向かい合っているとむしろ少し小さく見えてしまう。威圧感も彼の筋肉と覇気の前では半減だ。
ダンカンさんが姿勢を変えずに構えているのを見ると、狼はじりじりと距離を詰めていく。目は爛々と光り、半開きの口元から垂れる唾液は鋭い牙をより一層恐ろしく感じさせる。
しかしダンカンさんは、敵の容姿にも動揺は一切見せない。視線は狼を追いかけ、しかし構えは揺らぐ事がない。
「グルル…」
狼が少し唸った。
と、同時にダンカンさんの左の茂みが、ガサリと音を立てる。
思わず、この場の全員の視線がそちらに向かう。俺も、ダンカンさんも、もれなく。そこを見た、その瞬間。
“右の茂み”から、もう1匹の狼が飛び出した。一切の音もなく、殺意という牙を剥き出しにしてダンカンさんの首元に飛びかかった。
そして、狼の首が飛んだ。
一瞬。まさに一瞬だった。
まずダンカンさんは、飛び掛かってくる狼へ向きもせず、ただわずかに体を傾ける。彼の剣は、その大きさ、重さを全く感じさせず、美しく弧を描いて狼の首筋にそえられ、そのまま滑るように通り過ぎた。
少し遅れて、狼の首と胴が二つに分かれ、地面に倒れ伏す。
まさに圧倒的。相手に触れることさえ許さず、ただの一振りに斬り捨てた、体躯に見合わぬ技量。いや、そうではない。その巨体を最大限に生かすための、最小限の動きだ。
かなりの腕だろうと見込んではいたが、まさかこれほどとは。
「はあ…すごいな」
思わず、賞賛の言葉が感嘆のため息とともに口から洩れる。
天才的としか言いようのない。美しくも鋭い、そんな剣技だ。対人戦ならまだしも、動物相手のやり合いではダンカンさんに勝てる気がしない。
1匹目の惨状を見た狼たちは、少し攻め方を変えるようだ。2匹目、3匹目とダンカンさんを取り囲むように姿を現し、彼の周りをぐるぐると歩き始めた。獲物を狙う視線の先は、首筋や胸元などの急所ではなく、手足を狙っているように見える。
やっぱり野生の獣は厄介だな…状況を即座に理解して、それでも引かず揺らがない殺意を持っている。
「ダンカンさん…大丈夫ですよね?」
不安そうにそう問いかけるのは、震えながらも目をそらそうとしないシャーレさんだ。彼女なりの覚悟なのか、ダンカンさんの戦いをじっと見つめている。
「大丈夫ですよ」
俺は絶対の自信を持ってそう答える。
彼は負けない。この時点で、確実に断言できる、それほどの強さが彼にはあった。
ダンカンさんの周りを回っている狼が、さらに増える。4匹目、5匹目と、その密度はどんどん増していく。
狼たちは常に一定の距離を維持している。ダンカンさんの剣が、ギリギリで届かない、一歩踏み込めば斬れる距離。
しかし、そこから1匹を斬れば、残りの4匹に噛み殺されるであろう、そんな距離。
狼たちは、ダンカンさんの間合いを正確に見計らっているのだ。
狼たちがダンカンさんを取り囲む中、体が一際大きい最初の狼だけが、様子を伺うように輪の外でじっとこちらを見つめていた。
「ガァァァ!」
周りを回る狼の1匹が、大きく唸り声を上げた。同時に、ダンカンさんの方へ一歩踏み出す。輪の中に、ほんの少し、足を踏み入れた。
そこは、ダンカンさんの間合いの中だ。
彼の剣が再び弧を描き、間合いに入った狼の頭を上から下へと斬り裂いた。頭を二つに割られた狼は、その場に崩れ落ち、当然ピクリとも動かない。
それでも間髪入れず、狼たちはダンカンさんに飛びかかる。しかし数が減ったためか、タイミングに少しのズレがあった。
その隙間をダンカンさんが見逃すはずもない。
彼の剣は、前後左右の狼を正確に両断した。
舞うような美しい動きと共に、彼の剣がひるがえる。まるで、彼の体から四方へと斬撃が飛び出しているかのような、そんな感覚があった。
数秒で、群れの数は大きく減った。おそらく群れのリーダーであろう大きな狼の顔にも、焦りと怯えが浮かんでいるように見える。
「ガァッ!」
巨体の狼が短く吠えたその時。
俺の真横の草むらから、1匹の狼が飛び出した。群れのほとんどが死んで最後の1匹になった、と見せかけての奇襲。
しかしまあ、気配は掴んでいるわけで。
俺は飛びかかってくる狼の鼻先に右手の手のひらを添え、くるりと手首を回した。
ゴキュリ、という気持ちの悪い感触が、腕を伝って体に広がる。
狼の牙は空を切り、そのまま地面に転がった。倒れ伏した狼の首は、真後ろに捻じれている。
そして最後の1匹がその光景に気を取られた時。ダンカンさんの剣は、すでに振り切られていた。
お読みくださりありがとうございます、煮込み昆布です。
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