序章……(一)【自覚と脱却】
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「……あぁ、何たる、事か──」
頭が真っ白になる。
何もかもが信じられない。
薄暗い狭所で、内股座りをしている自分。
あり得ないだろう。こんなことが現実なんて。
股の間に添えた手を脱力させ、
「……んっ」
口から声を漏らしてしまった。
ゆっくりと、指と肌を触れ合わせてみる。
股の間から、細い指を上に滑らせてゆく。
滑らかな柔肌だ。引き締まった丸い臀部、そこから伸びる毛並みの良い尻尾、くびれた腰、大きすぎない程度に豊かな乳房、首元から背中側までを包む細かな被毛、長めの頭髪、本来の耳の位置よりやや上から生え頭頂へと向かって突出した獣の耳。
──半人半獣の女性だ。うん。
──現実には存在しないはずの存在。
理想や空想の中だけのはずの存在──。
自身の事ながら。これには自分も、
「我は、勇み、昂っているらしい……!」
興奮して! 昂ってしまったようだ!!
それをつい口に出してしまうほどに!!
思わず尻尾を振ってしまうほどに!!
うわー! 人外な感じの女の子だー!!
んふひひっ! うふふふ!! いやこれ、冷静になると中身が自分なんですけどね……。
か、鏡は、鏡はどこかにないかなー!?
ダメだ。鏡なんて無い。現在地である狭く薄暗い空間には、紙の束や台や照明くらいしかない。
深呼吸。まぁ落ち着け、自分。
どうもテンションがおかしいぞ?
まるで自分が自分ではないみたいだ。
そもそも自分の肉体が『好みの女の子』に成ってしまうというのは望んでいない。登場人物、主人公が異性になってしまう創作物などは非常に好みの分類ではあるが、あくまでも見る専だ。
時にそんな登場人物へ自己投影こそしても、自分が性転換したいとかを思ったことはない。
だって異性になったなら、異性なりの苦労とかあるでしょう現実だと? よってそういう変身願望は持っていなかったというのに……。
「ふむ……」
ほら、よく考えてもみろ。深呼吸だ。
自分自身の身体に興奮するか? うん?
自問自答の結果は、
「……是だな」
はい。興奮、するようです。
そりゃ自分自身でも興奮するに決まってるさ!
実際のところ、興奮してんだからそうなんだろ!
なってんだから、なっちゃってんだから!
その自分を受け入れるしかないじゃないかー!
支離滅裂な思考。冷静さが損なわれている。
こんな状況に陥っているので仕方ないか?
さしあたって、乳房を揉んでみる。
もにもにふにふにっと背徳的な快感だ。
「……ぁ」
なんというか、とてもエッチでございます。
女性経験があまり無い自分には刺激が強いです。
ふひひっ! 良い身体してんじゃねぇか?
薄い本とかだと、このまま如何わしい事とか始めてしまう流れだろうか。しかしそれが自分の身体(仮)だろうと、女の子の身体を汚すというのは紳士もとい人畜無害草食系のレッテルを貼られたヘタレにはどだい無理な話なのさ!! けっして自分の欲望を優先して、誰かを傷付けるような人間にはなりたくない変態である。が、自分の胸を揉んで興奮する程度には変態ではある……悲しい。
悲しみと自己嫌悪が胸に刺さった。
どうしてこんな子になっちゃったの?
社会不適合で、自分はそんな最低の人間だ。
「…………」
シリアスな話じゃない。ただの憂鬱。
自分の胸を揉んで、シリアスとか勘弁。
さて、急速に気分も沈んだところです。
冷静沈着に状況の確認をするとしましょう。
新型VRハード【Priz=n】の目玉機能であった【疑似触感再現手袋】による手触りの再現。素晴らしい神機能。それで件のゲーム登場人物である無垢な人外美少女達を撫でまわすという魂胆だったのだがこれは一体全体どういう状況なのやら。
手触りの再現までなら『ここはゲーム』であると言えたのだけど。さすがに自分で触り、自分の肌に触れられた感触、もっと言うと本来は存在しない獣耳や尻尾にまで感覚が有るのはおかしい。
そこまでの機能は、技術的にあり得ません!
擬似的に物に触れられて、擬似的に歩行できるだけのVRハードだったのだから!
「──ハァ、解せぬ、な……」
今更だけれど……なんだ、この口調は?
『わけが分からん』と口にしたつもりなのに。
意図せずに口調が変な感じになってしまう。
どうも変化は身体だけではないらしい。
困ったぜぃ! いや、本当に困っている。
困ってても顔に出ない人間、それが自分。
謎の地響きが起きて、埃が落ちてくる。
うん。もう困った困った。どうしよう。
「何時の世も、ままならぬものだ……」
なに言ってんだ、自分は? どしたの?
かなり遅れて中学二年生の病でも発症したの?
どっか打って、言語中枢でも破損したの?
「……言ノ葉にするまでもないが」
……言うまでもないけど!
自分はそんな仰々しい喋り方しないからな!
とても平凡な、どこにでも居る一般人ですから!
口調については状況を鑑みて今は無視するけど!
また地響きが起きて、僅かに傾く空間。
断続的な地響き、衝撃。外から嫌な音がする。
外はどうなっているのだろう?
終末戦争とか起きてたらどうしよう?
「……戦か……?」
とにもかくにも。現在地って危険なんじゃ?
なら、身の安全を第一に確保するべきだろう。
外の世界が安全かは不明だが、ずっと現在地には居られない。何か音からしてヤバそうだし。
唐突な脱出パートの始まりだ。脳内にサイレンが響き渡り、達成条件である【崩壊までに逃げろ】が提示され、空想の脱出猶予も表示される。
あぁ、もう。新作のゲームで人外美少女達と女の子になってしまった主人公を通してイチャイチャ戯れようとしてただけなのに。ヒドイ……どうしてこんなことに。もう安全だと思える状況になるまで現実逃避のロールプレイ開始ですよ……。
脱出の手がかりは、何か……ないか?
まぁ、中腰でしか移動できない畳二つくらいの狭い空間なので。見回せば簡単に見通せた。
「ふむ」
淡い光源、壁に刺さる棒状の照明。
それと書物だろう紙の束。その横に低い書見台。
自分は先ほども軽く確認していたが、有ったのはそれくらいの物品だけであり……。
「なるほど……」
いやいや。なるほど、じゃないんだよ!
脱出に使えそうなの『棒状の照明』だけかい!
なに? もしかしてレバーになってて、動かしたら効果音と共に出口とか出現してくれる? それか壁に刺さったそれを引っこ抜いて、近くの書物とか読んで謎解きしないとダメなやつ?
推理ゲームとかは苦手なので勘弁だ!! パズルとか計算も得意とは言えない。なんせ最近やった異種族恋愛シュミレーションゲームのラストに世界観をぶち壊して挟まれる、悪の拠点爆発脱出パートの途中で謎解きをしながら符号を回収し、複雑な八面キューブに当てはめて扉のロックを外すという要素でゲーム自体を放り投げたばかりだから!!
尻尾をくねらせて、四つん這いで移動。
現在は装備品無し。すっぽんぽんな裸体でも、薄暗いおかげで女の子の大切な所は見えない。
あの照明を、とりあえず調べようと接近。
触って確かめてみようと。よし、手を伸ばして。
(──指の先が、届いた!)
「──我が元へ、戻れ!」
いや、自分のもんなの? そうなの?
言語中枢が完全にバグってるだけだよな!?
その照明は、外して良いやつなの?
自分の為のもの? なら持ってきますけど?
更に接近し、照明の棒(仮)を撫でてみる。
よく見れば、装飾のされた刃物の柄のようだ。
──意を決して、強く握ってみれば、
「んっ! 取れんっ!! んぐぐ──っ!!」
台詞で格好つけて抜けんのかい!!
『我が元へ戻れ』とか何だったの自分!!
しかし。なかなかしっかり刺さってる。
なので、踏ん張り。勢いをつけて引き抜く。
が……引き、抜けない。けれどカタカタと抜けそうな遊びの隙間は存在している。樹皮のような壁に刺さっているので、もしかしたら年月の経過で先端が埋まってしまったのかも知れない。なら何故そんな場所に自分も一緒に仕舞われているのか、という疑問が湧いてくるが今は後回しだ。徐々に力を込めて行けば! いつかは外れるはず!!
「頑な、か……っ! だが応えるであろう?
我が意に、従え──!!」
(固いぞ……っ! でも取れそうでしょ?
使いたいんだから、ほら外れろってのッ!!)
「──ッ!!」
勢いのまま、自分は尻もちをついた。
潰した尻尾を擦る。反対の手には、抜けた小刀。
──刃物は刺さっていた樹皮の壁と擦れ、白い火花を周囲に散らしながら引き抜かれた。
小刀をまじまじと見てみて。熱を感じた。
そうして白い炎を纏う刀身。慌てて放り投げようとするも、柄から伸びた『装飾』だと思っていた蔓によって手の内から『それ』を離せない自分。
まさか、トラップか!? 呪いの武器?!
資格を持つ者でなければ扱えない小刀とか!?
んぎゃー! 誰かお助けをー!!
こんな死に方はしたくないですぜー!!
炎を消そうと、中腰で小刀を激しく振る。
サッサッ、シュッシュッと。振ったその分だけ周囲に火花が散って、辺りに延焼する白い妖炎。
悪化してる! 進行形で悪化させてる?!
重過失失火罪が何かする毎に積まれている!?
視界が完全に揺らめく白炎に包まれてしまう。
地面に立っている感覚が無くなり、傾いた周囲が音を立てて崩れ、何処かへと落ちて行く自分。
あれー!? 落下してるぅー!?
「きゃあっ……!?」
可愛い悲鳴を上げないでもらえますか?
なに、ギャップ萌えでも狙ってんの?
落下しつつ自分自身にツッコミを入れ。そんなやけくそ思考とは裏腹に、身体が勝手に動く。
「──クゥッ、んぐッ!!」
反射的に燃える小刀を壁に突き刺し、更に下まで落ちないように身体を固定した。束の間の宙吊り状態となって堪えていると、それまでよりも一層に強い衝撃が発生し。飛ばされ、天地がひっくり返るような感覚に飲み込まれてしまった。
須臾の間だけ意識が飛び、激しい土埃の中で地に足が着く。もくもくとした埃が少しずつ晴れてくると、空には欠けた月。つまり外の世界だ。
落下した先。自分が立っていたのは、折れて砕けた大樹の幹の傍ら。周囲を見渡すと、視界で散乱する木片や石材に、それから……まだ土埃が舞う中でも視認できた小柄な二人の人影。
「哀れなものだ……」
(ひ、酷い目にあったぜぃ……!)
あれは人影!? 人なのか? おーい!!
すいません。た、助けてくださいっ!!
火の粉がかからないよう風上を読み。
自分は、今なお燃え盛る小刀を高く掲げた。
「あぁ、然る事か……!
然らば、いざ参らん……!!」
(ちょ、あの燃えてるんで……!
だから、これどうにかしないと……!!)
◇◇◇
切迫した神域。白き燐火を纏い、巻き上げ、舞い散らせ。縁刀を高く掲げた美しき彼女。それは古に謳われし御身の再来。厄災の兆しに相対した、人を捨てて万象を統べ、理想に果てた巫女様──。
──即ち、伝承の戦巫女の目覚めであった。