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水に取られた ―六月の贄(にえ)―  作者: 大西さん
第一章「水守村」
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第6話 列車の中で

特急列車に乗り込む。


指定席は窓側だった。発車ベルが鳴り、電車はゆっくりと動き出す。


結衣ちゃんは、また水を飲んでいた。もう何本目だろう。


でも、いくら飲んでも満足しない様子。


むしろ、飲めば飲むほど渇いているような。


「ねえ、トイレ大丈夫?」


香織さんが心配そうに聞いたが、結衣ちゃんは首を振った。


「不思議なんだけど、全然...むしろ、体が水を欲しがってる感じ」


そして、結衣ちゃんは窓に顔を近づけた。


「あ、川だ」


車窓から見える川に、異常な興味を示している。


「きれい...すごくきれい...」


うっとりとした表情。恍惚とさえ言える表情。


川はそれほど美しくはない。むしろ、都市部の濁った川だ。


でも、結衣ちゃんには違って見えているらしい。


「あの中に入りたい...」


小さく呟いた言葉に、背筋が凍った。


「結衣ちゃん?」


「あ、ごめん。なんか変なこと言っちゃった」


でも、その目は川から離れない。


列車が川から離れると、結衣ちゃんは落ち着きを失った。そわそわと体を動かし、また水を飲む。


そして、ペットボトルを握りしめたまま、静かに涙を流し始めた。


「どうしたの?」


「分かんない...分かんないけど、悲しい」


涙が、頬を伝って流れる。


でも、その涙は普通と違って見えた。透明すぎる。まるで、ただの水のような。


車窓の景色を見ながら、結衣ちゃんが写真を撮っている。


「あ、虹だ!」


結衣ちゃんが指差す方向を見た。


確かに、ビルの間に小さな虹が見える。


でも、おかしい。


雨は降っていないのに。


よく見ると、ビルの屋上から水が噴き出している。


非常用の貯水タンクか何かが壊れたのか。


その水しぶきが朝日を受けて、虹を作っている。


美しい光景。


でも、なぜか不吉な予感がした。


水が、勝手に溢れ出す。


まるで、水自身の意志で。


そして、気づいた。列車の窓に、内側から水滴がついている。結衣ちゃんの座っている席の周りだけ。まるで、彼女の体から水分が滲み出しているような。


「美咲ちゃん、これ見て」


香織さんが、スマートフォンの画面を見せてきた。


御霊山の情報を検索したらしい。


「標高2,247メートル、原生林が美しく、眺望も素晴らしい...あれ?」


「どうしました?」


「この山、過去に何度か大規模な遭難事故があったみたい」


画面を覗き込むと、確かに事故の記録がいくつか出ている。


1951年:登山パーティー7名行方不明 1963年:家族連れ4名行方不明 1978年:大学山岳部12名行方不明 1989年:地質調査隊3名行方不明


そして、どの事故も6月に起きている。


今月だ。


しかも、今日は6月7日。多くの事故が、この日の前後に集中している。


「でも、最近は事故ないみたいだから」


香織さんが慌てて付け加えた。


確かに、1989年以降の記録はない。


でも、本当にないのか。


それとも、記録されていないだけなのか。


あるいは、記録することさえできない何かが起きているのか。


電車の中で男性が言っていた。


『三十年ほど前に』


1989年からちょうど三十年...


「あ、でも面白い伝説があるみたい」


結衣ちゃんがスマートフォンで何か見つけたようだ。


画面には水滴がついていて見づらいが、必死に読んでいる。


「この山には水の神様が住んでいて、時々人間を水の世界に招待するんだって」


「招待?」


「うん。選ばれた人だけが、水の世界を見ることができるって」


結衣ちゃんは楽しそうに話すが、私は凍りついた。


招待。


それは、美しい言葉で飾られた「水に取られる」ことではないのか。


「選ばれた人って、どんな人?」


香織さんが聞くと、結衣ちゃんは画面を見つめた。


「水に愛された人、だって。純粋で、水のように澄んだ心を持つ人」


そう言って、結衣ちゃんは自分のペットボトルを見つめた。


水面に、自分の顔を映しながら。


その瞳が、少しずつ透明になっていくのを、私だけが気づいていた。

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