財産狙いの女だと私を追い出したはずの侯爵様が、離してくれないのですが
親の顔は知らない。
セイラは、気づいたときには孤児院にいた。搾取するばかりの施設もある中で、そこはわりと運営がまともなところで、生きる術を身につけさせてくれた。そうしてやがて能力に見合った奉公先に引き取られて行くのが常だった。ただ、一定の年齢になったら、行き先を告げずにいなくなる仲間がたまにいることは不思議だった。
また、衣食住は満たされていたし虐待も無かったけど、家族の愛を望むには恵まれない子供が多すぎた。
セイラは物覚えが良かったから、そこで教わる一通りのことはすべて身につけた。孤児院の中で年齢が上になり仲間に教わることが無くなったとき、孤児院に出入りしていたひとつかふたつ年上の少年が、文字や計算まで教えてくれた。
セイラは彼を兄のように慕っていたが、結局裏切られて、彼が手引きしたと思われる見知らぬ男性に犯されそうになった。16歳の時だった。
ギリギリのところで逃げ出したけど、孤児院にはその少年が出入りしていたから、帰るところが無くなった。
幸い体は丈夫だったし、孤児院の教育のおかげで運良く貴族の下働きで雇ってもらえた。すぐに雇い主である屋敷の主人に働きぶりが認められて、その身の回りの世話を任せられることになった。
主人であるマーガレットは、しばらく前に夫を亡くして、最近は田舎のこの屋敷にいることが多いという。
マーガレットは空いた時間に色んなことを教えてくれた。セイラが文字を読めることを知るとますます力が入った。
自分には息子ばかりだったし孫も男の子だから孫娘が出来たようで嬉しいと言って、マーガレットはセイラを本当に可愛がってくれた。
実はセイラは、早くに死んでしまったマーガレットの親友にそっくりだったのだった。同い年だったけど、美しくて聡明で分け隔てなく誰にでも温かく接する彼女は、マーガレットの憧れだった。彼女に娘がいたらこんな感じだったのかしらと、遠い昔に思いを馳せた。
***
セイラは下働きからレディマーガレットの付添人のような立場になっていった。マーガレットはセイラに貴族社会のことを含め様々なことを教え、セイラもそれによく応えた。
そんな忙しくも充実した日々に変化が訪れた。マーガレットの孫が屋敷を訪れるというのだ。セイラは18歳になっていた。
彼はちょうどセイラが屋敷に来る直前に仕事で外国に出ていて、つい先日帰国したばかりだという。
「うちで預かっているお嬢さんなの。最近は私の身の回りの世話をお願いしていて、よく気がつくからすごく助かっているわ」
そう言ってマーガレットは孫のユストスにセイラを紹介した。
「祖母が随分世話になっているようだ」
「逆です。過分なくらい良くしていただいています。色々教えていただいて」
セイラは詳しくは立ち入らなかったが、ユストスは、父がまだ現役のため、その爵位を継ぐまではと王太子の臣下として王宮まわりの仕事をしているらしい。
実のところユストスは、自分が外国に行っている間に素性の怪しい女が入り込んだと聞いて、慌てて祖母の屋敷を訪れたのだった。ユストスは初孫であり祖母はまだ鈍る年ではないとは言っても、人の良さに付け込まれている可能性は十分ある。
騙されているようであればすぐに追い出さなければと帰国後すぐに向かった祖母のところにいたのは、詐欺師とはほど遠いかわいらしい少女だった。話してみると案外にしっかりした女性で、柔らかな口調に乗せて物怖じせず何でも言ってくるその女性に自分でも気づかないうちに魅了された。
*
ユストス滞在中は2人の夕食の席にセイラも同席することになった。貴族の会食に混ざるなんてと気後れしたが、気楽にと言われてその言葉に甘えることにした。
「そうだわユストス、この子を馬に乗せてあげてくれないかしら?セイラには色々経験させてあげたいと思っているんだけど、さすがにそろそろ馬は難しくて」
「馬、ですか?」
当然の申し出にセイラの方が驚く。
「そう。一度乗ってみるといいわ。慣れてくると風が気持ちいいのよ」
「でもユストス様にご迷惑では」
「私は構わない。ただここには1人用の鞍しかないからすぐに2人用のものを取り寄せよう」
(手綱を引いて庭を散歩するくらいで良かったのだけど…ユストスったら。これはもしかしたらもしかするわね)
マーガレットはかつての憧れの親友を思い出して自然と笑みがこぼれた。
「私はこんなに年を取ってしまったけど、記憶の中のあなたは美しいままね」
独りごちる。
「でも悪い事ばかりではないの。素晴らしい家族に恵まれたわ」
*
一月という時間があっという間に過ぎようとしていた。
その日マーガレットは、泊まりがけで昔の親友の墓参に向かった。普段の外出はセイラが付くが、この時に限り以前から仕えている女性が付き添うことになった。
『あなたが来てくれている時に申し訳ないんだけど、明日は大切な人の命日だからその日に参りたいの。留守をよろしく頼むわね』
ユストスにそう言って、マーガレットは馬車に乗り込んで出立した。
ユストスはこの屋敷の管理を任されているらしく、しばらく不在にしていた期間の書類などを確認したり仕事をしていたが、夕食はいつも通り一緒に過ごした。
思いがけない初めての2人きりの時間に双方戸惑ったのは一瞬のことだった。食事が終わっても話は尽きず、2人は自然とユストスの部屋に向かった。
ユストスの部屋では彼が手ずから紅茶を淹れてくれた。先ほどと違ってそれ程会話は無かったが、その静かな時間もまた心地よく、それまで感じたことの無い温かい気持ちがセイラの胸に広がっていた。気づいたときには、セイラはユストスに抱き寄せられていた。彼の手慣れた様子にわずかな不安がよぎって、しかしそれ以上に沸き上がる自らの熱に抗えなかった。
ユストスの瞳を縁取る白銀のまつ毛が、薄明かりに照らされてキラキラと輝いていた。
「初めて?」
「こんなこと誰とでもしないわ。あなたは違うの?」
含みの無いセイラの言葉に、ユストスは返事に詰まった。ユストスは、これまで世慣れた女性ばかりを相手に選んできた自分を呪った。
本気になってしまう女性も少なくなかったが、ユストスの変わらない態度を見て、時間が経つと諦めて去っていった。
相手が誰であれいい加減に扱うことなどもちろん無いものの、後腐れの無い関係を結んで問題が無い女性はすなわち経験豊富な女性でもあったから、セイラのような女性を相手にするのは初めてだった。
まるで自らも初めて女性と向き合うかのように、勝手が分からなかった。セイラを傷つけはしないか?辛くはないか?出来ることなら自分と同じように良くなってほしい。そんなことを考えられたのも初めのうちだけで、ユストスはだんだんと余裕が無くなっていった。
「すまない限界だ。もうやさしく出来そうに無い」
「んっ」
こうして2人は、使用人と、使用人の孫の関係ではなくなった。
*
セイラは気恥ずかしさもあり、早朝に部屋を抜け出し、自室に戻った。誰かがこんなに心の中に居続けることなんて無かったし、こんな幸せな気持ちは長く続かないと思う自分もいた。
その予感は残念なことに当たる。
元々一月の予定で祖母の様子を見に来ていて、一度どうしても王都にある自分の屋敷に帰る必要があった。
マーガレットが屋敷に戻り、セイラがその荷解きや世話など忙しくしている間に帰る予定だった日となり、ユストスは「すぐ戻る」と言い残して王都へ発った。
セイラはどこかの家から行儀見習いで預かっている令嬢だろう。順序を間違ってしまったがユストスの中ですでに決意は固まっていた。挨拶に行き、一日でも早く彼女を迎えたい──
残してきたセイラにすぐにでも会いたい気持ちを抑え王都での要務をこなしていた時、マーガレットが倒れたという急報が入った。発見が早かったおかげか命は助かったが、意識はまだ回復していないという。王都での用件を済ませると、直ちにユストスは祖母の元に駆けつけた。
「ユストス様っ。マーガレット様が………」
ろくに寝ていないのだろう。真っ赤になった目を潤ませながら、他の使用人の目も憚らずユストスに縋り付いてきた。少し落ち着き、我に返ったセイラは慌てて体を離し、祖母のところに彼を案内した。
マーガレットはかろうじて目を開けたが、まだ話せる状態では無かった。
「ずっと付いていてくれたのだね。私がついているから少し休むといい」
ユストスはそう言ってセイラを部屋まで送り、祖母マーガレットの寝室へと向かった。
*
王都に戻ったのはマーガレットに財産の整理を頼まれていたからでもあり、その関係でどうしても急ぎの対応を要するものがあった。マーガレットの様子が少し落ち着いたのを確かめると、ユストスは祖母の机を検めた。
そこで目にしたのは予想もしていないものだった。セイラに財産を残すという書きかけの書面。一緒に置いてあった書類には彼女に係る調書もあった。それによると、セイラは孤児だと言う。ユストスはその場に立っていられず、フラフラと近くの椅子に身を投げた。
彼女は貴族令嬢などでは無く、孤児だった。祖母が彼女の身元をはっきりと示さないところから、どこかの貴族の庶子ではないかとは思っていた。しかし、それどころか平民だったのだ。
侯爵家という高位貴族の家門にあって、ユストスには不思議と身分への差別意識は無かった。どんな身分であっても受け止める用意と手腕はあったと思う。自分の財産狙いであれば喜んで差し出した。しかし、その狙いが祖母だと言うなら話は別だ。忙しい両親に代わって幼い頃から可愛がってくれた祖母が傷つくのを看過することは出来なかった。
*
「そこに」
目線だけで椅子を示して座るよう促す。初めて見るユストスの冷たい表情にセイラは戸惑った。
「テーブルに私からの小切手がある。あなたのような人には十分な額だと思う。祖母もあんな状態だから騒ぎを起こしたくないし、察してほしい」
それは一方的な宣告だった。セイラはあまりに突然のことに愕然としたが、黙って立ち上がり小切手を掴むと静かに部屋を出て行った。
セイラは悲しみでどうにかなってしまいそうだったけれど、どこか受け入れている自分もいた。元から期待してなかったはずだ。どうせこうなると分かっていた。何も持っていないのだから、失うものも無い。
一度遊んで捨てるなんて貴族にはよくあることだろう。かつて奉公先を告げずに出て行った仲間達は、貴族や裕福な商人の愛人になったのではないかと、孤児院を逃げ出す頃には察しがついていた。然るべき勤め先の用意に尽力してくれた院長達だったが、本人が望めばそういったルートも否定できなかったのだろう。
貴族の、それも雲の上の存在と結婚できるなんて、セイラは考えて無かったと思う。それでも、数日前までの満ち足りた気持ちとのあまりの落差に、自分でもどう対処していいか分からなかった。マーガレット様のことは気がかりだったが、あっという間にユストスとの思い出ばかりになってしまったこの屋敷から、今すぐ逃げ出したかった。
夜が明ける直前、当面の生活に必要なものと小切手を手にセイラは屋敷を出た。
*
祖母マーガレットが財産の一部を譲ろうとしていることをセイラ本人が知らないなど考えもせず、ユストスは何も言わず小切手だけを叩きつけた。セイラが、それを自分との一夜の代償だと受け止めたことになど全く気づかなかった。
昨日はセイラがすぐに部屋を出て行ったため、ここから離れた王都に家を用意するつもりであることをユストスは伝えそびれた。彼女とどんな顔をして会えばいいか分からなかったが、どうにも落ち着かず、祖母の看病の合間に彼女の部屋のドアをノックした。返事は無く、恐る恐るドアを薄く開けると灯りはついておらず、不在のようだ。庭にでも出ているのかも知れないとも考えたが、机の上にあったマーガレットへの短い書き置きを見て、彼女がわずかな荷物と小切手だけを持って、屋敷を出たことを悟った──
*
幸い、日を追うごとに祖母マーガレットの意識ははっきりしてきた。虚ろな時はしきりに、ユストスが聞いたことのない名を呼んでいたが、やがてそこにセイラの名が加わった。まだ状態が良いとは言えない祖母に、ユストスは事実を伝えかねていた。ある程度回復したタイミングで、ユストスは祖母にセイラが出て行ったことを伝えた。
「何てことを」
そこでユストスは、祖母がセイラに財産を残そうとしていることなど知らなかったという事実を聞かされた。ユストスの一人相撲にセイラを巻き込み、セイラを深く傷つけたのだった。
ただ実はユストスは彼女の居場所を把握している。女性がいきなり身を寄せられる場所は限られた。渡した小切手が振り出された銀行の場所から、近辺の修道院にあたりをつけ、その時すぐに駆けつけていた。
セイラの無事を確認すると、彼女に声をかけることはせず、後ろ髪を引かれながら祖母の屋敷に戻ったのだった。
***
──屋敷を出て一月後、子を宿してないことにセイラは安堵した。
あれから、目についた修道院にひとまず身を寄せ、信頼に足る確信のようなものを得ると、そこに小切手をそのまま寄付した。
*
セイラが新しい暮らしにも慣れ始めた頃、ユストスが突然修道院を訪れた。セイラは拒否しようとしたが、院長に取りなされ、短い時間ならと教会の片隅で再会した。
ユストスはまずは謝罪したが、セイラにはまだどうしてもそれを受け入れられなかった。
「行き場の無い可哀想な人間を、いいように扱いたかっただけでしょう」
貴族男性との未来を夢見るほど甘い人間ではないつもりだけど、それでももう少しくらい夢を見せてほしかった。
「違うんだ」
そう言って咄嗟にセイラの腕を掴んで引き止めようとする。
「離して!」
反射的にユストスが手を離した隙に、セイラは教会の奥の方へ逃げて行って、それきりその日は会えなかった。
*
しかし、ユストスのことはともかく、マーガレット様のことはずっと気がかりだった。親しくしていたメイドにユストスの不在のタイミングを手紙で教えてもらい、こっそりと見舞うことにした。
見舞いと言ってもマーガレットはすっかり元気になっていて、セイラはそれを心から喜んだ。あの時はいくつかの出来事が重なって、無理をしてしまっていたようだ。
「マーガレット様。勝手をして申し訳ありません」
「ああセイラあなたが何を謝るの。本当にごめんなさい。私達はあなたに酷いことを」
「私は大丈夫です。」
「私の親友は、かつて平民の男性と恋に落ちて出奔してしまったの。ご両親は手を尽くして探されたけど、見つかった時にはもう亡くなっていて…だから、もし彼女があのままいてくれたら、いつかあなたみたいな孫娘が生まれていたのかもって夢を見てしまって。私の勝手な都合にあなたを巻き込んで、結果的にあなたを傷つけてしまった。何とお詫びをしていいかっ」
そう言って泣き崩れるマーガレットにセイラは駆け寄った。
「いいえ、いいえ、マーガレット様。このお屋敷で過ごした2年は夢のような時間でした。私におばあさまがいたのならこんな感じかなって。家族の夢を見せていただきました。本当にありがとうございました」
マーガレットの戻ってきてほしいという申し出を固辞して、再会を約束して別れた。修道院に帰ろうと門をくぐる直前、不在のはずのユストスが現れた。どうしてもと押し切られ、庭のテーブルで2人、向き合うことになった。
「時間を取ってくれてありがとう」
どこまでも遠慮がちなユストスに戸惑いながらも、彼の話に耳を傾けると、驚くべき事実を告げられた。
マーガレットの親友の孫がセイラであることが判明したというのだ。
セイラの祖母だという人は一人娘で、他に跡を継ぐ者もいなかったため、すでにその家門は途絶えていた。彼女の両親は娘がそこまで思い詰めていたことに気づけなかったことを亡くなるまで後悔していたという。ただ、当時の調査では彼女が亡くなったことまでしか分かっておらず、子供を産んでいたことまでは調べられなかったらしい。そのため彼女の子供の子供、つまり孫であるセイラへはたどり着くことが出来なかったのだった。
「調書によるとあなたのお祖父さんにあたる人も、あなたのご両親も子供を捨てた訳では無いようだ。ただお祖父さんは男手一つで生まれたばかりの子を育てることが出来ず、人に一時的に預けたらしい。迎えに行く約束だったらしいが、その直前に事故で亡くなってしまったということだった。そこからも色々困難があってあなたも孤児院に行くことになったと」
それまで何の情報も無かった両親のことを知れるだけでなく、祖母の親友に巡り会えるなんて考えたことも無かった。両親が亡くなっていたのは悲しいが、望まれて生まれてきたのだと初めて思えた。
「調べてくださってありがとうございます」
セイラは、かつて母の屋敷があった地方までユストス自ら出向いて調べてくれたことに感謝を伝えた。誰か遣いをやればいいところを、わざわざ足を運んでくれた。そういう人なのだ。おそらく相手が誰であっても同じことをしていただろう。物事に真摯に取り組むそういうところが好きだった。セイラが財産狙いでないことは見抜けなかったけど。
「それで…戻ってきてもらえないか。勝手なことを言っているのは分かっている。だが、お祖母様も…」
「ここでマーガレット様を出すのは卑怯だわ」
「あなたの言う通りだ。自分で引き留める自身が無くて、また恥ずかしい真似をした」
「あなたのそういう、すぐ間違いを認められるところは好き」
そう言ってセイラはクスリと笑った。
セイラが笑ってくれたことが嬉しくて、好きと言ってくれたことが嬉しくて、思わずセイラを見る。
「でも言い分も聞かずに小切手を渡されて、すごく傷ついたわ。お金を要求するような女だと思われたなんて」
すぐに現実に引き戻され、ユストスは返す言葉が無い。
しかし、彼女が去ってしまうのをみすみす受け入れることは出来ない。簡単には引き下がれなかった。自分に出来るのは取り繕うことではなく、みっともなくてもすべてを正直に伝えることだと思った。
「正直に言うと、あんなにすぐに出て行くとは思わなかったんだ。自分で言うのはおこがましいが私は継承する予定の侯爵位の他に、既にいくつか爵位を持っているし、領地は豊かだ」
「今初めて聞きました」
「そうだと思う。冷静に考えればあなたがそんなことに興味が無いのはすぐに分かるのに」
セイラが黙っているとユストスが言葉を続けた。
「何を言っても今更だが、小切手の形で金を渡していれば、換金するときにあなたの居場所が掴めると思った」
確かに、セイラが移動できる範囲だったとは言え縁もゆかりも無い土地に流れ着いたのに、すぐに居場所を知られたのは不思議に思っていた。
「これも呆れずに聞いてほしいんだが、容姿は自分では気にしたことが無いが、幼い頃から褒められることばかりだった。まあこれは貴族相手のお世辞も大いにあると思うが今でもその辺はよく分からない」
ユストスの容姿は確かに整っていた。セイラとしても貴族をたくさん見たことがあるわけでは無いものの、庶民より見た目に気を遣う貴族の中にあっても飛び抜けた美しさであることは分かる。
「地位や外見で付き合う人を選ぼうと思ったことありません」
実際は生きるのに精一杯で選ぶ余裕も無かったが。
「あなたがそういう人だと思ったから、なおさら好きになったはずなのに、あの時の私は本当にどうかしていた。いや、何を言っても言い訳だ」
どう言い繕っても取り返しのつかない己れの過ちを自覚し、心から後悔しているだろうことだけは伝わってきた。
ユストスは実際、こんな境遇だから女性は相手から言い寄られるばかりで、自分から求めたことが無かった。ある程度自分の魅力を分かってもいたので、地位や名誉、財産、外見、そのすべてがセイラには通用しないことが分かり、どうすればいいか分からなくなってしまった。王太子の覚えもめでたい有能侯爵も、何も持たない一人の女性の前に形無しであった。
「親しくした女性にお金を渡すような卑劣なことをしたことは無い」
「私が相手ならいいと思ったの?」
「あの時はとにかく頭に血が上って自分でもチグハグな行動だったと思う。ただ、誤解していたから、あのままお祖母様のところにはいてもらえないから、どこか家を用意しようと…」
「私を愛人にするつもりだったの?」
セイラを愛人になど思いもしなかったユストスは、心底驚きすぐさまそれを否定した。
「とんでもない!とにかくお祖母様の屋敷以外にとにかくいてもらえる場所を用意しなければと。私の屋敷の近くに来てもらうつもりだった」
「私の話も聞かずに」
「その通りだ。あなたを手放したくないということだけを考えていた」
ユストスは出会ったときから尊大で、余裕ぶっていて、でも熱っぽい目でずっとセイラを見ていた。
(そう言えばあの夜は彼も余裕が無かったかもしれない。)
必死に言葉を重ねる彼を見ていると、こんな話し合いの時なのに、突然2人きりの夜の記憶が蘇ってセイラは赤面した。そして、あの夜のことを後悔していない自分の偽らざる本音をついに見い出した。
***
「よく考えてちょうだいセイラ。爵位は途絶えたとは言ってもその血を引いて、我が家の後ろ盾もあるとなれば、今後男性が列をなしてやって来るわ。そんな表面しか見ない男性は私が追い払うけれど。そんなものが無くてもあなたは魅力的な女性だから。それがユストスだなんて…」
「お祖母様っ」
ユストスが慌てて止める。
「確かにこの子は優しいし、祖母思いだし、見た目も悪くないわ。私の財産の管理を任せてあるくらいだから、普段は仕事も出来るの。でも今回のことは本当にがっかりしたのよ。初孫だから甘やかし過ぎてしまったのかしら。事情を確かめもせずにあんなことをするなんて思いもしなかった」
そんな彼が冷静な判断が出来なくなる程、セイラに魅了された結果の愚行であることは祖母マーガレットにはよく分かっていた。しかしそれでもセイラを傷つけたことに変わりはないし、親友のことを抜きにしても、今やセイラも実の孫達と同様大切な存在だった。
そしてそのセイラが、迷いながらもユストスを選ぼうとしていることに、どういう態度を取ればいいのかマーガレットとしても決めあぐねていた。
ただ、セイラの方も恩人であり人生の師でもあるマーガレットの意見を無視することは出来なかった。そこでマーガレットは一年間のモラトリアムを提案した。ただし、その間セイラはマーガレットの屋敷で暮らし、ユストスは毎週欠かさず会いに来ること。その際もちろん寝室は別で、手を繋ぐことも認めない。
「どうする?これはちょっと身内びいきもあるかもしれないけれど、あの子なりに反省はしてるみたい。あとはあなたの気持ちひとつよ」
*
かくしてユストスは一年間の試練を耐え切り、セイラを正式に迎えることに成功したのだった。